朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

あの方の家族として他と区別されるのだそうです。豊かな命で。新しい年も

2013-12-31 23:31:55 | 聖書から
私は、

神に近くあることを

幸いとします。

詩篇73:28

(ローズンゲン年の聖句)






わたしは

彼らに

わたしの安息日を

与えた。



これは、

わたしと彼らとの間の

しるしとなるためであった。

エゼキエル書20:12
 





イエスの言葉

わたしが来たのは、

羊が

命を受けるため、



しかも

豊かに

受けるためである。

ヨハネ10:10
 



 (ローズンゲン日々の聖句2004年元旦;水)






あの方との

特別な関係になっていることの

しるしなのだそうですね。

安息日は。...




モーセを通して与えられた

「律法」

そのものが、



イスラエル民族を

神の民として、

他の民族から

区別するためのものだったようですね

(12節)。





そのようなわけで、

「モーセ律法」には、

人類全体に当てはまる

普遍的な部分と、



イスラエル民族が、

イスラエル民族であり続け、

他の民族と区別されるための部分とが

ある

と考えていいのだそうです。





その部分は、

ユダヤ人クリスチャンには当てはまるけれど、

異邦人クリスチャンには

適用されない

ということでしょうか。



割礼とか食物規定など。




そして、

今、

私たちには

「モーセ律法」によって、

あの方の民として選ばれ

区別される

というのではなく、



もう一つの道、



イエスによって

具体的に完成した、



このままで

あの方の

「子」としていただき、



あの方の

家族の一員として、

「聖である霊」と呼ばれる方によって、

あの方と

心を一つにし、

行動を一つにし、

存在を一つにする者に

していただけるという

素晴らしい知らせを



信頼し、

受け入れることで、

選び区別されるのだそうです。




いよいよ、

イエスによって完成した

この事実を

私の事実として

体験したいものですね。





豊かな命の中へと。

新しい年も。




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あの方が良くして下さったことを思い起こしてみたいですね。一年の終わりに

2013-12-30 23:11:22 | 聖書から
主は、

決して

あなたを

いつまでも捨て置かれは

しない。



主の慈しみは

深く、



懲らしめても、

また

憐れんでくださる。

哀歌3:31〜32
 





事実、

あなたがたは、

恵みにより、

信仰によって

救われました。



このことは、

自らの力によるのではなく、

神の賜物です。

エフェソ書2:8
  



(ローズンゲン日々の聖句12/31;火)






慈しみ深い方なのですね。

あの方。

怒られることはあっても、

それは

私たちが憎いからではなく、



あの方との正しい関係に戻るための、

慈しみの故の

懲らしめなのだそうですね。



親が

愛する子供を叱るような。





だから、

いつまでも

放って置かれるようなことはないのだそうです。




事実、

あの方のほうで

一方的に、

私たちが

あの方の許に帰る道筋、方法は

完成していて下さって、



私たちに、

それを受け取って

帰って来て欲しいと

懇願しておられるのだそうですから。



賜りもの、

プレゼントとして

差し出して下さっているのだそうですね。



あの方の側の

真実において。...




今日で2003年が終わり、

明日から

新しい年が始まります。


あの方は、

私たちのすべての咎を赦し、

すべての病をいやし、



私たちに

恵みとあわれみとの冠をかぶらせ、



私たちの一生を

良いもので満たして下さるのだそうです。


私たちは、

日々、

若返り、



鷲の羽が生え替わるように、

新しくして下さるのだそうですから。

(詩篇103より)



新しい年を。




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他の人の不幸に心痛め、他の人のことにも関心を持つ思いが来るのだそうですね。あの方から。

2013-12-29 23:31:04 | 聖書から
言は

肉となって、

私たちの間に

宿られた。



私たちは

その栄光を

見た。

ヨハネ1:14

(今週の聖句)
 





イスラエルの驕れる人々よ、

大杯で

ぶどう酒を飲み、

最高の香油を

身に注ぐ。



しかし、

ヨセフの破滅に

心を痛めることが

ない。

アモス書6:6
 





めいめい

自分のことだけでなく、

他人のことにも

注意を払いなさい。

フィリヒ書゜2:4





  (ローズンゲン日々の聖句12/30;月)






