朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

知って下さっているのですね。すでに。それで手当を済ましていて下さる。

2015-03-31 00:49:08 | 聖書から
災いだ、主を避けてそのはかりごとを深く隠す者は。
彼らの業は闇の中にある。
彼らは言う。
「誰が我らを見るものか。誰が我らに気づく者か」と。イザヤ29:15


実を結ばない暗闇の業に加わらないで、
むしろ、それを明るみに出しなさい。
すべてのものは光にさらされて、明らかにされます。エフェソ書5:11、13

        (ローズンゲン日々の聖句3/31;火)

 天の神、主と思いを一つにして生きる生き方を止め、
三位一体の神の一人のようになり、
善悪を知るようになった(創世記3:22)人間は、
自分を自分自身の主人にし、
自分の思いを実現することを求めていくものになったのですね。
 そうなったとき、最初にしたことは、自分の裸を隠し、
天の神、主から身を隠すことだったのだそうです(創世記3:7~8)。
それ以来、人は、ありのままの自分を認めようとはしないで、
自分自身にさえ、自分の実態を隠し、
自分の弱さや力のなさ、失敗などを隠していく者になったようです。
 さらに、積極的に悪を謀る者は言うのですね。
「誰が見ているものか。誰が気づくものか」と。
 けれども、この宇宙を造り、人間を造られた方は
言っておられるのだそうです。
「お前たちはなんとゆがんでいることか。
陶工が粘土と同じにみなされうるのか。
造られた者が、造った者に言いうるのか。
『彼が私を造ったのではない』と。
陶器が、陶工に言いうるのか。
『彼には分別がない』(イザヤ29:16)と。

 イエスが
私たち人間の罪のすべてを背負って十字架刑で処刑されて下さった今は、
私たちもイエスに合され、イエスと一緒に処刑されたものとして、
私たちの反逆は処罰済みなされて、
このままで天の神、主の前に出て行き、
私たちの実態を全部、御前にさらし、広げて、見ていただき、
知っていただくことが出来るようにしていただいているのだそうです。

 そして、見ていただき、知っていただいたことは、
天の神、主の承知して下さっていること、
光の中の出来事としていただけるのだそうです。
天の神、主は、私たち一人一人と一つになりたいと願っていて下さるのだそうですから。
 私たち、思いっきり、
心を行き来する思いの一つ一つを御前にさらけ出し、
見ていただき、知っていただいて、
イエスの十字架の死の効果を受け取り、
思いを一つにしていただきたいですね。
天の神、主が願っていて下さるままに。
今日も。


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祝福していただけるのですね。イエスの功績によって。私たちも。

2015-03-29 22:17:56 | 聖書から
天にあるあなたの聖なる住まいから見下ろして、
あなたの民イスラエルを祝福してください。申命記26:15







ほめたたえよ、イスラエルの神である主を。
主はその民を訪れて解放してくださった。ルカ1:68




      (ローズンゲン日々の聖句3:30;月)




 旧い契約の時には、主の御声に聞き従い、すべて、主が命じられたとおりにして、初めて、祝福を願うことができたようですね(申命記26:14)


けれども、祝福を願いでる資格のある者は一人もいなかったのだそうです。




 天の神、主が用意してくださったもう一つの道、恵みの道では、自分の側にはなんの功績も資格もない者がイエスの功績によって、祝福の恵にあずかることができるのだそうです。

 まず、御子である方が民を訪れて下さり、民の罪を全部引き受けて十字架に架かって下さり、私たちの罪を処分してくださいました。
 そのうえで、もう一人の助け主、聖である霊と呼ばれる方が来て下さって一人一人の心を一新して下さるのだそうです。
この方の働きで御父が思っておられる同じ思いを私たち一人一人が願うようになるのだそうです。
まず、私たち自身が祝福をいただき、次に、私たちの周りにいる人に祝福が及ぶようになるのだそうです(創世記12:2~3)。
今日も。


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帰る道を用意して下さっているのだそうです。あの方。

2015-03-29 09:40:35 | 聖書から
人の子も上げられなければならない。
それは、信じる者が皆、永遠の命を得るためである。ヨハネ3:14〜15
                   (今週の聖句)






