朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

もう一人の助け主が、私たちの唇を開いて

2022-03-31 23:42:52 | 聖書から
主よ、私の唇を開いて、
私の口にあなたの誉れを
告げ知らせてください。詩51:17(新改訳51:15)

私たちが見、また聞いたことを、
あなたがたにも伝えます。Ⅰヨハネ1:3

 ヨハネ16:16~23a
 ヨハネ16:5~15(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/1;金)

     ―――― ☆ ――――

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私たちの唇を開いてくださるので、
私たちの口は
この方の誉れを告げ知らせるようになるのですね。

それで、12弟子のひとりヨハネは言います。
「私たちが見たこと、聞いたことを
あなたがたにも伝えます」と。




 イエスは言われました。
「しばらくすると、あなたがたはもうわたしを見なくなりますが、
またしばらくするとわたしを見ます。
あなたがたは泣き、嘆き悲しむが、世は喜びます。
あなたがたは悲しみます。


しかし、あなたがたの悲しみは喜びに変わります。
女は子を産むとき、苦しみます。
自分の時が来たからです。
しかし、子を産んでしまうと、
一人の人が世に生まれた喜びのために、
その激しい痛みをもう覚えていません。



あなたたがは今は悲しんでいます。
しかし、わたしは再びあなたがたに会います。
そして、あなたがたの心は喜びに満たされます。
その喜びをあなたがたから奪い去る者はありません。
その日には、あなたがたは
わたしに何も尋ねません。」(ヨハネ16:16~23a)





 イエスは、また、言われました。
「しかし今、わたしは、
わたしを遣わされた方のもとに行こうとしています。
けれども、あなたがたのうちだれも、
『どこへいくのですか』と尋ねません。
むしろ、わたしがこれらのことを話したため、
あなたがたの心は悲しみでいっぱいになっています。

しかし、わたしは真実を言います。
わたしが去って行くことは、あなたがたの益になるのです。
去って行かなければ、
あなたがたのところに助け主はおいでになりません。
でも、行けば、わたしはあなたがたのところに
助け主を遣わします。

その方が来ると、罪について、義について、さばきについて、
世の誤りを明らかになさいます。
罪についてというのは、彼らがわたしを信じないからです。
義についてとは、わたしが父のもとに行き、
あなたがたはもはやわたしを見なくなるからです。
さばきについてとは、
この世を支配する者がさばかれたからです。

あなたがたに話すことはまだたくさんありますが、
今あなたがたはそれに耐えられません。
しかし、その方、すなわち真理の御霊(みたま)が来ると、
あなたがたをすべての真理に導いてくださいます。

御霊みたまは自分から語るのではなく、聞いたとことをすべて語り、
これから起こることをあなたがたに伝えてくださいます。

御霊みたまはわたしの栄光を現されます。
わたしのものを受けて、あなたがたに伝えてくださるのです。
父が持っておられるものはすべて、わたしのものです。
ですからわたしは、御霊みたまがわたしのものを受けて、
あなたがたに伝えると言ったのです。」(ヨハネ16:5~15)


 この、神の御霊とか、【聖である霊】と呼ばれる方が
私たちの心に【父である神】の御思いを置いて、
私たちの心に【父である神】の御思いがあるようにし、
私たちの唇を開き、私たちが
【父である神】の御思いを語っていくようにされるのですね。

イエスは、十字架刑での処刑を受けられ、
死んで墓に納められ、
三日目に新しい霊のからだに復活され、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語り、
ご自分が確かに生きていることを弟子たちに見せたのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に着座され、
約束のとおり、この御霊みたま とか【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちにお遣わしくださって。

今日も。





(聖書のことばへの疑問やご意見、
近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
お問い合わせは、
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呪いを祝福に変え、私たちに和解のことばを委ねて

2022-03-29 22:40:19 | 聖書から
私たちの神はその呪いを
祝福に変えてくださった。ネヘミヤ記13:2

神はキリストにあって
世を御自分と和解させ、
人々に罪の責任を問うことなく、
和解のことばを私たちの間に
打ち立てられたのです。Ⅱコリント5:19

 ヨハネ6:30~35(36)
 ヨハネ15:18~25(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/30;水)

