朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

愛と平和の神が

2016-12-31 09:43:33 | 聖書から
見よ、

兄弟が共に座っている。

何という恵み、何という喜び。




主は布告された。

  祝福ととこしえの命を。詩編133:1~3




 思いを一つにしなさい。

平和を保ちなさい。

愛と平和の神があなたがたと共にいてくださいますように。




 主イエス・キリストの恵み、

神の愛、

聖霊の交わりが、

あなたがた一同と共にあるように。Ⅱコリント13:11、13




 ルカ12:35~40

 ロマ8:31b~39

 詩編121

      (ローズンゲン日々の聖句12/31;土) 




 「野菜を食べて愛し合うのは、肥えた牛を食べて憎み合うのにまさる」(箴言15:17)のですね。

兄弟たちが和合して共にいること、平和な家庭、あるいは平和な国は、神様からのすばらしい恵みのプレゼントということでしょうか。

天の神、主は、とこしえのいのちの祝福を命じてくださっているのだそうですから。




 「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている人間は、自分の善悪の判断、自分の思いを他の人にも押し付け、皆を自分の判断に従わせようとする者で、互いが相手を従わせようと争い合う存在のようです。




 この「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっていて、争い合うしかない「生まれたときからの私」という霊を、イエスの十字架刑での処刑に合わせていただいて、処刑されたもの、死んだものとしていただけるのだそうです。




 そして、三日目に、墓より新しい「霊のからだ」に復活し、天の「父である神」の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えするなら、

この方が、「父である神」が私たちひとりひとりに思っておられる御思いを、それぞれの心に置いてくださり、書き付けてくださるので、受け入れる者は、「父である神」と同じ思いを思い、ひとつ心にしていただけるのだそうです。




 それで、相手を自分の思うように従わせようと競い合い、争い合う私たちの心も一新されて、「思いを一つにし、平和を保つ」心に取り換えていただけるのだそうです。




 これは、イエスがいのちを差し出して与えてくださっている恵みのプレゼントであり、

私たちひとりひとりと心を一つにしたいと願っていてくださる父である神の愛から出ているもので、

「聖である霊」と呼ばれる方との交わりを通してさらに深められ、具体的に実現していくもの、のようです。

今日も。


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すでに、世に勝利しておられる方が

2016-12-30 08:16:14 | 聖書から
大波のとどろく声よりも力強く、海に砕け散る波。

さらに力強く、高くいます主。詩篇93:4




 イエス・キリストの言葉:

「あなたがたには世で苦難がある。

しかし、勇気を出しなさい。

わたしはすでに世に勝っている。ヨハネ16:33




 イザヤ書63:7~14

 ルカ2:41~52

      (ローズンゲン日々の聖句12/30;金)




 人々によって十字架に架けられるイエス。

弱い、力のない方のように見える。

しかし、その実質は全能の御子である神。

海の大波よりもさらに力強い方。




この世にあって押し寄せてくる苦難。

しかし、イエスは、そのすべてに勝利しておられる方。




その方が仰せられるのですね。

「まことに彼らはわたしの民、偽りのない子たちだ」と。




こうして、主は彼らの救い主となられた。

彼らが苦しむときには、いつも主も苦しみ、ご自身の使いが彼らを救った。

その愛とあわれみによって主は彼らを贖(あがな)い、

昔からずっと、彼らを背負い、抱いて来られた。」(イザヤ63:8~9新改訳)




 十字架に架かられ、墓に葬られ、三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、40日に渡って弟子たちに何度も現れ、神の国のことを語ったのち、オリーブ山から、弟子たちの見ている前で天の父である神の右の座に帰られたイエス。




 このイエスを救い主として迎えるなら、そのイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方によって私たちも神の民、神の子としていただけるのだそうです。

そして、どんな困難な中も、この、すでに世に勝利している方が背負い、抱いて、通り過ぎさらせてくださるのだそうですから。

今日も。


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失われたものを捜し出して救うために来られた方が

2016-12-28 21:46:30 | 聖書から
「彼らを恐れるな。 

 わたしがあなたと共にいて、

   必ず救い出す」と主は言われる。エレミヤ書1:8




 人の子は失われたものを捜して

救うために来たのである。ルカ19:10




 Ⅰヨハネ4:11~16a

 ルカ2:36~40  

      (ローズンゲン日々の聖句12/29;木)




