武力によらず、
権力によらず、
ただわが霊によって、と
万軍の主は言われる。ゼカリヤ書4:6(5/31の週の聖句)
災いだ、
家に家を連ね、畑に畑を加える者は。
お前たちは余地を残さぬまでに、
この地を独り占めにしている。イザヤ書5:8
一つの霊によって、
私たちはユダヤ人であろうと
ギリシャ人であろうと、
奴隷であろうと
自由な身分の者であろうと、
皆一つのからだとなるために洗礼を受け、
皆一つの霊をのませてもらったのです。Ⅰコリント12:13
ヨハネ14:15~19(20~23a)23b~27
エフェソ書1:3~14(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句5/31;Ⅴ日曜 ペンテコステ 聖霊降臨祭)
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)がことを行われるのは、
武力や権力、財力など、
私たち、人間の側の何かに頼ることなく、
ご自身の霊、【聖である霊】と呼ばれる方によってされる、
と言われるのですね。
万軍の主とも呼ばれるこの方は、
私たち人間に、公正を、正義を望まれたのだそうです。
けれども、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)と
望まれ、造られていながら、
その、神との心を一つにする場に留まらず、
もっと素晴らしい者に、なろうとして、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」(創世記3:22)となった私たち人間。
その、「的外れ」になっている私たちのいるところでは、
流血と悲鳴。
家に家を連ね、畑に畑を隣り合わせて余地を残さず、
良きもののすべてを独り占めにしようとすることが起こるようです。蛭ひるのように飽くことなく。
【父である神】は、
そのように滅びに向かって突き進んでいく私たち人間を
なお、大事に思ってくださって、滅びから救おうとされ、
【御子である神】を人間イエスとして人の世に派遣し、
この方を私たちの身代わりの贖あがないの小羊とし、
神に背き、神に呪われた者として十字架刑で処刑されました。
その死によって
「的外れ」になって、滅びるべき私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を死んだものとし、
私たちを処刑が終わっている者としてくださるのだそうです。
そのうえで、
私たちを新しく生きる者にしてくださるのだそうです。
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださり、
この方によって、
私たち一人ひとりに思っておられるご自身の御思いを
私たちそれぞれの心に置き(エレミヤ31:33)、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにして、
イエスが【父である神】と思いを一つにしておられるように、
これを受け入れる者をご自身と思いを一つにする者に、
してくださるのだそうですから。(ヨハネ14:15~27)
【父である神】は、天にあるものも地にあるものも、
一切のものが、キリストにあって、一つに集められるよう、
願っておられるのだそうです。
それで、私たちを御国を受け継ぐ者とし、
その保証の証印として【聖である霊】と呼ばれる方を
遣わしてくださって。(エペソ1:3~14)
2000年ほど前のこのペンテコステ(五旬節)の日、
シナイ山でのモーセをとおしての律法授与、
最初の契約が結ばれた記念日に、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が、
120人ばかりの弟子たちに来られて、
弟子たちが、【父である神】の思われるとおりに話し出した。
そのように、
【聖である霊】と呼ばれる方は、私たちにも来られて、
私たちを【父である神】の御思いで生きる者にして。
このあらしい週も。
(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
〈日本仲人協会 https://www.omiaink.com/ 認定〉
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権力によらず、
ただわが霊によって、と
万軍の主は言われる。ゼカリヤ書4:6(5/31の週の聖句)
災いだ、
家に家を連ね、畑に畑を加える者は。
お前たちは余地を残さぬまでに、
この地を独り占めにしている。イザヤ書5:8
一つの霊によって、
私たちはユダヤ人であろうと
ギリシャ人であろうと、
奴隷であろうと
自由な身分の者であろうと、
皆一つのからだとなるために洗礼を受け、
皆一つの霊をのませてもらったのです。Ⅰコリント12:13
ヨハネ14:15~19(20~23a)23b~27
エフェソ書1:3~14(通読箇所)
(ローズンゲン日々の聖句5/31;Ⅴ日曜 ペンテコステ 聖霊降臨祭)
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)がことを行われるのは、
武力や権力、財力など、
私たち、人間の側の何かに頼ることなく、
ご自身の霊、【聖である霊】と呼ばれる方によってされる、
と言われるのですね。
万軍の主とも呼ばれるこの方は、
私たち人間に、公正を、正義を望まれたのだそうです。
けれども、
「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)と
望まれ、造られていながら、
その、神との心を一つにする場に留まらず、
もっと素晴らしい者に、なろうとして、
「神の一人のようになり、
善悪を知る者」(創世記3:22)となった私たち人間。
その、「的外れ」になっている私たちのいるところでは、
流血と悲鳴。
家に家を連ね、畑に畑を隣り合わせて余地を残さず、
良きもののすべてを独り占めにしようとすることが起こるようです。蛭ひるのように飽くことなく。
【父である神】は、
そのように滅びに向かって突き進んでいく私たち人間を
なお、大事に思ってくださって、滅びから救おうとされ、
【御子である神】を人間イエスとして人の世に派遣し、
この方を私たちの身代わりの贖あがないの小羊とし、
神に背き、神に呪われた者として十字架刑で処刑されました。
その死によって
「的外れ」になって、滅びるべき私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を死んだものとし、
私たちを処刑が終わっている者としてくださるのだそうです。
そのうえで、
私たちを新しく生きる者にしてくださるのだそうです。
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
オリーブ山で、弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださり、
この方によって、
私たち一人ひとりに思っておられるご自身の御思いを
私たちそれぞれの心に置き(エレミヤ31:33)、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにして、
イエスが【父である神】と思いを一つにしておられるように、
これを受け入れる者をご自身と思いを一つにする者に、
してくださるのだそうですから。(ヨハネ14:15~27)
【父である神】は、天にあるものも地にあるものも、
一切のものが、キリストにあって、一つに集められるよう、
願っておられるのだそうです。
それで、私たちを御国を受け継ぐ者とし、
その保証の証印として【聖である霊】と呼ばれる方を
遣わしてくださって。(エペソ1:3~14)
2000年ほど前のこのペンテコステ(五旬節)の日、
シナイ山でのモーセをとおしての律法授与、
最初の契約が結ばれた記念日に、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が、
120人ばかりの弟子たちに来られて、
弟子たちが、【父である神】の思われるとおりに話し出した。
そのように、
【聖である霊】と呼ばれる方は、私たちにも来られて、
私たちを【父である神】の御思いで生きる者にして。
このあらしい週も。
(近くの教会を知りたい等、
また、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、
また、婚活で広く出会いを求めたい、
等のお問い合わせは
shkhknsyg4@yahoo.co.jpへどうぞ。)
〈(復活社 http://www.sougi8849.jp/index.html 〉
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