朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

宝の民、私たちを子に、ご自身の家族にしようと

2024-06-28 18:32:30 | 聖書から
若き日に、
あなたの造り主を心に刻め。
災いの日々がやって来て
「私には喜びがない」と言う
よわいに近づかないうちに。
        コヘルト12:1
 
(私は)ここを立ち、
父のところに行って言おう。
「お父さん、
私は天に対しても、
またお父さんに対しても
罪を犯しました。
もう
息子と呼ばれる資格はありません。
雇い人の一人にしてください。」
        ルカ15:18~19
 
 エフェソ2:19~22
 出エジプト記19:1~15(通読箇所)
   〈ローズンゲン『日々の聖句』6:29(土)〉
 
   ―――― α&ω  ――――

 栄華を極めたソロモン王が、
思いつくこと、やりたいことを全部やってみて
達した結論がこれだったのだそうです。
「あなたの若い日に、あなたの創造者を覚えよ。
『何の喜びもない』という年月が来る前に」と。
 

 父親に財産の生前贈与を要求し、
それを金に換え遠い町に出て行き放蕩三昧をした息子。
 
金を全部使い果たし、飢饉が来て
豚の餌でもいいから食べたいと思うのに
助けてくれる人は誰もいなくて、
飢え死にしそうな中、父の家を思い出し、
父のところに帰って謝ろうと決心し、
立ち上がったあの息子。
 
立ち上がって創造主である神に向き直って、
立ち返るのですね。私たちも。
 
この父親がまだ遠くにいる息子を見つけ、
駆け寄って抱きしめ、一番良い着物を着せ、
指輪をはめさせ、履き物を履かせて、
お祝いの宴会をしたように、
天の神、【主】は、
ご自分の側で私たちの尻拭いをし、
ご自分の子、ご自分の家族として
受け入れてくださるのだそうですから。
パウロがエペソ人への手紙2:19~22で
書き送っているように。
 
 こういうわけで、あなたがたは、
もはや他国人でも寄留者でもなく、
聖徒たちと同じ国の民であり、神の家族なのです。
使徒たちや預言者たちという土台の上に
建てられていて、
キリスト・イエスご自身がその要(かなめ)の石です。

このキリストにあって、
建物の全体が組み合わされて成長し、
主にある聖なる宮となります。
あなたがたも、このキリストにあって、
ともに築き上げられ、
御霊によって神の御住まいとなるのです。
 

 エジプトを脱出したイスラエルの旅は続きます。
エジプトの地を出たイスラエルの子らは、
第三の新月の日にシナイの荒野に入った。
彼らはレフィディムを旅立って、
シナイの荒野に入り、その荒野で宿営した。

イスラエルはそこで、山の前に宿営した。
モーセが神のみもとに登っていくと、
【主】が山から彼を呼んで言われた。
「あなたは、こうヤコブの家に言い、
イスラエルの子らに告げよ。

『あなたがたは、わたしがエジプトにしたこと、
また、あなたがたを鷲の翼に乗せて、
わたしのもとに連れてきたことを見た。

今、もしあなたがたが確かにわたしの声に聞き従い、
わたしの契約を守るなら、
あなたがたはあらゆる民族の中にあって、
わたしの宝となる。
全世界はわたしのものであるから。
あなたがたは、わたしにとって祭司の王国、
聖なる国民となる。』
これが、イスラエルの子らに
あなたが語るべきことばである。
 
モーセは行って、民の長老たちを呼び寄せ、
【主】が命じられたこれらのことばをすべて、
彼らの前に示した。

民はみな口をそろえて答えた。
「私たちは
【主】の言われたことをすべて行います。」

モーセは民のこのことばを携えて
【主】のもとに帰った。
【主】はモーセに言われた。
「見よ。わたしは濃い雲の中にあって、
あなたに臨む。
わたしがあなたに語るとき、民が聞いて、
あなたをいつまでも信じるためである。」
 
それからモーセは民のことばを【主】に告げた。
【主】はモーセに言われた。
あなたは民のところに行き、
今日と明日、彼らを聖別し、
自分たちの衣服を洗わせよ。
彼らを三日目のために準備させよ。
三日目に、【主】が民全体の目の前で
シナイ山に降りて行くからである。

あなたは民のために周囲に境を設けて言え。
『山に登り、この境界に触れないように注意せよ。
山に触れる者は、
だれでも必ず殺されなければならない。
その人に手を触れてはならない。
その人は必ず石で打ち殺されるか、
矢で殺されなければならない。
獣でも人でも、生かしておいてはならない。』

雄羊の角が長く鳴り響くときは、
彼らは山に登ることができる。」
モーセは山から民のところに下りて行って、
民を聖別した。
彼らは自分たちの衣服を洗った。
モーセは民に言った。
「三日目のために準備をしなさい。
女に近づいてはならない。」
     (出エジプト記19:1~15)
 

 このように、天の神、【主】は、
イスラエルを
単にエジプトの奴隷状態から救い出すだけではなく、
ご自分の特別な民をして他の民族から取り分け、
祭司とし、宝の民としようとされているのですね。
 
私たちも、エジプト、
「神の一人のようになり、善悪を知る者」になって、
神の創造の目的から「的外れ」になってしまっている
〔生まれた時からの私〕という霊の支配から
脱出させ、「祭司の王国」、「宝の民」、
「ご自身の家族」にしようと
していてくださるのだそうです。

イエスを通してきてくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
私たちの心にご自身の思いを置いて、
私たちが自由意思で、自発的に、自分から進んで
ご自身と思いを一つにして生きる者となって。
今日も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
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私たちの出エジプト