大地を造り、その上に人間を創造したのはわたし。イザヤ45:12







私たちにとっては、唯一の神、父である神がおられ、
万物はこの神から出、私たちはこの神へ帰って行くのです。Ⅰコリ8;6



              (ローズンゲン日々の聖句3/29;日)






 人間を造ろうと思い立ち、この天地、宇宙、この自然界を人間の住まいとして創造したのはわたしだとおっしゃる方がおられるのですね。
「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記2:26)と。
天使のように仕える者としてではなく、自由意思でもって、自分からすすんで愛し合う、相手のことを大切に思い合う関係のものとして。




 でも、そのとき、予測されていたのだそうです。
人はその自由意思のゆえに、愛し合う関係、相手の思っていることを大切にし、相手の思いが実現していくことを願うことよりも、自分が一番になり、自分の思いを優先させ、自分の思いが実現することを願う者になるであろうことが。




 それで、それでもなお、人を造るかどうかが討議されたようですね。
そのとき、聖である霊と呼ばれる方が提案されたのでしょうか。
「もし、人がわたしを願うなら、わたしがその人のうちに行って、御父の思っていらっしゃることをその人の心に置き、その御思いをその人の心に書き付けることにしましょうか」と。




 ただ、それでも、問題が残っていたのだそうです。
なぜなら、聖である方が、反逆している者のところに来れば、反逆し、的外れになっている者は滅びてしまうのだそうですから。




 それで、今度は、御子である方が提案されたのですね。
「もし、人間がそのように反逆し、的外れになったなら、わたしが人の世に行って、人間の反逆の罪をかぶり、身代わりになって処刑されましょう。わたしが処刑され、人間の反逆、的外れの罰が残りなく処分されたなら、聖霊様、どうぞ、あなたがあなたを望む人間のところに行ってやって下さい」と。




 そういうことが確認されたうえで、この天地宇宙を創造し、人を創造することになったようですね。

 そして、人間は、予想されていたとおりに、神様と愛し合い、思いを一つにしていく在り方を嫌い、「われわれのひとりのようになり、善悪を知るようになった」ので(創世記3:22)、御子である方が処刑されるご計画が確定してしまったようです。




 イエスが、ゲツセマネの園で、死ぬほどの思いで「わが父よ、。できますならば、この杯(人類の罪を背負って反逆者として処刑されること)をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください」と祈られ、実際に、12弟子のひとり、イスカリオテのユダが大祭司の手下と共に自分を捕えに来たとき、剣を持って立ち向かったペテロをとどめて、「剣をもとに納めなさい。剣を取る者は剣で滅びます。それとも、わたしが父にお願いして、12軍団よりも多くの御使いを、今わたしの配下にに置いていただくことができないとでも思うのですか。だが、そのようなことをすれば、こうならなければならないと書いてある聖書が、どうして実現されましょう」(マタイ26:52~54)と言われた裏には、このような事情があったようです。




 イエスは、ご計画のとおりに、御父の御思いに従って十字架刑で天と地の間に上げられ、私たちすべての人間の罪を背負って犯罪人として死んで下さいました。
そして、三日目、日曜日の早朝、復活され、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、教えたのち、天の父である方の右の座に帰って行かれました。

 そして、そのことが成った今、御子イエスに代わって、もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方が、願う者のところに来て下さり、御父が一人一人に思っておられる御思いを心に書き付けて、御父と一つ思いになって歩むようにして下さる道が開けているのだそうです。
まさしく、私たちも、御父の御思いから生まれ出、御父のもとへ帰って行かせて下さるのですね。
今日も。












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自分自身に望みをおけなくていいのだそうです。あの方が一緒にいて下さるので。

2015-03-27 23:33:18 | 聖書から
主にのみ、私は望みをおいていた。
主は耳を傾けて、叫びを聞いてくださった。詩編40:2







神はこれからも救って下さるにちがいないと、
私たちは神に希望をかけています。Ⅱコリント1:10...





