朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

同じ願いを願う者が欲しいようですね。あの方

2015-10-30 22:18:37 | 聖書から
私の魂よ、再び安らうがよい。
 主はお前に報いてくださる。詩編116:7

あなたがたの父は、
 願う前から、あなたがたに必要なものをご存じなのだ。マタイ6:8
...

      (ローズンゲン日々の聖句10/31;土)




「死の綱が私を取り巻き、
よみの恐怖が私を襲い、
苦しみと悲しみの中にあって、主の御名を呼び求めた。

主は情け深く、正しい。
まことに、私たちの神は憐れみ深い。
主はわきまえのない者を守られる。
私がおとしめられたとき、私をお救いになった。
まことに、あなたは私のたましいを死から、
私の目を涙から、
私の足をつまずきから、救い出される」(詩篇116:3~8新改訳)主は、私たちが願う前から、私たちの必要を知っていてくださるのですね。

 だから、私の祈りの熱心さでこの方を動かそうとしたり、くどくどと、あるいは大声を上げて祈る必要はないのだそうです。
言葉数が多ければ聞かれるということではないのだそうですから。
私の思いを、願いを知っていただく、見ていただくために、御前に差し出すことのようです。

 また、天の神、主がしようと思っていらっしゃることを、心を一つにして私も願っていくなら、この方と思いを一つにしていた誉れをいただけるのだそうですね。
今日も。


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心を一つにし、思いを一つにする近さに置いて下さるのでそうですね。あの方、私たちを

2015-10-29 21:45:25 | 聖書から
私たちの神、主よ、
 私たちを見捨てることも、見放すこともなさらないように。列王記上8:57

実際、神は
 私たち一人一人から遠く離れてはおられません。使徒17:27
...

      (ローズンゲン日々の聖句10/30;金)

 私たち一人一人の近くにいて下さる方なのだそうですね。
身体が物理的な距離において近いというだけでなく、心を一つにし、思いを一つにする精神的近さ。
さらに、一つ霊に包まれている、霊的な近さなのだそうです。

 父と呼ばれている方と御子と呼ばれている方、聖である霊と呼ばれている方が、互いに愛し合い、尊敬しあい、相手を大切に思い合うゆえに、相手の思っていることが成ることを願い、自由意思において、自発的に心を一つにしておられる、その近さ、なのだそうです。

 聖である霊と呼ばれる方を受け入れる者は、この方に覆われ、包まれ、漬け込まれて、御父の、一人一人に対する思いと一つ心にしていただく近さに置いていただけるのだそうですね。
今日も。


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地に恵みと公義と正義を行う方、私たちの創造主を誇るのですね。

2015-10-29 07:11:49 | 聖書から
主の言葉:
知恵ある者はその知恵を誇るな。
 力ある者はその力を誇るな。
 富ある者はその富を誇るな。
 むしろ、誇る者は、
  目覚めてわたしを知ることを誇るがよい。エレミヤ書9:22〜23


私は福音を恥としない。
 福音は信じるすべてに救いの力をもたらす神の力だからです。ロマ書1:16

      (ローズンゲン日々の聖句10/29;木)

 私たちが、自分のものだと思っている知恵も、力も、富も、

よく考えてみれば、自分で作りだしたものではないのですね。
全部、あの方からのもの。与えられたもの、あるいは、預かっているものなのですね。
そのあたりのことが分かってくると、何を誇るべきかが見えてくるということでしょうか。
イエスによる救いの知らせは、これを信用して受け入れる者に救いと生きる力を与えてくれる神の力の現れのだそうです。
今日も。


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反逆が極まったその時、人間の側の働きによらない新しい契約の約束が

2015-10-27 22:30:20 | 聖書から
見よ、
 わたしがイスラエルの家、ユダの家と
  新しい契約を結ぶ日が来る、と主は言われる。エレミヤ書31:31

神は私たちを憐れみの器として、
 ユダヤ人からだけでなく、
  異邦人の中からも召し出してくださいました。ロマ書9:23〜24


      (ローズンゲン日々の聖句10/28;水)

 憐れみを基にした新しい契約を結ぶと宣言してくださったのだそうですね。
 エジプトを脱出した後、シナイ山で結んだ契約は、天の神、主の御思いを石の板に書き付け、イスラエルの民は、その御思いを自分の力で実行していくことで、神の民になるというものでした。

 しかし、イスラエルの民は、「神のひとりのようになり、善悪を知るようになった」者の子孫の束縛から逃れることはできず、自分の判断により、自分の好む神々を迎え入れ、この方に反逆して、自分の思いのままに生きる者の道を歩む者となったのだそうです。

 反逆を極めた北イスラエル王国は、すでに、アッシリア帝国によって滅び、今、まさに、南王国ユダも、バビロニア帝国によって滅ぼされようとするとき、旧い契約は全うできないことが明白になったそのとき、天の神、主は新しい契約の約束を与えてくださったのですね。
 それは、人間の働きに期待しないで、天の神、主の一方的な憐れみを基礎にした契約なのだそうです。

 このエレミヤの預言から、およそ、700年後、いよいよ、ご計画の時が満ちて、神の独り子と呼ばれる方が、人間イエスとして人の世に来られ、およそ、33歳の頃、十字架刑で処刑され、私たち人間の背きの罪の罰のすべてをご自分の身に負ってくださり、死んで葬られ、三日目に墓より復活し、天のもといた、天の父の右の座に帰られ、もう一人の方、聖である霊と呼ばれる方を、受け入れる者に派遣してくださり、この方によって、私たちの心に、天の父の御思いを書き付けてくださり、私たちが、天の父と思いを一つにする者にしてくださるという、新しい契約が実現したのだそうです。

 そして、この契約にあずかった者は、天の神、主の憐れみを盛る器として用いていただけるのだそうです。
人々に、天の神、主の憐れみを示し、運び、届ける器として、用いていただけるですね。
今日も。


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全世界罪を贖ういけにえとして自分の命を献ために来られたのだそうですね。この方

2015-10-26 22:25:50 | 聖書から
主よ、
 あなたの大きな慈しみのゆえに、
  この民の罪を赦してください。民数記14:19

イエス・キリストこそ、私たちの罪、
 いや、私たちの罪ばかりでなく、
  全世界の罪を償ういけにえです。Ⅰヨハネ2:2


      (ローズンゲン日々の聖句10/27;火)

 「主は怒るのにおそく、恵み豊かである。
咎とそむきは赦すが、罰すべき者は必ず罰して、
父の咎を子に報い、三代、四代に及ぼす」方なのですね。

 それで、私たちを赦すためには、私たちの罪の罰を、私たちに代わって受ける人が必要なのだそうです。

天の神、主は、独り子である方を、人間イエスとして人の世に生まれさせ、この方が、およそ33歳のころ、この方を十字架刑で処刑して、私たちばかりではなく全世界の罪を処刑済みとしてくださっているのだそうです。

 この、イエスによる罪の赦しを受け取った者には、もう一人の方、「聖である霊」と呼ばれる方を派遣してくださって、この方が私たちの心に、天の神、主が、私たち一人一人に持っていてくださる御思いを書き付けてくださり、私たちが、天の神、主と思いを一つにして生きていくようにしてくださるのだそうです(エゼキエル36:26~27)。

 父である神と呼ばれる方、御子である神と呼ばれる方、聖である霊と呼ばれる方が、愛し合うゆえに、自発的に、心を一つにし、思いを一つにし、行動を一つにし、存在を一つにしておられる、その中に私たちも加えていただいて、一つ思いを持つ者にしていただけるのだそうです。私たちも。
今日も。


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