     ―――― ☆ ――――

 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちに対する呪いを、祝福に変えてくださる方なのですね。

エジプトから出て来たイスラエルの民を呪わせようと、
モアブの王バラクが、ユーフラテス川のほとりにいる
呪術者バラムを呼び寄せたとき、
神は呪うことを許さず、バラムを通して
イスラエルを祝福させたように。(民数記22:1~24:25)





 さらに神は、【御子である神】を
人間イエスとして人の世に派遣し、
このイエスがおよそ33歳のころ、
ローマ帝国の権力のもとにこの方を十字架刑で処刑し、
私たちすべての人間の背き、
創造の目的からの「的外れ」の責任を、
私たち人間に問うことをしないで、このイエスの上に負わせて、
私たちと和解し、
和解のことばを私たちに委ねられたのですから。

 
 イエスが、ガリラヤ湖の向こう岸に行かれたとき、
大勢の群衆がイエスを追いかけて来ました。
それでイエスは、食べるものがなかったので、
その、男だけで5千人はいた人々に、
手元にあった大麦のパン五つと魚二匹を取り、
感謝の祈りをささげてからそれを裂き、
人々に配るよう、弟子たちに渡されました。
それで人々は十分に食べて満足したのですね。

イエスがカぺナウムに帰られると、
パンを食べて満腹した人々は
カぺナウムにイエスを追いかけて来ました。
それでイエスはその人々に言いました。

「食べると無くなってしまう食べ物ではなく、
いつまでもなくならない、
永遠のいのちに至る食べ物のために働きなさい。」

すると彼らはイエスに言った。
「神のわざを行うためには、何をすべきでしょうか。」
イエスは答えられた。
「神が遣わした者をあなたがたが信じること、
それが神のわざです。」

それで、彼らはイエスに言った。
「それでは、私たちが見てあなたを信じられるように、
どんなしるしを行われるのですか。
何をしてくださいますか。
私たちの先祖は、荒野でマナを食べました。
『神は彼らに、食べ物として天からパンを与えられた』と
書いてあるとおりです。」

それでイエスは彼らに言われた。
「まことに、まことに、あなたがたに言います。
モーセがあなたがたに
天からのパンを与えたのではありません。
わたしの父が、あなたがたに
天からのまことのパンを与えてくださるのです。
神のパンは、天から下ってきて、
世にいのちを与えるものなのです。」

そこで、彼らはイエスに言った。
「主よ、そのパンをいつも私たちにお与えください。」
イエスは言われた。
「わたしがいのちのパンです。
わたしのもとに来る者は決して飢えることがなく、
わたしを信じる者はどんなときにも、
決して渇くことがありません。
しかし、あなたかたに言ったように、あなたがたは
わたしを見たのに信じません。」(ヨハネ6:26~36)





 イエスは、十字架に架かられる前の晩の夕食の席で、
弟子たちに続けて言われました。

「世があなたがたを憎むなら、
あなたがたよりも先にわたしを憎んだことを知っておきなさい。
もしあなたがたがこの世のものであったら、
世は自分のものを愛したでしょう。
しかし、あなたがたは世のものではありません。
わたしが世からあなたがたを選び出したのです。
そのため、世はあなたがたを憎むのです。

しもべは主人にまさるものではない、と
わたしがあなたがたに言ったことばを覚えておきなさい。
人々がわたしを迫害したのであれば、
あなたがたも迫害します。
彼らがわたしのことばを守ったのであれば、
あなたがたのことばも守ります。

しかし彼らは、これらのことをすべて、わたしの名のゆえに
あなたがたに対して行います。
わたしを遣わされた方を知らないからです。
もしわたしが来て彼らに話さなかったら、
彼らに罪はなかったでしょう。
けれども今では、彼らの罪について弁解の余地はありません。

わたしを憎んでいる者は、わたしの父をも憎んでいます。
もしわたしが、ほかのだれも行ったことのないわざを、
彼らの間で行わなかったら、彼らに罪はなかったでしょう。
けれども今や、彼らはそのわざを見て、そのうえで
わたしとわたしの父を憎みました。
これは、『彼らはゆえもなくわたしを憎んだ』と、
彼らの律法に書かれていることばが
成就するためです。」(ヨハネ15:18~25)




