朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

燃える怒りをやめ、災いを思い直すよう、なだめ、執り成す者を用意して

2018-10-31 10:23:27 | 聖書から
モーセは主なる神をなだめて言った。
「主よ、どうか、燃える怒りをやめ、
ご自身の民にくだす災いを
思い直してください。」出エジプト32:11~12

 誰が私たちを罪に定めるのか。
死んだ方、
否、むしろ、復活させられた方である
キリスト・イエスが、
神の右に座し、
私たちのために執り成してくださるのです。ロマ8:34

 マタイ5:2~10(11~12)
 ロマ3:21~28
 黙示録8:6~13(通読箇所)
  (ローズンゲン日々聖句10/31;水)

 〔父である神〕は、
自身の民に対する燃える怒りをやめ、
下すべき災いを思い直したいと思っていらっしゃるようですね。


 それで、モーセが民のために執り成したように、
執り成す者を求めておられるのだそうです。


 〔父である神〕は、この執り成す者を立てるために、
〔御子である方〕を人として人の世に派遣し、
私たちが受けるはずの怒りを、この方の上に注ぎ、
この方を
「神に反逆し、神に呪われた者として十字架刑で処刑し、
その処刑を、私たちすべての人間の処刑としてくださったのだそうです。
私たちを処罰が終わっているもの、
処刑が済んでいるものとするために。


 そして、このことが事実であり、完成している証明として、
死んで葬られたイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死者の中から新しい霊のからだに復活させ、
ご自身の右の座に呼び戻されたのだそうです。


 そして、今は、イエスを、
神の右の座にあって、
ご自分のいのちをもって私たちのために執り成す者、
弁護する者として立てていてくださるのだそうです。


 〔父である神〕は、
律法を自分の努力で守って、
神の合格点に達しようとする生き方とは別に、
しかも、律法と預言者、旧約聖書によって証言しながら、
ご自身の義を示しておられるのだそうです。


 それは、イエス・キリストに信頼することによって、
神が与えてくださる義であって、
すべて、イエスを信頼する者に与えられ、
そこに、なんの差別もないのだそうです。


 すべての人は、
神の創造の目的から「的外れ」になっていて、
神からの栄誉を受けることができず、


 ただ、神が、ご自身の側で、一方的に、
〔御子である方〕を人間イエスとして、
この人間の歴史の中に派遣し、
この方のいのちを支払って用意した義を与えいただくことで、
なんの功績、働きもない私たちも義と認めていただけるのだそうです。


 私たち、自分の努力で神の基準に達し、
その自分の義を認めてもらう生き方ではなく、
神に信頼し、約束を受け取る、もらうことで
義としていただけるのだそうですから(ロマ3:21~28)。


 そして、私たちの救いの業を完成して、
〔父である神〕の右の座に帰られたイエスは、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方を
受け入れる者に派遣してくださるのだそうです。


 この方は、受け入れる者に来て、
受け入れる者の心に
〔父である神〕の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が
〔父である神〕と一つ心になるよう働いてくださるのだそうです。


 「心の貧しい者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだから。
悲しむ者は幸いです。
その人たちは慰められるから。
柔和な者は幸いです。
その人たちは地を受け継ぐから。
義に飢え渇く者は幸いです。
その人たちは満ち足りるから。
あわれみ深い者は幸いです。
その人たちはあわれみを受けるから。
心のきよい者は幸いです。
その人たちは神を見るから。
平和をつくる者は幸いです。
その人たちは神の子どもと呼ばれるから。
義のために迫害されている者は幸いです。
天の御国はその人たちのものだから」(マタイ5:2~10新改訳)
との御思いに。


 そして、やがて起こる、
神のラッパが鳴り響き、
血の混じった雹と火とが降って来て、
地上の三分の一が焼け、
木の三分の一が焼け、
青草が全部焼けてしまったり、


 また、火の燃える大きな山のようなものが、海に投げ込まれ、
海の三分の一が血となって、
海の中にいたいのちあるものの三分の一が死に、
舟の三分の一が打ち壊されてしまったり、


