朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

永遠の福音を携えて

2022-07-26 07:46:21 | 聖書から
もろもろの民にその業を知らせ、
その名が崇められていることを
告げよ。イザヤ書12:4

 ヨハネは書く:
私は、一人の天使が
天の真ん中を飛ぶのを見た。
その天使は、地上に住む人々、
あらゆる国民、部族、言葉の違う民、
民族に告げ知らせるために、
永遠の福音を携え、大声で言った。
「神を畏れ、
神に栄光を帰しなさい。」黙示録14:6~7

 創世記32:23~32(33)
 ヨハネ7:25~31(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/26;火)

    ―――― ☆ ――――

 私たちも言うのですね。
「【主】に感謝せよ。
その御名を呼び求めよ。
そのみわざを、もろもろの民の中に知らせよ。
御名があがめられていることを語り告げよ。

【主】をほめ歌え。
主はすばらしいことをされた。
これを全地に伝えよ。
シオンに住む者よ。
大声をあげて喜び歌え。
イスラエルの聖なる方は、
あなたの中におられる」(イザヤ12:4~6)と。


永遠の福音を携え、
「神をおそれよ。神に栄光を帰せよ」と
全世界に告げ知らせる天使とともに。




 私たちも、ヤコブが、
自分が兄エサウの長子の権と祝福(相続権)を
奪っていたので、
その兄エサウと会うことが怖くて前に進むことができず、
ヤボクの渡しで、神と格闘をし、
「私はあなたを去らせません。
私を祝福してくださらなければ」としがみつき、
離さなかったように、
神にしがみつきながら。(創世記32:23~32)




 イエスについて、
エルサレムのある人たちは、こう言い始めました。
「この人は、彼ら(ユダヤの指導者たち)が
殺そうとしている人ではないか。
見なさい。この人は公然と語っているのに、
彼らはこの人に何も言わない。
もしかしたら議員(ユダヤ最高議会の)たちは、
この人がキリストであると本当に認めたのではないか。

しかし、私たちはこの人がどこから来たのか知っている。
キリストが来られるときには、
どこから来るのかだれも知らないはずだ。」



イエスは宮で教えていたとき、大きな声で言われた。
「あなたがたはわたしを知っており、
わたしがどこから来たのかも知っています。しかし、

わたしは自分から来たのではありません。
わたしを遣わされた方は真実です。
その方をあなたがたは知りません。
わたしはその方を知っています。
なぜなら、わたしはその方から出たのであり、
その方がわたしを遣わされたからです。」



そこで人々はイエスを
(自分を神から出た者であるとして、
神と等しくした、神を冒涜した罪で)捕らえようとしたが、
だれもイエスに手をかける者はいなかった。
イエスの時がまだ来ていなかったからである。


群衆のうちにはイエスを信じる人が多くいて、
「キリストが来られるとき、
この方がなさったよりも多くのしるしを行うだろうか」と
言い合った。(ヨハネ7:25~31)




 同じイエスのことばを聞き、その行う業(わざ)を見て、
ある人たちはイエスを殺そうとし、
ある人たちは、
そこに救い主キリストのしるしを見たのですね。


私たちも、神が行われる御業(みわざ)を見て、神を認め、
喜びをもってそれを伝えていく者にと。



イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いて下さる
【父である神】の御思いについて行きながら・



今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~


(聖書のことばへの疑問やご意見
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教会に行っていないけれど
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安息の休みに、私たちを入れようと

2022-07-20 23:31:26 | 聖書から
主がほめたたえられますように。
主は約束どおり、
ご自分の民イスラエルに
安住の地を
与えてくださいました。列王記上8:56



安息日の休みは、
神の民に
まだ残されています。ヘブル書4:9

 ロマ書9:14~23(24~26)
 ヨハネ6:66~71(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/22;金)



    ―――― ☆ ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
「在りて、在る者」、
在ろうと思うとおりに在るお方、
ことばと実態が一致しておられる方なのですね。

