朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

皆、一つの霊によって

2020-05-30 20:46:11 | 聖書から
武力によらず、
権力によらず、
ただわが霊によって、と
万軍の主は言われる。ゼカリヤ書4:6(5/31の週の聖句) 



災いだ、
家に家を連ね、畑に畑を加える者は。
お前たちは余地を残さぬまでに、
この地を独り占めにしている。イザヤ書5:8



一つの霊によって、
私たちはユダヤ人であろうと
ギリシャ人であろうと、
奴隷であろうと
自由な身分の者であろうと、
皆一つのからだとなるために洗礼を受け、
皆一つの霊をのませてもらったのです。Ⅰコリント12:13



 ヨハネ14:15~19(20~23a)23b~27

 エフェソ書1:3~14(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句5/31;Ⅴ日曜 ペンテコステ 聖霊降臨祭)

 
 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)がことを行われるのは、
武力や権力、財力など、
私たち、人間の側の何かに頼ることなく、
ご自身の霊、【聖である霊】と呼ばれる方によってされる、
と言われるのですね。



 万軍の主とも呼ばれるこの方は、
私たち人間に、公正を、正義を望まれたのだそうです。



 けれども、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)と
望まれ、造られていながら、
その、神との心を一つにする場に留まらず、
もっと素晴らしい者に、なろうとして、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」(創世記3:22)となった私たち人間。


 その、「的外れ」になっている私たちのいるところでは、
流血と悲鳴。
家に家を連ね、畑に畑を隣り合わせて余地を残さず、
良きもののすべてを独り占めにしようとすることが起こるようです。蛭ひるのように飽くことなく。



 【父である神】は、
そのように滅びに向かって突き進んでいく私たち人間を
なお、大事に思ってくださって、滅びから救おうとされ、
【御子である神】を人間イエスとして人の世に派遣し、
この方を私たちの身代わりの贖あがないの小羊とし、
神に背き、神に呪われた者として十字架刑で処刑されました。



 その死によって
「的外れ」になって、滅びるべき私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を死んだものとし、
私たちを処刑が終わっている者としてくださるのだそうです。



 そのうえで、
私たちを新しく生きる者にしてくださるのだそうです。


 死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださり、



 この方によって、
私たち一人ひとりに思っておられるご自身の御思いを
私たちそれぞれの心に置き(エレミヤ31:33)、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにして、



イエスが【父である神】と思いを一つにしておられるように、
これを受け入れる者をご自身と思いを一つにする者に、
してくださるのだそうですから。(ヨハネ14:15~27)



 【父である神】は、天にあるものも地にあるものも、
一切のものが、キリストにあって、一つに集められるよう、
願っておられるのだそうです。



 それで、私たちを御国を受け継ぐ者とし、
その保証の証印として【聖である霊】と呼ばれる方を
遣わしてくださって。(エペソ1:3~14)



 2000年ほど前のこのペンテコステ(五旬節)の日、
シナイ山でのモーセをとおしての律法授与、
最初の契約が結ばれた記念日に、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が、
120人ばかりの弟子たちに来られて、
弟子たちが、【父である神】の思われるとおりに話し出した。



そのように、
【聖である霊】と呼ばれる方は、私たちにも来られて、
私たちを【父である神】の御思いで生きる者にして。

このあらしい週も。



(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
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誠実に、イエスの御思いの中で語る者にしてくださって

2020-05-29 23:28:33 | 聖書から
バラムの言葉:
たとえバラク(モアブの王)が、
家に満ちる金銀を贈ってくれても、
私の神、主の言葉に
逆らうことはできません。民数記22:18



私たちは多くの人々のように
神の言葉を売り物にせず、
誠実に、
また神に属するものとして、
神の御前で
キリストに結ばれて語っています。Ⅱコリント2:17



 ヨハネ16:5~15
 Ⅱテモテ2:14~26(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/30;土)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)のことば、
この方の御思いに従うことは、
家いっぱいの満ちあふれる金銀よりも大切なことなのですね。



 しかし、神のことばを金儲けの手段にして、
売り物のようにするのではなく、
誠実に、また、神に属し、神から遣わされた者として、
神の御前で、
イエスの御思いの中にいて語るのですね。(Ⅱコリント2:17)




 イエスは、捕らえられ、
十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、父である神の右の座に復帰されて、
弟子たちから去って行かれたのですが、



