朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

混じりけのない、単一な心で

2020-04-30 10:23:40 | 聖書から
神はイスラエルに対して、
心の清い人に対して、恵み深い。詩73:1



愛する者たち、
私たちは心に責められることがなければ、
神の御前で確信を持つことができ、
神に願うことは何でもかなえられます。
私たちが神の掟を守り、
御心に適うことを行っているからです。Ⅰヨハネ3:21~22



 エフェソ書4:(8~10)11~16
 Ⅰペテロ2:18~25(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/30;木)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
神の民に対して、
心の清い人、心の単一な人に対して恵み深い方。
二心なく、ありのままの心で神の御前に出て行き、
イエスが受けてくださった十字架刑で処刑による、
自分の、〔生まれたときからの私〕という霊の死を受け取り、
【聖である霊】と呼ばれる方をお迎えして、
この方が心に置いてくださる【父である神】の御思いに
思いを一つにして、
御思いが自分の身になることを願いながら生きる者は、
責められるところは全部イエスに引き受けていただきながら、
確信をもって神の御前に出ることができるのですね。
【聖である霊】と呼ばれる方によって心に来た
神の御思いがなることを願いながら。



 神の御子である方、キリストは、
人間イエスとして地上に降くだられ、
神に背き、神に呪われた者の死、
十字架刑での処刑を受けて地の深いところまで下られ、


そして、三日目、
死人の中から新しいからだに復活して
もろもろの天よりも高いところ、
【父である神】の右の座にまで上のぼられた方。


 そして、私たち一人ひとりに
【聖であらる霊】と呼ばれる方の働き、賜物たまものを与えて、
ある人たちを使徒、
ある人たちを預言者、
ある人たちを伝道者、
ある人たちを牧師また教師として立て、
【聖である霊】と呼ばれる方に導かれて生きる者たちを整えて
奉仕の働きをさせ、
イエス・キリストのからだの一部分とし、
手足がその人の思うように動くように、
イエスの御思いのままに動く者としてくださるのだそうです。


 キリストの身丈みたけ、
イエスが、自分からは何事もせず、
ただ、【父である神】の御思いのとおりに行動されたのと
同じ生き方にまで。



 神の御子に対する信仰と知識において一つとなり、
一人の成熟した大人になって、
人の悪だくみや人を欺く悪賢い策略から出た、
どんな教えの風にも、
吹きまわされたり、もてあそばれたりすることがなく、
愛をもって真理を語り、
あらゆる点において、かしらであるキリストに向かって成長して。


 キリストのからだの部分として、
神が思われるその分に応じて働いて。(エペソ4:8~16) 





 【父である神】は、
私たちが心穏やかに過ごすようにと願っていてくださるようです。
悪に巻き込まれ、悪に悪をもって報いるのではなく、
むしろ、善をもって悪に打ち勝つように、と。
「復讐はわたしのもの。
わたしが報復する」と言われて。(ロマ8:19~21) 



 それで、ペテロを通して言われるのですね。
「敬意をこめて上に立つ者に従いなさい。
善良でやさしい人だけでなく、意地悪な人にも。



 もしだれかが不当な苦しみを受けながら、
神の御前における良心のゆえに、悲しみに耐えるなら、
それは神に喜ばれることです。

善を行って苦しみを受け、それを耐え忍ぶなら、
それは神の御前に喜ばれることです。



 キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、
その足跡にしたがうようにと、
あなたがたに模範を残されました。



 キリストは罪を犯したことがなく、
その口には欺あざむきもなかった。
ののしられてもののしり返さず、
苦しめられても脅おどすことをせず、
正しくさばかれる方にお任せになった。


 キリストは自みずから、
十字架の上で、私たちの罪をその身に負われた。
それは、私たちが罪から離れ、義のために生きるため。


 その打ち傷のゆえに、あなたがたは癒いやされた。
あなたがたは羊のようにさまよっていた。
しかし今や、自分のたましいの牧者であり、
監督者である方のもとに帰った」(Ⅰペテロ2:18~25)、と。



 私たちも、混じりけのない、単一な心でこの方の御前に出て、
おことばのとおりにしていただきながら。
今日も。



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手をつけたことは熱心にするがよい

2020-04-29 08:57:35 | 聖書から
何によらず
手をつけたことは熱心にするがよい。コヘレト9:10



怠らず励み、
霊に燃えて、主に仕えなさい。ロマ書12:11



 ヨハネ17:20~26
 Ⅰペテロ2:11~17(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句4/29;水・祝) 


