朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

帰って来ておくれ。罪は霧のように消したから、と。あの方

2014-09-30 23:33:44 | 聖書から
わたしはあなたのとがを雲のように吹き払い、あなたの罪を霧のように消した。わたしに立ち返れ、わたしはあなたをあがなったから。イザヤ書44:22(口語訳)





 神は、規則によって私たちを訴えて不利に陥れていた証書を破棄し、これを十字架に釘付けにして取り除いてくださいました。コロサイ書2:14
    (ローズンゲン日々の聖句10/1;水)





 ご自身と一つになるものをと願って私たち人間を造られたあの方。あの方と一つになって生きることを嫌って、あの方に対抗して自分を善悪を知るものとし、自分の善悪の判断を最善としてこれを実現しようとし、他をこの判断に従わせようとするもの。自分をトップの位に就かせ、良いものを自分一人で独占しようとする本性の私たち人間。

 あの方は、ご自身と一つになるものをと、なお願い続けられ、一人の人アブラハムを選び、この一人の人から一つの民族を興し、この民族によって、人間が自分の力によってご自身と一つになることができるか実験なさったのですね。

 そのイスラエル民族1500年ほどの歩みを通し実証されたこと、それは、モーセを仲介者として結ばれた旧い契約、文字によって表されたあの方の御思いを自分の力で行っていく道では、罪・はずれを訴えられるしかないということだったのだそうです。

 このことが実証されたうえで、あの方は、最初からの約束のとおりに、ご自分の独り子である方を女の子孫として人の世に生まれさせ、この方がおよそ33歳の頃、私たち人間の罪、はずれの責任のすべてをこの方の上に置いて、この方を十字架刑で処刑し、反逆者として天と地のとの間に高く掲げられたのだそうです。

 あの方は、このことによって、私たち一人一人の罪、背き、はずれを書き連ね訴えていた訴状を破棄し、訴える者たちの訴えの根拠を取り除いて下さったのだそうです。

 このことが成った今、あの方は、私たちのとがを雲のように吹き払い、私たちの罪を霧のように消したから、わたしに立ち返れと呼びかけ続けていて下さるのですね。

 そして、わたしが新しく遣わす、聖である霊と呼ばれる方を迎えて、この方があなたがたの心に書き付けるわたしの思いと一つ思いになって欲しいと。
イエスがそうであったように、わたしがあなたをとおしてしようと思っていることをする者になって欲しいと。

今日。












"にほんブログ村哲学・思想ブログ キリスト教へ"



[[img(http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif)]]

[http://www.blogmura.com/point/00697809.html PVアクセスランキング にほんブログ村]





[269RANKのランキングサイト]





哲学・思想 ブログランキングへ


腐った木で彫刻はしないのですね。誰も。それなのにあの方は

2014-09-29 23:05:30 | 聖書から
人の心は何にもまして、とらえ難く病んでいる。誰がそれを知りえようか。心を探り、そのはらわたを究めるのは、主なるわたしである。それぞれの道に従って報いる。エレミヤ書17:9~10







 私たちの心に責められることがあっても、神は、私たちの心よりも大きく、すべてをご存じである。Ⅰヨハネ3:20

    (ローズンゲン日々の聖句9/30;火)





...


 身代わりを用意して下さったのですね。
私たちの心の奥底の思いまでも知っておられて、処罰するしかない私たちを、なお、惜しんで下さって、ご自身の独り子を人として人の世に遣わし、この方を私たちの身代わりに処刑することで、私たちを処刑が済んだ者とみなして下さっているのだそうです。



 あの方は、ご自身が、御子である方、聖である霊と呼ばれる方と心を一つにし、思いを一つにし、行動を一つにしていらっしゃる、その一つに加わるものをと望んで私たちを造ってくださったのだそうです。



 その望みをあきらめないで、持ち続けていて下さって、御子イエスの十字架刑での処刑によって背きの罪の処罰が終わった私たちに、もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を派遣して下さって、この方によって、私たちの心にご自身の思いを置いて下さって、私たちを、ご自身と思いを一つにする者として下さるのだそうです。



 私たちは、今、イエスがそうであったように、あの方が話そうと思っていらっしゃることを話し、あの方がしようと思われることをしていく者にしていただけるのだそうです。



 私の心に、あの方のどんな思いが来るのか、どんな御業に関わらせていただけるのか、楽しみですね。

今日も。












"にほんブログ村哲学・思想ブログ キリスト教へ"



[[img(http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif)]]

[http://www.blogmura.com/point/00697809.html PVアクセスランキング にほんブログ村]





[269RANKのランキングサイト]





哲学・思想 ブログランキングへ


一緒に行くからと言って下さっているのですね。あの方

2014-09-28 22:05:21 | 聖書から
わたしは、

    強く雄々しくあれと命じたではないか。ヨシュア記1:9





 私は自分が信頼している方を知っており、

   わたしにゆだねられてものを、

       その方が守ることがおできになると確信しています。Ⅱテモテ1:12
 

               (ローズンゲン日々の聖句9/29;月)





...


