朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

多くの人の益を求める思いを、

2016-01-31 07:05:32 | 聖書から
今日、あなたたちが神の声を聞くなら、

心をかたくなにしてはならない。ヘブル書3:15(1/31の週の聖句)




身分の低い者から高い者にいたるまで、

  皆、利をむさぼり、

 預言者から祭司にいたるまで皆、欺く。

 彼らは、わが民の破滅を手軽に治療して 、

 平和がないのに、「平和、平和」と言う。エレミヤ書6:13~14




 パウロの手紙:私も、人々を救うために、

  自分の益ではなく多くの人の益を求めています。Ⅰコリント10:33




        (ローズンゲン日々の聖句1/31;日) 




 神の一人のようになろうとし、善悪を知る者となった私たち人間(創世記3:22)の理性は、天の神、主に対抗し、敵対する理性なのだそうです。それで、神の声を聞いても、自分の理性のふるいにかけ、納得のいくところは受け入れるが、そうでない部分は切り捨ててしまうのですね。

ですから、自分の理性の判断を、死んでしまっている者からの(あるいは死に定められたものからの)判断であることを認めて、これを横に置き、聖である霊と呼ばれる方からの思いを受け取って行くことが必要なのだそうです。

 心をかたくなにして、自分の理性の判断に固執していくなら、良いことを願っていったとしても、結果として自分の利をむさぼり、自分の益を求めていくことになるようですね。

 かつて、平和を求めて始まったはずの学生運動が、内部対立をし、総括、内部で殺し合うようになったり、共産主義が、自由と平等を掲げて革命まで起こしておきながら、新しく貴族階級を産み、弾圧と粛清を産んでいったように。



 私たち、順境にあっては、自分の理性から手を放すことができませんが、苦境や自分の手に余ることに出会うことによって、自分の理性の限界を知り、天の神、主を求めるようにもさせていただけるようです。




 「生まれたときからの私」という霊は、心、かたくなで、神に逆らう者、死ぬべき者と認め、

イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、自分は処刑された者と受け取り、天の父の右の座にあってイエスが遣わして下さる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、天の父と呼ばれる方の、私に関わる御思いを心に置いていただきながら、この御思いに聞いて行く、ついて行く日々でありたいですね。

このパウロのように。

新しい週も。


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万軍の主を尋ね求めよう。私も一緒に行こうと言うようになるのだそうです。

2016-01-30 00:37:40 | 聖書から
あなたたちと共に行かせてほしい。 

 我々は、神があなたたちと

  共におられると聞いたからだ。ゼカリヤ書8:23




祭りのとき礼拝するために上ってきた人々の中に、

  何人かのギリシャ人がいた。

 彼らは、ガリラヤのベトサイダ出身のフィリポのもとへ来て、

  「お願いです。

   イエスにお目にかかりたいのです」と頼んだ。ヨハネ12:20~21




        (ローズンゲン日々の聖句1/30;土)




  天の神、主は、私たちが互いに真実を語り、

真実と平和のさばきを行うように、

互いに心の中で悪を計らないように、

偽りの誓いを愛さないように、

真実と平和をあいするようにと願っておられるのだそうです。




 私たちに代わって十字架刑で処刑されてくださったイエスが派遣してくださる、

聖である霊と呼ばれる方が、受け入れる者の心に、

この父である神と呼ばれる方のの御思いを置いてくださるので、

私たちも、御父とひとつ思いを持つようになるのだそうですね。

 

 それで、再び、国々の民と多くの町々の住民がやって来るようになるのだそうです。

一つの町の住民が他の町の住民のところに行って、

「さあ、行って、主の恵みを請い、

万軍の主を尋ね求めよう。

私も行こう」と言うようになるのだそうです(ゼカリヤ8:16~23)。




イエスに会いたいと外国人が頼んで来たように。

今日も。


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宝の民としていただけるのだそうです。私たちも。

2016-01-29 07:50:45 | 聖書から
ただ正しいことのみを追求しなさい。

  そうすればいのちを得る。申命記16:20




正義、信心、信仰、愛、

  忍耐、柔和を追い求めなさい。Ⅰテモテ6:11




        (ローズンゲン日々の聖句1/29;金)




