朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

獅子はわが子を谷底に落とすのだそうですが、

2016-02-29 07:40:51 | 聖書から
主よ、私を懲らしめてください。

しかし、正しい裁きによって。

怒りによらず、私が無に帰することないように。エレミヤ書10:24




 鍛練というものは、

当座は喜ばしいものではなく、

悲しいものと思われますが、

それで鍛え上げられた人々に、

義という平和に満ちた実を結ばせるのです。ヘブル書12:11




      (ローズンゲン日々の聖句2/29;月)




 人間の道は、その人によるのではなく、歩くことも、その歩みを確かにすることも、人によるのではないのだそうですね(エレミヤ10:23)。




 天の神、主によって、愛し合い、御自身と「思いを一つにする者を」と願われて造られた私たち人間。

その方と一つであることよりも、自分がその方のようになり、「善悪を知る」ようになろう(創世記3:5)、その方よりも上の位置にいよう(イザヤ14:13~14)と思って、その方との一つを捨て、そむいている私たちの本体である「生まれたときからの霊」の実体。




 イエスの、十字架刑での処刑に合わせていただいて、「生まれたときからの霊」を処刑済みのものとしていただき、新しく来て下さった「聖である霊」と呼ばれる方が心に書き付けてくださる思いによって生きる者に新生したとはいえ、私たちは、古いものの中に新しいものを入れた状態で生きているのですね。




 それで、いつしか、死んだはずの古いもの、古い考え方、生き方の中にどっぷり浸かってしまって、古いものと新しいものとの見境がつかないで、古いものをなんとか立派に、聖くしようとしてしまいます。




 懲らしめ、試練、困難や自分の限界を感じる出来事に遭遇するとき、私たちは古いもので活きていたことに気づき、新しいものに目を向け、過ぎ去っていくこの世の生き方から、永遠の世界の生き方に切り替わることにもなるようです。




 まとわりつき、絡み付いてくる古いものを、死んだものからの思いと認めて、脱ぎ捨て、脱ぎ捨て、「聖である霊」と呼ばれる方から来る思いをいただきながら生きる、義という平和に満ちた実を結んでいく者ともしていただけるのだそうです。




 ヘブル書の記者も言います。

「わが子よ。

主の懲らしめを軽んじてはいけない。

主に責められて弱り果ててはならない。

主はその愛する者を懲らしめ、

受け入れるすべての子に、

むちを加えられるからである。」

訓練と思って耐え忍びなさい。

神はあなたがたを子として扱っておられるのです(ヘブル12:5~7)と。




今日も。


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右の手をしっかり握っていてくださるのだそうです。どんなときにも。

2016-02-28 07:39:33 | 聖書から
鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、

  神の国にふさわしくない。ルカ9:62(2/28の週の聖句)



わたしは主、あなたの神、

  あなたの右の手を固く取って言う、

 恐れるな、わたしはあなたを助ける。イザヤ書41:13



 シモンのしゅうとめが熱を出して寝ていたので、

  人々はさっそく、彼女のことをイエスに話した。

 イエスがそばに行き、手を取って起こされると、

   熱は去った。マルコ1:30~31



        (ローズンゲン日々の聖句2/28;日)



 恐れに満たされ、立ちすくんでいる者、

虫けらのように、自分に価値がなく、力も、値打も、生きる意味もないと思っている者に、天の神、主は言われるのですね。



「恐れるな。わたしはあなたと共にいる。

たじろぐな。わたしがあなたの神だから。

わたしはあなたを強め、あなたを助け、

わたしの義の右の手で、あなたをまもる」(詩篇41:10新改訳)と。



「あなたの神、主であるわたしが、

あなたの右の手を堅く握り、

「恐れるな。わたしがあなたを助ける」と言っているのだから」と。



 イエスが命じられると、汚れた霊も従って出て行き、病気も去るのだそうです。

「神である主の霊が、私の上にある。

主はわたしに油をそそぎ、

貧しい者に良い知らせを伝え、

心の傷ついた者をいやすために、

私を遣わされた。

捕らわれ人には解放を、囚人には釈放を告げ、

主の恵みの年と、われわれの神の復讐の日を告げ、

すべての悲しむ者を慰め、

シオンの悲しむ者たちに、

灰の代わりに頭の飾りを、

悲しみの代わりに喜びの油を、

憂いの心の代わりに賛美の外套を

着けさせるためである。

彼らは、義の樫の木、

栄光を現す主の植木と呼ばれよう」(イザヤ61:1~3)と

預言されていた方なのだそうです。



 その方は、私たちが、

「愛する者よ。あなたが、たましいに幸いをえているようにすべての点でも幸いを得、また健康であるように」(Ⅲヨハネ1:2)と願っていてくださる方なのだそうですから。



 その方に、応答していきたいですね。

マリヤのように「あなたのおことばどおりこの身になりますように」(ルカ1:38)と。

この新しい週も。










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祝福されます

2016-02-26 23:17:59 | 聖書から
主よ、あなたが祝福してくださいましたから、

  それはとこしえに祝福されます。歴代誌上17:27




祝福を祈りなさい。

 祝福を受け継ぐために

   あなたがたは召されたのです。Ⅰペテロ3:9




      (ローズンゲン日々の聖句2/27;土)




 「わたしはあなたを祝福し、あなたの名は祝福となる。地上のすべての民族は、あなたによって、あなたの子孫によって祝福される」との、イスラエルの始祖、アブラハムへの約束(創世記12:2~3)が、今、イスラエル12部族のうちのユダ族に絞られ、ユダ族のうちのダビデ王の子孫に絞られてきたのだそうです。