 神の御子である方が、

天の栄光の座を後にして、

人となって、人の世に来られたのは、

良い人、自分で立派にやっていけている人を招くためにではないのだそうです。




 むしろ、迷い出て、自分では帰ることもできない、

その失われたものを探し出して救うために来られたのだそうです。




 それで、イエスは、まわりの人からは、眉をひそめられ、

「あの人は罪人のところに行って客となった」と批判されることも恐れず、

エリコの町の取税人のかしらザアカイの家に泊まられたのだそうです。

「きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから」と、自分から声をかけられて。




 天の神、主、「わたしはある」という者と名乗られる方は、このような愛をもって

私たちひとり一人を愛していてくださるのだそうです。




 そして、もっと愛し合い、もっと一つになりたいと願っておられるのだそうです。

それで、御子である方が、人間イエスとなって人の世に来てくださり、

自分からすすんで、私たちすべての人間のすべてのそむきの責任を

ご自身に負って十字架刑での処刑を受けてくださって、

「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっている、

私たちの「生まれたときからの霊」を処刑済み、死んだものとしてくださるのだそうです。




 そして、御子イエスは、これを受け入れ、死んだものとしていただいた人たちに、

もう一人の助け主、「聖である霊」とか「御霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、

受け入れた人たちが神のうちにおり、神が受け入れた人たちのうちにおられる、受

け入れた人の思いが神の思いの中にあり、

神の思いが受け入れた人の中にあるようにしてくださるのだそうです(Ⅰヨハネ4:11~16)。




 「聖である霊」と呼ばれる方によって、神の愛の思いが受け入れる者の心に来て、

受け入れた者同士が、「失われたものを捜しだして救う」神の御思いをもって

愛し合うようにしてくださるのだそうです。

今日も。




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これは、私の愛する子。これに聞け

2016-12-28 14:06:40 | 聖書から
主はエレミヤに言われた。

「見よ、

わたしはあなたの口にわたしの言葉を授ける。」エレミヤJeremiah1:9




 雲の中から声がした。

「これはわたしの愛する子。これに聞け。」マルコMark9:7




 マタイMatthew2:13~18

 ルカLuke2:25~35

      (ローズンゲン日々の聖句12/28;水)




 次のような、天の神、主、「わたしはあるという者」と名乗られる方の言葉がエレミヤにあったのだそうです。

「わたしは、あなたを胎内に形造る前から、あなたを知り、

あなたが腹から出る前から、あなたを聖別し、

あなたを国々への預言者と定めていた。」




 そこでエレミヤは言ったのだそうです。

「ああ、神、主よ。ご覧のとおり、私はまだ若くて、どう語っていいかわかりません。」




 すると、主、「わたしはある」という者と言われる方はエレミヤに仰せられたのだそうです。

「まだ若い、と言うな。

わたしがあなたを遣わすどんな所へでも行き、わたしがあなたに命じるすべてのことを語れ。

彼らの顔を恐れるな。

わたしがあなたとともにいて、あなたを救い出すからだ。」と。




 そのとき、主は御手を伸ばして、エレミヤの口に触れ、エレミヤに仰せられたのだそうです。

「今、わたしの言葉をあなたの口に授けた。

見よ。わたしは、きょう、あなたを諸国の民と王国の上に任命し、

あるいは引き抜き、あるいは引き倒し、あるいは滅ぼし、

あるいはこわし、あるいは建て、また植えさせる」(エレミヤ1:4~10)と。







 イエスが、ペテロとヤコブ、ヨハネだけを連れて、高い山に導いていかれた時、

彼らの目の前でイエスの姿が変わり、その衣は非常に白く光り、

イエスよりも700年ほど前の預言者エリヤと、

1500年ほど前、イスラエルの民に律法を取り次いだモーセが現れ、イエスと、

イエスがエルサレムで遂げようとしておられる最期についていっしょに話していたのだそうです。




 怖くなったペテロが口を挟むと、雲がわき起こってその人々をおおい、

雲の中から声があったのだそうです。

「これはわたしの愛する子。これに聞け」と。

ペテロたちが見回すと、そこにおられるのはイエスだけだったのだそうです(マルコ9:2~8、ルカ9:28~36)。




 神は、むかし、預言者たちを通して、多くの部分に分け、

また、いろいろな方法で語って来られたのだそうですが、

この終わりの時には、御子によって語っておられるのだそうです(ヘブルHebrews1:1~2)




 そして、十字架刑での処刑を受けられ、墓に葬られたイエスは、

三日目、日曜日の朝、新しい「霊のからだ」に復活し、

40日にわたって何度も弟子たちに現れ、ご自身が生きていることを証明されたのち、

オリーブ山から、弟子たちの見ている前で、天の「父である神」の右の座に帰られたのだそうです。




 そして、そこから、受け入れる者にもう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して下さって(ヨハネJohn14:16)、

この「聖である霊」と呼ばれる方によって、受け入れる者の心に、「父である神」の御思いを置いてくださり、書きしるしてくださるのだそうです(エレミヤJeremiah31:31~34、エゼキエルEzekiel36:25~28)。

John

 「父である神」は、御子イエスに、

そして、イエスが派遣される「聖である霊」と呼ばれる方に聞いて欲しいと

おっしゃっておられるのですね。

今日も。


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すぐれて高い所の大能者の右の座に帰られた方が

2016-12-27 08:07:03 | 聖書から
(12/25の週の聖句)
言(ことば)は肉となって、私たちの間に宿られた。
  私たちはその栄光を見た。ヨハネ1:14

