朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

先の見えない私たちにも

2018-03-02 10:53:33 | 聖書から
神は、
闇にひそむものを知り、
光は御もとに宿る。ダニエル書2:22

 イエスの言葉:
わたしを信じる者が、
だれも暗闇の中にとどまることがないように、
わたしは光として世に来た。ヨハネ12:46

 Ⅱコリント13:3~9
 ヨハネ12:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句3/2;金)


 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方ご自身が、
光そのものということでしょうか。

 〔御子である神〕、イエスは、
光としてこの世に来られたのだそうですね。
人の光として。
そして光は闇の中に輝いていて、
闇はこれに打ち勝てなかった(ヨハネ1:1~5)のだそうです。

 預言者イザヤは、預言して言います。
「闇の中に歩んでいた民は、大きな光を見た。
死の陰の地に住んでいた者たちの上に光が照、った」(イザヤ9:2、マタイ4:16)と。


そして、エルサレムの神殿で、
両親に抱かれて来た、赤ん坊のイエスに会ったシメオンは、
イエスのことを
「異邦人を照らす啓示の光、御民イスラエルの光栄です」と話したのだそうです(ルカ2:32)。

 〔父である神〕の御思いから外れているところが暗闇であり、
〔父である神〕の御思いの中にいることが光の中にいること、なのでしょうか。

 イエスは、〔父である神〕の御思いのとおりに生きられた方、なのだそうですから。
イエスは言われます。
「わたしは、自分から話したのではありません。
わたしを遣わした父ご自身が、
わたしが何を言い、何を話すべきかをお命じになりました。
わたしは、父の命令が永遠のいのちであることを知っています。
それゆえ、わたしがはなしていることは、
父がわたしに言われたとおりを、
そのままに話しているのです」(ヨハネ12:49~50新改訳)、と。

 私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になっていて、

神に逆らい、対抗する者となって、
神の御思いを求めることをせず
自分の理性による善し悪しの判断によって
自分の思うとおりを生きる者、暗闇の者となっています。


〔父である神〕の御思いに従って、人の世に来られ、
私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けてくださり、
死んで葬られ、
三日目に死人の中から復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国のことを語った後、
オリーブ山から、弟子たちのみている前で、天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。


そのイエスが派遣してくださる〔聖である霊〕と呼ばれる方。
その方が、受け入れる者の心に、
〔父である神〕が、私たちひとりひとりに思っておられる御思いを
置いてくださるのだそうです(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28)。


イエスは、天に帰られる前に弟子たちに、
「父の約束を待ちなさい。
もう間もなく、
あなたがたは聖霊のバプテスマを受けるからです」(使徒1:5)と言い残され、
使徒パウロを通しては、
「聖霊に満たされなさい」(エペソ5:18)と言われています。


 私たちにも、〔聖である霊〕と呼ばれる方をお迎えして、
光の中を、
この人間の歴史を導いておられる
〔父である神〕の御思いの中を歩んでほしいと、
闇の中にとどまることがないように、と
願っていてくださるのだそうです。
今日も。
(近くの教会を知りたい方等は;shkhknsyg3@yahoo.co.jp)

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