それで、「安住の地を与える」との
イスラエルに対する約束のことばも
そのとおりに実現したとソロモン王は言っています。

そして、神の国での安息の休みも、
まだ、神の民に、まだ残されているのだそうですから。




 パウロは書き送っています。
「神はモーセに言われました。
『わたしはあわれもうと思う者をあわれみ、
いつくしもうと思う者をいつくしむ。』

ですから、これ(神の選び)は
人の願いや努力によるのではなく、
あわれんでくださる神によるのです。
聖書はファラオ(エジプトの王)にこう言っています。



『このこと
(イスラエルの民をエジプトから脱出させること)のために、
わたしはあなたを立てておいた。
わたしの力をあなたに示すため、
そうして、わたしの名を全地に知らしめるためである。』

ですから、神は人をみこころのままにあわれみ、
みこころのままに頑(かたく)なにされる
(頑ななままでいることを許される)のです。
栄光のために
あらかじめ備えられたあわれみの器に対して、
ご自分の豊かな栄光を知らせるために。

このあわれみの器として、神は私たちを、
ユダヤ人の中からだけでなく、異邦人の中からも
召してくださったのです。

それは、ホセア書でも神が言っておられるとおりです。
『わたしは、わたしの民でない者を
わたしの民と呼び、
愛されない者を愛される者と呼ぶ。
あなたがたはわたしの民ではない、
と言われたその場所で、
彼らは生ける神の子らと呼ばれる。』」(ロマ9:14~26)





 イエスが、五つのパンと二匹の魚で、
壮年の男だけで5千人はいた人々を満腹にして帰されたとき、
人々はイエスを捕まえて自分たちの王にしようと
カぺナウムまで、追いかけて来ました。

イエスが、
「これは天から下って来たパンで、
それを食べると死ぬことがありません。
わたしは、天から下って来た生けるパンです。
だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。
そして、わたしが与えるパンは、世のいのちのための、
わたしの肉です。

まことに、まことに、あなたがたに言います。
人の子(イエス自身のこと)の肉を食べ、
その血を飲まなければ、
あなたがたのうちに、いのちはありません。
私の肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
永遠のいのちを持っています。
わたしは終わりの日にその人をよみがえらせます。

わたしの肉はまことの食べ物、
わたしの血はまことの飲み物なのです。
わたしの肉を食べ、わたしの血を飲む者は、
わたしのうちにとどまり、
わたしもその人のうちにとどまります。
生ける父がわたしを遣わし、
わたしが父によって生きているように、
わたし食べる者も、わたしによって生きるのです。

これは天から下って来たパンです。
先祖が食べて、なお死んだようなものではありません。
このパンを食べる者は永遠に生きます。」



また、言われました。
「いのちを与えるのは御霊(みたま)です。
肉は何の役ももたらしません。
わたしがあなたがたに話してきたことばは、
霊であり、またいのちです。」



それで、弟子たちのうちの多くの者が離れ去り、
もはやイエスとともに歩もうとはしなくなった。
それで、イエスは12人に、
「あなたがたも離れていきたいのですか」と言われた。

すると、シモン・ペテロが答えた。
「主よ、私たちはだれのところに行けるでしょうか。
あなたは、永遠のいのちのことばを持っておられます。
私たちは、あなたが神の聖者であると信じ、
また知っています。」


イエスは彼らに答えられた。
「わたしがあなたがた12人を選んだのではありませんか。
しかし、ああたがたのうちの一人は悪魔です。」
イエスはイスカリオテのシモンの子ユダのことを
言われたのであった。
このユダは12人の一人であったが、
イエスを裏切ろうとしていた。(ヨハネ6:66~71)




 【父である神】は、
このように私たちすべての人間をあわれみ、
イエスの十字架刑での死と復活を通して、
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】と思いを共有しながら生きる、
永遠のいのちの生き方を与え、
私たちが、神の安息の休みに入るようにしてくださろうと
していてくださるのだそうですから。