イエスがいつまでも弟子たちと一緒にいるよりも、
去っていくことのほうが弟子たちの、
そして私たちの益になること、だったのですね。



 イエスが、弟子たちのところを去って、
天に帰らなければ、
もう一人の助け主が私たちに来られることはない、のだそうですから。



 「わたしが、父の元に帰れば、
その方をあなたがたに遣わす」と
イエスは弟子たちに言われました。



 【真理の御霊みたま】とも呼ばれるその方は、
私たちが聞いても理解できなかったことを理解させ、
すべての真理に導いてくださるのだそうです。



 イエスが、自分からは何事もせず、
ただ、【父】の御思いだけをしていかれた(ヨハネ6:38)ように、



この方も、自分から語るのではなく、
【父である神】と【御子である神】イエスから聞いたことを
すべて語り、
これから起こることを私たちに伝えてくださるのだそうです。



 ご自身の栄光を現すのではなく、
【御子である神】イエスの栄光を現すのだそうです。



 【父である神】の御思いを御子イエスが現し、
そのイエスが現されることを
この方、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちに伝えてくださるのだそうですから。(ヨハネ16:5~15)



 この方が私たちにも、
イエスの出来事を思い起こさせてくださり、
何の益にもならないで、聞いている人々を滅ぼすことになる、
ことばについての論争などをしないように
思わせてくださるのですね。



 真理のみことばをまっすぐに解き明かす、
恥じることのない働き人として、
自分を神にささげるよう、最善を尽くさせてくださり、


俗悪な無駄話を避けさせ、
私たちが自分自身を清めて、
尊いことに用いられる器となり、
あらゆる良い働きに備えられたものとしてくださって、
【父である神】にとって役に立つ者にしてくださり。



 若いときの情欲を避け、
きよい心で主を呼び求める待ち望む人たちとともに、
義と信仰と愛と平和を追い求め、
争いの下である愚かな議論を避け、
争わず、すべての人に優しくし、
よく教え、よく忍耐し、反対する人たちを柔和に教え導き、
悪魔にとらわれて思いのままにされている人々の目を覚まし、
その罠を逃れるよう、用いてくださるのだそうです。(Ⅱテモテ2:14~26) 



誠実に、
イエスの御思いの中で語らせてくださって。
今日も。



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栄光の御国を受け継ぐ者としてくださった方に

2020-05-29 08:27:26 | 聖書から
私の舌が主の正しさを歌い、
絶えることなく主を賛美しますように。詩35:28



弟子たちは、大喜びでエルサレムに帰り、
絶えず神殿の境内にいて、
神をほめたたえていた。ルカ24:52~53



 エフェソ書1:15~23

 Ⅱテモテ2:1~13(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句5/29;金)
 
 私たちの主、キリストとして来られた方、イエス。
そのイエスの神、栄光の【父である神】は、
私たちに、
神を知るための知恵と啓示の御霊、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださる方なのですね。



 この方によって、
私たちの心の目がはっきり見えるようになって、
神の召しにより与えられた望みがどのようなものか、
イエスにつくものとされた者たちが受け継ぐものが
どれほど栄光に富んだものか、



また、神の大能の力の働きによって
私たち信じる者に働く神のすぐれた力が、
どれほど偉大なものであるかを、
私たちが知ることができるように、と。



 【父である神】は、
この大能の力をイエスのうちに働かせて、
イエスを死者の中からよみがえらせ、
天上でご自分の右の座に着かせて、
すべての支配、権威、権力、王権の上に、


また、今の世だけでなく、次に来る世においても、
となえられるすべての名の上に置かれているのだそうです。


【父である神】は、すべてのものをイエスの足の下に従わせて、
「イエスにつく者の集まり」に与えておられるのだそうです。
この、イエス・キリストにつく者の集まりを
イエス・キリストのからだとし、
すべてのものをすべてのもので満たす方が
満ちておられるところとして。(エペソ1:15~23)





 使徒パウロは言います。
「イエス・キリストのことを心に留めていなさい。
この方は、ダビデの子孫として生まれ、
死者の中から最初によみがえった方です。


 次のことばは真実です。
『私たちが、
(イエスの十字架刑での処刑に合体していただいて)
キリストであるイエスとともに死んだのなら、イ
エスとともに生きるようになる。



