沖縄の日常

日々変わり行く沖縄と自然とつれづれなるままに

大震災をのりこえよう

2011年03月17日 | 日々のこと
 ある男性は「津波が来た」というので、避難するために玄関先で父と手をつないでいた。それが、あっという間に来た津波でつないでいた手は離れていた。その直前までの父の顔が浮かぶ。玄関の中にいた母の顔も浮かんでくる。
 やってあげたい事があった。もっといろいろな事をして上げたかった。旅行にも連れて行きたかったし、温泉にも、まだまだやってあげたいことがあった。

 「おにぎり一個とパン一個、それが今日の食事、辛い」
 「暖かいものが食べたい」「毛布一枚で三人」「暖房器具が何もない」「ガソリンが無いから病院にも行けない」[薬が無い」

 道路が壊滅したのだったら、ヘリでどうにか食料を落とすことは出来ないのかと、TVを見ていてやきもきする。
 
 家族を探して、避難所を回る人々を見ていると、まるで戦後のようだ。

 ある避難所で。「みんなで生きていけばいい」と言って、避難所にいる人々を積極的に助け合っている女子高校生。
「その姿に大人たちも勇気づけられて動いていると思う。」とある男性。
 女子高校生は「ない(なくなったもの)ものを考えると・・生きていくんだ、って頑張る、みんなと一緒に」と自分に言い聞かせるように。

 天災(地震、津波、台風)は、突然やってくる。そして人々の生活を一瞬のうちに奪って行ってしまう。一生懸命に生きていた人々から何もかもを奪い去って行く。
 
 それはいつ、誰がそういう目に遭うかわからない。だから、私は天災にあった人には、手厚い支援をして頂きたいと思う。親族やそれにまつわる一切の物を亡くした人は、心を病む人もいる。働きたくても働けない人も出てくるからだ。
 辛い思いをした人にこそ、暖かい支援保護が必要。仮設住宅を作ったからと終わりにしないでね。
 
 辛いことが多くて、暗くなりそうな避難所の中で、「みんなで頑張って行こう」という連帯感が生まれている。見ている私の方が励まされる。必ず東北地方は復興する。私は被災者のみなさんから学ぶ事が多い。

 関東地方の停電への協力、整然と列をなして電車やバスを待つ姿。日本も捨てたものではないぞ、と思う。

 震災に遭わなかった健康で、幸せな人は「がまんができる」。私は私にできる事(募金)で協力する。 

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