 伝道者は言うのですね。
「いつかは行かなければならない、あの陰府よみには、
仕事も企ても、知恵も知識も、もうないのだから、
この世にいる間は、
自分の手がなし得ると分かったこと、
手をつけたことは、
熱心にそれをするのが良いことだ」、と。


 私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目に新しいからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエス。



 そのイエスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちの心にも、勤勉で怠らず、霊に燃え、
主に仕える思いを置いてくださるのだそうですから。


 十字架にかかられる前夜の夕食の席で
イエスは【父である神】に言われました。
「父よ。あなたがわたしのうちにおられ、
わたしがあなたのうちにいるように、
彼らもわたしたちのうちにいて、
一つになるようにしてください。



 またわたしは、あなたが下さった栄光を彼らに与えました。
わたしたちが一つであるように、
彼らも一つになるためです。
わたしは彼らのうちにいて、あなたはわたしのうちにおられます。

彼らが(わたしたちと)完全に一つになるためです。


 また、あなたがわたしを遣わされたことと、
わたしを愛されたように彼らを愛されたことを、
世が知るためです。

あなたがわたしを愛してくださった愛が彼らのうちにあり、
わたしも彼らのうちにいるようにするためです。」(ヨハネ17:20~26)、と。




 このイエスが派遣してくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
【父である神】の御思いを私たちの心に置いて、
私たちを【父である神】と思いを一つにしてくださり、
この世にあっては、
自分が旅人、寄留者であることを認め、
たましいに戦いを挑む肉の欲を避け、
この世にあって立派にふるまおうという思いが
私たちの心にあるようにしてくださるのだそうです。



 人の立てたすべての制度に主のゆえに従い、
善を行って、神を知らない人たちの無知な発言を封じて。



 自由な者として、
しかもその自由を悪の言い訳にせず、
神のしもべとして従おう、と。



 すべての人を敬い、兄弟たちを愛し、
神を恐れ、王を敬って。


 怠らず励み、霊に燃えて。
今日も。



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賀川豊彦の映画が、ユーチューブで見られます!

2020-04-28 17:21:12 | 日記
賀川豊彦(1888〔明治21〕~1960〔昭和35〕)の映画作品が、
5月末までの期間限定で、
ユーチューブで、
賀川豊彦記念松沢資料館から公開されています。

〔戦前日本の労働運動、生活協同組合運動、
協同組合保険(共済)運動で重要な役割を担い、
ノーベル平和賞候補にも選ばれたキリスト教社会運動家〕


■ 映画「死線を越えて」(60分版) ※5月末まで
■ 映画「一粒の麦」 ※5月末まで
■「A DAY WITH KAGAWA」(日本語音声・英語字幕)
■「賀川豊彦とはどのような人物か」(日本語音声・英語字幕)

賀川豊彦記念松沢資料館で検索してください。



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からだ、手足が、その人の思うとおりに動くように

2020-04-28 08:54:51 | 聖書から
今こそ、心と魂を傾けて
あなたたちの神、主を求め、
神なる主の聖所の建設に立ち上がれ。歴代誌上22:19



あなたがたは知らないのですか。
競技場で走る者は皆走るけれども、
賞を受けるのはひとりだけです。
あなたがたも賞を得るように走りなさい。Ⅰコリント9:24



 マタイ9:35~10:1(2~4)5~7
 Ⅰペテロ2:1~10(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』4/28;火)


 今こそ、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
御許みもとに立ち返った私たちを手に取って、
さらにご自身を求める者にして、
神なる主の聖所、神殿を建て上げようとされているようです。



 私たちをご自身の聖所とし、
新しく建てられた主の聖所、エルサレムの神殿に
契約の箱や聖なる用具が運び入れられたように、
私たちの心の一番奥にご自身の御思いがあるようにして。



 ちょうど、競技場で走る人が、賞を得ようとゴールを目指し、
一心に、脇目も振らず走るように、
私たちにも、この地上での人生を
御思いのとおりに一心に走り抜き、
賞を、朽ちない栄冠を得る者になるように、と。



 人々が、羊飼いのいない羊の群れのように弱り果て
倒れるのを深く憐れまれて、
イエスが弟子たちにされたように、
私たちにも汚れた霊どもを制する権威を授け、
私たちを通して、汚れた霊どもを追い出し、
あらゆる病気、あらゆるわずらいをいやしながら、
「天の御国は近づいた」と御国の福音を宣べ伝えよう(マタイ9:35~10:7)、と。



 私たちを、イエスによって、
選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民、
神のものとされた民ともし、
霊の家を築き上げる生ける石、ご自身のからだの一部として、
私たちを通してご自身のいつくしみを具体的に現していこう、と。



