朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

真実な神は、約束のことばを、違えることなく実行してくださって

2023-03-31 21:00:31 | 聖書から
主は、
ご自分の大いなる御名のために、
ご自分の民を
捨て去りはしない。サムエル記上12:22



私たちが真実でなくても、
この方は常に真実でおられる。
この方はには
ご自身を否むことは
できないからである。Ⅱテモテ2:13



 黙示録4:1~3(4、5)

 マタイ26:57~68(通読箇所)

   (ローズンゲン『日々の聖句』 4/1;土)



  ―――― α&ω ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、決して、
ご自分の民を捨て去られてしまうことは、しないのですね。



この方は、常に真実な方、
ご自身が言われたことを
否定することはない方なのですから。





 ローマ皇帝の迫害でパトモス島に島流しにされていた
使徒ヨハネに、
神は幻で、天の御国の様子も見せてくださいました。
ヨハネは記しています。



また私は見た。
すると見よ、
子羊(十字架刑での処刑を受けられたイエスご自身)が
シオン(エルサレム)の山の上に立っていた。

また、子羊とともに14万4千人の人たちがいて、
その額には子羊の名と、子羊の父の名が記されていた。


また、私は天からの声を聞いた。
それは大水のとどろきのようであり、
激しい雷鳴のようでもあった。
しかも、私が聞いたその声は、
竪琴を弾く人たちが竪琴に合わせて歌う声のようであった。



彼らは御座の前と、四つの生き物および長老たちの前で、
新しい歌を歌った。
しかし、地上から贖(あがな)われた14万4千人のほかに、
この歌を学ぶことができなかった。


この人たちは、
女に触れて汚(けが)れたことがない者たちで、
童貞である。

彼らは、子羊が行くところ、どこにでもついて行く。
彼らは神と子羊に献げられた初穂として、
人々の中から贖い出されたのである。
彼らの口には偽りが見出されなかった。
彼らは傷のない者たちである(黙示録14:1~5)と。





 マタイによる
イエスが十字架へ向かわれる記事は続きます。



人々はイエスを捕らえると、
大祭司カヤパのところに連れて行った。
そこには律法学者たち、長老たちが集まっていた。
ペテロは、遠くからイエスの後について、
大祭司の家の中庭まで行った。
そして中に入り、
成り行きを見ようと下役たちと一緒に座った。



さて、祭司長たちと最高法院全体は、
イエスを死刑にするために
イエスに不利な偽証を得ようとした。
多くの偽証人が出て来たが、証拠は得られなかった。
しかし、最後に二人の者が進み出てこう言った。
「この人は、
『わたしは神の神殿を壊して、
それを三日で建て直すことができる』と言いました。」



そこで大祭司が立ち上がり、イエスに言った。
「何も答えないのか。
この人たちがおまえに不利な証言をしているのは、
どういうことか。」
しかし、イエスは黙っておられた。



そこで大祭司はイエスに言った。
「私は生ける神によっておまえに命じる。
おまえは神の子キリストなのか。答えよ。」



イエスは彼に言われた
「あなたが言ったとおりです。
しかし、わたしはあなたに言います。
あなたがたは今から後に、
人の子が(イエスご自身)が力ある方の右の座に着き、
そして天の雲とともに来るのを見ることになります。」



すると、大祭司は自分の衣を裂いて言った。
「この男は神を冒涜した。
なぜこれ以上、証人が必要か。
なんと、あなたがたは今、
神を冒涜することばを聞いたのだ。
どう思うか。」

すると彼らは「彼は死に値する」と答えた。



それから彼らはイエスの顔に唾をかけ、拳(こぶし)で殴った。
また、ある者たちはイエスを平手で打って、
「当ててみろ。
おまえを打ったのはだれだ」と言った。(マタイ26:57~68)





 このようにしてイエスは、
ユダヤ最高法院の裁判で、
自分を「神の子キリストだ」と言ったことで、
また、「今から後に、
わたしは力ある方、天の神の右の座に着き、
やがて、天の雲とともに来る、再臨する」と言ったことで
神を冒涜したとして、
死刑に当たると評決されたのですね。





 神である【主】は、
ご自分の民を捨て去ることなく、
これを救うために、
【御子である神】ご自身が人間イエスとなられて、
人の世に来られ、このような裁判を黙って受けられ、
私たちすべての人の身代わりとなり、
神に呪われた者となって、
十字架への道を歩まれました。



