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韓-米FTA, このままではいけない理由

2011年11月30日 | 南域内情勢

 08:46

[寄稿] 韓-米FTA,このままではいけない理由/キム・ジョンチョル

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原文入力:2011/11/29 21:32(3669字)


このFTAは基本的にアメリカ的標準を強要する
アメリカは今、貧しい人々の地獄だ


←キム・ジョンチョル緑色評論発行人


開放化原則によって近い将来公的保険と相互扶助体系が
アメリカの保険会社らの利益のために解体を強要される可能性も大きい
内容をよく知っていながら押しつけたとすれば許しがたい重罪を犯したこと
知らなかったとすればその無知と蛮勇に驚かざるを得ない

今、日本では環太平洋経済パートナー協定(TPP)交渉参加問題を巡り論争が入り乱れている。この協定はもし日本が参加することになるならば事実上、米-日自由貿易協定(FTA)になる可能性が大きい通商条約だ。したがって彼らには韓-米自由貿易協定が良い参照事例になることが明らかだ。韓-米協定の具体的な内容を見れば日本が米国との交渉で何を得て何を失うのかを予想することができるためだ。


ところで少なくない論者は韓-米自由貿易協定を根拠に、日本が環太平洋経済パートナー協定に参加することは亡国の道に進むことだと断言している。代表的な論客は通商官僚出身で現在は京都大学経済学部教授の中野剛志だ。彼の論点は明快だ。 韓-米自由貿易協定は米国に一方的な利益を与えるだけで、韓国には‘極度に不利な’通商条約になってしまったということだ。彼は韓国産工業製品に対する米国側の関税はすでに十分に低く、したがって韓-米自由貿易協定を通じた関税撤廃が韓国側にあたえる利益は事実上無意味なことを指摘すしている。このように無意味な関税撤廃の代価として韓国が得たものは何か。韓国大統領が米国に国賓として招待され、盛大な歓迎を受けたこと以外には何もないというのが中野教授の結論だ。


しかし韓-米自由貿易協定が本当に恐ろしいのは、それが単純な貿易自由化協定ではないという点のためだ。この通商条約は基本的に‘アメリカ的標準’を強要することによって韓国社会固有の価値と風習と制度、憲法的価値を根源的に押しつぶす可能性が非常に高い。今、政府と御用言論は‘怪談’として片付けているが、今日の米国社会は貧しい人々の地獄だ。例えば、高い民間医療保険に加入できない4500万人の中には基本的歯科治療も受けることができず、家でペンチで傷んだ歯を自分の手で抜かなければならない人も珍しくない。これが超強大国 米国の現実だ。


その上、韓-米自由貿易協定が規定した市場開放化原則により、近い将来 韓国の公的保険と相互扶助体系が米国保険会社らの利益のために解体を強要される可能性も大きい。金融、法務、特許、会計、電力、ガス、水道、宅配、電気通信、建設、流通、高等教育、医療機器、航空輸送など多様な分野も将来が不安なのは同じだ。本来、韓国政府が韓-米自由貿易協定交渉を開始する時、前面に掲げた主要名分は米国式‘先進’制度を導入することによりサービス産業の競争力を高めるということだった。しかし現実的に米国に対しほとんど大部分が相対的に劣位にある韓国のサービス産業は全面的崩壊という残酷な事態に直面するかも知れない。


最も理解しがたいのは‘投資家-国家訴訟制’条項の受け入れだ。これは投資家の利益のために自国の公共秩序と社会的弱者および自然環境を保護しなければならない国家の主権行使を根源的に無力化させかねない致命的な規定だ。韓国政府はこれを米国に進出する韓国企業のためにも必要な規定だと強弁してきた。しかし米国は‘韓-米自由貿易協定履行法’により自身の主権行使を侵害するいかなる規定も不法だと宣言した。したがって論理的に見る時、この投資家-国家訴訟制は事実上韓国にのみ適用される条項といえる。国会議員らの中でこの問題を把握した人がいたのだろうか?