 信頼している方との具体的なやり取りによって、その方を体験しているので、確信があるのですね。

ゆだねて下さったものを守ってくださると。



 その方が、強く雄々しくあれとおっしゃられるのです。こちら側の実力や可能性によってではなく、その方が一緒にいて下さることが頼りなのですね。

だから、見通しが立っていなくても、その方と相談しながら一歩を踏み出してみるといいのだそうです。





 岸いっぱいにあふれ流れているヨルダン川の水が、

契約の箱を担いだ祭司たちの足が水ぎわに浸った瞬間、水はせき止められ、

民は乾いた地を渡っていったように。



今日も。



イメージ 1




[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



PVアクセスランキング にほんブログ村



[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"


自分一人で抱え込んでいないで、わたしに持って来なさいと言って下さっているのでしょうか。あの方

2014-09-27 23:17:11 | 聖書から
思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。

 神が、あなたがたのことを心にかけていて下さる。Ⅰペト5:7(今週の聖句)





 泣きやむがよい。

 目から涙をぬぐいなさい。

  あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。エレミヤ書31:16





 今泣いている人々は幸いである、

     あなたがたは笑うようになる。ルカ6:21
           (ローズンゲン日々の聖句9/28;日)







 客観的事実としては小さなことでも、思い煩うと100倍にも1000倍にも膨らんでしまうのですね。
目の前にふくらむ、山のような思い煩い、この大宇宙を御自身のイメージどおりに創造し、これを支え、運行させておられる方、私たち人間を、そのイメージどおりに母の胎内で組み立て、生まれさせ、一人一人にご計画をもっておられる方が、あなたのことを見ているよ、心にかけているよ、全部、わたしに持って来なさい、話してきなさい、わたしに知らせなさい、と言って下さっているのだそうですね。





 「永遠の愛をもって、わたしはあなたを愛した。それゆえ、わたしはあなたに、誠実を尽くし続けた。」(エレミヤ31:3)


 「わたしは彼らの悲しみを喜びに変え、彼らの憂いを慰め、楽しませる。わたしの民は、わたしの恵みで満ち足りる。」(エレミヤ31:13、14)





 あの、ヘロデ大王の兵によって幼い子どもを殺され、嘆き悲しむ母親たちでさえ、あの方が、ご自身の独り子である方を贖(あがな)いの代金として十字架刑で処刑して下さって、私たちを罪から買い取り、私たちを御自身の子として下さること、そして、復活の希望を与えて下さって、あの方の御前で、その我が子とも再会できる望みで慰めを得るようになるのでしょうね。





 悲しみを悲しみのままに、あの方の前に広げ、見ていただいていけば、あの方のなぐさめをいただいて、喜び笑う出来事に変えて下さるのだそうです。今日も。



イメージ 1





[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



PVアクセスランキング にほんブログ村



[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"

互いに愛し合うようになるのですね。私たちも。あの方によって

2014-09-26 22:44:03 | 聖書から
モーセの言葉:
あなたたちは、わたしが命じることをすべて忠実に守りなさい。
これに何一つ加えたり、減らすことがあってはならない。申命記13:1 







 神の掟とは、神の子イエス・キリストの名を信じ、互いに愛し合うことです。Ⅰヨハネ3:23(ローズンゲン日々の聖句9/27;土)







 クシュ(エチオピア)人がその皮膚を、ヒョウがその斑点を変えることができようか。

もしできたら、悪になれたあなたがたでも、善を行うことができるだろう、とあの方は仰るのですね(エレミヤ13:23)。





 パウロは言います。神の掟を自分の力で守る道によっては、だれひとり、神の前に義と認められる人はいない、と(ロマ3:20)。


 モーセ以来、1500年のイスラエルの人々の熱心によっても、だれひとりいないことが実証された。
だから、パウロはこのように言い切ることができたのでしょうね。
その、だれひとりいなかった道に、なお、私たちは挑戦を続けるのか。



 パウロは続けて言います。

「しかし、今は、律法とは別に、しかも律法と預言者によって証しされて、神の義が示されました。

すなわち、イエス・キリストを信じる信仰による神の義であって、

それはすべての信じる人に与えられ、何の差別もありません」と(ロマ3:21~22)。





 新しい契約、

それは、聖である霊と呼ばれる方が私たちのうちに来て下さって、

私たちの心に、父である方の御思いを置いて下さり、書き付けて下さるので、

私たちが父である方と同じ思いをもち、

父である方と一つ行動をとるようになるというものでした(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。





 聖である霊と呼ばれる方によって、

私たちを愛して下さっているあの方の御思いが私たちの心の思いに来て、

私たちも互いに愛し合うようになるのですね。

今日。


イメージ 1






[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]



PVアクセスランキング にほんブログ村



[269RANKのランキングサイト]





"哲学・思想 ブログランキングへ"