 また、たいまつのように燃えている、
「苦よもぎ」と呼ばれる大きな星が天から落ちて来て、
川々の三分の一とその水源に落ち、
川の水の三分の一が「苦よもぎ」のように苦くなって、
多くの人が死んだり、


 また、太陽の三分の一と、
月の三分の一と、星の三分の一とがうたれて、
三分の一は暗くなり、
昼の三分の一は光を失うような(黙示録8:6~13)ときにあっても。


 〔聖である霊〕と呼ばれる方は、
私たちの心が〔父である神〕の心とひとつになるよう、
働いてくださるのだそうですから。
今日も。


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くじや占いによらないで、事を決めていくには

2018-10-30 19:30:47 | 聖書から
くじは膝の上に投げられるが、
ふさわしい定めは
すべて主から与えられる。箴言16:33



 何よりもまず、
神の国と神の義を求めなさい。
そうすれば、これらのもの(食べるもの、飲むもの、着るもの)は
みな加えて与えられる。マタイ6:33

 

 ロマ書3:9b~20 
 黙示録8:1~5(通読箇所)

(ローズンゲン日々聖句10/30;火)



 イエスが十字架刑での処刑を受け、

死んで葬られ、

三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、

天の〔父である神〕の右の座に帰られて、

〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださり、



 この方によって、

〔父である神〕の御思いが、

受け入れる者の心に置かれるようになる前の時代、



 人々は、神の御心を伺い、事を決めるのに、

ひざの上にくじを投げていたのだそうです。



 いずれにしても、事を決められるのは、

天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方なのですね。



 すべてのことが、

神から発し、

神によって成り、

神に至る(ロマ11:36)のだそうですから。



 だから、私たち、

何を食べるか、何を飲むか、何を着るか、など、心配する者ですが、



 まず、第一に、神の国と神の義を求めていくなら、

これらのものは、加えて与えていただけるのだそうです。

〔父である神〕の御思いが実現すること、

イエスが私たちの身代わりとなって受けてくださった

十字架刑で処刑によって

受け取る者に与えられる神の義を求めていくなら。



 律法、

モーセを通して示された〔父である神〕の御思いを、

自分の努力で実行していくことによっては、

だれひとり、神の前に義と認められない、

合格点を取ることができる者はいないのだそうです。



 律法によっては

罪の意識が生じる、

自分がどんなに「的外れ」な者であるかが明らかになるだけ、

なのだそうですから。 



 しかし、今は、

イエスが十字架刑で処刑を受けてくださって、

神に呪われた者となって死んでくださり、

墓に葬られ、

三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、

40日に渡って弟子たちに何度も現れて神の国のことを語り、

オリーブ山で弟子たちが見守る中、天に上げられ、

〔父である神〕の右の座に帰られ、

受け入れる者に
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださる今は、

 そして、その〔聖である霊〕と呼ばれる方が、
受け入れる者の心に、
〔父である神〕の御思いを置いてくださり
(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~31)、
受け入れる者が〔父である神〕と思いを、心を、
一つにして生きる道が開けた今は、

 律法とは別に、
しかも律法と預言者(旧約聖書)によって証しされて、
神の義が示されているのだそうです。

 それは、
イエス・キリストを信頼することによって、
すべての信頼する人に、
なんの差別もなく、与えられる神の義、
なのだそうです(ロマ3:20~22)。

 それで私たちは、
このことばに信頼し、
この神からの義をもらい、受け取り、
〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
この方が心に置いてくださる〔父である神〕の御思いに聞き、
それが成るよう、願っていくのですね。
くじによるのではなく。


 そして、私たちの祈りは、

神の御前に届いているのだそうですから(黙示録8:3~4)。



今日も。



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立ち上がるのだそうです。神の武具を身に着けて

2018-10-29 09:48:01 | 聖書から
あなたは立って、
わたしが命じることを
すべて彼らに語りなさい。エレミヤ書1:17

 立って、
真理を帯として腰に締め、
正義を胸当てとして着け、
平和の福音を告げる準備を履物としなさい。エフェソ書6:14~15

 ホセア書12:1~7
 黙示録7:9~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句10/29;月)

