人は死を恐れる。
ブッダは死んだら肉体も精神もなくなる「涅槃・Nirvana」を説いたが、それでも人は死んでも精神は生きている、死後の世界を想像してしまう。
死んでも恨みがあるから幽霊・怨霊がいる。
墓にはかつて生きていた人が眠っている。
盆と正月にはあの世から現世に死者が帰ってくる。
天国と地獄は死んでも精神が生きている前提で成り立つ。
これらの想像が集まって、宗教となって集合知となった。
宗教は人の根源的不安に対する安心を得る欲求を満たすため、集団を支配する権力者に用いられる。
だから、宗教と政治は密接に絡み合う。
死を恐れるものの、死後の世界を想像しない動物には、宗教はない。
「無いものを想像できる」から、人は今まで存在しない新たなものを創り出すことができる。
異世界転生の物語が、小説マンガアニメで用いられる。
一般的なテンプレートは、一般企業に就職して毎日残業仕事をしていたが、ある日主にスマホを利用して前方不注意のトラックにはねられて、GMや女神などに、
「あなたは死にました。これから新たな能力とともに違う世界に転生してもらいます」
などと告げられて、RPGのような魔法やモンスターやエルフなどの存在する異世界で蘇る。
そして圧倒的なスキルで活躍する。
宗教における天国の想像世界に酷似している。
現実的に考えれば、現状に不満があるのなら、本来わざわざ死ぬ必要はない。
学校が嫌なら転校すれば良い。
会社が嫌なら転職すれば良い。
国家が嫌なら移住すれば良い。
組織が嫌なら抜ければ良い。
家族が嫌なら別れれば良い。
現状が不満なら、組織を変えるより、違う環境に自分を移し変えたほうが、圧倒的にエネルギーが少ない。
それができないのは、自信や能力が少なかったり、他人との和を重んじて遠慮があったり、他の世界を知らないため不安があるからなのだけれど。
自分が死ぬよりも、自分の生きる道を探したほうが、どう考えても生産的だと思う。
自分にそういった欲求があるが満たせない。
その不満が、異世界転生物語を生んで消費される現状なのだと考えている。
ちなみに日本以外の国は、国の外交施策によるものの、歩いて国境を越えれば違う国の文化圏に転生できるので、日本ほど異世界転生に憧れがないと考えられる。
つまり、わざわざ物語化するほどの特別性がない。
異世界転生は夢物語ではない。
どこでどんな文化でどんな人種で生まれたかなどは変えられる。
そう考えて、夢を夢で終わらせないように、地道に色々やっていますよ。