朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

なんと幸いなことでしょう!

2016-07-31 09:02:58 | 聖書から
いかに幸いなことか、

  主を神とする国、

    主が嗣業として選ばれた民は。詩編33:12




 耳の聞こえぬ者を悪く言ったり、

目の見えぬ者の前に障害物を置いてはならない。

あなたの神を畏れなさい。レビ記19:14




 宴会を催すときには、

むしろ、貧しい人、

体の不自由な人、

足の不自由な人、

目の見えない人を招きなさい。

 そうすれば、その人たちはお返しができないから、

あなたは幸いだ。ルカ14:13~14




      (ローズンゲン日々の聖句7/31;日)

 

 「なんと幸いなことでしょう」と言うのですね。




 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者だ」と名乗られる方(出エジプト3:14、ヨハネ8:24)を自分の神とする者、その方から「私のもの、私の民、わたしの子」と呼んでいただける契約を結んでいるものは(エレミヤ31:33~34、エゼキエル36:28)と。




 この、新しい契約は、イスラエル1500年の歴史において、

律法を自分で守るという生き方では、天の神、主、「わたしはあるという者だ」と名乗られる方と心を一つにすることはできないことがはっきりと実証されたうえで、

永遠の初めから「父」とともにおられ、

「さあ、人を造ろう。われわれのかたちとして。われわれに似せて」(創世記1:26)と、この天地創造、人間の創造を共にされた、「御子である神」と呼ばれる方が、

与えられた自由意思によって、そむいた人間の責任を取るために、

女の子孫(創世記3:15)として、この人の世に来られ(ヨハネ1:1~14)、

約束のことばのとおりに、すべての人間の身代わりとなり、十字架刑での処刑を受けられたこと(ヨハネ19:1~30)、




 そして、そのイエスが、約束のことばのとおりに、三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、40日に渡って何度も弟子たちに現れ、神の国について教えられたのち、オリーブ山で、弟子たちの見ている前で、天の、「父である神」の右の座に帰られ、




 そこから、もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方を、受け入れる者に派遣してくださる、

その出来事において実効しているのだそうです。




 この、新しい契約において、この方、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えした者は、この方によって「神の子」の身分を与えていただき(ヨハネ1:12、ロマ8:14~15)、




この方が、「父である神」が、ひとりひとりに思っておられる御思いを、ひとりひとりの心に書き付けてくださるので(エレミヤ31:33、エゼキエル36:27)、この部分において「父である神」と同じ思いを思い、一つ心になり、

この方がその人を通してしようと思っていらっしゃることをする者にしていただけるのだそうです(ヨハネ14:12)。




 受け入れる者は、「父である神」が思っておられるように、耳の聞こえぬ人、目の見えない人、貧しい人を大切に思い、




「祈り」を通して「父である神」の御思いに聞き、御思いの中に深く思いを潜め(ルカ19:41~48)、「父である神」の御思いを慕い、求める(詩篇119:33~40)者にもしていただけるのだそうです。この新しい週も。


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正義を行い、慈しみを愛し、へりくだって、神と共に歩む者に

2016-07-30 08:41:33 | 聖書から
人よ、

 何が善であり、

  主が何をお前に求めておられるかは、

   お前に告げられている。

 正義を行い、

  慈しみを愛し、

   へりくだって神と共に歩むこと、

 これである。ミカ書6:8




 イエスの言葉:

わたしがあなたがたにしたとおりに、

あなたがたもするようにと、

模範を示したのである。ヨハネ13:15




      (ローズンゲン日々の聖句7/30;土)




 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、ミカを預言者として立てて言われます。




私は何をもって主の前に進み行き、

いと高き神の前にひれ伏そうか。

全焼のいけにえ、1歳の子牛をもって御前に進み行くべきだろうか。

主は幾千の雄羊、幾万の油を喜ばれるだろうか。

私の犯したそむきの罪のために、私の長子をささげるべきだろうか。

私の魂の罪のために、私に生まれた子をささげるべきだろうか。

主はあなたに告げられた。

人よ。何が良いことなのか。

主は何をあなたに求めておられるのか。

それは、ただ公義を行い、誠実を愛し、

へりくだって

主とともに歩むことではないか」(ミカ6:6~8新改訳)と。




 イエスは、自分が、今夜、捕えられ、明日には十字架刑での処刑を受けることを見据えて、弟子たちの足を洗い、このように弟子たちもし合うようにと言い残されました。




 自分が、すべての人の身代わりになり、すべてのそむきの罪の責任を負って処刑されることによって、受け入れる者のそむきの罪が処罰を終えたものとなり、

もう一人の助け主、「聖である霊」と呼ばれる方が受け入れる者に来てくださる道が開け、




 「聖である霊」と呼ばれる方は、受け入れる者の心に、ひとりひとりに思っておられる「父である神」の御思いを書き付けられるので、

受け入れる者は、この部分において、「父である」神と同じ思いを持ち、一つ心にしていただける(エレミヤ31:33~34、エゼキエル36:25~28)のだそうですから。