私は‘国益’という言葉は好きでないが、韓国の政官界上層部と既得権勢力が果たして‘国益’が何かを判断する能力を持っているのか非常に疑わしい。もし彼らが条約の内容をよく分かっていながら韓-米自由貿易協定を押しつけたとすれば許されざる重罪を犯したことであり、知らなかったとすればその無知と蛮勇は実に驚くばかりである。しかし、考えてみれば‘国益’というものはむなしい言葉に過ぎないのかもしれない。この条約を押しつけた人々が実際に念頭に置いたことは韓-米どちらも大多数の民衆の利益ではなかった筈だからだ。


本来、人類社会で貿易は互恵的交換のためのものだった。だが、コロンブスの航海以後、近現代史で貿易とは主に強者が弱者を収奪するための強力な手段として機能してきた。今、米国経済は風前の灯火だ。これは大量失業、両極化、貧困、人権無視を構造的に強要する新自由主義政策路線に起因したものだ。 したがって1%に集中した富を99%が等しく享有できる、すなわちより一層正しく人間的な社会を指向するための根本的転換がない限り米国の未来はないと言える。 それでも米国政府は米国自身は徹底的に例外にしながら他国に対し完全開放を強要する‘自由’貿易の拡大を通じて活路を見出す旧態依然な方法に固執している。

韓国では別に知らされなかったが記憶しなければならないことがある。それは去る10月‘韓-米自由貿易協定履行法’が米国議会を通過する時、民主党議員は賛成57人、反対130人で、大多数が反対票を投じたという事実だ。これは民主党が比較的庶民層を代弁しているという点を考慮すれば重要な意味を持つ。 すなわち、それは米国でも韓-米自由貿易協定が国民経済全体よりも特権的なごく少数の利益のためのものという認識が広範囲に存在するという証拠である。 実際に今最も心配なことは、韓-米自由貿易協定を通じてすでに絶望の中で苦しんでいる韓国の農業が事実上ケリがつくかも知れないという事実だが、かと言って米国の本当の農民である家族農が恩恵を得る可能性があるわけでもない。利益を得るのは今までそうだったように莫大な政府補助金を受け取っている米国の企業型大農、畜産業者、メジャー穀物会社だけのことだ。言い換えれば、米国でも韓国でも従来の不公正な社会構造が少しも変わることがないということだ。


自由貿易協定を新しい経済成長の動力とするという人々が見過ごしている重大な問題がある。それは今や世界が石油および資源枯渇、エネルギー危機、気候変化、環境破壊によって事実上 経済成長が不可能な時代に入り込んだという厳然たる現実だ。‘バルチック海運指数’というものがある。これは石炭、石油、鉱石、穀物などを大量に運ぶ外航貨物船の雇用状況を知らせる世界的統計数値だが、数年後の貿易と世界経済がどうなるのかを知らせる指標だ。 この指数は2008年に90%も急減し、その後しばらく回復した後、再び沈滞を記録している。


特に今後の世界経済状況に及ぼす決定的な要因は原油の供給問題だ。永くピークオイル(原油増産限界点)問題を無視してきた国際エネルギー機構(IEA)もついに2010年10月報告書で世界の原油生産が2006年に頂点を通りすぎたことを認めた。現代産業社会は去る半世紀の間、一言で言って価格の安い原油に依存して成長してきたといっても過言ではない。もうそういう価格の安い原油時代は過ぎ去ったとすれば、もはや従来のような成長は不可能だということは確実だ。


この間、農作業さえも大部分が石油に依存した生活方式は今、画期的な方向転換をしなくてはいけない時点に達した。ソ連と東ヨーロッパ社会主義圏が崩壊した直後、石油供給が中断されたことにより一時的に社会全体が機能マヒ状態に陥り、ついにみじめな大量飢餓状態に直面した北韓の状況はこのまま行けば近い将来に石油依存社会全体がやむをえず直面する状況といえる。ほとんど大部分の産業が価格の安い石油に依存しているだけでなく、エネルギー浪費および環境破壊的生活方式に深く中毒している韓国社会がその状況で例外になることができるだろうか? この厳粛な展望に照らしてみる時、韓-米自由貿易協定は実に時代錯誤的な生存戦略といわざるをえない。ピークオイルと資源-エネルギー-環境危機という死活的な要因を考慮せずに‘進歩’を試みることは妄想にすぎない。今ますます世の中で重要なことは自立的な食糧-エネルギー生産能力であることは自明だ。そのような意味で長期的な活路は農業中心の自給的・協同的地域共同体の再建にあるということは長く語る必要がない。輸出だけが生きる道という迷妄に捕われ唯一持続可能な暮らしの源泉である農作業を継続的に見下すならば、その究極的な結果は耐えがたい悲劇であろう。韓-米自由貿易協定は廃棄しなければならない。 キム・ジョンチョル緑色評論発行人


原文: http://www.hani.co.kr/arti/economy/economy_general/507806.html 訳J.S


<コラム> 韓米FTA全面破棄, 進歩的政権交替を!

