朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

義の太陽が昇るのだそうですね。いやす力がある。

2015-12-30 22:55:33 | 聖書から
わが名を畏れ敬うあなたたちには、

  義の太陽が昇る。

 その翼にはいやす力がある。マラキ書3:20



御国が来ますように。

 御心が行われますように、

  天におけるよう地の上にも。マタイ6:10



        (ローズンゲン日々の聖句12/31 ;木)



 私たちは思うのですね。

「神に仕えるのはむなしいことだ。

神の戒めを守っても、

万軍の主の前で悲しんで歩いても、

何の益になろう。

今、私たちは、

高ぶる者をしあわせ者と言おう。

悪を行って栄え、

神を試みても罰を免れる」と(マラキ3:14~15)。



 神が、我々の行いに応じて裁きをなさるなどということはない。

この世界は、このまま、いつまでも続く。

善いことを行っても、悪いことを行っても、

何の違いがあるのか、と。



 しかし、天の神、主は言われるのですね。

「見よ。その日が来る。

かまどのように燃えながら。

その日、すべて高ぶる者、

すべて悪を行う者は、わらとなる。

来ようとしているその日は、彼らを焼きつくし、

根も枝も残さない」(マラキ4:1新改訳)と。



 「あなたがたは再び、正しい人と悪者、

神に仕える者と仕えない者との違いを

見るようになる」(マラキ3:18)と。

 

 私たちは、「われわれのひとりのように」(創世記3:22)ではなく、

「われわれのかたちとして、われわれに似せて」(創世記1:26)、

造られた者であることを認めて、

私たちに代わって十字架刑で処刑され、

死んで葬られ、三日目に墓より復活し、

天の父である神と呼ばれる方の右の座に帰られたイエスが派遣してくださる、

「聖である霊」と呼ばれる方をお迎えし、

この方によって、父である神と呼ばれる方の、

私たち一人一人に関わる御思いを、

それぞれの心に書き付けていただいて(エゼキエル36:26~28)、

その書き付けられた御思いについて行くとき(ガラテヤ5:25)、

私たちは、父である神が、そして、御子である神イエスが、

私たち一人一人をとおしてしようとしているわざを行う者にして頂け(ヨハネ14:12)、

天の神、主の統治をこの世にもたらす者ともしていただき、

御心が地の上に行われるために用いていただけるのだそうです。



 そして、イエスが2度目に来られる時、

「われわれのかたちとして、われわれに似せた」者として、

天の神、主と思いを一つにし、心を一つにしている者、

御心を地に実行するために協力した者、

イエスの同労者との栄誉をいただくことになり、

幸いな者(ルカ12:38)となるのだそうですね。



 私たちの労苦が無駄になることはない、のだそうですから(Ⅰコリント15:58)。

今日も。












[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]









PVアクセスランキング にほんブログ村









[269RANKのランキングサイト]









"哲学・思想 ブログランキングへ"

御自身の身に負ってくださっているのだそうですね。病も罪も。あの方

2015-12-29 22:31:09 | 聖書から
主は打ち砕かれた心の人々を癒し、

  その傷を包んでくださる。詩編147:3




夕方になると、

  人々は悪霊に取りつかれた者を大勢連れて来た。

 イエスは言葉で悪霊を追い出し、病人を皆いやされた。マタイ8:16




       (ローズンゲン日々の聖句12/30;水)




 打ち砕かれた心の人々を癒し、包んでくださるとの預言のとおり、

イエスは、ことばで命じていやされたのだそうです。

イエスが命じると、そのとおりの事実が起こるのだそうですから。

神の御子の権威ある言葉に、悪霊も、病気も、自然界でさえも従うのだそうです。




それはまた、イエスが御自身に、

病を負い取ってくださったということでもあるようですね(マタイ8:17)。




「まことに、彼は私たちの病を負い、

私たちの痛みをになった。

だが、私たちは思った。

彼は罰せられ、神に打たれ、苦しめられたのだと。

しかし、彼は、

私たちのそむきの罪のために刺し通され、

私たちの咎のために砕かれた。

彼への懲らしめが私たちに平安をもたらし、

彼の打ち傷によって、私たちはいやされた。

私たちはみな、羊のようにさまよい、

おのおの、自分かってな道に向かって行った。

しかし、主は、私たちのすべての咎を

彼に負わせた(イザヤ53:4~6新改訳)。




のだそうですから。




 イエスは、心の打ち砕かれた心の人々を癒し、包んでくださるのですね。

今日も。


イメージ 1








[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]









<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/>









[269RANKのランキングサイト]









"哲学・思想 ブログランキングへ"




御心が天で成っているように、地にも成るように

2015-12-28 21:57:13 | 聖書から
神は時を移し、季節を変え、

 王を退け、王を立て、

  知者には知恵を、識者には知識を与えられる。ダニエ書2:21




無分別な者とならず、

  主の御心が何であるかを悟りなさい。エフェソ書5:17




      (ローズンゲン日々の聖句12/29;火)




