朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

あなたを、祝福として

2020-02-29 08:17:05 | 聖書から
今や
わたしが救い出すので、
あなたたちは祝福となる。ゼカリヤ書8:13



 私を強くしてくださった
主イエス・キリストに感謝しています。
この方が、私を忠実な者と見なして
務めに就かせてくださったからです。
以前、神の冒涜者、迫害者であった自分は
神の憐れみを受けました。Ⅰテモテ1:12~13



 ゼカリヤ書7:2~13
 Ⅰコリント12:27~31(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/29;土)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が
私たちを救い出し、祝福の存在としてくださるというのですね。


 復活されたイエスが、
イエスを神を冒涜する者であるとして、
イエスの弟子たちを迫害し、捕え、牢に入れるため、
迫害の息をはずませ、
ダマスコへ向かう途上のパウロを憐れみ、
現れてくださり、
パウロをご自分に忠実な者として、使徒の務めに就かせ、
イエスによる祝福を伝える者として用いられたように。



 私たち、すべての人間の身代わりとなって
十字架刑での処刑を受け、
死んで墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって弟子たちに何度も現れ、
ご自身が確かに生きていることを証明し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエス。


 そのイエスを通して来て下さる【聖である霊】と呼ばれる方。
この方が、私たちの心に【父である神】の御思いを置いてくださり、
私たちの心に神の思いがあるようにし、
受け入れる者が、【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして生きるようにしてくださるのだそうです。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)



 それで、心を金剛石のように固くし、
聞く耳を持たない私たちにも、【父である神】の御思いが来て、
私たちも、真実なさばきを行い、
誠意とあわれみを互いに示し、
やもめ、みなしご、寄留者、貧しい者に心を配り、
互いに対して、
心の中で悪をたくらむようなことのない(ゼカリヤ7:9~11)、
相手を祝福する思いがあるようにしていただけるのだそうです。


 からだの部分部分がそれぞれ違っていながら、
なくてはならないものとして一つのからだを構成し、
その人の思うとおりに動いているように、
 私たちを「キリストのからだ」の一部分とし(Ⅰコリント12:27~31)、【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】と思いを一つにしていらっしゃる【御子なる神】、
イエスが思われるとおりに動き、
神がしようと思われる祝福を
そのとおりに受け、届ける者へと(ヨハネ14:12)。
今日も。



(近くの教会を知りたい、
教会に行っていないけれど、
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だれが、みじめな、この死のからだから救い出してくれるのでしょうか、との悩みに答えて

2020-02-28 08:09:15 | 聖書から
私の神よ、私の神よ、
なぜ私をお見捨てになるのか。
なぜ私を遠く離れ、救おうとせず、
呻きも言葉も聞いてくださらないのか。詩22:2



 ペトロは牢に入れられていた。
教会では彼のために
熱心な祈りが神にささげられていた。使徒12:5



 ロマ書7:14~25a
 Ⅰコリント12:12~26(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/28;金)


 【神の御子】である方、イエスが、
十字架刑での処刑を受けられた時、
【父である神】にこのように叫ばれたのだそうです。
「わが神、わが神、
どうしてわたしをお見捨てになったのですか」(マルコ15:34)、と。



 けれども、このとき、
【父である神】は、何もお答えになりませんでした。



 ペテロが、ヘロデ王によって捕らえられ、牢に入れられ、
明日は民衆の前に引き出され、処刑されようとしていたとき、
教会では彼のために熱心な祈りが
神にささげられていたのだそうです。



 このとき、【父である神】は、御使いを遣わし、
ペテロを牢から連れ出されたのですね。



 パウロは言います。
「私は、自分のうちには善が住んでいないことを知っています。
私には良いことをしたいという願いがいつもあるのに、
実行できないからです。
私は、したいと願う善を行わないで、
したくない悪を行っています。
私はほんとうにみじめな人間です。
だれがこの死のからだから、
私を救い出してくれるでしょうか」(ロマ7:18~20、24)、と。 



 【父である神】は、
この、【御子である神】イエスが見捨てられてくださったことによって
私たちの罪、「的外れ」の責任が果たされたものとし、
私たちの、私たち自身である〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わった者、死んだものとしてくださるのだそうです。