2024-06-27 15:53:30 | 聖書から
角笛のように、
あなたの声をあげよ。
わたしの民に
その背きの罪を告げよ。イザヤ書58:1
 
イエスは
「悔い改めよ。天の国は近づいた」
と言って、宣べ伝え始められた。
      マタイ4:17
 ルカ3:10~18
 出エジプト記18:1~12(通読箇所)
   〔ローズンゲン『日々の聖句』6/27(木)〕
 
   ―――― α&ω  ――――
 
 天の神、【主】は、角笛を大きく吹き鳴らすように
声をあげて、
民に罪(的外れの生き方)を告げ知らせるようにと
言われるのですね。
 
イエスは、「悔い改めよ
(方向転換して、神のほうに向き直れ)。
天の国が近づいたから。」と言われます。
 
ルカは、バプテスマのヨハネは人々に
次のように伝えたと記しています。
「下着を二枚持っている人は、
持っていない人に分けてあげなさい。
食べ物を持っている人も同じようにしなさい。」

取税人(ローマのための税金を集めている人)には、
「決められた以上には、
何も取り立ててはいけません。」
 
兵士たちには
「だれからも、金を力ずくで奪ったり、
脅し取ったりしてはいけません。
自分の給料で満足しなさい。」

人々はキリストを待ち望んでいたので、
みなヨハネのことを、もしかすると
この方がキリストではないか、
と心の中で考えていた。
 
そこでヨハネは皆に向かって言った。
「私は
水であなたがたにバプテスマを授けています。
しかし、私よりも力のある方が来られます。
私はその方の履き物のひもを解く資格もありません。
その方は聖霊と火で、
あなたがたにバプテスマを授けられます。
また手に箕(み)をもって、
ご自分の脱穀場を隅々まで掃ききよめ、
麦を集めて倉に納められます。
そして、殻(から)を
消えない火で焼き尽くされます。」
 
このようにヨハネは、
ほかにも多くのことを勧めながら、
人々に福音を伝えた。(ルカ3:10~18)
 
 
 天の神、【主】、
「わたしはある(I am)という者」と
名乗られる方の介入によって
奴隷状態のエジプトを脱出したイスラエルの民。
出エジプトの記事は続きます。
 
 さて、モーセのしゅうと、
ミディアンの祭司イテロは、
神がモーセと御民イスラエルのためになさったこと、
どのようにして【主】が
イスラエルをエジプトから導き出されたかを聞いた。

それでモーセのしゅうとイテロは、
先に送り返されていたモーセの妻ツィポラと
彼女の二人の息子を連れて行った。
その一人の名はゲルショムで、
「私は異国にいる寄留者だ」という意味である。
もう一人の名はエリエゼルで、
「私の父の神は私の助けであり、
ファラオ(エジプト王)の剣から私を救い出された」
という意味である。
 
こうしてモーセのしゅうとイテロは、
モーセの息子と妻と一緒に、
荒野にいるモーセのところにやって来た。
彼はそこの神の山に宿営していた。
 
イテロはモーセに伝えた。
「あなたのしゅうとである私イテロが、
あなたの妻とその二人の息子と一緒に、
あなたのところに来ています。」
 
モーセはしゅうとを迎えに出て行き、
身をかがめ、彼に口づけした。
彼らは互いに安否を問い合い、天幕に入った。
 
モーセはしゅうとに、
【主】がイスラエルのために、
ファラオとエジプトになさったすべてのこと、
道中で自分たちに降りかかったすべての困難、
そして【主】が彼らを救い出された次第を語った。
 
イテロは、【主】がイスラエルのために
してくださったすべての良いこと、
とりわけ、エジプト人の手から
救い出してくださったことを喜んだ。
 
イテロは言った。
「【主】がほめたたえられますように。
主はあなたがたを
エジプト人の手とファラオの手から救い出し、
この民をエジプトの支配から救い出されました。
今、私は、【主】があらゆる神々にまさって
偉大であることを知りました。
彼らがこの民に対して
不遜にふるまったことの結末によって。」
 
モーセのしゅうとイテロは、神への
全焼のささげものといけにえを携えて来たので、
アロンとイスラエルのすべての長老たちは、
モーセのしゅうとイテロとともに神の前で
食事をしようとやって来た。
      (出エジプト記18:1~12)
 
 
 私たちも、自分の理性の善悪の判断にしたがって
生きる者となって(創世記3:22)、
イスラエルがエジプトで奴隷であったように、
罪(的外れな生き方)の
奴隷になってしまっています。
 
イスラエルが解放されるためには、エジプトの長子が
打たれるということがありました。
 
天の神、【主】は、私たちの解放のためには
ご自身の独り子を私たちの身代わりにして、
そのいのちを献げなければなりませんでした。
 
そして、神に向き変り、
このイエスによる身代わりの死をもらった者に、
【父である神】は、このイエスを通して
もう一人の方、【聖である霊】と呼ばれる方を
お遣わし下さり、
「聖霊と火のバプテスマ」を授けて、
この【聖である霊】と呼ばれる方によって
ご自身の御思いを私たちの心に置いて下さり、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにして生きるように
してくださいます。
約束のことばの通りに(エレミヤ31:31~34、エゼキエル11:19~20、36:25~28、ヨハネ17::21~23)。
 
そして、モーセのしゅうとイテロが
「【主】がほめたたえられますように。
主はあなたがたを エジプト人の手と
ファラオの手から救い出し、
この民をエジプトの支配から救い出されました。
今、私は、【主】があらゆる神々にまさって
偉大であることを知りました」と言ったように、
私たちの周りにも私たちの新しい生き方を見て
神をほめたたえる人々が起こされていくように
神はなさろうとしておられることと思います。
今日も。
 
      ~~~~~~~~~~~~~~
 
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