 受け入れる者は、「父である神」、「御子である神、イエス」、「聖である霊」と呼ばれる方の御思いを心に受けて、思いを一つにしながら、「へりくだって、神と共に歩む生き方を生きられるのだそうです。




 私たち、主人の心を知りながら、その思いどおりによういもせず、働きもしない者ですけれど、イエスによって、「生まれたときからの私」に死に、「聖である霊」と呼ばれる方によって新しく生まれた者とされた部分において、「主人から、その家のしもべたちを任されて、主人の思いのとおりに働く、忠実な、賢い管理人」(ルカ12:42~48)のように生きられますように。




 また、イエスが、「父である神」の、死にかけている娘を持つ親の心を思いやってくださる御思いを受けて、12歳ほどの死んだ娘を生き返らせ、両親に返してくださったように(マルコ5:36~43)、「聖である霊」と呼ばれる方は、受け入れる者を用いて、「父である神」がしようと思っておられることをしてくださる(ヨハネ14:12、マタイ10:7~8)のだそうですから、御思いのとおりに用いていただけるようにもなりますように。

今日も。


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あなたの栄冠をだれにも奪われないように

2016-07-29 08:38:22 | 聖書から
あなたがわたしを畏れず、

  あなたの神である主を捨てたことが、

   いかに悪く、苦いことであるかを、

    味わい知るがよい。エレミヤ書2:19 




 あなたの栄冠をだれにも奪われないように、

持っているものを固く守りなさい。黙示録3:11




      (ローズンゲン日々の聖句7/29;金)




 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方。

「父である神」、「御子である神」、「聖である霊」と呼ばれる神が、愛と尊敬において、自由意思で、自発的に一つになっておられる、

その一つを表わすかたちとして、その一つに加わる者として創造された人間。




 そして、妻エバの求めに屈して、その神との一つの場に留まらないで、もっと素晴らしい者になろうとし、

神のようになり、善悪を知るようになろうとして神に背いた始祖アダム。




 そのアダムの子孫として生まれたすべての人は、この神に対するそむきを受け継いでいるのだそうです。







 天の神、主から、特別に選ばれたイスラエルの民においても、例外ではなかったようです。

神の律法というかたちで御思いを示され、「主の仰せられたことは、みな行い、聞き従います」と答え、

「あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝の民となる。

あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」との契約を結びながら(出エジプト19:5~6、8、24:3、7)、

この神を捨て、近隣の国々の、ほかの神々を慕って行ったイスラエル。




 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、エレミヤを予言者として立てて言われます。




ヤコブの家と、イスラエルのすべてのやからよ。

主のことばを聞け。

主はこう仰せられる。

「あなたがたの先祖は、わたしにどんな不正を見つけて、わたしから遠く離れ、

むなしいものに従って行って、むなしいものになったたのか。

彼らは尋ねもしなかった。

『主はどこにおられるのか。

私たちをエジプトの国から上らせた方、

私たちを、荒野の荒れた穴だらけの地、

砂漠の死の陰の地、

人も通らず、だれも住まない地を行かせた方は』と。



しかし、わたしはあなたがたを、実り豊かな地に連れて入り、

その良い実を食べさせた。

ところが、あなたがたは、入って来て、わたしの国を汚し、

わたしのゆずりの地を忌みきらうべきものにした。



祭司たちは、「主はどこにおられるのか」と言わず、

律法を扱う者たちも、わたしを知らず、

牧者たちもわたしにそむき、

預言者たちはバアル(先住民の神)によって預言して

無益ものに従って行った。

そのため、わたしはなお、あなたがたと争う(エレミヤ2:4~9)、と。




 それで、このままで行くなら、北から敵を呼び寄せ、あなたがたを打つしかないから、

そむきをやめて、立ち帰るようにと呼びかけておられるのですね(エレミヤ1:11~19)。







 イエスの十字架刑での処刑を、自分の「生まれたときからの霊」という自分自身の処刑としていただき、

三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、天の父である神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、

この方によって、父である神が、私たちひとりひとりに思っていてくださる御思いを、心に書き付けていただき、父である神と思いを一つにし、心を一つにして生きる生き方をいただいた者は、その「神の子」の栄冠をだれにも奪われないように、と、勧められているのですね。




 イスラエルの民が、出て来たエジプトを慕って、エジプトに帰ろうとしたように、古い人と呼ばれる、「生まれたときからの霊」という死亡手続きが終わっている「私」を生かして、「神の一人のようになり、善悪を知る者」となっている、過ぎ去った生き方に戻って、自分の理性の判断を主人とし、これに従い、自分の理性の好む神々を造ってこれを慕って、いただいた栄光を失うことがないようにと。