イスラエルの歴史を通し、
多くの預言者を通して預言していたことばを
変更することなく、そのことばのとおりに実行されて。




 さらに、約束のことばのとおりに、
この【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方が私たちに来られ、
私たち一人ひとりに関する【父である神】の御思いを
それぞれの心に置いてくださり、
私たちひとり一人が自由意思で、自発的に、
自分から進んで、
【父である神】と思いを一つにして生きるように
してくださるのですね。

神がしようと思われることをしていく私たちに。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
(聖書のことばへの疑問やご意見、
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ただ一度、イエスが、ご自身のからだを贖いのささげ物として献げられたことによって

2023-03-30 22:35:48 | 聖書から
イスラエルの人々が
主を叫び求めると、
主はひとりの救助者を起こし、
イスラエルの人々を救われた。士師記3:9



(ザカリアの言葉)
イスラエルの神である主は、
ほめたたえられますように。
主はその民を訪れて、
これを贖われたからです。ルカ1:68



 ヘブル書10:1、11~18
 マタイ26:47~56(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/ 31;金)



   ―――― α&ω ――――



 アモリ人の罪が満ちたとき、
神である【主】は、モーセの後をヨシュアに引き継がせ、
イスラエルの人々を約束の地に入れ、彼らを用いてさばきを実行されました。


しかし、その異邦の民のすべてを取り除くことはせず、
残しておいて、
イスラエルの次世代の者が、自由意思で、自発的に
ご自分に仕えることを望まれました。



けれども、次世代の戦いを知らない者たちは、
彼らの娘を自分の妻とし、
自分の娘を彼らの息子に与えて、
彼らの神々に仕えるようになりました。



それで、神である【主】は、イスラエルの人々を
アラム人の王の手に売り渡されたので、
彼らは8年の間アラム・ナハライムの王
クシャン・リシュアタイムに仕えました。



そして、イスラエルの民が【主】に叫び求めたので、
【主】は、一人の救助者、
カレブの同胞ケナズの子オテニエルを起こし、
イスラエルを救われました。




 バプテスマのヨハネが生まれたとき、父親のザカリアは
「イスラエルの神である主は、ほめたたえられますように。
主はその民を訪れて、これを贖(あがな)われたからです」
と神を賛美しました。




その救助者、私たちを贖(あがな)ってくださる方として
イエスは来てくださり、
ご自身のからだを、ただ一度、ささげて、
私たちを聖なるもの、神のものとして、
この世から取り分けてくださいました。


ヘブル書の記者は記します。

律法には来るべき良きものの影はあっても、
その実物はありません。


ですから、律法は、
年ごとに絶えず献げられるいけにえによって
神に近づく人々を、完全にすることはできません。



さらに、祭司がみな、毎日立って礼拝の務めをなし、
同じいけにえを繰り返し献げても、
それらは決して罪を除き去ることはできませんが、
イエス・キリストは、罪のために、
一つのいつまでも有効ないけにえとして
ご自分のからだを献げた後、
永遠に神の右の座に着き、
あとは、敵であるサタンがご自分の足台とされるのを
待っておられます。


なぜなら、イエス・キリストは聖なるものとされる人々を、
一つのささげ物によって永遠に完成されたからです。
聖霊もまた、私たちに証ししておられます。
というのも、
「これらの日の後に、わたしが
彼らと結ぶ契約はこうである。

——主の言葉——

わたしは、わたしの律法を彼らの心に置き、
彼らの思いにこれを書き記す」

と言った後で、
「わたしは、もはや
彼らの罪と不法を思い起こさない」
と言われるからです。



罪と不法が赦されるところでは、
もう罪のきよめのささげ物はいりません。(ヘブル10:1、11~1





 この私たちの救助者、
私たちを贖(あがな)う方として来られたイエスが、
私たちのための贖いのためのささげ物として
ご自分のからだを十字架刑での処刑を受けることで

献げるために歩まれた様子を、
マタイは次のように記しています。



(ゲツセマネの園で)イエスがまだ話しておられるうちに、
見よ、12人の(弟子の)一人のユダがやって来た。
祭司長たちや民の長老たちから差し向けられ、
剣や棒を手にした大勢の群衆も一緒であった。

イエスを裏切ろうとしていた者は彼らと合図を決め、
「私が口づけをするのが、その人だ。
その人を捕まえるのだ」と言っておいた。



それで彼はすぐにイエスに近づき、
「先生、こんばんは」と言って口づけした。


イエスは彼に
「友よ、あなたがしようとしていることをしなさい」
と言われた。



そのとき人々は近寄り、イエスに手をかけて捕らえた。
すると、イエスと一緒にいた者たちの一人が、
見よ、手を伸ばして剣を抜き、
大祭司のしもべに切りかかり、その耳を切り落とした。

