朝明けに

聖書のことばから、うれしい一日一日の糧を!

主の言葉を求め、受け入れ、ついて行ってみるといいのだそうですね。

2015-08-25 21:54:51 | 聖書から
まず主の言葉を求めてください。歴代誌下18:4

 良い土地にまかれたものとは、
御言葉を聞いて受け入れる人たちのことである。マルコ4:20
...
     (ローズンゲン日々の聖句8/26;水)
 
 ユダの王ヨシャパテに、イスラエルの王アハブが、一緒にラモテ・ギルアデに攻め上るよう誘ったとき、ヨシャパテ王はアハブ王に、天の神、主がどう思っておられるのか、主の言葉を求めるよう勧めたのだそうです。自分の理性を絶対化し、自分の判断だけで事を決めてしまわないで、天の神、主に聞く、心の低さがヨシャパテ王にはあったのでしょうね。

 イエスは、神の言葉が心に来たとき、これを受ける人間の心の状態に4種類あるとたとえで話されたのだそうですね。

①人に踏み固められた道ばたのような心の状態の人は、御言葉を聞いても、すぐサタンが持ち去ってしまうので、御言葉がとどまらないのだそうです。

②岩地のような心の状態の人は、御言葉を聞くと、すぐ喜んで受け入れるが、根を張らないので、ただしばらく続くだけで、御言葉のための困難や迫害が起こると、すぐにつまずいてしまうのだそうです。

③いばらのいっぱい生えているような心の状態の人は、世の心づかいや富の惑わし、その他いろいろな欲望が入り込んで、御言葉をふさぐので実を結ぶに至らないのだそうです。

④良い地の人とは、御言葉を聞いて受け入れる人のことで、そのような人は、30倍、60倍、100倍の実を結ぶのだそうです。

 自分の理性による判断は、それをそのまま、天の神、主に差し出し、見ていただきながら、聖である霊と呼ばれる方が心に置いて下さる御思いについて行ってみるといいのだそうですね。
今日も。


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良いもので飽き足らせようと思っていて下さるのだそうです。あの方。

2015-08-25 08:56:07 | 聖書から
主は彼の民に言った。
「見よ、
わたしは穀物とぶどうとオリーブをお前たちに送り、
飽き足らせよう。」ヨエル書2:19
...
 イエスは5つのパンと2匹の魚を取り、
天を仰いで賛美の祈りを唱え、
パンを裂いて弟子たちにお渡しになった。
弟子たちはそのパンを群衆に与えた。
すべての人が食べて満腹した。マタイ14:19~20 

      (ローズンゲン日々の聖句8/25;火)

 天の神、主は、夫を裏切り他の男に走った妻のように、ご自身から離れ、他の神々に走るご自分の民をなお愛し、干ばつで、日照りで、いなごの害をもって食物を打てば、あるいは心の向きを変えて帰って来ることもあろうかと、一縷の、一本の細い糸のような望みをかけておられたのだそうですが、民は、それでも、心の向きを変えようとも、帰って来ようともしなかったのだそうです。
 天の神、主は、そのようなご自分の民を、なお憐れみ、ご自分の側で民のそむきの償いを済ませ、打ち場を穀物で満たし、石がめを新しいぶどう酒と油で満たして、喜び楽しませるとおっしゃって下さっているのだそうです。

 イエスは、御自分の話を聞こうと、人里離れた寂しい所まで追いかけてきた多くの人たちを、夕方、空腹で、そのまま帰すのをかわいそうに思われて、少年が自分の弁当に持っていた5つのパンと2匹の魚で、成人の男だけでも5000人いた人々を満腹にして帰されたのだそうです。

 天の神、主は、私たちの宗教的なこと、霊的な、精神的なことだけを祝福するのではなく、豊かな食物をもって、経済的にも、身体の健康の事にも、人間関係にも、すべての面を祝福しようと準備して待ち構えていて下さる方なのだそうです。
今日も。


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世に来られ、受け入れる一人ひとりに来られるのだそうですね。この方。

2015-08-24 08:53:32 | 聖書から
主は聖なる御腕の力を、
国々の民の目にあらわされた。
地の果てまで、すべての人が、
私たちの神の救いを仰ぐ。イザヤ書52:10
...