 死にかけている娘を助けてくださいと、イエスの足もとにひれ伏し、願った、会堂管理者ヤイロのように、

また、12年間、長血をわずらい、どんな医者にも直してもらえず、「イエスのお着物にさわることでもできれば、きっと直る」と、イエスの着物にさわっていやされた女性のように(マルコ5:21~34)、この方を私の神とし続けていくようにと。

今日も。







あなたがわたしを畏れず、あなたの神である主を捨てたことが、いかに悪く、苦いことであるかを、味わい知るがよい。エレミヤ書2:19 あなたの栄冠をだれにも奪われないように、持っているものを固く守りなさい。黙示録3:11(ローズンゲン日々の聖句7/29;土)




天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方、「父である神」、「御子である神」、「聖である霊」と呼ばれる神が、愛と尊敬において、自由意思で、自発的に一つになっておられる、その一つを表わすかたちとして、その一つに加わる者として創造された人間。




そして、妻エバの求めに応じて、その神との一つの場に留まらないで、もっと素晴らしい者に、神のようになり、善悪を知るようになろうとして神に背いた始祖アダム。




そのアダムの子孫として生まれたすべての人は、この神に対するそむきを受け継いでいるのだそうです。




天の神、主から、特別に選ばれたイスラエルの民においても、例外ではなかったようです。




神の律法というかたちで御思いを示され、「主の仰せられたことは、みな行い、聞き従います」と答え、「あなたがたはすべての国々の民の中にあって、わたしの宝の民となる。あなたがたはわたしにとって祭司の王国、聖なる国民となる」との契約を結びながら(出エジプト19:5~6、8、24:3、7)、この神を捨て、近隣の国々の、ほかの神々を慕って行ったのだそうです。




天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、エレミヤを予言者として立てて言われます。




「ヤコブの家と、イスラエルのすべてのやからよ。




主のことばを聞け。




主はこう仰せられる。




『あなたがたの先祖は、わたしにどんな不正を見つけて、わたしから遠く離れ、




むなしいものに従って行って、むなしいものになったたのか。




彼らは尋ねもしなかった。




「主はどこにおられるのか。




私たちをエジプトの国から上らせた方、




私たちを、荒野の荒れた穴だらけの地、




砂漠の死の陰の地、




人も通らず、だれも住まない地を行かせた方は」と。









しかし、わたしはあなたがたを、実り豊かな地に連れて入り、




その良い実を食べさせた。




ところが、あなたがたは、入って来て、わたしの国を汚し、




わたしのゆずりの地を忌みきらうべきものにした。









祭司たちは、「主はどこにおられるのか」と言わず、




律法を扱う者たちも、わたしを知らず、




牧者たちもわたしにそむき、




預言者たちはバアルによって預言して




無益ものに従って行った。




そのため、わたしはなお、あなたがたと争う」(エレミヤ2:4~9)と。




それで、このままで行くなら、北から敵を呼び寄せ、あなたがたを打つしかないから、




そむきをやめて、立ち帰るようにと呼びかけておられるのですね(エレミヤ1:11~19)。




イエスの十字架刑での処刑を、自分の「生まれたときからの霊」という自分自身の処刑としていただき、三日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、天の父である神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、この方によって、父である神が、私たちひとりひとりに思っていてくださる御思いを、心に書き付けていただき、父である神と思いを一つにし、心を一つにして生きる生き方をいただいた者は、その「神の子」の栄冠をだれにも奪われないように、と、勧められているのですね。




古い人と呼ばれる、「生まれたときからの霊」という死亡手続きが終わっている「私」を生かして、「神の一人のようになり、善悪を知る者」となっている、過ぎ去った生き方に戻って、自分の理性の判断を主人とし、これに従い、自分の理性の好む神々を造ってこれを慕い、栄光を失うことがないようにと。




死にかけている娘を助けてくださいと、イエスの足もとにひれ伏し、願った、会堂管理者ヤイロのように、




また、12年間、長血をわずらい、どんな医者にも直してもらえず、「イエスのお着物にさわることでもできれば、きっと直る」と、イエスの着物にさわっていやされた女性のように(マルコ5:21~34)、この方を私の神とし続けていくようにと。今日も。



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あなたの神を待ち望め

2016-07-27 22:41:53 | 聖書から
神のもとに立ち帰れ。

  愛と正義を保ち、

    常にあなたの神を待ち望め。ホセア書12:7




 あなたがたは

神に選ばれ、

聖なる者とされ、

愛されているのですから、

憐れみの心、

慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。コロサイ書3:12




      (ローズンゲン日々の聖句7/28;木)




 私たちは、罪によって死んだ者だったのですが、天の神、主、「私はある。私はあるという者」と名乗られる方は(出エジプト3:14)、そむくばかりの私たちをあわれんでいてくださって、