 そして、墓に葬られ、
三日目、日曜日の早朝、
死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の右の座に復帰されたイエスを通して、
もう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を私たちに派遣し、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちの内にご自身の御思いがあるようにし、
受け入れる者がご自身と思いを同じくし、
ご自身と心を一つにして生きる者に、
【霊】によって新しく生まれた者にし、
私たちを、
この死のからだから救い出してくださっているのだそうです。



 私たちは、一人ひとり、皆、違いますが、
私たちのからだの部分が、それぞれ、違っていながら、
脳によって一つの意思の下で動いているように、



父である神】は、

【受け入れた者をイエス・キリストのからだの一部分とし、
【父である神】と一つ思いになっておられるイエスを頭(脳)として、
イエスの御思いと一つ思いになって、一つ意志で動く、
それぞれを、ユニークな、独特の、唯一無二の、
キリストのからだの部分としていてくださるのだそうです。(Ⅰコリント12:12~26)



 パウロの悩み、願いに応えて。
私たちにも。今日も。



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ただ、神の側の働き、恵みによって

2020-02-27 11:10:00 | 聖書から
私の救いと栄えは
神にかかっている。詩62:8

 
私のためにののしられ、迫害され、
身に覚えのないことで
あらゆる悪口を浴びせられるとき、
あなたがたは幸いである。マタイ5:11



 コロサイ書3:(5~7)8~11
 Ⅰコリント12:1~11(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/27;木)



 私たちの救いと栄え、栄光は、
私たちの側にあるのではなく、
ただ、神の側の働きにある、というのですね。


 だから、私たちは、
イエスのためにののしられ、迫害され、
ありもしないこと、身に覚えのないことで悪口を浴びせられても
いいのですね。
天において、神の御前で
私たちが受ける報いは大きいのだそうですから。



 〔古い人〕、
「神の一人のようになり、
善悪を知る」者となって(創世記3:5、22)、
「天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)から、
「われわれのかたちとして、われわれの似姿に」(創世記1:26)と、

「わたしたちが心を一つにしているように、
私たちと心を一つにする者を」(ヨハネ17:21~23)
との願いをもって造られていながら、

その創造の目的から「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊。



 その〔古い人〕、私自身を、
イエスの十字架刑での処刑に合体させていただいて
処刑された者、死んだものとしていただいている私たち。



 そして、三日目、日曜日の早朝、
新しい霊のからだに復活し、
40日にわたって何度も弟子たちに現れ、
ご自身が生きていることを示し、
神の国のことを語ったのち、
オリーブ山で弟子たちが見守る中、上げられ、
天の【父である神】の右の座に復帰されたイエス。



 そのイエスを通して来て下さる【聖である霊】と呼ばれる方。
その方によって【父である神】の御思いを心に置いていただき、
【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにしながら生きるようにしていただいている私たち。



 その、〔新しい人〕を着た私たちは、
淫(みだ)らな行い、汚(けが)れ、情欲、悪い欲、貪欲、怒り、憤り、悪意、ののしり、恥ずべき言葉を、
イエスの処刑とともに処刑された
〔生まれたときからの私〕という霊、
〔古い人〕、死んだものから出て来た思いであるとして、
イエスの御前に差し出し、受け取っていただきながら、


 いよいよ、【聖である霊】と呼ばれる方によって
【父である神】の御思いを心に置いていただき、
新しくされ続けていく(コロサイ3:5~11)のだそうです。



 【聖である神】は、
私たちに「イエスが主」であることを分からせ、
【父である神】が思われるとおりに、私たち一人ひとりに働いて、
ある人には知恵のことば、
ある人には知識のことば、
ある人には(特別な)信仰、
ある人には癒(いや)し、
ある人には奇跡を行う力、
預言、霊を見分ける力、
種々の異言、異言を解き明かす力として
現れて下さるのだそうです。
皆の益となるようにと。(Ⅰコリント12:1~11) 



 そして、【父である神】は、
ご自身と思いを一つにして歩んだ者として、
「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためだはなく、
わたしを遣わされた方のみこころを行うためです」(ヨハネ6:38)
と言われるイエスと同じ栄光を与えてくださるのだそうです。



 私たちの側の何かによらず、
ただ、一方的な神の側の働き、恵みによって。
今日も。



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大切なものがあるところに、私たちの心もある、のだそうですから