 その光は、まことの光で、
世に来てすべての人を照らすのである。ヨハネ1:9

      (ローズンゲン日々の聖句8/24;月)

「良い知らせを伝える者の足は、
山々の上にあって、なんと美しいことよ。
平和を告げ知らせ、幸いな良い知らせを伝え、
救いを告げ知らせ、
『あなたの神が王となる』とシオンにいう者の足は。
聞け。あなたの見張り人たちが、
声を張り上げ、共に喜び歌っている。
彼らは、主がシオンに帰られるのを、まのあたりに見るからだ。
エルサレムの廃墟よ。共に大声をあげて喜び歌え。
主がその民を慰め、エルサレムを贖(あがな)われたから。
主はすべての国々の目の前に、聖なる御腕を現した。
地の果て果てもみな、私たちの神の救いを見る。」(イザヤ52:7~10新改訳)

「初めに、ことばがあった。
ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
この方は、初めに神とともにおられた。
すべてのものは、この方によって造られた。
造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
この方にいのちがあった。このいのちは人の光であった。
光はやみの中に輝いている。やみはこれに打ち勝たなかった。
~~~
すべての人を照らすそのまことの光が世に来ようとしていた。
この方はもとから世におられ、世はこの方によって造られたのに、世はこの方を知らなかった。
この方はご自分の国に来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった。
しかし、この方を受け入れた人々、すなわち、その名を信じた人々には、神の子どもとされる特権をお与えになった。
この人々は、血によってではなく、肉の欲求や人の意欲によってでもなく、ただ、神によって生まれたのである。
ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。
私たちはこの方の栄光を見た。
父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。
この方は恵みとまことに満ちておられた。」(ヨハネ1:1~14)

 紀元前700年頃、イザヤによって預言された、王として、すべての人の救い主として来られる方が、700年ほどの時を経て、貧しい一人の娘、ダビデ王の家系である処女マリヤを通して、ユダヤのベツレヘムの家畜小屋で、イエス(主は救い)という名をもって生まれられたというのですね。

 そして、「ダビデの子よ、私たちをあわれんでください」と叫ぶ二人の盲人の目にさわり「あなたがたの信じているとおりになるように」と言うと、ふたりの目が見えるようになり(マタイ9:27~34)、人を生かすことばを語り、エルサレム入城に際しては、軍馬に乗り、軍隊を従わせてではなく、ろばの子に乗り、貧しい人や子供たちに迎えられて入城されたのだそうです。
 人々は、キリストとして、ダビデ王の後継者として王となりローマ軍を打ち破ってダビデ王国の再現を期待していたのに、また、ユダヤの指導者たちはそれを阻止しようとして捕え、十字架刑で処刑したのに、その処刑が、私たち、すべての人間のそむきの罪を背負っての、私たちに代わっての処刑だったのだそうです。

 しかも、これは、天地が造られる前から、人間が創造される前から、天の神、主の御心にあったご計画で、このイエスの代理の処刑によって、「聖である霊」と呼ばれる方が、この方を受け入れる者、一人ひとりの内に来て下さることが可能になり、この方が私たち一人ひとりの心に、一人ひとりに関わる「天の父」と呼ばれる方の御思いを思いとして置いて下さるので、私たちは「天の父」と思いを一つにしながら生きていく生き方が始まるのだそうです(エゼキエル36:25~28、使徒2:1~4))。
あの時から、2000年を経たこの日本においても、私たちにも。
今日も。


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傷つき、折れかけている葦、くすぶり、消えかけている灯心のような私たちを

2015-08-23 08:29:51 | 聖書から
彼は傷ついた葦を折ることなく、
暗くなっていく灯心を消すこともない。イザヤ42:3(今週の聖句)

 彼は疲れた者に力を与え、
勢いを失っている者に大きな力を与えられる。イザヤ40:29
...

 それゆえ、私は弱さ、侮辱、窮乏、迫害、
そして行き詰りの状態にあっても、
キリストのために満足しています。