そのとき、イエスは彼に言われた。
「剣をもとに納めなさい。
剣を取る者はみな剣で滅びます。
それとも、わたしが父にお願いして、
12軍団よりも多くの御使いを、
今すぐわたしの配下に置いていただくことが、
できないと思うのですか。
しかし、それでは、
こうならなければならないと書いてある聖書が、
どのようにして成就するのでしょう。」



また、そのとき群衆に言われた。
「まるで強盗にでも向かうように、
剣や棒を持ってわたしを捕らえに来たのですか。
わたしは毎日、宮で座って教えていたのに、
あなたがたはわたしを捕らえませんでした。
しかし、このすべてのことが起こったのは、
預言者たちの書が成就するためです。」



そのとき、弟子たちはみな
イエスを見捨てて逃げてしまった。(マタイ26:47~56)





 私たち、自分の努力で神の律法を行うことによっては、
神の及第点に達することができない者ですが、
【父である神】は、その落第生の私たちのために、
救助者、贖(あがな)い主としてイエスをお遣わしくださり、
私たちの身代わりとしてイエスが、
ただ一度、ご自分のからだをもって、
十字架刑での処刑を受けてくださったことにより、
私たちを、処刑が終わっているもの、
死んだものとしてくださっているのですね。


そして死んで墓に納められたイエスは、
三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活され、
40日後、オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されました。


【父である神】は、そのイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣してくださり、
この方によって、
ご自身が私たち一人ひとりに思っておられる御思いを
私たちの心に置き、書き記して、
私たちのうちにご自身の思いがあるようにして、
私たちがご自身と思いを一つにして生きるように
してくださるというのですね。
ヘブル書にも記されていたように。



私たちも、この方に思いを向け、
この方によって心に来た
【父である神】の御思いのとおりを生きて。



【父である神】がしようと思われることをしていって。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
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神の御思いの中にある、時に従って

2023-03-29 21:19:17 | 聖書から
天の下では、すべてに時期があり、
すべての出来事に
時がある。コヘレト(伝道の書)3:1



イエスは12人をそばに呼んで、
彼らに話された。
「ご覧なさい。
わたしたちは
エルサレムに上って行きます。
人の子について、
預言者たちを通して書き記されている
すべてのことが実現するのです。」ルカ18:31


 エレミヤ書15:15~21
 マタイ26:36~46(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/30;木)

   ―――― ☆ ――――



 この地上で起こること、行われることのすべてに
時があるとこの伝道者は言うのですね。



それは、そのすべてのことは、
【父である神】から出て、
【父である神】によって成り、
【父である神】に帰って行くからです。

天で成っていることが地に反映されるのですね。




 【父である神】は、預言者を立て、
キリストについての多くのことを預言し、
書き記しておられました。



キリスト
(メシア、油注がれた者、神の子、王である救い主)が、
エルサレムで苦難を受けることも。



それでイエスは、
自分たちがこれから上って行くエルサレムで、
キリスト(メシア)についての預言されていることが、
イエスご自身に実現すると弟子たちに話されたのですね。





 預言者エレミヤは、神から派遣されて、
神に立ち返って、神に従うようにと
エルサレムの王たちや民の指導者たちに預言しました。



けれども、彼らは聞こうとせず、
かえってエレミヤを迫害しました。
その迫害の中でエレミヤは神に言いました。



「【主】よ、あなたはよくご存じです。
私を思い起こし、私を顧み、
迫害するも者たちに、私のために復讐してください。
あなたの御怒りを遅くして、
私を取り去らないでください。
私があなたのためにそしりを受けていることを
知ってください。


私はあなたのみことばが見つかったとき、
それを食べました。
そうして、あなたのみことばは、私にとって
楽しみとなり、心の喜びとなりました。


万軍の神、【主】よ、
私はあなたの名で呼ばれているからです。
私は、戯れる者がたむろする場に座ったり、
喜び躍ったりしたことはありません。
私はあなたの御手によって、
ひとり座っていました。
あなたが私を憤りで満たされたからです。


なぜ、私の痛みはいつまでも続き、
私の打ち傷は治らず、
癒えようもないのでしょう。
あなたは、私にとって、
(日照りで水がなくなって)欺(あざむ)く小川の流れ、
当てにならない水のようになられるのですか。」