(ローズンゲン日々の聖句12/25;日降誕祭)
 勇士の弓は折られるが、
よろめく者は力を帯びる。サムエル記上1Samuel2:4

 マリヤの言葉:
権力のある者をその座から引き降ろし、
身分の低い者を高く上げ、
飢えた人を良いもので満たし、
富める者を空腹のまま追い返されます。ルカLuke1:52~53

 ルカLuke2:(1~14)15~20
 ルカLuke2:1~14 


(ローズンゲン日々の聖句12/26;月)
主は見えない人の目を開かれる。詩編Psalms146:8

 心の目を開いてくださるように。
そして、神の招きによってどのような希望が与えられているか
悟らせてくださるように。エフェソEphesians1:18

 ヨハネJohn1:1~5(6~8)
 ヘブル書Hebrews1:1~3(4~6)
 ルカLuke2:15~20


(ローズンゲン日々の聖句12/27;火)
主よ、立ち帰り、
  私の魂を助け出してください。
 あなたの慈しみにふさわしく
   私を救ってください。詩篇Psalms6:5

 イエスは振り向いて、彼女を見ながら言われた。
「娘よ、元気になりなさい。
  あなたの信仰があなたを救った。」
そのとき、彼女は治った。マタイMatthew9:22

 ヨハネJohn21:20~24
 ルカLuke2:21~24


 神の御子、言(ことば)である神と呼ばれる方が、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」となって、天の神、主に対抗し、さからう者になっている私たち人間を、ご自身と思いを一つにし、心を一つにする者に取り戻すために、人間イエスとなって、人の世に生まれてくださったのだそうです。

 この方は、勇士の弓を折られ、よろめく者、弱い者に力を帯びさせる方。
権力のある者をその座から引き降ろし、身分の低い者を高く上げられる方、
飢えた人を良いもので満ち足らせ、富める者を何も持たせないで、空腹のまま追い返される方。

 見えない目、生まれた時から見えない目も開いてくださり、
また、心の目を開いて、
イエスによって、私たちに、どのような希望が与えられているのか、
受け入れた者が受け継ぐ新しい世界がどのように栄光に富んだものであるかを悟らせてくださるのだそうです


 神は、むかし、預言者たちを通して、多くの部分に分け、また、いろいろな方法で語られましたが、
この終わりの時には、御子イエスによって語っておられるのだそうです。

 「父である神」は、御子イエスを万物の相続者とし、
また御子によって世界を造られたのだそうです。
御子は神の栄光の輝き、また神の本質の完全な現れであり、
その力あるみことばによって万物を保っておられる方。

 
 そして、私たちに代わって、自分から十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たちの罪のきよめを成し遂げて、
すぐれて高い所の大能者の右の座に着かれたのだそうです。


 この方、御子、イエスは、いつくしみ深い方、
ご自身の慈しみにふさわしく、求める者を救い、助け出してくださるのだそうです。


 イエスが、会堂管理者ヤイロから、一人娘をいやしてくれるよう、ひれ伏して懇願され、
出かける途中のこと、
12年間の間、長血を患っている一人の女性が、イエスのうしろに来て、
イエスの着物の裾についているふさにさわったのだそうです。
「お着物にさわることでもできれば、きっと治る」と心のうちで考えていたから、なのだそうです。

 モーセの律法によれば、出血のある者はけがれた者となり、
その女性に触れる者は、夕方までけがれるとされています(レビLeviticus15:19~27)。

 だから、イエスは、自分が夕方までけがれた者となって、神の御業をすることができなくなるではないか、と、この女性に対して怒っても当然の状況であったのです。

 けれども、イエスは、怒りでも非難でもなく、慈しみをもってこの女性に対応され、
「娘よ。」と優しく呼びかけ、「あなたの信仰があなたを救った」と、彼女の神に対する信頼を認め、
その出血をいやして、安心して帰らせたのだそうです。


 今、イエスは、「父である神」の右の座にあって、「父」にお願いし、
もう一人の助け主を受け入れる者に派遣してくださるのだそうです(ヨハネJohn14:14)。

 この方、「聖である霊」と呼ばれる方は、「父である神」が、私たち一人一人に思っておられる御思いを、
受け入れる者の心に置き、書き付けて(エレミヤJeremiah31:33~34、エゼキエルEzekiel36:25~27)、
受け入れる者がこの部分において、
イエスと同じように、「父」と同じ思いを思い、一つ心になって(ヨハネJohn17:20~23)、
「父である神」がその人ととおしてしようと思っておられる業をしていく者としてくださるのだそうです(ヨハネJohn14:12)。
神の慈しみの御思いを現し、
世界を保持し、歴史を進め、
ご計画を実行するために。
今日も。
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