 時代が移って行くのも、季節が巡り来るのも、

王が退けられ、新しい王が立てられるのも、

知者が知恵を得るのも、識者が知識を得るのも、

天の神、主によっていることのようですね。




 主は、自然界を造り、支え、保っておられる方。

この人間の歴史を導いておられる方。

神は死んだ、あるいは、神なんかいないとして、

人間が自分で存在できているかのように思うことは、

分別がない、愚かなことなのだそうです。




 私たち人間は、父である神と呼ばれる方、

御子である神と呼ばれる方、

聖である霊と呼ばれる方が、

互いに愛し合い尊敬し合っていて、

自由意思で、自発的に、

思いを一つにし、心をひとつにしていらっしゃる、

自由意思で、自発的に、

その一つの中に加わる者をと望まれて造られたのだそうです(創世記1:26)。




 それで、私たちは、天の神、主の御心を知り、一つ心になって、

その御心がこの地に、この世に実現するよう働くのが、

人間本来の、正しい生き方をのようです。




 私たちはその光栄ある生き方を与えていただけるのだそうです。

今日も。


イメージ 1














[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]









<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/>









[269RANKのランキングサイト]









"哲学・思想 ブログランキングへ"

記事のタイトルを入力してください(必須)

2015-12-27 23:17:30 | 聖書から
私たちの神、主に私たちは仕え、

  その声に聞き従います。ヨシュア記24:24




主に結ばれているならば(あるいは、主にあって) 

  自分たちの苦労が決して無駄にならないことを、

    あなたがたは知っているはずです。Ⅰコリント15:58




        (ローズンゲン日々の聖句12/28;月)




 主の御思いを我が思いとし、主と一つ心にしていただき、

あの方のしようと思われることをしていく者にしていただけるのだそうですね。

私たちも。

聖である霊と呼ばれる方におおっていただき、

その方の中に沈められ、漬け込まれている者は、

死に勝利し、変えられるのだそうですね。

終わりのラッパとともに、たちまち、一瞬のうちに、

死者は朽ちないものによみがえり、

その時生きている私たちは、変えられるのですね。

この肉の体から復活のからだ、霊のからだに。




 そして、主とともにいつまでもいることになるのだそうです。

だから、今の労苦が無駄になること、、まったくないのだそうです。




「ですから、わたしの愛する兄弟たち、堅く立って動かされることなく、

いつも主の業に励みなさい」(Ⅰコリント15;3~58)と。

今日も。


イメージ 1








[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]









<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/>









[269RANKのランキングサイト]






"哲学・思想 ブログランキングへ"

実を結ぶのだそうです。私たちの人生は。

2015-12-27 07:17:22 | 聖書から
ことばは肉となって、私たちの間に宿られた。

  私たちはその栄光を見た。ヨハネ1:14(12/27の週の聖句)




主はモーセに言われた。

「いったい、誰が人間に口を与えたのか。

  主なるわたしではないか。」出エジプト記4:11




あなたがたがわたしを選んだのではない。

  わたしがあなたがたを選んだ。

 あなたがたが出かけて行って実を結び、

   実が残るようにと。ヨハネ15:16




        (ローズンゲン日々の聖句12/27;日)




 私たちは、自分が自分の宗教を選んだと思っています。

 けれども、天の神、主は仰っておられるのでしょうね。

「誰が、あなたに口を与えたのか。

あなたが、しゃべれるようにしたのは誰なのか。

あなたが、考えることができるのは誰によるのか。

あなたが、今日、生きていくために必要なものを用意したのは誰なのか。

あなたは、自分でこれを得たとでも思っているのか。

わたしではないのか」と。




 父である神、聖である霊と呼ばれる方と共に、

天地、宇宙を創造された方、

この地球の自然環境を整えて、

私たちの住まいとして与えられた方、

私たち人間を造られた方、

御子である神と呼ばれ、

神の言(ことば)と呼ばれる方が人となって、

この私たち、人間の世に生れ、住んで下さったというのですね。




 この方が、私たち人間のすべての罪を背負って、

十字架刑での処刑を受けてくださり、

霊のからだに復活され、

天の父である神の右の座に帰られ、

今、私たち一人一人に聖である霊と呼ばれる方を派遣してくださるのだそうです。




 この方、聖である霊と呼ばれる方が私たち一人一人の心に、

父である神の私たち一人ひとりに関わる御思いを書き付けてくださるので、

私たちがこれを受け入れるなら、

私たちはこの方の御思いをこの世界にもたらすために、

それぞれの場に派遣される者としてくださるのだそうですね。




 私たちがこの方の御思いに従って出て行くときに、

私たち一人一人をとおして働いてくださる聖である霊の御業は、

残るのだそうですね。

「浪速のことは夢のまた夢」のようではなく、

この方との関係は、永遠の世界にまで続くのだそうですから。

今日も。


イメージ 1








[にほんブログ村 哲学・思想ブログ キリスト教へ]









<ahref="http://www.blogmura.com/point/00697809.html" ><imgsrc="http://blogparts.blogmura.com/parts_image/user/pv00697809.gif"alt="PVアクセスランキング にほんブログ村"/>









[269RANKのランキングサイト]






"哲学・思想 ブログランキングへ"