心の思いを表明するもの、

それが

言葉なのでしょうか。





あの方の思いを

表明する役割、立場を

とっておられるのが、

「言(ことば)である神」とか、

「御子である神」とか

呼ばれている方なのだそうです。





そして、

このお方は、

永遠のはじめから、

あの方と共におられたのだそうですね。



私たちの

心の思いと言葉とが

一緒にあるように。





天地万物、すべてのものは、

あの方の御思いから始まり、



その思いの表明である

「言(ことば)」と呼ばれる

この方を通して

創造されたのだそうです。



その創造主の立場におられる方が、

人間の肉体をもって、

私たち人間の世界に

来て下さったのだそうですね。



私たちに代わって

十字架刑で処刑され、



私たちが

あの方の「子」の身分をいただける

道を拓くために。




あの方は、

そのように、

自分のことだけだなく、

私たちのことも

考えていて下さるのですね。





だから、

「聖である霊」と呼ばれる方によって

私たちの心に起こされる

あの方の御思いは、



他の人の不幸見ると

心痛み、



自分のことだけではなく、

他の人たちのことにも

注意を払う思い

なのだそうですね。




「聖である霊」と呼ばれる方が

働いて下さって、



さらにさらに

私の心に

あの方の、

他を思いやる御思いが

起こりますように。



今日も。



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あの方の子にしていただくことは、確かなことのようですね。

2013-12-28 23:21:35 | 聖書から
私は

いにしえの日々を

思い起こし、



あなたのなさったことを

一つ一つ思い返し、



御手の業を

思いめぐらします。

詩篇143:5
 





パウロの手紙:

兄弟たち、

あなたがたに

はっきり言います。



私が告げ知らせた福音は、

人によるものではありません。



私は

この福音を

人から受けたのでも

教えられたのでもなく、



イエス・キリストの啓示によって

知らされたのです。

ガラテヤ書1:11〜12
  



(ローズンゲン日々の聖句12/29;日)






困難に打ちひしがれ、

心も衰え果て、

こわばってしまうような中にあって、

あの方のなさったこと、

御手の業を

思いめぐらすとき、



あの方を呼び、

助けを求める心が

よみがえってくるのでしょうか。





あの方は、

私たちの呼ぶ声に応え、

私たちに語って下さり、

ご自身を啓示して下さるのだそうですね。



パウロにそうであったように、

私たちにも。





そして、

聖書の言葉を開いて下さり、

理解させ、

新しい啓示を知らせて下さるのだそうでね。



求めていくなら与えられ、

探していくなら見つけることができ、

ドアをノックするなら開けてもらえるのだそうですから。



それどころか、

あの方が

私の心のドアをノックしていて下さり、



私たちが

迎え入れさえするなら、

あの方が私の中に入って来て下さって、



御思いを

私の心に思わせて下さるのだそうですね。



今日も。



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祝福の源泉になるのですって。私たちが、あの方によって。

2013-12-27 22:55:01 | 聖書から
主は

アブラムに言われた。

「わたしは

あなたを

祝福する。



あなたは

祝福の源と

なる。」

創世記12:2






あなたがたを

迫害する者のために

祝福を

祈りなさい。



祝福を祈るのであって、

呪ってはなりません。

ロマ書12:4
 



 (ローズンゲン日々の聖句12/28;土)






あの方は、

私たちを

祝福したい、

良いもので満たし、

幸せにしたいと

思っておられるのだそうですね。





それで、

アブラハムに続く私たちを

祝福し、



私たちを

祝福とならせ、



その私たちをとおして、

まわりを

祝福しようと

計画しておられるのだそうです。




だから、

私たちを迫害する者があっても、

その人を

批判したり、

恨んだり、

呪ったりするのでなく、



祝福で返していくと、

あの方が働いて下さって、



相手が

祝福され、

変わって来るのだそうですね。




そうならない場合でも、

あの方は仰るのですね。

「復讐は

わたしのすることである。

私自身が

報復するから、



復讐は

わたしに任せておきなさい」

と。




だから、

「聖である霊」と呼ばれている方が

促されるとおりに

手当たり次第、

まわりの人を

祝福して行っていいのですね。



その人が

祝福を受け取らなければ、

その祝福は、

祝福した私たちに

返って来るのだそうですから。



今日も。



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