            (ローズンゲン日々の聖句3/28;土)








 幸いなのですね。主に信頼する者は。
切なる思いで主を待ち望み、主に叫ぶ者の叫びを聞き、答えて下さる方。
死を覚悟するような、非常に大きな圧迫からも救い出して下さったし、
これからも救い出して下さるにちがいない。
私たちの望みは神にかかっていると使徒パウロは言うのですね。




 自分の力のいかに弱いものであるのかを知り、
自分自身を頼まず、
イエスを死者の中からよみがえらせて下さった方に望みをおき、
より頼ませて下さるのですね。あの方は。
そして、一人一人に与えていて下さる役目を全うさせて下さる。

今日も。


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生きるのだそうです。この方を仰ぎ見る者は。

2015-03-27 08:57:02 | 聖書から
民はモーセのもとに来て言った。
「私たちは主とあなたを非難して、罪を犯しました。
主に祈って、私たちから蛇を取り除いてください。」
モーセは民のために主に祈った。民数記21:7







たとえ罪を犯しても、
御父のもとに弁護者、正しい方、
イエス・キリストがおられます。Ⅰヨハネ2:1



            (ローズンゲン日々の聖句3/27;金)





 エジプトを脱出したイスラエルの民。
天の神、主への不従順のゆえの40年の荒野での生活をすることになりましたが、その終わりの頃、向きを変えて出発し、いよいよ約束の地に向かっている頃のことでしょうか。




 民は、旅の途中でがまんできなくなり、神と指導者モーセに逆らって言ったのだそうです。
「なぜ、あなたがたは私たちをエジプトから連れ昇って、この荒野で死なせようとするのか。パンもなく、水もない。私たちはこのみじめな食物(マナ:天から降って来てパンの原料になり、民を40年養った)に飽き飽きした」と。


 そこで神である主は、民の中に燃える蛇を送られたので、蛇は民にかみつき、イスラエルの多くの人々が死んだのだそうです。




 そのとき、民はモーセの所に来て、このように言ったのだそうですね。
すると、神である主はモーセに仰せられたのだそうですね。
「あなたは燃える蛇を作り、それを旗ざおの上につけよ。
すべてかまれた者は、それを仰ぎ見れば、生きる」と。




 そこでモーセは、言われたとおりに、一つの青銅の蛇を作り、それを旗ざおの上につけたので、蛇にかまれたその人がこの青銅の蛇を仰ぎ見ると、生きることができたのだそうです。






 なぜ、天の神、主はこういうことをせよと仰ったのか。
この出来事から、およそ千数百年後に起こった、あのナザレ出身のイエスの十字架刑による処刑をあらかじめ表しているのだろうと考えられています。




 天の神、主は、モーセを通して「このように生きて欲しい」との思いを律法という形でイスラエルの民に示し、民はみな口をそろえて「私たちは主が仰せられたことを、みな行います」と答え、血が注ぎかけられ、天の神、主とイスラエルの民の間で契約が結ばれたのだそうです(出エジプト19:8、24:3~8)。




 しかし、民は、この40年の荒野での生活の中で、水がなかったり、肉が食べたくなったり、苦しいことが起こるたびに、神である主とモーセにつぶやき、モーセを殺してエジプトに引き返そうとさえしたのだそうです。




 天の神、主の、大きな恵み、憐れみの奇跡を目の当たりにしながら、なお、逆らい続ける民。けれども、なお、恵み、憐れみ、回復の希望を持ち続けて下さって、言われたとおりに旗ざおの先に付けられた青銅の蛇を仰ぎ見る者をいやし、生かして下さった。






 そして、神なく、望みなく生きる私たち異国人、イスラエルの民と同じように、御思いを示されてもそのように生きることができず、かえって、困難があるたびに「神なんかいるものか」とつぶやく私たち人間を救うために、今度は青銅の蛇ではなく、永遠の昔から共におられた愛する御子を人間の世界に生れさせ、十字架で高く掲げて処刑し、この方を仰ぎ見る者に、もう一人の方、妬むほどに愛しておられる聖である霊と呼ばれる方を派遣して、御思いのように生きる道を拓いて下さっているのだそうです。




 御子である方、イエスは、復活して天に帰り、御父の右の座にあって、私達のために弁護して下さるのだそうですね。
私たちの罪をご自身に全部引き受けて。
今日も。












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