それで、【主】はこう言われた。
「もし、あなたが帰って来るなら、
わたしはあなたを帰らせ、
わたしの前に立たせる。
もし、あなたが、卑しいことではなく、
高貴なことを語るなら、
あなたはわたしの口のようになる。


彼らがあなたのところに帰って来ることがあっても、
あなたが彼らのところに帰ってはならない。
この民に対して、わたしはあなたを
堅固な青銅の城壁とする。
彼らは、あなたと戦っても勝てない。
わたしがあなたとともにいて、
あなたを救い、あなたを助けるからだ。
——【主】のことば——


わたしは
あなたを悪しき者たちの手から救い出し、
横暴な者たちの手から贖(あがな)い出す。」(エレミヤ15:15~21)





 「最後の晩餐」と呼ばれている
「過越しの食事」を終えたのち、イエスは
弟子たちと一緒にゲツセマネという場所に行かれました。
マタイはそのときの様子を次のように書き記しています。



イエスは、彼らに「わたしがあそこに行って祈っている間、
ここに座っていなさい」と言われた。
そして、ペテロとゼベダイの子二人(ヤコブとヨハネ)を
一緒に連れて行かれたが、
イエスは悲しみもだえ始められた。



そのとき、イエスは彼らに言われた。
「わたしは悲しみのあまり死ぬほどです。
ここにいて、私と一緒に目を覚ましていなさい。」



それからイエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈られた。
「わが父よ。できることなら、
この杯(神の刑罰、神から切り離され、
神に呪われた者となって、十字架に架かって死ぬこと)を
私から過ぎ去らせてください。
しかし、わたしが望むようにではなく、
あなたが望まれるままに、なさってください。」



それから、イエスは弟子たちのところに戻って来て、
彼らが眠っているのを見、ペテロに言われた。
「あなたがたはこのように、一時間でも、
私とともに目を覚ましていられなかったのですか。
誘惑に陥らないように、目を覚まして祈っていなさい。
霊は燃えていても肉は弱いのです。



イエスは再び二度目に離れて行って、
「わが父よ。
わたしが飲まなければこの杯が過ぎ去らないのであれば、
あなたの御心がなりますように」と祈られた。



イエスが再び戻ってごらんになると、
弟子たちは眠っていた。
まぶたが重くなっていたのである。


イエスは、彼らを残して再び離れて行き、
もう一度同じことばで三度目の祈りをされた。


それから、イエスは弟子たちのところに来て言われた。
「まだ眠って休んでいるのですか。
見なさい。時が来ました。
人の子は罪人たちの手に渡されます。
立ちなさい。さあ、行こう。
見なさい。
わたしを裏切る者が近くに来ています。」(マタイ26:36~46)





 イエスが、【父である神】が望まれるとおりに、
【父である神】が定められた時に従って行動され、

【父である神】の御思いのとおりに、捕らえられ、

十字架刑への道を歩まれました。

旧約聖書で預言されていたとおりに。



私たちもイエスのように、すべてのことにおいて、

【父である神】の御思いのとおりに、
ご計画の時に従って行動していくのですね。

たとえ、イエスやエレミヤのように苦難の道であったとしても。



イエスを通して来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方は、
【父である神】がしようと思われる思いを、
私たちの心に置いてくだあさるのですから。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
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知らない言葉、語れるはずのない言葉で、神の偉大な働きを語り伝えるようになって

2023-03-28 22:05:06 | 聖書から
すべての国々よ、
主をほめたたえよ。
すべての国民よ、
主をほめ歌え。詩篇117:1



(五旬祭〔ペンテコステ〕での人々の言葉)
彼ら(ガリラヤ出身の弟子たち)が、
私たち(いろいろな国の人たち)の言葉で
神の偉大な業(わざ)を語っているのを
聞こうとは。使徒2:11



 哀歌3:1~8、14~20
 マタイ26:31~35(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/29;水)



   ―――― ☆ ――――

 

 聖書が啓示している神、 
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
約束して言っておられました。

「見よ、その時代が来る——【主】のことば——。
そのとき、わたしはイスラエルの家およびユダの家と、
新しい契約を結ぶ。
その契約は、わたしが彼らの先祖の手を取って、
エジプトの地から導き出した日に、
彼らと結んだ契約のようではない。
わたしは彼らの主であったのに、
彼らはわたしの契約を破った——【主】のことば——。