 天の神、主、
「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、
私たちが、悪魔の策略に立ち向かい、
支配、力、この暗やみの世界の支配者たち、
また、天にいるもろもろの悪霊に対して対抗できるように、
神の武具を身につけさせてくださるのだそうですね。

 立って、戦うことができるように。
神が、私を通して語ろうと思われることを
そのまま語ることができるようにと。

 神に立ち返り、
誠実と公義、愛と正義とを保ち、守り、
絶えず神を待ち望む者にしてくださって(ホセア12:6新改訳)。


 天では、あらゆる国民、部族、民族、国語のうちから、
だれにも数えきれぬほどの大ぜいの群衆が、
白い衣を着、しゅろの枝を手に持って、
御座と小羊との前に立ち、
大声で賛美をささげているのだそうです。
「救いは、御座にある私たちの神にあり、小羊にある」と。

 御使いたちもみな、
御座と長老たちと四つの生き物との周りに立って、
御座の前にひれ伏し、神を拝して、言うのだそうです。

「アーメン。
賛美と栄光と知恵と
感謝と誉れと力と勢いが、
永遠に私たちの神にあるように。アーメン」と。


 その白い衣を着た多くの人たちは、
大きな患難から抜け出て来た人たちで、
その衣を小羊の血で洗って白くしていただいた者たち、なのだそうです。


 だから彼らは神の御座の前にいて、
聖所で昼も夜も、神に仕えるのだそうです。


 そして、御座についておられる方も、
彼らの上に幕屋を張られるので、
彼らはもはや、飢えることも渇くこともなく、
太陽もどんな炎熱も彼らを打つことはないのだそうです。


 なぜなら、御座の正面におられる小羊が、
彼らの牧者となり、
命の水の泉に導いてくださるのだそうですから。

 また、神は彼らの目の涙を
すっかりぬぐい取ってくださるのだそうです。

 私たちも、イエスに信頼し、より頼み、
この大ぜいの人たちの中に加えていただけるのですね。

 〔父である神〕は、私たちに、
イエスを通して、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣し、
私たちの心にご自身の御思いを置いてくださって
私たちがご計画の中を歩むようにしてくださるのだそうですから。
今日も。

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祝福の源にしてくださって

2018-10-28 09:40:30 | 聖書から
 赦しはあなたのもとにあり、

人はあなたを畏れ敬うのです。詩130: 4 (10/28の週の聖句)



 主はアブラムに

「わたしはあなたを祝福し、

あなたが祝福の源となるようにする」

と言われた。創世記12:2



 悪をもって悪に報いず、

侮辱をもって侮辱に報いてはなりません。

かえって祝福を祈りなさい。

祝福を受け継ぐために

あなたがたは召されたのです。Ⅰペテロ3:9



 マタイ18:21~35

 詩143(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句10/28;Ⅳ日曜)



 天の神、主、

「『わたしはある(I am)』という者」と名乗られる方は、

私たちを批判し、責める方ではなく、

赦し、祝福し、幸せにしようと思っていてくださる方なのだそうです。



 そして、私たち一人一人を通して

周りの人を祝福しようと。



 それで、

私たちの〔生まれたときからの私〕という霊は、

「神のひとりのようになり、善悪を知る」ようになっていて(創世記3:5、22)、

その私から出て来る思いは、

人のあらを見つけ、批判し、責め、なじる思いなのですが、



 十字架刑での処刑を受けてくださって、

私たちの、この〔生まれたときからの私〕という霊」を

処刑が終わっているのもの、死んだものとしてくださり、



 墓に葬られ、

三日目に死人の中から新しい霊のからだに復活し、

40日に渡って何度も弟子たちに現れて神の国のことを語り、

オリーブ山で、弟子たちが見守る中、

天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。



 そのイエスを通して来てくださる、〔聖である霊〕と呼ばれる方が、

私たちの心に置いてくださる〔父である神〕の御思いは、

悪をもって悪に報いず、

侮辱をもって侮辱に報いないで、

かえってその人を祝福する思いなのだそうです。



 天の〔父である神〕は、

私たちを祝福の泉の源として用いたいのだそうですから。



 ちょうど、私たちは、

王から1万タラント

(労働者の賃金を1日1万円とすると、6千億円)