 「神のひとりのようになろうとし、善悪を知る者となった」(創世記3:22)私たちの本性は、

良いもののすべてを自分一人で独占したい者。

飽くことを知らない蛭のように(箴言30:15)金銭を追い求める者。

金銭を愛することがあらゆる悪の根なのだそうですが(Ⅰテモテ6:9~10)。




 今から、3500年ほど前においても、

天の神、主は、いよいよ約束の地に入ろうとする民に言われたのだそうです。

「すべての町囲みのうちに、さばきつかさとつかさたちを任命しなければならない。

彼らは正しいさばきをもって、民をさばかなければならない。

あなたはさばきを曲げてはならない。

人をかたよって見てはならない。

わいろを取ってはならない。

わいろは知恵ある人を盲目にし、

正しい人の言い分をゆがめるからである」(申命記16:18~19)と。




 天の神、主は、私たち、自分の理性を神とし、

自分一人の理性の判断で善悪を決めていくようになっている者を、

なお、御自身と心を一つにしていく者に取り返されようとしておられるのだそうです。




 私たち、生まれたときからの霊を、

御子イエスの十字架刑で処刑に合わせて処刑されたものとみなし、

受け入れる者に、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方を派遣してくださって、

この方によって、御自身の御思いを私たちの心に置いてくださるのだそうです。

正義、信心、信仰、愛、忍耐、柔和を。

今日も。


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御思いのとおりに語り、行動で来たらいいですね。御霊によって。

2016-01-27 23:47:39 | 聖書から
主はモーセに言われた。

「わたしが命じるすべてのことを語りなさい。」出エジプト記7:1~2



主よ、今こそ彼らの脅かしに目を留め、

 あなたのしもべたちが、思い切って大胆に

  御言葉を語ることができるようにしてください。Ⅰコリント4:29



      (ローズンゲン日々の聖句1/28;木)



  預言者の本文は、示されたとおりに、語れと言われたとおりに語ること、なのですね。

差し引いても、付け足してもいけない。

自分の考え、判断を差しはさまないで。

そのようにして、あの本、聖書は書かれているのだそうです(黙示録22:18~19)。



 御子である神と呼ばれる方は、「神のことば」という位置に御自身を置いておられるのですね(ヨハネ1:1~2)。

父である神と呼ばれる方を愛し、尊敬し、この方の御思いが成ることだけを願っておられるので(ヨハネ6:38)。

それで、御父が思っておられるその御思いのとおりを語り(ヨハネ8:26~28、12:50)、

その御思いのとおりを実行されたのだそうです(ヨハネ5:19)。

自分の意見、自分の判断を差しはさまないで。



それで、はばからず言われるのですね。

「わたしと父とは一つである」(ヨハネ10:30)と。



 御霊、「聖である霊」と呼ばれる方もそうなのですね(ヨハネ16:13~15)。

御父と御子イエスの御思いのとおりに行動なさっておられるのだそうです。



 私たちの罪の全部を背負って十字架刑での処刑を受けてくださり、

墓に葬られ、三日目に復活されたイエス。

40日にわたって、何度も弟子たちに現れ、御自分が確かに生きていることを見せたうえで、

弟子たちが見守る中、オリーブ山から、天の父である神と呼ばれる方の右の座に帰られた、

そのイエスが、私たち一人一人に派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方。



 この方が、受け入れる者の心に、御父の御思いを書き付けてくださるので(エゼキエル36:25~28)、

受け入れる者は、御父が一人一人に持っておられる御思い、ご計画を心に持つ者とされ、

御思いをこの地にもたらす者として、用いていただけるのだそうです(創世記1:26、ヨハネ14:12)。



 「聖である霊」と呼ばれる方が、心に置いてくださった御父の御思い、

それを「聖書」で確認しながら、大胆に、そのとおりを語り、

そのとおりに踏み出してみるのだそうです。

あの方々の一つに与る者として。

今日も。












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2016-01-26 23:49:05 | 聖書から
主よ、あなたは、

あなたの優れた霊を授けて

  彼らに悟りを与え、

   口からマナを取り上げることなく、

    渇けば水を与えられた。ネヘミヤ記9:20




私たちは、世の霊ではなく、

  神からの霊を受けました。

 それで私たちは、

  神からの恵みとして与えられたものを

   知るようになったのです。Ⅰコリント2:12




      (ローズンゲン日々の聖句1/27;水)




 天の神、主は、御自身の御思いを悟らせようと

御自身の霊、聖である霊と呼ばれる方を私たち人間に遣わして下さるのだそうです。




 この方をお迎えし、この方に聞いていくなら、

御言葉を悟らせ、渇きをいやしてくださり、

主から恵みとして与えていただいているものを体験させていただけるのだそうです。

今日も。


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