朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

悲しみは、喜びに変えられて

2020-03-31 21:57:36 | 聖書から
わたしはエルサレムを喜びとし、
わたしの民を楽しみとする。
泣く声、叫ぶ声は、
再びその中に響くことがない。イザヤ書65:19


イエスの言葉:
今はあなたがたも、悲しんでいる。
しかしわたしは再びあなたがたと会い、
あなたがたは心から喜ぶことになる。
その喜びを奪い去る者はいない。ヨハネ16:22



 ヘブル9:11~15
 マルコ14:17~25 (通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句4/1;水)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が、
新しい天と新しい地を創造されるのだそうです。
エルサレムを新しく創造して喜びとし、
その民を楽しみとされるというのですね。



 そこではもう、泣き声も叫び声も聞かれなくなって。

もはや、死もなく、悲しみ、苦しみもないのだそうですから。



 イエスがいないと、
私たちは自分の悲しみ、苦しみを
自分で背負わなければなりませんが、
イエスがいて下さるなら、
イエスが全部背負ってくださるので、
私たちは心から喜ぶ者とされ、
その喜びを奪い去る者はいないのだそうですから。



 イエスが
私たちの身代わりとなって十字架刑での処刑を受けられ、
献ささげてくださったご自身の血(いのち)は、
私たちの良心をきよめて死んだ行いから離れさせ、
生ける神に仕える者にし、
約束された永遠の資産(新しい御国)を受け継ぐように
してくださるのだそうです。



 イエスの死によって、
律法という形で示された神の御思いを自分の力で自分に実現する初めの契約(出エジプト19:9、24:7~8)のときの違反から贖い出すための、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊の死が実現し、



 【聖である霊】と呼ばれる方が来てくださって、
私たちの心に【父である神】の御思いを置いてくださり、
受け入れる者が【父である神】と一つ思いになって
神に仕える者にしていただけるという新しい契約(エレミヤ31:31~34、エゼキエル36:25~28、ヨハネ17::21~23)が実現している今は。(ヘブル9:11~15)



 イエスの血を通して来てくださる【聖である神】によって
私たちも神の楽しみの民とされ、
私たちの心も喜びに満たされて。
今日も。



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教会に行っていないけれど、
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主の神殿、キリストのからだの一部分として組み込んでくださって

2020-03-30 21:52:51 | 聖書から
遠方からも人々が来て、
主の神殿の建設に携わる。
こうして、あなたたちがひたすら
あなたたちの神である主の声に従うなら、
万軍の主が私(ゼカリヤ)を
あなたたちに遣わされたことを知るようになる。ゼカリヤ書6:15



 キリストにおいて、
あなたがたも共に建てられ、
霊の働きによって
神の住まいとなるのです。エフェソ書2:22



 ヨブ記19:21~27
 マルコ14:12~16(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/31;火)


 遠方から、遠く離れていたものたち、
距離的な遠さもあるのでしょうが、
神の約束から遠く離れていた私たち異邦人も、
ということでしょうか、
来て、【主】の神殿の建設に携わるのだそうです。



 そして、あのイエスこそ、そのために
【父である神】から遣わされた方であることを知るようにも。


 イエスによって、私たち異邦人も、
キリストのからだを構成する一部分として、
神殿、キリストのからだの一部分として建てられ、
神の住まい、
【聖である霊】と呼ばれる方が宿られるところとも
していただけるのだそうですから。



 ヨブが、「私は知っている。私を贖あがなう方は生きておられ、
ついには、土の上に立たれることを」と言ったとおりに(ヨブ19:25)、
【神の御子】であられる方が、
ご自分の命を代価として支払って私たちを贖う、買い戻すために、

人間イエスとして地の上に立たれた、人の世に来られた。



 そして、私たちすべての人間の身代わりとなって
十字架刑での処刑を受けてくださって、
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を処刑が
終わっているもの、死んだものとしてくださって。



 その上で、
私たちに【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方の働きで私たちの心に、
【父である神】が
私たちひとりひとりに対して持っておられる御思いを
置いてくださり、
私たちの内に【父である神】の御思いがあるように
してくださるのでそうです。



