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競馬の記憶 第25回 エリモジョージ

2006-04-18 13:03:14 | 競馬(思い出)
44戦10勝。
掲示板を外す事、実に23回。
けっして「強い馬」と言う成績ではないが、GⅠを2勝しているのだから、まあ、名馬なのだろう(笑)。記録よりは、記憶に残る、強烈な個性の持ち主だった。

デビュー当初は、逃げて勝ち鞍を上乗せしてきて、シンザン記念にもかっているのだから、そこそこ、クラシック候補には上がっていたと思う。
が、しかし、
運の悪い事に同期には、あの快速逃げ馬のカブラヤオーがいたのだ。
とても敵わない!

シンザン記念では、2番手のレースだったようだが、それ以降は中団からのレース運びに作戦変更、皐月賞こそ3着と、好結果を残したが、その後のレースは、ダービーを含めて二桁着順・・・。

夏に球節を痛めて、翌年正月まで休養した。
復帰した2戦は、好位からの競馬だったが、結果が出ず、その後の大阪杯、鳴尾記念(当時3月)で、再び、逃げの戦法を取ると、共に3着に粘った。

そして迎えた天皇賞は、17頭中の12番人気。
不良馬場の中、大逃げを打った鞍乗の福永洋一騎手は、まんまと、ゴールまで逃げ延びたのだった。
ゴールでは、完全に脚が上がっていたので、本当にギリギリの勝利。
その時の実況は、杉本清氏だったが、ゴールの瞬間、絞り出すような声で「エリモジョージ・・・」とひと言。
2着ロングホークが首差まで迫っていたので、まさに息をつかせぬ逃亡劇だったわけだ(笑)。

しかし、その後、宝塚記念(7着)を挟んで、ダート1200M戦に使われるなど、今では考えられないローテーションで走り、60キロ、61キロのハンデを背負って、函館記念や、京都記念を勝つなど、実力を証明して見せてはいたが、やはり掲示板に載らないレースも続いた。

そして、放牧なども挟んだ6歳の春、
再び復活を遂げたエリモジョージは、京都記念、鳴尾記念、宝塚記念と鮮やかな逃げ切りで3連勝を飾るのであった。
宝塚記念では、前走天皇賞勝ちのグリーングラス(2着)を破ったのだから、当時の絶好調振りがうかがえる。

その後は、勝ち星に恵まれなく、7歳で引退した。
ずば抜けて強い馬ではないのだが、その存在は、レース展開を面白くしてくれて、穴党には、なくてはならない馬だったに違いない。

逃げ馬というのは、本当に厄介な存在であると、本命党(?)(笑)のオイラなどは、思ってしまうのです。
コメント
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