約束のことばのとおりに。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~


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周りを取り囲み、守り、助けようと

2022-07-18 23:47:13 | 聖書から
主の使いは
主を畏れる者の周りに陣を敷き、
彼らを助け出した。詩篇34:8

主の天使が入って来て、
光が部屋の中を照らした。
天使はペトロの脇をつついて起こし、
「急いで起き上がりなさい」と言った。
すると、鎖が彼の手から落ちた。使徒12:7

 エゼキエル書2:3~8a
 ヨハネ6:35~51(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7:/19;火)


    ―――― ☆ ――――

 聖書が啓示している神、天
の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自身に信頼する者の周りに天使の軍勢の陣を敷き、
助け出してくださる方。



ヘロデ王に捕らえられ、明日は民衆の前に引き出されて
処刑されようとしていたペテロ。

牢に閉じ込められ、4人一組、4組の兵士に監視され、
2本の鎖につながれ、
二人の兵士の間で眠っていたのだそうです。

その牢獄に主の使いが来て、
ペテロのわき腹をつついて起こすと、
鎖はペテロの手から取れ、
天使はペテロを牢獄の外へ連れ出したのだそうです。




 神である主は、
エゼキエルをイスラエルの民に遣わされるとき、
エゼキエルに語られました。
そのときのことをエゼキエルは次のように記しています。

その方は私に言われた。
「人の子よ、自分の足で立て。
わたしがあなたに語る。」

その方が私に語りかけると、霊が私の中に入り、
私を自分の足で立たせた。
そのとき、私は自分に語りかけることばを聞いた。

その方は私に言われた。
「人の子よ。
わたしはあなたをイスラエルの民に、
わたしに反抗する国民に遣わす。

彼らもその先祖たちも、今日までわたしに背いてきた。
彼らは厚かましく、頑(かたく)なである。
わたしはあなたを彼らに遣わす。
あなたは彼らに「神である主はこう言われる」と言え。

反逆の家だから、聞く、聞かないに関わりなく、
彼らは自分たちのうちに預言者がいることを
知らなければならない。。



人の子よ。
あなたは彼らや彼らのことばを恐れるな。
あざみと茨(いばら)があなたと一緒にあり、
サソリの間に住んでも、恐れるな。
そのことばを恐れるな。
彼らの顔におびえるな。
彼らは反逆の家なのだから。

彼らは反逆の家だから、
聞く、聞かないに関わりなく、
あなたはわたしのことばを彼らに語れ。
人の子よ。
あなたは、
わたしがあなたに語ることを聞け。(エゼキエル2:1~8a)




 人里離れた寂しいところに退かれたイエスを
追いかけて来た人々を
空腹のまま帰らせるのはかわいそうに思い、
イエスは、少年の持っていた五つのパンとに二匹の魚を、
感謝をささげた後、それを裂き弟子たちに渡されたので、
弟子たちはそれを人々に配りました。



それで、壮年の男だけで5千人はいた人々
満腹になるまで食べたので、
弟子たちはが、余ったパン切れを集めると
12のかごにいっぱいになりました。



イエスを自分たちの王にしようと、
カぺナウムに帰ったイエスを追いかけて来た人々に
イエスは言われました。

「なくなってしまう食べ物のためではなく、
いつまでもなくならない、
永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。

それは、人の子が与える食べ物です。
この人の子に、神である父が証印を押されたのです。」



「わたしがいのちのパンです。
私のもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしに信頼する者はどんなときにも、
決して渇くことがありません。



わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。

わたしを遣わされた方のみこころは、
わたしに与えてくださった者を、わたしが一人も失うことなく、
終わりの日によみがえらせることです。



わたしの父のみこころは、
子を見て信じる者がみな永遠のいのちをもち、
わたしがその人を終わりの日によみがえらせることです。」





ユダヤ人たちは、イエスが
「わたしは天から下って来たパンです」と言われたので、
イエスについて小声で文句を言い始めた。

彼らは言った。
「あれは、ヨセフの子イエスではないか。
私たちは父親と母親を知っている。
どうして今、
『わたしは天から下って来た』と言ったりするのか。」

イエスは彼らに言われた。
「自分たちの間で小声で文句を言うのはやめなさい。


わたしを遣わされた父が引き寄せてくださらなければ、
だれもわたしのもとに来ることはできません。
わたしはその人を終わりの日によみがえらせます。

預言者たちの書に、
『彼らはみな、神によって教えられる』と書かれています。
父から聞いて学んだ者はみな、私のもとに来ます。


父を見た者はだれもいません。
ただ神から出た者だけが、父を見たのです。
まことに、まことに、あなたがたに言います。
信じる者(信頼する者)は永遠のいのちを持っています。


わたしはいのちのパンです。
これは天から下って来たパンで、
それを食べると死ぬことがありません。


わたしは天から下って来た生けるパンです。
だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます。

そして、わたしが与えるパンは、
世のいのちのための、わたしの肉です。」(ヨハネ6:34~51)




天の神、【主】は、
私たちの周りを取り囲み、守ってくださる方なのですね。

ペテロの時のように、
また、エゼキエルの時のように。

そして、イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
永遠のいのちの生き方を与えてくださるのですから。


【父である神】と思いを一つにして生きるという、
イエスと同じ生き方を私たちもに与えて。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~


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神からの、恵みのプレゼントなのですから

2022-07-17 22:58:00 | 聖書から
あなたがたは恵みにより、
信仰(信頼)を通して救われたのです。
それは、
あなたがたの力によるのではなく、
神の賜物(プレゼント)です。エフェソ書2:8(7/17の週の聖句)



主よ、私の口を守り、
私の唇を守ってください。詩篇141:3


悪い言葉が唇にのぼることがないように、
ことばにするならば、
聞く人に恵みを与えられるように、
その人を造り上げるために必要な
善い言葉を語りなさい。エフェソ書4:29


 Ⅰコリント1:18~25
 詩篇73(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』7/17;Ⅲ日曜)



    ―――― ☆  ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
パウロを通して言われるのですね。
「私たち人間は、
自分の善い行い、自分の努力の結果として
善い者になることができて、
その結果として救いに到達できたのではない。

私たちの救いは、神からの、
恵みによるプレゼントによることなのだ」と。

だから、この詩人は、自分の口から出る言葉も、
自分でちゃんと悪い言葉を出さないように気をつけて、
善い言葉だけを言うように努力して、
その結果を神に認めてもらうという生き方では、
神の基準に到達できないことを認めているので、
神に願っているのですね。



「わたしたちが、愛のおいて、
自由意思で、自発的に思いを一つにしているように、
わたしたちと思いを一つにする者を造ろう」との
神の創造の目的から「的外れ」になり、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊。

その霊から出てくる思いは、
自分を他の人よりすぐれた者にしようとし、
他の人の足を引っ張り、
他の人を否定する(殺す)思いばかりです。

【父である神】は、
私たちがその思いを押し殺すよう求めておられるのではなく、
代理による処刑を計画してくださったのだそうです。

【御子である神】を
人間イエスとして人の世にお遣わしくださって、
この方がおよそ33歳の頃、
私たちの身代わりとして十字架刑で処刑し、
私たちをこのイエスと合体させてくださって、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
死刑が終ったもの、死んだものと手続きしてくださって。



それで、私たちは、
私たちのうちから出てくる思いは
死んだ者から出て来た思いであると認めて、
イエスの前に差し出し、見ていただき、
受け取っていただきながら歩むのですね。



そのうえで、【父である神】は、
墓に納められたイエスを三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって弟子たちに何度も現れさせ、
イエスが確かに生きていることを見せてのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
ご自身の右の座に復帰させなさいました。