 それで、これを受け取り、
自分の〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いを、
死んだものから出て来た思いであると認めた者は、
これをイエスの御前に差し出し、受け取ってもらいながら、
【聖である霊】と呼ばれる方が心に置いてくださる
【父である神】の御思いで生きることができるように

していただけるるのだそうですから。



ちょうど、からだがその人の思いのとおりに動くように、
キリストのからだとして
【父である神】の御思いのとおりに動いていく、
【父である神】と一つ心で生きる者に。



キリストのからだの一部として
神の御住まい、キリストのからだ(神殿)を建て上げていく者に。

今日も。



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苦難のなかで、私の霊が衰え果てているときにも

2020-03-28 21:58:20 | 聖書から
人の子は、仕えるために、
また、多くの人の身代金として
自分の命を献げるために来た。マタイ20:28(3/29の週の聖句) 



私の霊がなえ果てているとき、
私がどのような道に行こうとするか、
あなたはご存じです。詩142:4



私たちの主イエス・キリストの父である神、
慈愛に満ちた父、慰めを豊かにくださる神がほめたたえられますように。

神は、あらゆる苦難に際して私たちを慰めてくださる。Ⅱコリント1:3~4



 マルコ10:35~45
 詩102(通読箇所)
   (ローズンゲン日々の聖句3/29;Ⅴ日曜) 


 【独り子なる神】が、人間イエスとして人の世に来られたのは、
王となって人々から仕えられるためではなく、人々に仕え、
多くの人のための贖あがないの代価、身代金として
自分の命を私たちに与えるためだったのだそうですね。



 この方は、私たちが苦しみ、
私たちの霊が私のうちで衰え果てているときにも、
私が行く道をよく知っておられ守ってくださるのだそうです。
【父である神】が私たちのあらゆる苦しみ、どのような苦しみの中にいるときにも、慈愛をもって慰めてくださるのだそうですから。



 「神の一人のようになろうとして善悪を知る者」となっていて(創世記3:5、22)、
神の創造の目的(創世記1:26)から「的外れ」になっている私たちの〔生まれたときからの私〕という霊から出て来る思いは、
人よりも先に立つ者に、
人よりも上に立つ者になりたい思いなのですね。
イエスの12弟子たちがそうであったように。(マルコ10:35~41)



 けれども、【父である神】は、
この【独り子である神】、人となられたイエスが
十字架刑での処刑を受けて、いのちを献げてくださったことにより、

私たちのその〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わっているもの、死んだものと
手続きしてくださっているのだそうです。



 その上で、私たちにもう一人の方、
【聖である霊】と呼ばれる方を派遣してくださって、
この方の働きによって私たちの心にご自身の御思いを置き、
私たちの内にご自身の御思いがあるように
してくださるのだそうです。
受け入れる者が
ご自身と一つ思いになって生きることができるように、と。



 それで、私たちのうちにも、
えらくなりたいと思う者は皆に仕える者に、
人の先頭に立ちたいと思うものは、
皆のしもべになる(マルコ10:42~44)思いが
来るようになるのだそうです。
苦難にある人を慰める者ともしてくださって。
今日も。



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神の御心を行う人こそ、わたしの兄弟、と

2020-03-27 21:27:40 | 聖書から
主が望まれるのは主を畏れる人、
主の慈しみを待ち望む人。詩147:11



 イエスの言葉:
神の御心を行う人こそ、
わたしの兄弟、姉妹、又母なのだ。マルコ3:35



 ヨハネ14:15~21
 マルコ13:28~37(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/28;土) 


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)は、
ご自身を畏おそれる人、
ご自身の恵み、慈しみを待ち望む者を
望んでおられるのだそうです。



 だから、イエスは言われるのですね。
【父である神】の御思いのとおりに生きる人こそが、
わたしの兄弟、姉妹、又母なのだ、と。



 私たちは、自分の力で
神の御思いのとおりを生きることはできない者なのですね。



 神は、私たち人間を
「われわれのかたちとして、われわれの似姿に」と思われて、
そのように造られたのだそうです。(創世記1:26)