 このように天の神、【主】は、
私たちが受けるべき呪いを、イエスご自身に負わせて、
私たちには祝福を与えてくださっているのですね。
ご自身と和解する者として。

いのちのパンである神の御思いと一つ心になり、
神と行動を一つにする者にして。
神がしようと思われることをしていく者へと。

今日も。



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この最も小さい者にしたことを、神は、ご自身にしたことと思っておられて

2022-03-26 22:14:11 | 聖書から
一粒の麦は、地に落ちて死ななければ、
一粒のままである。
だが、死ねば、多くの実を結ぶ。ヨハネ2:24(3/27の週の聖句)

弱者を虐(しいた)げる者は、
虐げる者の造り主を嘲(あざけ)る。箴言14:31
 

イエスは言う:
まことに、あなたがたに言います。
あなたがたが、
これらのわたしの兄弟たち、
それも
最も小さい者たちの一人にしたことは、
わたしにしたのです。マタイ25:40

 Ⅱコリント1:3~7
 詩84(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/27;Ⅳ日曜)



     ―――― ☆ ――――


 地に落ちた一粒の麦が、自分が死ぬことで、
新たな多くの実を結ぶことになるように、
イエスは、ご自身を十字架刑での死に渡されて、
多くの者が神に立ち返る道となってくださいました。
【父である神】の
私たち一人ひとりへの愛が実を結ぶように、と。




 その、神が愛しておられる弱い者を、
私たちが自分の感覚でいなくてもいい者としたり、
虐(しいた)げることは、
その弱い者の造り主である神を嘲(あざけ)り、
そしることになるというのですね。


イエスがおっしゃっておられるように、
神は、だれでもが、最も小さい者、弱い者にしたことを
ご自分にしたことと思っておられるのだそうですから。




使徒パウロは、
コリントの人たちに宛てた手紙に書いています。


「私たちの主イエス・キリストの父である神、
憐れみ深い父、あらゆる慰めに満ちた神が
ほめたたえられますように。
神は、どのような苦しみのときにも、
わたしたちを慰(なぐさ)めてくださいます。
それで私たちも、自分たちが神から受けた慰めによって、
あらゆる苦しみの中にいる人たちを慰めることができます。
私たちにキリストの苦難があふれているように、
キリストによって私たちの慰めもあふれているからです。

私たちが苦しみにあうとすれば、
それはあなたがたの慰めと救いのためです。
私たちが慰めを受けたとすれば、
それもあなたがたの慰めのためです。
その慰めは、
私たちが受けているのと同じ苦難に耐え抜く力を、
あなたがたに与えてくれます。

私たちがあなたがたについて抱いている望みは
揺るぎません。
なぜなら、
あなたがたがわたしたちと苦しみをともにしているように、
慰めもともにしていることを、
私たちは知っているからです。」(Ⅱコリント1:3~7)




この、神からの愛と慰めを受けて私たちもうたいます。


万軍の主よ あなたの住まいは
なんと慕わしいことでしょう。
私のたましいは 【主】の大庭を恋い慕って
絶え入るばかりです。
私の心も身も 生ける神に喜びの歌を歌います。
雀さえも 住みかを
燕(つばめ)も ひなを入れる巣を
あなたの祭壇のところに得ます。

万軍の【主】 私の王 私の神よ。
なんと幸いなことでしょう。
あなたの家に住む人たちは。
彼らはいつも あなたをほめたたえています。

なんと幸いなことでしょう。
その力があなたにあり
心の中に シオン(エルサレム)への大路のある人は。
彼らは涙の谷を過ぎるときも
そこを泉の湧く所とします。
初めの雨も そこを大いなる祝福でおおいます。
彼らは力から力へと進み
シオンで神の御前に現れます。

万軍の神 【主】よ
私の祈りを聞いてください。
ヤコブの神よ 耳を傾けてください。
神よ われらの盾(たて)をご覧ください。
あなたに油注がれた者の顔に
目を留めてください。

まことに あなたの大庭にい一日は
千日にもまさります。
私は悪の天幕に住むよりは
私の神の家の門口に立ちたいのです。
まことに 神である【主】は太陽 また盾。
【主】は恵みと栄光を与え
聖日に歩む者に良いものを拒まれません。
万軍の【主】よ
なんと幸いなことでしょう。
あなたに信頼する人は。(詩篇84)