2011年11月29日 | 南域内情勢

★予定された29日、MBは正確にこの日批准書にサインした。うっすらと笑みさえ浮かべながら…。 1905年ウルサ保護条約、1965年日韓条約、そして2011年の韓米FTA条約…。 堪らない心境で、ただ手をこまねいて事態の成り行きだけを見ている。

この日統一ニュースは、以下のコラムを掲載した。 途中省略したが、今も寒空の下チョップルを掲げる南の同胞と共にしたい気持ちで、転載する。 N


                        <コラム>
                        韓米FTA全面破棄,進歩的政権交替

                                       チョン・ソンヒ民主労働党最高委員

                                   2011年11月29日(火)tongil@tongilnews.com


2011年11月22日午後4時頃, たった4分で奇襲的に強行採決させた約1,800枚の膨大な韓米FTA批准同意案を見よ.

これは韓米自由貿易協定文書でなく、韓米経済併合文書だ。 自由貿易の名の下に、我が国の法と制度を米国式に従わせる協定だ。

韓国の国内法より韓米自由貿易協定が優位になり、米国の法に外れる場合、韓米自由貿易協定の条項は無効’という条項が入っている。 1%ウォール街投機資本の利潤極大化のために、米国一州の条例・法律が、韓国憲法の上に君臨することになった。

経済主権を米国に渡した韓国が、米国の52番目の州に編入されたのだ。

いくつかの問題点

▲‘投資家-国家訴訟制度’(ISD)

公益事業や国家基幹産業の公共性を越え、米国系国際投機資本の天国に作るだろう。以下略

 
▲農水畜産物

▲医療民営化

病院費で国民健康権を守ることもできなくなる。 米国資本投資の営利病院が許されれば、医療費・医薬品などの引き上げ、副作用も懸念される。

▲知的財産権保護

ダウンロードを許容するインターネット サイトは最初から閉鎖される。 国民の情報通信費負担も増えるだろう。 これも米国には適用されないで韓国にだけ適用される世界最初の害をもたらす条項だ。

▲概して、労働者は民営化と整理解雇で、農民は農畜産物開放で、零細商人は大型割引マートで、国民皆は公共料金引上げと公共性弱化でより一層生きるのが難しくなることになった。



それでもMB売国政権は経済領土拡張、自動車輸出によって働き口が増えると宣伝する。

 すでに米国輸出物量の半分は現地工場で生産、特に韓国自動車関税4年猶予というイ・ミョンバク政権の追加譲歩交渉で米国市場輸出効果、働き口創出効果はほとんど消えた。

 繊維.履き物.靴下など韓米FTAで最も大きな恩恵のあるといわれる業種さえ、関税引き下げ効果だけで中国、東南アジアの低価格製品と価格競争で勝つことはできないという。

●イ・ミョンバク大統領は実兄の証言のように
‘骨の髄まで親米’根性で国の経済をまるごと米国の1%ウォール街国際投機資本に捧げてしまった。

 
●MBは、南と北皆の生存権と自主権を保障し7千万民族皆の平和繁栄を約束する10.4首脳宣言の実行はさておき、進行中の南北経済協力さえ遮っている。

2008年~10年、イ・ミョンバク政権3年の間南北関係梗塞による経済的損失は莫大だ。

金剛山-開城観光事業、開城工業団地事業の売上額と投資萎縮効果、南北交易支障と5.24措置による韓国航空機迂回運航にともなう燃料費損失など、南北経済協力の商業的取り引きだけを対象に推定しても南側が45.9億ドルの損害をこうむった。
 これに加えて93.8億ドルの生産誘発効果、8.7万人の雇用誘発効果に支障をきたした。(ホン・スンジク現代経済研究院首席研究委員の<南北梗塞の経済的損失推定>で)

▲2011年11月29日、
独占規制.公正取り引き法、薬事法など韓米FTA発効のための14個付随法案が閣僚会議に提出される。 ここで通過すれば大統領署名を経て法制処に送られ続きを踏むことになる。

 韓米FTA発効のための付随法案はすでに公布された9個を含んで総23個だ。 以後韓米FTA協定文により両国政府の発効準備完了を確認する履行協議が進行される。
政府は来年1月1日から韓米FTAが発効されるようにすると明らかにした。

今後どうなるのだろうか?

 

▲アピール

韓米FTA批准無効、全面廃棄、MB退陣、ハンナラ党解体のための汎国民運動をより一層活性化しよう!

民衆の力で、2012年4月総選挙でハンナラ党を審判して韓米FTA全面破棄を決議しよう!