の借金を返せなくて赦してもらった人のようだと

イエスは言うのですね。



 それで、自分に100万円の借金があって返せない人を

赦してやってほしい(マタイ18:21~35)と。



 私の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、

何としてでも借金を取り返そうとするのですが、



 イエスを通して来てくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方は、

私たちの心に、

〔父である神〕の赦す思いを置いてくださるのだそうですから。



 そして、ダビデ王のようにうたうのですね。

主よ。私の祈りを聞き、

私の願いに耳を傾けてください。

あなたの真実と義によって、私に答えてください。

あなたのしもべを裁きにかけないでください。

生ける者はだれひとり、

あなたの御前に義と認められないからです。
敵は私のたましいを


この新しい週も。追い詰め、

私のいのちを地に打ち砕き、

長く死んでいる者のように、

私を暗い所に住まわせたからです。

それゆえ、私の霊は私のうちで衰え果て、

私の心は私のうちでこわばりました。

私は昔の日々を思い出し、

あなたのなさったすべてのことに思いを巡らし、

あなたの御手のわざを静かに考えています。

あなたに向かって、私は手を差し伸べ、

私のたましいは、かわききった地のように、

あなたを慕います。



主よ。早く私に答えてください。

私の霊は滅びてしまいます。

どうか、御顔を私に隠さないでください。

私が穴に下る者と等しくならないため。
朝にはあなたの恵みを聞かせてください。
私はあなたに信頼していますから。
私の行くべき道を知らせてください。
私のたましいはあなたを仰いでいますから。
主よ。私を敵から救い出してください。
私はあなたの中に、身を隠します。(詩篇143:1~9)と。

 この新しい週も。

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心の岩、私の相続分となっていてくださる方が

2018-10-26 08:18:14 | 聖書から
私の肉も私の心も朽ちるであろうが、

神はとこしえに私の心の岩、

私に与えられた分。詩73:26



 その夜、

主はパウロのそばに立って言われた。

「勇気を出せ。」使徒23:11



 ルカ22:49~53

 黙示録6:9~17(通読箇所)

   (ローズンゲン日々聖句10/26;金)



 私たちの肉体、私たちの心はが朽ち果てます。

しかし、その時にも、

神は私たちの心の岩、私たちが相続財産として受け取る分、

となってくださっているのだそうです。



 パウロがエルサレムに上ったとき、

パウロに対しての暴動が起こり、

パウロはローマ兵によって獄に捕らえられることになったのですが、

その夜、天の神、主はパウロのそばに立って言われたのだそうです。

「勇気を出せ。

あなたはエルサレムでわたしのことを証ししたように、

ローマでも証しをしなければならない」と。



 確かに、この世は、

イエスを十字架に架けて殺していった暗闇の力が働く場所ですが(ルカ22:53)、

イエスによって私たちに約束された場所では、

新しい歌が歌われるのだそうです。



 「あなた(小羊としてほふられたイエス)は、

巻物を受け取って、その封印を解くのにふさわしい方です。

あなたは、ほふられて、その血により、

あらゆる部族、国語、民族、国民の中から、神のために人々を贖(あがな)い、

私たちの神のために、この人々を王国とし、祭司とされました。

彼らは地上を治めるのです」、



また、

「ほふられた小羊は、

力と、富と、知恵と、勢いと、誉れと、栄光と、賛美を

受けるにふさわしい方です」、



 また、

「御座にすわる方と、小羊とに、

賛美と誉れと栄光と力が永遠にあるように」との。



 この方が、私の心の岩、私に与えられた相続分として、

私たちと一緒にいてくださり、

パウロの時のように、

私たち一人一人に持っていてくださる、

ご自身のご計画のとおりを実現してくださるのだそうですから。

今日も。



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