 私たちもこの神、【主】に信頼して生きるのですね。
幸いのうちを。
私たちを御自身と同じに思っていてくださり、
慰めをもって臨んでくださるこの方に信頼して。

この新しい週も。





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御使いを、私たちの前に遣わして

2022-03-25 23:41:13 | 聖書から
主はあなたの前に
御使いを遣わされる。創世記24:7

天使がペテロに言った。
「帯を締め、履き物を履きなさい。」
ペトロはそのとおりにした。
また天使は彼に言った。
「上着を着て、ついて来なさい。」
それで、ペトロは
外に出てついて行ったが、
天使のしていることが
現実のことだとは分からず、
幻を見ているように思えた。使徒12:8~9

 マタイ16:24~27(28)
 ヨハネ14:27~31(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/26;土)



     ―――― ☆ ――――


 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たちに何かをするように言われるとき、
私たちの前に御使いを先に遣わし、
前もってことが進むよう整えていてくださるのですね。

アブラハムが、息子のイサクのために嫁を迎えるために、
親族のところへしもべを遣わした時のように。


 また、ヘロデ王がペテロを捕らえ、
明日には、民衆の前に引き出し、処刑しようとしていたとき、
神は御使いを遣わしてペテロを牢獄から解放されたように。


 イエスは弟子たちに言われました。
「だれでもわたしについて来たいと思うなら、
自分を捨て、自分の十字架を負って、
わたしに従って来なさい。
自分のいのちを救おうと思う者はそれを失い、
わたしのためにいのちを失う者はそれを見出すのです。

人は、たとえ全世界を手に入れても、
自分のいのちを失ったら何の益があるでしょうか。
そのいのちを買い戻すのに、
人は何を差し出せばよいのでしょうか。

人の子(イエスは、よく、ご自分のことをこう言われた)は、
やがて父の栄光を帯びて御使いたちとともに来ます。
そしてそのときには、
それぞれその行いに応じて報います。」(マタイ16:24~27)




 また、イエスは、十字架に架かられる前夜の夕食の席で
続けて言われました。

「しかし、助け主、
すなわち、父がわたしの名によってお遣わしになる聖霊は、
あなたがたにすべてのことを教え、
わたしがあなたがたに話したすべてのことを
思い起こさせてくださいます。

わたしはあなたがたに平安を残します。
わたしの平安を与えます。
わたしは、世が与えるのと同じようには与えません。
あなたがたは心を騒がせてはなりません。
ひるんではなりません。

わたしは去って行くが、
あなたがたのところに戻って来るとわたしが言ったのを、
あなたがたは聞きました。
わたしを愛しているなら、
わたしが父のもとへ行くことを、あなたがたは喜ぶはずです。
父はわたしよりも偉大な方だからです。

今わたしは、それが起こる前にあなたがた話しました。
それが起こったとき、あなたがたが信じるためです。
わたしはもう、あなたがたに多くを話しません。
この世を支配する者が来るからです。
彼はわたしに対して何もすることができません。
それは、わたしが父を愛していて、
父が命じられたとおりに行っていることを、
世が知るためです。
立ちなさい。
さあ、ここから行くのです。」(ヨハネ14:26~31)




 【父である神】は、イエスを通して
御使いを私たちにお遣わしくださり、
私たちの前に道を整えでいてくださるのですから。

そして、イエスがお遣わしくださる
【聖である霊】と呼ばれる方は、私たちの心に
【父である神】の御思いを置いてくださり、
私たちがイエスと同じように、
【父である神】と思いを一つにして生きるように
してくださるのですから。

今日も。





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神が行ってくださる御わざの中へと、踏み出して行って

2022-03-23 21:38:27 | 聖書から
私は過ぎ去った日々を思い起こし、
あなたの行ったことを
一つ一つ思い返し、
数々の御手の業(わざ)について
物語ります。詩143:5

マリアは言った:
主は慈しみを忘れず、
その僕(しもべ)イスラエルを
助けてくださいます。
私たちの先祖に語られたとおり、
アブラムとその子孫に対して
とこしえに。ルカ1:54、55