 さらに今、神なく、望みなく、もろもろの約束とも関係のない他国人であった私たちにも、イエスによって、この祝福を受け継ぐ者になるとの、新しい契約がたてられ、私たちもこれにあずかり、祝福をいただき、祝福を届ける者の中に加えていただけるのだそうです。

それで、ペテロも言うのですね。

「悪をもって悪に報いず、侮辱をもって侮辱に報いず、かえって、祝福を与えなさい。あなたがたは祝福を受け継ぐために召されたのだからです」(Ⅰペテロ3:9新改訳)と。




 出会う人、すれちがう人、周りの人を、イエス・キリストの御名で祝福しながら進むのだそうです。

今日も。


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たとえ、あらゆる神秘と知識に通じていようとも、愛がないなら、

2016-02-26 08:17:08 | 聖書から
災いだ、

 自分の目には知者であり、

  うぬぼれて、賢いと思う者は。イザヤ書5:21




たとえ、あらゆる神秘とあらゆる知識に通じていようとも、

 たとえ、山を動かすほどの完全な信仰がをあれば持っていようとも、

  愛がなければ、無に等しい。Ⅰコリント13:2




        (ローズンゲン日々の聖句2/26;金)




 私たち、人間はどこかで自分は賢いと思っているのですね。

それで、大いなるものは大いなるものなりに、小さい者は小さいものなりに、自分の理性を信じ、自分の理性の判断をよしとして、天の神、主に聞こうとはしない。




 天の神、主と一つになるようにと願われて造られながら(創世記1:26)、天の神、主との一つを捨てて、自分が「神のひとりのようになり、善悪を知る者になっている」(創世記3:22)私たちは、心のどこかに「私は天に上ろう。神の星々のはるか上に私の王座を上げ、北の果てにある会合の山に座ろう。密雲の頂に上り、いと高き方のようになろう」(イザヤ14:13~14)とする、サタンの性質を受け継いでいるようです。

本質的に、天の神、主に対抗し、逆らう者になっていて、天の神、主との愛し合う関係は失われてしまっている者のようですね。




 天の神、主は、その私自身、「生まれたときからの私」という霊を、イエスが十字架刑で処刑されて下さったことによって、処刑済みの者、死んでしまっている者と手続きしてくださって、新たに、「聖である霊」と呼ばれる方を受け入れる者に派遣してくださり、この方の働きによって、受け入れる者を新しい人格で生きる者としてくださるのだそうです(ヨハネ3:1~15)。




 愛は、「生まれたときからの霊」という私自身から出て来ることはなく、この「聖である霊」から来るものなのだそうですから。




 天の神、主は、自分を賢い者と思っている生き方をしている者、あるいは、賢くない自分を見て自分を赦せないでいる者を、死んでしまっている者としてくださり、「聖である霊」と呼ばれる方から来る、相手を大切にし合う思いを私の思いとしてくださって、生かしてくださるのだそうです。

今日も。


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告げて、知ってもらえばいいのだそうですね。私たちのすべてを知っておられる方に。

2016-02-25 06:59:38 | 聖書から
私の舌がまだひと言も語らぬさきに、

 主よ、あなたはすべてを知っておられる。詩編139:4




 イエスの言葉:

あなたがたが祈るときは、異邦人のようにくどくどと述べてはならない。

   彼らのまねをしてはならない。

 あなたがたの父は、願う前から、

   あなたがたに必要なものをご存じなのだ。マタイ6:7〜8




         (ローズンゲン日々の聖句2/25;木)




 私たちは、自分の念力、法力をによって、見えない霊の世界の運命、法則を、自分の願いのように変えようとするようですね。

それで、自分の念力、法力を強めるよう、修行をし、そのような祈りの修練を積むようです。

「異邦人のようにくどくどと祈る」とは、そのような祈りも含むのでしょうか。

ともかく、自分の祈りの力で、自分願いを通そうとする祈り。




 天の神、主は、私たちのすわるのも、立つのも知っておられ、

私たちの思いを遠くから読み取られる方。

私たちの歩みと伏すのを見守り、私たちの道をことごとく知っておられる方。

私がひと言も言っていないのに、私が何を言うのかをことごとく知っておられる方なのだそうです。




 その方は、私たちの内臓を造り、母の胎のうちで私を組み立てられた方。

私の骨組みが仕組まれるのを見守っておられた方。

その方は、胎児の私を見られ、私の生涯のすべてがその方の書物に書きしるされたのだそうです。

私のために作られた日々が、

しかも、その一日もないうちに。(詩篇139:1~16より)




 さらに、イエスの十字架刑で処刑をとおして、受け入れる者に来てくださる「聖である霊」と呼ばれる方。

その方は、弱い私たちを助けてくださるのだそうです。

私たちは、どのように祈ったらよいかわからなくても、その方ご自身が、言いようもない深いうめきによって、受け入れる者のためにとりなしてくださり、人間の心を探り窮める方は、その方の思いが何かをよく知っておられるので、私たちのことをよく分かっていてくださるのだそうです(ロマ8:26~27)。




 それで、天の神、主は、私たちが願う前から、私たちに必要なものをご存じなのですね。

だから、力を入れて、くどくどと祈って、自分の祈りの力で神を動かそうとする必要はないのだそうです。




 天の神、主は、母親が、自分の小さい子が自分の願いを母親に告げるのを喜ぶように、私たちが自分から思っていることを告げてくれるのを喜ばれる方なのだそうですから。




 「アバ、父」、「お父さん」と呼びかけ、話しかけて、願いを告げ、知ってもらうといいのだそうですね。

天の神、主は、私たちに必要なものは、すでに知っておられるのだそうですから。

今日も。


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