わたしはわたしの律法を彼らのただ中に置き、
彼らの心にこれを書き記す。
わたしは彼らの神となり、
彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ31:31~34)





また、「わたしが
きよい水をあなたがたの上に振りかけるそのとき、
あなたがたはすべての汚(けが)れからきよくなる。
わたしはすべての偶像の汚れからあなたがたをきよめる。

あなたがたに新しい心を与え、
あなたがたのうちに新しい霊を与える。
わたしの霊をあなたがたのうちに授けて、
わたしの掟に従って歩み、
わたしの定めを
守り行うようにする」(エゼキエル36:24~27)と。





 その預言から600年ほどのちのこと、
イエスがエルサエムで十字架刑での死刑を受けられ、
死んで墓に納められた後、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだに復活されるという
出来事が起こりました、



そしてその復活されたイエスは、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
神の国のことを語り、
公開処刑で死んだ自分が
確かに生きていることを示したのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
雲に迎えられて、
天の、【父である神〕の右の座に復帰なさいました。



「エルサレムを離れないで、
わたしから聞いた父の約束を待ちなさい。
ヨハネは水でバプテスマ(洗礼)を授けましたが、
あなたがたは間もなく、
聖霊によるバプテスマを授けられるからです」
と言い残して。





その10日後の五旬節(ペンテコステ)の祭りの日
(シナイ山でモーセによる律法授与
〔前の契約締結〕の記念日)に、
120人ばかりのイエスの弟子たちが集まっていたそのとき、
天から突然、激しい風が吹いて来たような響きが起こり、
彼らが座っていた家全体に響き渡りました。



また、炎のような舌が分かれて現われ
、一人ひとりの上にとどまった。
すると皆が聖霊に満たされ、
御霊(みたま)が語らせられるままに、
他国のいろいろなことばで話し始めた。

この物音がしたため、大勢の人が集まって来た。
彼らは、
それぞれ自分の国のことばで弟子たちが話すのを聞いて、
あっけにとられてしまった。

彼らは驚き、不思議に思って言った。
「見なさい。
話しているこの人たちはみな、ガリラヤの人ではないか。
それなのに、私たちそれぞれが
生まれた国のことばで話を聞くとは、
いったいどうしたことか」(使徒2:1~8)と。





 このようにして、「きよい水」、
祭壇にささげた牛の灰から取った水によってではなく、
イエスが十字架上で流された血(いのち)によって
きよめを受けた者に、
約束の【聖である霊】と呼ばれる方が来られ、
弟子たちは、
この方が語らせられるままに語るようになったのですね。



この方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いのとおりに行動し、

イエスと同じように
【父である神】がしようと思われることをしていく者に、と。


神の偉大な御業を語り伝え、
ほめたたえながら。

今日も。



      ~~~~~~~~~~~~~~

 
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イエスのいのちが、この体に現れるために

2023-03-27 21:48:41 | 聖書から
主は私たちの造られた様を知り、
私たちが塵にすぎないことを
覚えておられる。詩篇103:14



私たちは、いつも
イエスの死を体にまとっています。
イエスの命が
この体に現れるために。Ⅱコリント4:10



 ヨブ記19:21~27
 マタイ26:17~30(通読箇所)
   (ローズンゲン『日々の聖句』3/ 28)



   ―――― ☆ ――――



 聖書が啓示している神、
天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」と
名乗られる方(出エジプト3:14)は、
私たち人間を造られた方。

この方が、大地のちりで人間を形作り、
その鼻に息を吹き込まれ、
人間を生きる者にされたのですから。



この方は、私たちが,塵(ちり)にすぎないことを
覚えておられるのだそうです。


それで、【父である神】は、
【御子である神】を、
人間イエスとして人の世にお遣わしになり、
この方に、私たちすべての人間の、
創造の目的からの「的外れ」の責任を負わせて、
神に呪われら者とし、十字架刑で処刑されました。



そして、このイエスの死に私たちを合体させて、
私たちの処刑が完了しているものとしてくださっています。
それで私たちは、いつも、
この、イエスの死を身に帯びているのですね。



そして、死んで墓に納めら、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から、新しい霊のからだに復活した
イエスに合体させていただいて、
からだもイエスの復活にあずかる者とされ、
天の、【父である神】の右の座に帰られたイエスを通して
私たちに来てくださる【聖である霊】と呼ばれる方によって
、【父である神】の御思いを心に置いていただき、
私たちが、私たち自身である〔生まれたときからの私〕という
霊から来る思いによって生きるのではなく、