 Ⅰテサロニケ2:13、14(15、16)17~20
 ヨハネ14:15~21(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/24;木)



     ―――― ☆ ――――


 私たちも、聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)が、
私たちにしてくださったことの一つ一つを思い返し、
その一つ一つに思いをめぐらし、語り告げるのですね。 


マリアが、まだ男を知らない身で、男の子を産むとの
御告げを天使ガブリエルから受け、
神の恵みによって老年になってから身ごもった
親戚のエリサベツを訪ねたとき、
エリサベツから「あなたは女の中で最も祝福された方。
あなたの胎の実も祝福されています。
私の主の母が私のところに来られるとは、
どうしたことでしょう。
あなたのあいさつの声が
わたしの耳に入った、ちょうどそのとき、
私の胎内で子どもが喜んで踊りました。
主によって語られたことは必ず実現すると信じた人は、
幸いです」との挨拶を受けたとき、
マリアは賛美して言いました。

「主はあわれみを忘れずに、
そのしもべイスラエルを助けてくださいました。
その父祖たちに語られたとおり、
アブラハムとその子孫に対するあわれみを
いつまでも忘れずに」と。




パウロは書き送っています。
「こういうわけで、私たちもまた、
絶えず神に感謝しています。
あなたがたが、
私たちから聞いた神のことばを受けたとき、
それを人間のことばとしてではなく、事実そのとおり
神のことばとして受け入れてくれたからです。

この神のことばは、
信じているあなたがたのうちに働いています。

兄弟たち、私たちは、
しばらくの間あなたがたから引き離されていました。
とは言っても、顔を見ないだけで、
心が離れていたわけではありません。
そのため、あなたがたの顔を見たいと、
なおいっそう切望しました。

それで私たちは、あなたがたのところに行こうとしました。
私パウロは何度も行こうとしました。
しかし、サタンが私たちを妨げたのです。

私たちの主イエスが再び来られるとき、
御前で私たちの望み、喜び、誇りの冠となるのは、
いったいだれでしょうか。
あなたがたではありませんか。
あなたがたこそ私たちの栄光であり、
喜びなのです。」(Ⅰテサロニケ2:13,14、17~20)




 十字架刑での死を明日に控えた最後の夕食の席で、
イエスは続けて言われます。


「もしわたしを愛しているなら、
あなたがたはわたしの戒め(ことば)を守るはずです。

そしてわたしが父にお願いすると、
父はもう一人の助け主をお与えくださり、
その助け主がいつまでも、あなたがたとともにいるように
してくださいます。

この方は真理の御霊です。
世はこの方を見ることも知ることもないので、
受け入れることができません。


あなたがたは、この方を知っています。
この方はあなたがたととものおられ、
また、あなたがたのうちにおられるようになるのです。

わたしはあなたがたを捨てて孤児にはしません。
あなたがたのところに戻って来ます。

あと少しで、世はわたしを見なくなります。
しかし、あなたがたはわたしを見ます。
わたしが生き、あなたがたも生きることになるからです。

その日には、わたしが父のうちに、
あなたがたがわたしのうちに、
そしてわたしがあなたがたのうちにいることが、
あなたがたに分かります。

わたしの戒めを保ち、それを守る人は、
わたしを愛している人です。
わたし愛している人はわたしの父に愛され、
わたしもその人を愛し、
わたし自身をその人に現わします。」(ヨハネ14:15~21)




 パウロが言うように、愛し合っている者は、
顔を見たい、会いたい、一緒にいたいと切望するのでね。
そして、その人と思いを一つにして、
その人が思うようにしてあげたいと。


イエスご自身が言っておられ、パウロも言っているように、
イエスは、私たちを迎えるために、
再び、来られるのですね。

そして、それまでの間、
もう一人の助け主、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちにお遣わしくださって、
その方によって私たちと一緒にいようと
思ってくださっているのですね。

【父である神】、【御子である神】イエスの御思いが
私たちのうちに来て、
私たちの思いも
【父である神】、【御子である神】、イエスの中に
あるようにしてくださって。
思いを一つにする者に、と。

御業(みわざ)を、日々、思い起こし、
新しく受けながら。

今日も。





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