2020-02-26 08:38:25 | 聖書から
私の道が確かになることを願います。
あなたの掟(おきて)を守るために。詩119:5



 イエスは、
天に上げられる時期が近づくと、
エルサレムに向かう決意を固められた。ルカ9:51



 マタイ6:16~21
 Ⅰコリント11:27~34(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/26;水)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)の掟を守る、
この方への愛のゆえに、
自由意思で、自分から進んで
この方と思いを同じくし、一つ心になって歩むという
私の道が確かにされ、堅くされますように、というのですね。



 「わたしが天から下って来たのは、
自分の思いを行うためではなく、
わたしを遣わされた方のみこころを行うためです」(ヨハネ6:38)
と仰られるイエスは、
いよいよ、
その【父である神】から委託された出来事のクライマックス、
贖(あがな)い小羊として屠(ほふ)られる、
すべての人の身代わりとなり、
すべての人が、「神の一人のようになり、
善悪を知る」ようになって(創世記3:5、22)、
「的外れ」になっている責任を背負い、
神に背いた者、神に呪われた者となって(申命記21:23)、
木に掛けられる、
十字架刑で処刑される、
その時期が近づいたのを感じられ、
エルサレムへと毅然として進んでいかれたのだそうです。



 ご自身の死によって、
私たちの「神の一人のようになり、善悪を知る」ようになって、
「的外れ」になっている
私たちの「生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているもの、死んだものとし、



 【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いて、
【父である神】の御思いが私たちの心にあり、
受け入れる者が【父である神】と思いを同じくし、
心を一つにして歩む者になるようにと。



 だから、このこと、
イエスの死によって自分を死んだものとしていただき、
イエスを通して来て下さる【聖である霊】と呼ばれる方によって、【父である神】と思いを一つにして、
【父である神】の御心を行う道を歩ませていただきたい、
との願いを持たないままで「聖餐式」を受ける者は、
主イエスのからだと血に対して罪を犯すことのなる、
とパウロは言うのですね。(Ⅰコリント11:27~29) 



 私たちは、宝のあるところ、そこに心もある者(マタイ6:21)
なのだそうです。
何を大切にしているかで、心のありかが決まるようですね。



 【父である神】は、私たちを、
神を愛し、神に思いがある、
天に宝を持つ者にしようとしていてくださるようですね。
今日も。



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あらゆる善い業に満ちあふれ、栄えさせる、と

2020-02-24 22:16:28 | 聖書から
わたしは
お前たちを
初めのときよりもさらに栄えさせる。
そのとき、お前たちは
わたしが主であることを
知るようになる。エゼキエル書36:11



 神はあなたがたが
いつも全ての点で全てのものに十分で、
あらゆる善い業に満ちあふれるように、
あらゆる恵みを満ちあふれさせることが
おできになります。Ⅱコリント9:8



 ルカ5:33~39
 Ⅰコリント11:23~26(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句2/25:火)


 天の神、【主】、「『わたしはある(I am)』という者」
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私たちを以前よりも格段に栄えさせることで、
私たちが、この方はほんとうに神だと分かるようにされる、
というのですね。


 私たちにあらゆる恵みをあふれさせて、
私たちがすべてのことに満ち足りて、
すべての善い業に満ちあふれるように、と。



 けれども、それは、
私たちの今までの経験した在り方とは異なるのかもしれません。
新しい布切れを引き裂いて、古い服に継ぎを当てたり、
新しいぶどう酒を古い革袋に入れたりはしない方
なのだそうですから。(ルカ5:36~38)


 自分の力で神の律法を守り、
自分の力で神の義に到達しようとする在り方を「古い」とし、



 イエスが受けられた
十字架刑での処刑で流された血を象徴するぶどう酒を飲み、
裂かれた肉を象徴するパンを食べることで、
私たちが、イエスと一体とされ、
イエスの死に合わせていただいて
〔生まれたときからの私〕という霊が処刑されたもの、
死んだものとされていることを確認し、(Ⅰコリント11:23~26)



 三日目、死人の中から新しい霊のからだに復活し、
天の、【父である神】の
右の座に復帰されたイエスを通して来て下さる
【聖である霊】と呼ばれる方によって、
【父である神】の御思いを心に置いていただいて、
【父である神】と思いを一つにし、
【父である神】がしようと思われることをする者としていただいて。(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)



 あらゆる善い業に満ちあふれるように、と。
今日も。



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