朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

事実をもって証しし、ご自身が生けるまことの神であることを知らせて

2018-08-30 08:24:13 | 聖書から

 モーセへの主の言葉:
あなたたちは
夕暮れには肉を食べ、
朝にはパンを食べて満腹する。
あなたたちはわたしがあなたたちの神、
主であることを知るようになる。出エジプト記16:11~12

 アンデレは言った。
「少年の大麦のパン五つと
魚二匹があります。
けれども、こんなに大勢の人々では、
何の役にも立たないでしょう。」

イエスは
「人々を座らせなさい」と言われた。ヨハネ6:8~10

 使徒4:32~37
 Ⅰヨハネ5:6~12(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/30;木)

 エジプトを出て来たイスラエルの民、
徒歩の壮年の男子だけで約60万、
女性や子供を入れると200万とも言われるその人々。

 「エジプトの地で、
肉なべのそばにすわり、
パンを満ち足りるまで食べていたときに、
私たちは主の手にかかって死んでいたらよかったのに。
事実、あなたがた(モーセとアロン)は、
私たちをこの荒野に連れ出して、
この全集団を飢え死にさせようとしている」(出エジプト16:3)
という人々に対して、
天の神、主は、モーセを通して言われたのだそうです。
「わたしはイスラエル人のつぶやきを聞いた。
彼らに告げて言え。
『あなたがたは夕暮れには肉を食べ、
朝にはパンで満ち足りるであろう。
あなたがたはわたしがあなたがたの神、
主であることを知るようになる」。


 イエスが、
人々を避けてガリラヤ湖の東側の寂しいところに行かれたとき、
大ぜいの人の群れがイエスを追いかけて来たのだそうです。
それで、イエスは、
人々を空腹のまま帰らせたくないと思われ、
弟子のピリポに言われたのだそうです。
「どこからパンを買って来て、この人々に食べさせようか」。

 ピリポは
「めいめいが少しずつとるにしても、
200デナリ(労働者200日分の給料)のパンでは足りません」と答え、

アンデレは言ったのだそうです。
「ここに少年が大麦のパン五つと小さい魚を二匹持っています。
しかし、こんなに大ぜいの人々では、それが何になりましょう。」

 しかし、イエスは
「人々をすわらせなさい」と言われ、
その五つのパンと二匹の魚を取り、
感謝をささげてから分けられると、
男だけで5千人いた人々は食べて満腹し、
余ったパン切れを集めると12のかごがいっぱいになったのだそうです。

 天の神、主は、
このようにして、
ご自身が生けるまことの神であることを知らせられる方なのですね。


 イエスが
私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けられ、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死人の中より新しい霊のからだに復活し、
40日に渡って弟子たちに何度も現れて神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
雲に迎えられて見えなくなり、
天の父である神の右の座に帰られた後、

 10日後のペンテコステ(五旬節の祭り、
モーセを通して律法が示され、神とイスラエルの民との間で契約が結ばれた記念日)
のその日に、
約束の〔聖である霊〕と呼ばれる方が、待ち望んでいた弟子たちに来られて、
こ弟子たちは、の方によって、
〔父である神〕の御思いを心に置いていただき、
その御思いのとおりに生きるようになったのだそうです(使徒1:3~9、2:1~4)。

 それらの人々は、
心に来た〔父である神〕の御思いのとおりに、
心と思いを一つにし、
だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、
すべてを共有にしていた。

 使徒たちは、
主イエスの復活を非常に力強くあかしし、
大きな恵みがそのすべてのものの上にあった(使徒4:32~37)。
神がともにおられたので。

 天の神、主、
「『わたしはある(I AM)』という者」と名乗られる方は、
あの時から2000年を経た21世紀に生きる私たちにも、
神に信頼する者とともに働く、神の生きたあかし、証明を受け入れ、
永遠のいのち、
神との関係の中で生きる生き方を
生きさせてくださるのだそうです(Ⅰヨハネ5:6~12)。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