 【父である神】、【御子である神】、【聖である霊】と呼ばれる神が、

それぞれ、全知、全能、永遠不変の方でありながら、
【御子である神】も【聖である霊】と呼ばれる神も
自分だけの思いで動くのではなく、
愛のゆえに、自由意思で自発的に
【父である神】の御思いと思いを一つにし、
【父である神】の御思いが成ることを望まれ、
そのように生きておられる方なのだそうです。(ヨハネ6:38、8:28、16:13) 

【父である神】と思いを一つにして(ヨハネ17:21) 



 そして、それと同じ関係の中を生きる者をと願われて
私たち人間を造られたのだ、と。



 しかし、最初の人、アダムとエバは、
その造られた場にいることに満足せず、
もっと自分を高い者にしようとして、
「神のひとりのようになり、善悪を知る者」となることを
選び取ったのだそうです(創世記3:5、22)。



 神と思いを一つにする者の場を捨てて、
自分の理性の判断で善悪を決めていく」、
神に対立、対抗する、
神の創造の目的から「的外れ」になっている者に。



 その私たち人間が自分の努力で
神と思いを一つにしていくことは、無理なことなのだそうです。

 

 それで、【御子である神】が、人間イエスとして人の世に来られ、

すべての人間の背き、「的外れ」の責任をご自身に負い、
私たちが受けるはずの十字架刑での処刑を受け、
死んで葬られてくださったのだそうです。



 【父である神】は、このイエスの受けられた処刑を
私たちの処刑とみなしてくださって、
「的外れ」になっている
私たちの〔生まれたときからの私〕という霊を
処刑が終わったこととし、死んだものとしてくださるのだそうです。


 その上で、【父である神】は、
イエスを通して、【聖である霊】と呼ばれる方を
私たちに派遣してくださって(ヨハネ14:16)、
この方によって私たちの心にご自身の御思いを置いてくださり、
私たちの心にご自身の御思いがあるようにし、
私たちがご自身と思いを一つにして生きることができるように
してくださっているのだそうです。



 それで、この生き方を受け取った者たちを、
イエスは「私の兄弟、姉妹」と呼んでくださるのですね。


 私たちもこの方に尊敬と畏れをもって、
慈しみと恵みを待ち望んで。

今日も。


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私たちのはらわたを究める方が

2020-03-26 23:22:55 | 聖書から
人の心は何にもまして、
とらえ難く病んでいる。
心を探り、
そのはらわたを極めるのは、
主なるわたしである。
それぞれの道、
業の結ぶ実に従って報いる。エレミヤ書17:9~10



 私たちは自分が
真理に属していることを知り、
神の御前で安心できます。
神は、私たちの心よりも大きく、
すべてをご存じだからです。Ⅰヨハネ3:19~20



 ヨハネ16:16~23a
 マルコ13:24~27(通読箇所)
   (ローズンゲン日々聖句3/27;金)


 天の神、【主】、
「『わたしはある(I am)』という者」
と名乗られる方(出エジプト3:14)が言われるのですね。
「人の心は何よりもねじ曲がっていて、とらえ難く、
それはいやし難い。
その腹、はらわたを究きわめ、知り尽くすのは、
【主】であるわたしである。
わたし、【主】が心を探り、心の奥を試し、
それぞれの生き方により、行いの実に従って報いる」と。



 そのすべてをご存じの神が
大きな心をもって私たちを見ていてくださるのだそうですから。
私たちを真理であるイエスに属しているものとし、
神の御前で安心できるようにして。

 今は嘆き悲しんでいる私たちを
喜びにあふれさせてくださって。(ヨハネ16:16~23)



 イエスは、雲のうちに、
偉大な力と栄光と共に来てくださるのだそうですから。
地の果てから天の果てまで、
選ばれた者たちを四方から集めるために。(マルコ13:24~27)
 今日も。



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