沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

さすが神戸の皆さん

2011年03月20日 | 日々のこと
 1995年1月17日の阪神大震災に遭われた方が、震災を体験した者の立場から、今回の被災者を支援している。
 彼等らが送った物資の中に
○「油性マジック」:(自分の存在を示すため)
○「サランラップ」:(水が使えないので、皿の上にラップを敷いて使い捨てにする)

 他にも震災体験者ならではの、心遣いの品々が送られたようである。さらに

○発生時に必要な物(ミルク・・・他)
○10日後に必要な物(パーテーション:体育館などでの間仕切り・・・他   ボランティア:子どもの遊び相手・・・他)
○1カ月後に必要な物(ボランティア:引越しの手伝い・個別訪問・・・他)
○3ヶ月後に必要な物(ボランティア:引越しの手伝い・・・他)

 上記のように時系列に必要な物を書き記し(全部は書きとめられなかった)、「きめ細かな物資の援助とぬくもりの感じられる関わり方」で支援している。震災に遭われた神戸の皆さんが、誰よりも頼もしい支援者となっている。さすがです、神戸の皆さん、ありがとう。

 震災から10日経って、80歳の女性と孫16歳が救出された。うれしいニュースだ。
 
 昨日、宮崎へ帰る甥を那覇空港まで見送った。彼は24日に卒業すると東京での入社が待っている。社会人の一歩が未曾有の大震災という年になったが、彼の学んだ事は社会の役に立てることだろう、日本の復興にかかわる一人として頑張ってほしい。

 (写真は金武町の福花(ふっか):海はいつも優しい表情をしているとは限らないのだ、あんな怖い一面もあるのだと思い知らされた今回の震災だった)
コメント (2)
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原発どうなる?

2011年03月20日 | 日々のこと
 沖縄から東京への飛行機の直行便が就航するようになってから、東京へ進学就職する人は多い。九州の大学から東京の会社へ就職が決まった甥。地震の心配もあるが、原発がどうなるのかそっちの方から目が離せない。行かせていいものかどうか、親の心配は尽きない。関東にいる娘や息子親戚を持つ親なら誰でも。
 三月に入って息子に埼玉から封書が届き、なんでだろう?と問いただしたら、我が息子この四月から埼玉で仕事するから沖縄を出て行くそうである。えっ?!東京の大学を卒業して帰ってきたのだから、腰を落ち着けて勉強して仕事につけるようにと思っているのに。なんで?私は反対と言っったが聞く耳を持たない。しっかりもう大人なんだよと思いなおしたりもするが。は~~。
 親にとっては、子どもはいつまでも子ども。近くにいれば安心なのに。私も、かつて親の反対を押し切って上京した過去がある。誰に似たのか?親になって知る親心。
 そうこうしている間に大震災が起こった。関東方面から避難してくる人がいる、なのに・あなたはこれから向かうと言うの?。 どうなるのか、原発。どうか静まってくれと祈るのみ。

 (写真は今沖縄で咲き誇っているばら)

 三月も中旬になると言うのに沖縄は、例年にはない朝夕の寒さが続いている。

 まだ食料が届いていない所がある。毛布が届いてない所がある。原発事故で撤退して行った外国の救援隊。私達の頼みの綱は自国の自衛隊だけである。頑張ってほしいと切に祈るのみである。沖縄も被災者の受け入れを始めています。せっかく助かった命、頑張って下さい。

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