この、【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いによって生きる、
新しく創造された私として生きるようにくださるのですから。



【父である神】と思いを一つにしておられ、
【父である神】がしようと思われることだけをしておられる
イエスのいのちが私たちの身にも現れるように、と。





 このイエスの出来事を、はるかに望み見て、
ヨブが、苦痛の中にあって言いました。


「ああ今、できることなら、
私のことばが書かれ、
書物に記されればよいのに。
哲の筆と鉛によって、
いつまでも岩に刻みつけられればよいのに。

私は知っている。

私を贖(あがな)う方は生きておられ、
ついには、土のちりの上に立たれることを。


私の皮がこのように剥ぎ取られた後に、
私は私の肉から神を見る。
この方を私は自分自身で見る。
私自身の目がこの方を見る。
ほかの者ではない。
私の思いは
胸のうちで絶え入るばかりだ」(ヨブ19:21~27)と。





1000年くらい後、この、ヨブが言った
「私たちを贖(あがな)う方」、イエスは、
エルサレムに入城され、そして弟子たちに言われました。


「あなたがたも知っているとおり、
二日たつと過越しの祭りになります。
そして、人の子(イエスご自身のこと)は
十字架につけられるために引き渡されます。」



そしてイエスが、
ベタニアのシモンの家で食卓についておられたとき、
マリアが、
非常に高価なナルドの香油をイエスの頭に注ぎました。

弟子たちは、「何のために、こんな無駄なことをするのか。
この香油なら高く売れて、
貧しい人たちに施しができたのに」と憤慨したのですが、
イエスは、「この人はこの香油をわたしのからだに注いで、
わたしを埋葬する備えをしてくれたのです」と言われました。



ユダヤ人の指導者たち、祭司長たちや民の長老たちは、
イエスをだまして捕らえ、殺そうと相談していましたが、
「祭りの間はやめておこう。
民の間に騒ぎが起こるといけない」と話し合っていました。



イエスの12弟子の一人、
イスカリオテ(カリオテ出身)のユダは
祭司長たちのところに行って、
銀貨30枚でイエスを引き渡す約束をし、
群衆のいないとき、イエスを引き渡す
機会を狙(ねら)っていました。


種なしパンの祭りの最初の日に、弟子たちは、
イエスが命じられたとおりにエルサレムに入り、
ある家で過越しの食事の用意をしました。



夕方になって、イエスは
12人と一緒に食卓に着かれました。
皆が食事をしているとき、イエスは言われました。
「まことに、あなたがたに言います。
あなたがたのうちの一人がわたしを裏切ります。」



弟子たちはたいへん悲しんで、一人ひとりイエスに
「主よ、まさか私ではないでしょう」と言い始めた。



イエスは答えられた。
「わたしと一緒に手を鉢に浸した者がわたしを裏切ります。
人の子は、自分について書かれているとおりに
去って行きます。



しかし、人の子を裏切るその人はわざわいです。
そういう人は、生まれて来なければよかったのです。」



すると、イエスを裏切ろうとしていたユダが
「先生、まさか私ではないでしょう」と言った。
イエスは彼に「いや、そうだ」と言われた。



また、一同が食事をしているとき、
イエスはパンを取り、神をほめたたえてこれを裂き、
弟子たちに与えて言われた。
「取って食べなさい。これはわたしのからだです。」



また、杯を取り、感謝の祈りをささげた後、
こう言って彼らにお与えになった。
「みな、この杯から飲みなさい。
これは多くの人のために、罪の赦しのために流される、
わたしの契約の血です。

わたしはあなたがたに言います。
今から後、わたしの父の御国で
あなたがたと新しく飲むその日まで、
わたしがぶどうの実からできた物を飲むことは
決してありません。」

そして、彼らは賛美の歌を歌ってから
オリーブ山へ出かけた。(マタイ26:1~30)



 最後の晩餐と呼ばれている夜のことを、
12弟子の一人マタイはこのように記しています。



イエスは、預言されているとおりに
十字架への道を真っ直ぐに歩んで行かれたのですね。





 【父である神】は、
私たち人間の造られた様を知っておられ、
私たちがちりにすぎないことを覚えておられて、
私たちがご自身に立ち返るようにと、
イエスの死によって
私たちを生かそうとしておられるのですから。



私たちも、このイエスの死を身に帯び、
イエスのいのちに生きていくのですね。
イエスを通して来てくださる
【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを一つにしながら。

今日も。



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