 12月大統領選挙でハンナラ党再執権を阻止し進歩的政権交替を実現して、韓米FTA全面破棄を内外に宣言しよう!

万一、我が国の韓米FTA一方的破棄に対して米国が経済制裁で対応するならば、
全民族の団結と進歩的国際連帯で克服していこう!

 韓米FTAという韓米経済併合の代りに6.15,10.4宣言を全面履行し、西海平和特別地帯設置を含んだ民族経済の均衡発展と互恵平等の国際経済関係を築き、世界的経済危機を勝ち抜こう!

 


警察封鎖突破、3千余'批准無効'ロウソクを灯すー野5党演説会

2011年11月27日 | 南域内情勢

★FTAの実態、正直ぼくもまだ全貌は掴めていない。それでも明らかになり始めたいくつかの問題点だけを知るだけでも、怒りと憂慮がこみ上げてくる。MBは“良いことは反対があっても行うべき、4大河川もFTAも…”と嘯いているが、果たして各地で灯り始めたろうそくの火・民心にどう対処するのであろうか?N

                     警察封鎖突破、3千余'批准無効'ロウソクを灯す

                     野5党演説会ー"申し訳ない..FTA無効に結集しよう"

                  2011年11月26日(土)イ・グァンギル記者gklee68@tongilnews.com


26日午後6時、ソウル広場のろうそく集会は警察の'不許可'で失敗に終わった。

 これに、民主党と民主労働党をはじめとする野5党と韓.米FTA阻止汎国民運動本部側は光化門広場に場所を移し開催を目指した。

100個中隊を投じた警察は、この封鎖のために世宗文化会館前にMB山城を築いた。

警察は'解散命令'を連発、相次ぐ警告放送を出し、大統領府へ向かう街角防御に注力したが、積極的な鎮圧に出ることはなかった。

そして野5党演説会が始まった。以下略

この日集会には10代と20代など若い層の参加が目についた。
彼らはスマートフォンとカメラ、小型ノートブックなどを利用して、警察の封鎖状況とろうそく集会現況をリアルタイムでアップしていた。

●ハプニング?

ー最初に立った民主党ソン八ッキュ代表に、辞任しろ!との野次が飛んだ。

ー国民参与党は/参加政府(ノムヒョン政権)のツケを清算するためにも頑張る、と

  ※FTA交渉始めたのはノムヒョン、批准まで一挙に仕上げたMBとどこが違うのか。考えてみよう!

 


コラムー水曜デモ1000回、壁にぶつかり続け希望を拓く

2011年11月26日 | 韓日関係関連消息

★統一ニュースに韓国挺身隊問題対策協議会常任代表ユン・ミヒャンさんのコラムが載った。出だしの部分だけ紹介する。大阪の西村さんなど、多くの方々に支えられ、水曜デモが1000回を迎える。その先頭にはいつもコラム氏がいた。N

 

              コラムー
              水曜デモ1000回、壁にぶつかり続け希望を拓く

                            韓国挺身隊問題対策協議会常任代表
                                         ユン・ミヒャン

                            2011年11月25日(金)tongil@tongilnews.com


1992年1月8日水曜日、当時宮沢総理が訪韓した。
キム・ハクスンハルモニが生存者であることを告発、日本の裁判所に訴訟し、日本軍‘慰安婦’問題が韓国と日本、国際世論に徐々に広がり始めた。 日本と米国で‘慰安婦’関連軍文書が発見され、日本軍の介入を否認した日本政府に対して批判の声が上がりはじめた。

女性たちが日本大使館の前に集まった。
日本軍‘慰安婦’問題解決のためのデモを水曜日ごとに継続することに決議した後の、行動初日だった。そして 2回、3回、4回... 水曜日ごとにデモは続いた。

 人々の関心は少なかった。 女性団体らも毎週水曜日ごとに日本大使館前に出てくるには、仕事が多く忙しかったから…。

しかし女性団体が出てこれない日には、被害者らによってずっと続いた。
ハルモニたちは孤独だった。 被害をこうむった当事者が、問題解決を要求し、連帯を懇請しなければならない状況であった。
心無い冷たい視線もあった。そのような恥を、何も騒ぐことない、と。

 ハルモニ達は、はかり知れない孤独と羞恥心を隠すために、顔を帽子の中に深く隠し、大き目のサングラスで顔を覆ったこともあった。

100回目の水曜デモの日も、寒い冬だった。 身を切るような風、零下の天気、1993年12月22日だった。
 日本大使館の前は人々と警察らで混みあう中、100回目の水曜デモは進行された。 デモを始めて2年が経っていた。 変わらない日本政府を糾弾し、ハルモニ達は白い韓服を着て号泣した。