喜び祝い、ほめたたえながら

2018-08-28 07:58:00 | 聖書から
 主こそ王。
全地よ、
喜び躍れ。
多くの島々よ、
喜び祝え。詩97:1

 全能者である神、主よ、
あなたの業は偉大で、驚くべきもの。
諸国の民の王よ、
あなたの道は正しく、
また、真実なもの。
主よ、だれがあなたの名を畏れず、
たたえずにおられましょうか。黙示録15:3~4

 アモス書5:4~15
 Ⅰヨハネ4:7~21(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/28;火)

 天の神、主、
「『わたしはある(IAM)』という者」と名乗られる方こそ

王の王であられる方。
全地が喜び躍り、島々が喜び祝う方。

 全能者、万物の支配者である神。
この方の御業は驚くべきもの。
その道は正しく、真実で、
すべての人々に畏敬され、ほめたたえられておられる方。

 この方が言われます。
「わたしを求めて生きよ」(アモス5:4~15)と。
 
イエスが私たちに代わって受けられた十字架刑による処刑。
そのイエスの死を通して私たちに来てくださり、
共にいてくださる、〔聖である霊〕と呼ばれる方。

 この方が受け入れる者の心に、
〔父である神〕の御思い、
善を求める思い、
悪を厭う思いも置いてくださり、
 
 〔父である神〕から出る愛の思い、
互いに愛し合う思いの中に浸し(Ⅰヨハネ4:7~21)、

 私たちが
〔父である神〕と思いを同じくし、
心を一つにして生きられようにしてくださるのだそうですから。

 その御業の中で、喜び祝い、
ほめたたえながら。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

慈しみをもって、目的のように導き

2018-08-27 11:33:49 | 聖書から
 あなたは慈しみをもって
贖われた民を導かれた。出エジプト15:13

 キリストが私たちを愛して、
私たちのために神に献げてくださったように、
あなたがたも愛によって歩みなさい。エフェソ書5:2

 マタイ12:1~8
 Ⅰヨハネ4:1~6(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/27;月)

 天の神、主、
「『わたしはある(IAM)』という者』と名乗られる方は、

私たちを慈しみと恵みもって、
目的のように導いてくださる方。

 〔御子である神〕が、
私たちを愛して、
人間イエスとして私たちの歴史の中に来てくださり、
私たちの贖(あがな)い、
買い戻しの代金として
ご自身を献げてくださったのだそうです。

 そのイエスが受けてくださった十字架刑での処刑によって、
私たちの、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている、
〔生まれたときからの私〕という霊が、
処刑済み、死んだものとしていただけ、

 私たちの新しいいのちとして
〔聖である霊〕と呼ばれる方が私たちに来て下さる道が開けたのだそうです。

 この方、〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
受け入れる者のうちに来てくださって、
受け入れる者の心に、
〔父である神〕が
私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださるので、
私たちのうちに
〔父である神〕の御思いがあるようになるのだそうです。

 それで、私たちは、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
死んだ者から出て来た思いであると認めて、

 この、〔聖である霊〕と呼ばれる方によって心に来る
〔父である神〕の愛の御思いによって生きるようにしていただけるのだそうです。

 神から出たもの(Ⅰヨハネ4:6)、
「あわれみは好むが、いけにえは好まない」、
「安息日の主」(マタイ12:6~7)である方の
御思いに導いていただいて。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

いのちを得る道を開いて

2018-08-26 09:50:17 | 聖書から
 わたしの兄弟である
この最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのである。マタイ25:40(8/26の週の聖句)

 主の道は正しい。
神に従う者はその道に歩み、
神に背く者はその道につまずく。ホセア書14:10

 互いに
愛と善行に励むように
心がけなさい。ヘブル書10:24

 ルカ10:25~37
 詩93(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/26;Ⅳ日曜)

 ある律法の専門家が、イエスに、
「先生。
何をしたら
永遠のいのちを自分のものとして受けることができるでしょう」
と質問したのだそうです。

 すると、イエスは、
「律法には、何と書いてありますか。
あなたはどうよんでいますか」と聞き返され、

 その人が、
「心を尽くし、思いを尽くし、
力を尽くし、知性を尽くして、
あなたの神である主を愛せよ。

 あなたの隣人を
あなた自身のように愛せよ」とありますと答えると、

 イエスは、
「そのとおりです。それを実行しなさい。
そうすれば、いのちを得ます」と答えられたのだそうです。

 私たち、
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっていて、
自分を神のようにしようとするばかりで、
天の神、主を愛し、
この方と思いをひとつにしようとはしない者なのですね。