なぜなら、私は弱い時にこそ強いからです。Ⅱコリント12:10

      (ローズンゲン日々の聖句8/23;日)

 天の神、主は言われます。
「見よ、わたしのささえるわたしのしもべ、
わたしの心に喜ぶわたしが選んだ者。
わたしは彼の上にわたしの霊を授け、
彼は国々に公義をもたらす。
彼は叫ばず、声をあげず、ちまたにその声を聞かせない。
彼はいたんだ葦を折ることもなく、
くすぶる燈心を消すこともなく、
まことをもって公義をもたらす。
彼は衰えず、くじけない。
ついには、地に公義を打ち立てる。
島々も、その教えを待ち望む。」(イザヤ42:1~4新改訳)

「ヤコブよ。なぜ言うのか。
イスラエルよ。なぜ言い張るのか。
『私の道は主に隠れ、
私の正しい訴えは、私の神に見過ごしにされている』と。
あなたは知らないのか。聞いていないのか。
主は永遠の神、地の果てまで創造された方。
疲れることなく、たゆむことなく、その英知は測り知れない。
疲れた者には力を与え、精力のない者には活気をつける。
若者も疲れ、たゆみ、若い男もつまずき倒れる。
しかし、主を待ち望む者は新しく力を得、
鷲のように翼をかって上ることができる。
走ってもたゆまず、歩いても疲れない」(イザヤ40:27~31)と。

 この遣わされた方が、折れかけた葦、まさに今、消えかけ、暗くなり、くすぶっている灯心のような私たちをそのまま受け入れ、私たちのそむきの罪の責任のすべてを御自身に背負って下さって、ひと言の弁明も、抗議の声も上げないで、みずから、黙って十字架刑での処刑を受け切って下さったのだそうです。

 そして、この方に「私の霊を授け」と言われているのと同じように、今度は、私たちの内にも「聖である霊」と呼ばれる方を派遣して下さって、折れかけていた葦、消えかけている灯心のような私たちの心にも、ご自身の正義と公義の御思い、平和と憐れみの御思いを来させて下さるのだそうです。
「私の霊」と呼ばれる方、「聖である霊」と呼ばれる方が、この方を受け入れる、一人ひとりの内に来て働き、導いて下さるのだそうです。

 だから、私たち、この方をお迎えし、心に置いて下さる御思いについて行きさえすればいいのだそうですね。
自分で自分を、強く、元気に、良い者に、立派なものにしなくても。
傷つき、折れかけている葦、消えかけくすぶっている灯心のような私のまま、弱いままで。
自分で自分をなんとかしようと力を入れないで、弱いままで、力を抜いてこの方に身をゆだねていくなら、パウロのように、弱さ、侮辱、窮乏、迫害、行き詰りの状態にありながらも、この方の働きは、鷲が翼をかって上って行くように現れて下さるのだそうですね。
この新しい一週間も。


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幸いを与えようとしておられる恵み深い方に

2015-08-22 06:23:44 | 聖書から

主に望みをおき、
尋ね求める魂に、
主は幸いをお与えになる。哀歌3:25

 あなたがたは、
主が恵み深い方だということを味わいました。Ⅰペテロ2:3

      (ローズンゲン日々の聖句8/22;土)

「私たちが亡び失せなかったのは、主の恵みによる。
主のあわれみは尽きないからだ。
それは朝ごとに新しい。
『あなたの真実は力強い。
主こそ、私の受ける分です』と私のたましいは言う。
それゆえ、私は主を待ち望む。

主はいつくしみ深い。
主を待ち望む者、主を求めるたましいに。
主の救いを黙って待つのは良い。
人が、若い時に、くびきを負うのは良い。
それを負わされたなら、ひとり黙ってすわっているがよい。
口をちりにつけよ。もしや希望があるかもしれない。
自分を打つ者に頬を与え、十分そしりを受けよ。
主はいつまでも見放してはおられない。
たとい悩みを受けても、
主は、その豊かな恵みによって、憐れんでくださる。
主は人の子らを、ただ苦しめ悩まそうとは、思っておられない。」(哀歌3:22~33新改訳)

「人はみな草のようで、その栄は、みな草の花のようだ。
草はしおれ、花は散る。
しかし、主のことばは、とこしえに変わることがない。

主のもとに来なさい。
主は、人には捨てられたが、
神の目には、選ばれた、尊い、生ける石です。
彼に信頼する者は、
決して失望させられることがない。」(Ⅰペテロ1:24、2:4、6)

招いていて下さるのですね。
天の神、主の深い恵みを味わうようにと。
今日も。










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