そしてこのイエスを通して私たちにもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方をお遣わしくださって、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
書き記して、私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにして生きるように
してくださっているのですから。



それで、この【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちも、
悪い言葉が唇にのぼることがないように、
ことばにするならば、聞く人に恵みを与える、
その人を造り上げるために必要な善い言葉を語る思いが
心に来て、
そのように行動するようにしていただけるのだそうです。
神からの恵みのプレゼントとして。




この世には知ある者、力のある者もいますが、
神は、知恵ある者をはずかしめるために、
この世の愚かな者を選び、
強い者をはずかしめるために、この世の弱い者、
この世の取るに足りない者や見下されている者を
選ばれました。



有るものをない者のようにするため、
無に等しいものを選んでくださって。

私たちをキリスト・イエスのうちにある者にして。



キリストは、私たちにとって、神の知恵となり、
また、義ときよめと、贖いになられました。
だから私たちは自分をほこるのではなく、
神である主を誇るようになります。(Ⅰコリント1:18~25)


それで私たちも、この方に
感謝と賛美を献げながら歩むのですね。
この詩篇の作者のように。


私の心が苦しみ、私の内なる思いが突き刺されたとき、
私は、愚かで、わきまえもなく、
あなたの前で獣のようでした。


しかし私は絶えずあなたとともにいました。
あなたは私の右の手をしっかりつかまえられました。
あなたは、私をさとして導き、
後には栄光のうちに受け入れてくださいましょう。


天では、あなたのほかに、だれを待つことができましょう。
地上では、あなたのほかに私はだれをも望みません。
この身とこの心とは尽き果てましょう。
しかし神はとこしえに私の心の岩、私の分の土地です。


それゆえ、見よ。
あなたから遠く離れている者は滅びます。
あなたはあなたに不誠実な者をみな滅ぼされます。

しかし私にとっては、
神の近くにいることが、しあわせなのです。
私は、神なる主を私の避け所とし、
あなたのすべてのみわざを語り告げましょう、と。(詩篇73:21~28)



私たちも、人の成長に役立つ、ことばを
心に置いていただきながら。
この新しい週も。



      ~~~~~~~~~~~~~~~


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苦難の中を歩んでいるときも

2022-07-16 07:27:28 | 聖書から
主よ、
たとえ私が苦難の中を歩んでいても、
あなたは私を生かす。詩篇138:7

あらゆる場合において、
私たちは自分を神に仕える者として
証明しているのです。
大いなる忍耐、苦難、困窮、
行き詰りにあってもです。Ⅱコリント6:4

 ガラテヤ書6:1~5
 ヨハネ6:16~21(通読箇所)
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    ―――― ☆ ――――

 私が苦難の中を歩んでいても、
天の神、【主】は、私を生かしてくだるのですね。
使徒パウロを、苦難、困窮、行き詰りのときにも
生かしてくださったように。

互いに重荷を負い合うようにも
してくださって。(ガラテヤ6:1~5)




 イエスは、自分を追いかけて
人里離れた寂しいところに来ていた人たちを
空腹のまま帰されるのをかわいそうに思い、
少年の持っていた大麦のパン五つと二匹の魚を、
祝福して裂き、
壮年の男だけで5千人はいた人々を
満腹にして帰してくださる方。


また、モーセをとおしては、
出エジプトしたイスラエルの民を
海の水を分けて水の底の乾いたところを
向こう岸へ渡らせなさいましたが、

ご自身は、水の上を歩いて、
ガリラヤ湖の強風に悩まされ漕ぎ悩んでいる
弟子たちのところに近づいて来られ、
「わたしだ。恐れることはない」と声をかけられ、
目的地に無事、着かせてくださる方(ヨハネ6:1~21)。


この方が、
そしてこのイエスがお遣わしくださる
【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちとともに歩んでくださるのですから。

今日も。



     ~~~~~~~~~~~~~~~


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