 神の律法を知っても、
それを実行できない者、
永遠のいのちを得られない者、
それが私たちの実体のようです。

 〔父である神」は、
〔御子である神〕を人間イエスとして、
人間の歴史の中に派遣し、
この方に私たち人間の
「的外れ」の責任のすべてを負わせて、
私たちの身代わりとし、
神に呪われた者とし、
十字架刑で処刑して、
私たちの
「神のひとりのようになり、
善悪を知る」ようになっている
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑された者、死んだものとしてくださるのだそうです。

 そのうえで、もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださって、

 この方によって私たちの心に
御自身の御思いを置いてくださり、
受け入れる者がご自身と同じ思いを思い、
一つ心になるようにしてくださるのだそうです。

 それで私たちも、
神の御心に従って、愛と善行に励む心にも、
すべての人の隣人になる思いにもなるのだそうです。

 イエスは、
「この最も小さい者の一人にしたのは、
わたしにしてくれたことなのだ」
と思っておられるのだそうですから。
この新しい週も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

自分の「的外れ」の存在を認め、言い表していくなら

2018-08-24 22:41:08 | 聖書から
 あなたに背いたことを
私は知っています。
私の罪は
常に私の前に置かれています。詩51:5

 自分の罪を公に言い表すなら、
神は真実で正しい方ですから、
罪を赦し、
あらゆる不義から
私たちを清めてくださいます。Ⅰヨハネ1:9

 イザヤ書57:15~19
 Ⅰヨハネ3:19~24(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句8/25;土)

 私たちは、自分の実態、

天の神、主から、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」創世記1:26)、

 「あなた(父である神)がわたし(御子イエス)におられ、
わたし(御子イエス)があなた(父である神)にいるように、
彼らもわたしたちにおるように。
わたしたちが一つであるように、
彼らも(わたしたちと)一つであるように(ヨハネ17:21~22)、
と願われて造られていながら、

 その神とのひとつの場にとどまることをしないで、
もっと偉い者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る」(創世記3:5、22)ようになって、
創造の目的からずれた、「的外れ」になっている実態を知るのですね。

 それを言い表していくとき、
その私たちの「的外れ」の責任を全部、イエスが負ってくださっていて、
イエスが受けてくださった十字架刑での処刑で、
私たちの「的外れ」になっている
〔生まれたときからの私〕という霊を処刑済み、
死んだものとしていてくださるのが分かるのだそうです。

 そのうえで、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださって、
私たちの心に、
〔父である神〕の御思いを置いてくださるので、
私たちのうちに〔父である神〕の御思いがあるようになり、
受け入れる者は、〔父である神〕と一つ心になって、
不義でない、
あるべき、正しい在り方を生きるようにしてくださるのだそうです。

 イザヤ書に書かれてあるように。
いと高くあがめられ、永遠の住まいに住み、
その名を聖ととなえられる方が、
こう仰せられる。
「わたしは、高く聖なる所に住み、
心砕かれて、へりくだった人とともに住む。
へりくだった人の霊を生かし、
砕かれた人の心を生かすためである。
わたしはいつまでも争わず、
いつも怒ってはいない。
わたしから出る霊と、
わたしが造ったたましいが衰え果てるから。
彼のむさぼりの罪のために、
わたしは怒って彼を打ち、顔を隠して怒った。
しかし、彼はなおそむいて、
自分の思う道を行った。
わたしは彼の道を見たが、彼をいやそう。
わたしは彼を導き、彼と、その悲しむ者たちとに、
慰めを報いよう。
わたしは唇の実を創造した者。
平安あれ。遠くの者にも近くの者にも平安あれ。
わたしは彼をいやそう」と主は仰せられる(イザヤ57:15~19新改訳)。

 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
御子イエス・キリストの御名に信頼し、
互いに愛し合う(Ⅰヨハネ3:23)、
〔父である神〕の御思いを私たちの心に置いてくださるのだそうですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)