朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

現在、只今の、本当の、ありのままの自分を認めて

2018-03-08 21:53:30 | 聖書から
主よ、
御目は、
真実を求めておられるではありませんか。エレミヤ書5:3

 使徒たちは主に言った。
「私どもの信仰を増してください。」ルカ17:5

 マタイ10:34~39
 ヨハネ13:12~20(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/9;金)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
私たちの真実を、
本当を求めておられる方なのですね。


イエスが、弟子たちに、
「もし兄弟が罪を犯したなら、彼を戒めなさい。
そして悔い改めれば、赦しなさい、
かりに、あなたに対して一日に七度罪を犯しても、
『悔い改めます』と言って七度あなたのところに来るなら、
赦してやりなさい」と言われたのだそうです。


それで、弟子たちは、そのように赦すことなど、とてもできない、
もっと信仰が増さなければ、と思ったのでしょうか。
イエスに、私たちの信仰を増してくださいとお願いしたのだそうです。

 イエスは応えて言われました。
「もしあなたがたにからし種ほどの信仰があったなら、
この桑の木に、『根こそぎ海の中に植われ』と言えば、
言いつけどおりになるのです」、と。

 そして、「しもべが主人の言いつけどおりをするように、
あなたがたも、自分に言いつけられたことをみな、してしまったら、
『私たちは役に立たないしもべです。
なすべきことをしただけです』と言いなさい」(ルカ17:3~10新改訳)、と。



私たち、自分の力、自分の努力で、信仰を増し、
深い霊的体験をし、
あれも出来、これも出来る者になろうとしている者です。

 けれども、イエスは、私たちに、
からし種ほどの、針の先でちょっと突いた痕ほどの信仰もない者、
役に立たない、あると場所ふさぎになる、ない方がいい者であると認めていきなさい、
と言われるのですね。


そういう、真実の、本当の自分を認めることができて、はじめて、
そのような自分自身を憎む者になり、
自分は、十字架刑で処刑されるはずの者だと認めることができて、
イエスについて行く者になれ、
永遠のいのちを自分のものとすることができるようになるのだそうです(マタイ10:34~39)。


 「神のひとりのようになり、善悪を知る者になっている」(創世記3:5、22)、
〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、
処刑されたもの、死んだものと認め、計算し(ロマ6:11)、
三日目に死人のうちより新しい霊のからだに復活した、
そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
この方が心に置いてくださる
〔父である神〕の私に対する御思いを私の思いとして生きる生き方を
受け取ることができるようになるのだそうですから(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ガラテヤ5:24~25)。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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救ってくださるのだそうです。人も、獣も

2018-03-08 07:38:35 | 聖書から
主よ、
あなたは人をも獣をも救われる。詩36:7

 空の鳥をよく見なさい。
種も蒔かず、刈り入れもせず、倉に納めもしない。
だが、あなたがたの天の父は
鳥を養ってくださる。マタイ6:26

 マタイ19:16~26
 ヨハネ13:1~11(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/8;木)


天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
人間も、獣も、救い、栄えさせてくださるのだそうですね。

 被造物も、切実な思いで神の子どもたちの現れを待ち望んでいるのだそうです。
被造物自体も、滅びの束縛から解放され、
神の子どもたちの栄光の自由の中に入れられるのだそうですから(ロマ:19~21新改訳)。


天の神、主は、空の鳥を養っていてくださる方。
雲で天をおおい、
地のために雨を備え、
山々に草を生えさせ
、獣に、また、鳴く烏の子に食物を与える方(詩篇147:8~9)。


私たちは、自分の力、努力で、
天の神、主と心を一つにすることができない者、
天に宝を積むよりも、
この地上の財産のほうを大切に思い、手放せない者なのですが、
私たちにはできないことも、神にはできるのだそうです。

 私たちに永遠のいのち、
天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方と
思いを同じくし、心を一つにして生きる生き方ができるようにしてくださる方(マタイ19:16~26)。


 私たちを愛し、
私たちの全身をきよめ、
日々、私たちの足を洗ってくださる方(ヨハネ13:1~11)なのですね。
今日も。

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