受け入れる者をイエスの十字架刑で処刑に合わせて処刑されたもの、死んだ者としてくださり、イエスを死者の中からよみがえらせた御力によって、イエスとともによみがえらせ、生かしてくださるのだそうです(コロサイ2:12~13)。




 「生まれたときからの霊」という自分自身を死んでしまったもの、古い人として脱ぎ捨て、「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えして、この方によって新しく生まれた者、新しい人を着る者としていただけるのだそうです。




 新しい人は、「聖である霊」と呼ばれる方によって、「父である神」が私たち一人一人について思っていてくださる御思いを心に来させていただけるので、「父である神」と同じ思いにしていただけて、造り主に似ていくようになるのだそうです。




 憐れみによって神に選ばれた者、神のものとして取り分けられ、愛されているものとして、「父である神」が思っていらっしゃる深い同情心、慈愛、謙遜、柔和、寛容な心に合わせていただき、互いに忍び合い、互いに赦し合う心にもしていただけるのだそうです。




 また、パウロのように、だれに対しても自由なのですが、より多くの人にイエスを知ってもらうために、すべての人の奴隷にもなるのだそうです。

ユダヤ人にはユダヤ人のようになり、律法を持たない人には律法を持たない人のようになり、弱い人々には弱い者に。

すべての人に、すべてのものとなって、何とかして、幾人かにでもイエスを知ってもらおうとするのだそうです(Ⅰコリント9:16~23)。




 

 イエスが、ガリラヤ湖の向こう岸、ゲラサ人の地に行って、大勢の悪霊を宿し、墓場に住みついている人をあわれんで、悪霊どもを追い出し、正気に返らせて家族のもとに帰されたように(マルコ5:1~20)、

イエスを、そして、「聖である霊」と呼ばれる方を受け入れる者は、天の神、主の憐れみの御業をしていくことにも用いていただけるのだそうです。




 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」とおっしゃる方を、「聖である霊」と呼ばれる方を待ち望んでいきたいですね。

今日も。










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思い上がる私に死んで、軽やかに生きるのだそうです。自由人として。

2016-07-26 21:50:50 | 聖書から
立ち上がってください、主よ。
  人間が思い上がるのを許さないでください。詩編9:20

 神は、
昼も夜も叫び求めている選ばれた人たちのために
裁きを行わないことがあろうか。ルカ18:7

      (ローズンゲン日々の聖句7/27;水)

 人は死ぬものなのですね。
けれども、「神のひとりのようになり、善悪を知る者」になった人間は(創世記3:5、22)、神が永遠の方であるように、自分はいつまでもいるかのように思っているのですね。

 また、神が「わたしはある。わたしはあるという者」(出エジプト3:14)であられるように、自分も、在ろうと思うとおりに「在る」ことができる者であるかのように、
あるいは、在ることができるべきだと思っているのですね。

 けれども、人間は死ぬもので、持っているもののすべてを残していく者であり、
その時、すべての計画は挫折してしまう者なのですね。

 私たちは、自分が存在するために必要なものの一つでも、自分で作ったものはなく、
すべて「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方が用意していてくださって、与えていてくださるものなのですね。

 まさしく、使徒パウロが言うように、
私たちは、「神の中に生き、動き、また存在している者」(使徒17:28)なのですね。

自分はそういう者だと認めていくのが人間の正しい在り方なのだそうです。

 天の神、主、「わたしはある。わたしはあるという者」と名乗られる方は、夜昼神を呼び求めているご自分の民のために裁きをつけないで、いつまでも放っておかれることはないのだそうです。
 ご自分の計画の時に、必ず、決着をつけてくださるのだそうです。


 私たち、すべてのことはしてもよいのだそうです。
しかし、すべてのことが有益とは限らないのですね。

すべてのことは、してもよいのだそうです。
しかし、すべてのことが徳を高めるとは限らないのですね。

 もし、私たちが、「これをしないではいられない」のであれば、その人は自由な人ではなく、そのしないではいられないことの奴隷なのだそうです。

私たちが自由であるなら、「有益」なこと、「徳を高める」ことだけをすることができ、
「自分の利益を求めないで、他人の利益を心がける」こともできるのだそうです(Ⅰコリント10:23~31)。

 キリストは、自由を得させるために私たちを解放してくださったのだそうです(ガラテヤ5:1)。

イエスの十字架刑での処刑を、「生まれた時からの霊」という自分自身の処刑としていただき、
3日目に墓より、新しい霊のからだに復活し、天の父である神の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる「聖である霊」と呼ばれる方を受け入れ、
この方によって、「父である神」が私たちひとりひとりに思っていてくださる御思いを心に書き付けていただき、
その御思いによって生きる者は、
キリストの自由をいただき、自由人とて、軽やかに生きるのだそうです。
今日も。
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