(イエスのために受ける苦しみに)耐え忍んでいるなら、
イエスとともに王になる。
キリストであるイエスを否むなら、
イエスもまた、私たちを否まれる。


私たちが真実でなくても、
イエス・キリストは常に真実である。
ご自分を否むことができない方だから』(Ⅱテモテ2:8=13)、と。



 だから、私たちも、
自分の舌をもってこの方の正しさ、義を歌い、
日夜、絶えることなくこの方を賛美するのですね。



 王になると思ってついて来たイエスが捕らえられ、
十字架刑で処刑されて、
意気消沈していた弟子たちが、
死者の中から復活されたイエスと何度も会い、
天に帰られるのを見送ったのち、
故郷のガリラヤにではなく、
イエスが命じられたとおりに、
先生であるイエスを処刑した人たちが治めている
エルサレムに帰り、
絶えず、神殿にいて、
捕らえられるのも恐れず、
神をほめたたえていたように。



私たちも、
今日も。





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貧しく、孤独な中で

2020-05-27 22:22:53 | 聖書から
主よ、
御顔を向けて、私を憐れんでください。
私は貧しく、孤独です。詩25:16



病人はイエスに答えた。
「主よ、
水が動くとき、
私を池の中に入れてくれる人がいないのです。
私が行くうちに、
他の人が先に降りていくのです。」

イエスは言われた。
「起き上がりなさい。
床をかついで歩きなさい。」ヨハネ5:7~8



 使徒1:12~26
 Ⅱテモテ1:13~18(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句5/28;木)


 私たちが、貧しく、孤独で、一人で苦しんでいるとき、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)はおっしゃるのですね。
「わたしを仰ぎ望め」と。



 あのとき、38年も病気にかかっていて、
病をいやしてほしくって
ベテスダの池のそばで横になっていた男性が、
イエスが何者であるかを知らないまま、
現状のそのまま、ありのままをイエスに訴えていったように。



 彼は、イエスが言われたとおりに、
起きようとしたら起きることができて、
下に敷いていた物を巻こうとしたら、それができて、
それをかついで歩こうとしたら、そうできたのだそうです。





 オリーブ山で、イエスが上げられ、
雲がイエスを包み、見えなくなったのを見送った弟子たちは、
イエスが命じられたとおりにエルサレムに帰ったのだそうです。


 そして、「彼の務めは、ほかの人が取るように」との
詩篇のみことばによって、
12使徒から抜けたイスカリオテのユダの代わりに、
マッティアを12使徒に加えたのだそうです。


 イエスの復活の証人として。
イエスが、ヨハネからバプテスマを受け、
キリストとしての歩みを始められた時から、
天に上げられた日まで、
いつも、イエスと行動を共にした人たちの中から。



 「すべての人の心をご存じである主よ。
あなたがお選びになった一人をお示しください」と願いながら、
使徒職という奉仕の場へ。(使徒1:12~26)



 オネシポロが、パウロがエペソにいる時にも、
ローマの獄中にいる時にも、
パウロによく奉仕したように。(Ⅱテモテ1:16~18)



 私たちも、現状のありのまま、そのままを、
この方の御前に差し出し、見ていただきながら
この方の御思いについて行く歩みを。
今日も。





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すべての善い業を成し遂げてくださって

2020-05-26 22:10:04 | 聖書から
主は私のために、
すべてを成し遂げてくださいます。詩138:8



パウロの手紙:
あなたがたの中で
善い業を始められた方が、
キリスト・イエスの日までに、
その業を成し遂げてくださると、
私は確信しています。フィリピ書1:6



 イザヤ書32:11~18
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 天の神、【主】、
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私たちを苦しみから救おうと、
ご自分の側からの恵みによって、
私たちのためにすべてを成し遂げてくださる方。



私たちの中で善い業わざを始めてくださり、
それを成し遂げ、完成してくださる方のだそうです。

「あとは、お前がやりなさい」などとは言われないで。



 「的外れ」になった私たちのゆえに、
良く肥えた畑がいばらが生い茂るやぶとなり、
にぎやかだった町も寂れてしまっていたとしても、



やがて、いと高き所から
【聖である霊】と呼ばれる方が来られて、
荒野が果樹園となり、果樹園は森と見なされるように
してくださるのだそうですから。



 公正は荒野に宿り、正義が国中を支配するように。
義が平和を造り出し、とこしえの平穏と安心をもたらし、
私たちが平和な住まい、安全な家、
安らかな憩いの場に住むように(イザヤ32:11~18)、と。


 それで、私たちも、
この、【聖である霊】と呼ばれる方の働きの具体的な現れを
待ち望んでいくのですね。
すべてを成し遂げてくださる、
その日まで。(Ⅱテモテ1:6,12)
今日も。





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