朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

逆らい、退く者を、従い、仕える者に

2018-03-21 21:47:47 | 聖書から

主なる神は私の耳を開かれた。
私は逆らわず、退かなかった。イザヤ書50:5

 わたしに仕えようとする者は、
わたしに従え。
そうすれば、
わたしのいるところに、
わたしに仕える者もいることになる。ヨハネ12:26

 エレミヤ書15:15~21
 ヨハネ16:25~33(通読箇所)

  (ローズンゲン日々の聖句3/22;木)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方が、
私たちに語りかけてくださり、
私たちの耳を開いてくださるのだそうですね。

 そのとき、預言者イザヤは、
自分の考えで逆らい、横に行くこともせず、
うしろに退くこともせず、
お心のままに身を任せて行った、というのですね。

 ちょうど、イエスが、〔父である神〕のお心に従って、
抗弁もせず、逆らいもせず、侮辱されるままに身を任せ、
足の棒を持たされたら持ったまま、
十字架を背負わされたら背負ったまま、
十字架に釘で打ち付けられたら、打ち付けられるまま、
十字架刑での処刑を受けていかれたように。

 私たち、「神のひとりのようになり、善悪を知る者になっていて(創世記3:5、22)、
神の御思いのとおりに従おうとはせず、
自分の理性の善し悪しの判断で行動していく者です。


それで、〔父である神〕は、その、私自身である〔生まれたときからの私〕という霊を、
イエスの十字架刑での処刑に合わせてくださって、
処刑済み、死んだものとしてくださり、
聖である方が来られても、私たちが滅びてしまわないようにしてくださるのだそうです。


そのうえで、
墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、死者の中から新しい霊のからだに復活され、
40日に渡って何度も弟子たちに現れて、
ご自分が確かに生きていることを示し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山から、弟子たちの見守る中、
天の〔父である神〕の右の座に帰られたイエス。

 そのイエスを通して、もう一人の方、
〔聖である霊〕と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。

この方をお迎えするなら、
この方が、私たちの心に、
〔父である神〕が私たち一人一人に思っておられる御思いを置いてくださるのだそうです。

それで、逆らい、退くばかりの私たちも、
〔父である神〕、〔御子である神〕イエスと、同じ思いを思う者にしていただけ、
御思いのとおりについて行く者にしていただけるのだそうです。
ご自身の御思いを伝える口のようにも(イザヤ15:19)。

そして、イエスのおられるところにいるようにしてくださるのだそうです。
イエスが天の御国におられれば、私たちも天の御国に。


 本当の愛は、愛する相手と思いを同じにしたいもの、
一緒にいたいもの(ヨハネ16:32)、なのだそうですから。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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すべての人が生きるようにと。喜びが満ち満ちた者に

2018-03-21 09:09:10 | 聖書から
 神の言葉:
お前は顔に汗を流してパンを得る、
土に返るときまで。
お前がそこから取られた土に。
塵にすぎないお前は塵に返る。創世記3:19

 アダムによって
すべての人が死ぬことになったように、
キリストによって
すべての人が生かされることになるのです。Ⅰコリント15:22

 ヘブル書9:11~15
 ヨハネ16:16~24(通読箇所)

   (ローズンゲン日々の聖句3/21;水)

 天の神、主、「『わたしはある』という者」と名乗られる方は、
「さあ人を造ろう。
われわれのかたちとして、われわれに似せて」と仰られて、
人を造られたのだそうです。
まず、人間の住まいとして、
この天地宇宙を造り、
地球のこの自然界を用意たうえで(創世記1:1~27)。


 けれども、最初の人、アダムは、
この、神のかたち、神と一つである場にとどまることを止め、
もっと素晴らしい者に、
自分一人の理性の判断で善悪を決める者になろうとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者に」なって(創世記3:5、22)、
神にそむき、死ぬものになり、
肉体は、その取られた塵に返るものとなったのだそうです。
アダムの子孫として生まれるすべての人間が死ぬことに。


 けれども、天の神、主は、
なお、人間を大切に思ってくださって、
最初の、創造の目的に回復し、
ご自分とともに生きる者になるようにとご計画され、
人間の歴史を導き、
ついに、ご計画の時が満ちて、
〔御子である神〕が人間イエスとして人の世に来てくださり、
私たち人間の身代わりとなり、
ご自身に十字架刑での処刑を受けてくださり、
すべての人のそむきの罪の処罰が終わっているものとしてくださったのだそうです。

 そして、これを受け取る者に、
もう一人の方、〔聖である霊〕と呼ばれる方が来てくださって、
受け入れる者の心に、〔父である神〕の御思いを置いてくださるので、
受け入れる者は、〔父である神〕と同じ思いを思い、
心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。
新しい契約に生きる者に(ヘブル9:11~15)。

 〔父である神〕の御思いの成ることを求め、
その願いがかなえられ、喜びが満ち満ちた者に(ヨハネ16:23~24)。
今日も。

(近くの教会を知りたい等の方は;shkhknsyg3@yahoo.co.jpへどうぞ。)

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