 私たちも、
生まれたばかりの乳飲み子のように、
一心に、純粋な、霊の乳(神の御思い)を慕い求めながら。(Ⅰペテロ2:1~10)

 今日も。



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家出をした放蕩息子が、親の元に帰ったときのように

2020-04-27 10:17:45 | 聖書から
アダムと女は、
主なる神の顔を避けて、
園の木の間に隠れた。創世記3:8



あなたがたは、
人を奴隷として再び陥れる霊ではなく、
神の子とする霊を受けたのです。
この霊によって私たちは
「アッバ、父よ」と呼ぶのです。ロマ書8:15



 ヨハネ10:1~10
Ⅰペテロ1:22~25(通読箇所)
  (ローズンゲン日々の聖句4/27;月)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
「さあ、人を造ろう。
われわれのかたちとして、
われわれに似せて」(創世記1:26)と、
【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、

それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
愛において、自由意思で、一つになっておられる、
その一つに加わる者をと願われて、
最初の人アダムとエバは造られたのだそうです。



そして、
「あなたは園のどの木からでも思いのままに食べてよい。
しかし、善悪の知識の木からは、食べてはならない。
その木から食べるとき、あなたは必ず死ぬ」(創世記2:16~17)
と言われていたのだそうです。



 けえども、蛇(サタン)が、
「あなたがたは決して死にません。
それを食べるそのとき、目が開かれて、
あなたがたは神のようになって善悪を知る者となることを、
神は知っているのです」(創世記3:4~5)、
(だから、自分のような素晴らしいものにならせないために
そう言っているだけなのです)と誘惑したとき、
エバとアダムはその木の実を食べ、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になってしまった(創世記3:22)のですね。
死ぬ者、神の創造の目的から「的外れ」になっている者に。



 それで、今までは、
神が来られ、神と一緒にいることが喜びであったのに、
神の呼びかけを避け、神から身を隠す者となったのでそうです。


 その性質は、私たちアダムの子孫すべてに遺伝しているので、

私たちも生まれたときから、死ぬ者、
神である主に対立、対抗し、神から身を隠す「的外れ」な者として生まれてきているのだそうです。



 けれども、【父である神】は、【御子である神】を
人間イエスとして人の世に送られ、
この方を私たちすべての人間の身代わりにし、
神に背き、神に呪われた者として
十字架刑で処刑することによって、
この、「的外れ」になっている私たちの
〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わった者、死んだものとしてくださるのだそうです。



 その上で、死んで墓に葬られたこのイエスを、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活させ、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語らせて、
弟子たちをイエスの復活の目撃者、証人とした後、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、ご自身の右の座に復帰させなさったのだそうです。



 そして、このイエスを通してもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって、ご自身の御思いを
私たちの心に置き、書きしるして、
ご自身の思いが私たちのうちにあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを一つにして生きられるように
していてくださるのだそうです。



 この、【聖である霊】と呼ばれる方は、
私たちを再び恐怖に陥れる奴隷の霊ではなく、
私たちを神の子としてくださる方なのですね。


 それで、私たちはこの方によって、イエスと同じように、
【父である神】を「アバ、父」と呼べる「神の子」の身分を
与えていただけるのだそうです(ロマ8:15)。


 イエスは、羊を盗んだり、殺し、滅ぼして、
羊を恐怖に陥れる羊泥棒ではなく、
羊のためには命も捨てる良い羊飼いとして来てくださしました。


 そして、天の【父である神】の右の座に帰られたイエスは、
【聖である霊】と呼ばれる方によって私たちに語りかけ、
私たちを導き、私たちが命を得、
それも豊かに得るようにしてくださるのです。(ヨハネ10:1~10)



 「人はみな草のよう。
その栄えはみな草の花のようだ。
草はしおれ、花は散る。
しかし、神のことばは永遠に立つ」と言われる、
生きた、いつまでも残る神のことばによって、
神は、私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
死んだものとしてくださり、
【聖である霊】と呼ばれる方によって新しく生まれた者と
してくださるのだそうですから。



 真理に従い、たましいを清め、
偽りのない兄弟愛を抱き、
きよい心で互いに熱く愛し合うように(Ⅰペテロ1:22~25)、と。



 神を怖く思い、神から身を隠す者から、
イエスによって、
ありのままの自分で、はばかることなく御前に出て行く者へと。
今日も。



(近くの教会を知りたい等の方、
また、婚活で広く出会いを求めたい、

教会に行っていないけれど、
葬儀をキリスト教でしたい、等の方、
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