そして来る2011年12月14日、いつしか1000回目の水曜デモを迎える。

 


アゴラ日記-すごく寒い 放水銃は撃たないで 

2011年11月24日 | 南北鐵道関連消息

★書込み専門サイトに載った記事。デモ隊を見て、思わず書き込んだのであろう。

KBSには出ない生々しい動画が、インターネット上で簡単に検索できる。デモ隊の先頭で放水銃をまともに受け立ち続ける男性が映っていた。N

 

 

アゴラ日記- すごく寒い 放水銃は撃たないで [1419]

 

ハンナラ党の韓米FTA抜打ち批准で政局は凍りついた。天気まで零下に落ち、心理的にはさらに寒い今日この頃…。

 

FTA無効とデモが続いているが、警官隊はデモ隊列に向かって放水銃を撃っている。水に当たった人々は、寒さとともに全身が凍りついてしまう。

 

もう季節は冬、 庶民はこの寒い冬をむかえて戦わなければならない。 その冬に勝って春を待たなければならないのだ。今私たちの経済状況は…。 どれ一つ良い指標がない。 すべての経済環境が冬の寒さのようだ。

 

いくら服を厚く着込んでも体にしみ込む経済寒波は耐え難い。 こういう状況でFTA職権上程した与党の姿から、庶民が感じる体感温度はより厳しく冷え込む。それでもこれが国益という。

庶民の生きる場所を奪って作られる国益とは、一体どのようなものなのか。

どうかお願いだ。寒い日に韓米FTA反対デモする人々に、どうか放水銃は撃たないで欲しい。

 

2011年11月24日

 


民族の未来・ 朝鮮族出身ソウル大教授の3代

2011年11月24日 | 東北アジアの平和

[朝鮮族大移住100年]<2部>④民族の未来 朝鮮族出身ソウル大教授の3代

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23cho1原文入力:2011/11/22 20:48(4541字)


←ソウル大 初の朝鮮族出身 カン・グァンムン教授


カン・グァンムン(38・写真)教授はソウル大 初の朝鮮族出身教授だ。慶北(キョンブク)に根を置いた彼の先祖は日帝時に中国、遼寧省に渡り吉林省鷹河口に定着した。 民族学校に通った彼は中国の名門 北京法大を卒業し、日本に渡り東京大学で修・博士学位を受けた後、今年初めソウル大法大教授として任用された。 彼が経た東アジア3国は今日の朝鮮族を鋳造した。彼が考える朝鮮族の未来を‘1人称’話法で再構成した。

23cho0ディアスポラの夢‘超国籍民族共同体’


地図を広げて指先に辿ってみる。慶北霊泉(ヨンチョン)、大邱(テグ)、ソウルをすぎて平壌(ピョンヤン)へ、新義州(シンウィジュ)を経て中国、瀋陽まで。 なぞっていく指でさえめまいがする。その遠い道をどうやって来たのだろうか。「汽車に乗ってきただろう。」祖母はそう答えた。大人たちに手に引かれて満州へ向かった12才の少女は車窓の故国の風景の代わりに巨大な汽車にだけが心に残っただろう。


少女は満州で娘に育ち同族の男性と結婚した。食べ物が無尽蔵だと聞いて故郷を後にしたが、夫婦の暮らしはとても厳しかった。吉林省と遼寧省の広い土地を移動しながらいつも新たに畑を耕した。「手を動かさなくては何も得ることができなかった」祖母は私に話した。「学ぶことが最も重要で。」祖父も私に話した。地べたに這いつくばるようにして生きてきた彼らは私に土地を離れるように言った。土地の束縛から抜け出しなさいと。


私は汽車に乗り故郷を離れた。北京大で法学を勉強した。日本の東京大で修・博士学位を受けた。 去る3月ソウル大法大教授として任用された。 瀋陽、北京、東京を経てソウルまで。 遠いその道程で私はどこにも属しなかったがすべての所に属した。私は緊張し葛藤する東北アジアで一生を流浪して代を引き継ぎ漂った。民族・国家の境界を行き来しながら民族・国家の束縛に対する思いが深まった。


もし生きておられれば祖母はこう言っただろう。「私たちの孫、立派だね。」 2005年1月10日午後8時41分、祖母は最期の息をひきとった。吉林省の兄弟が東京の私に電話で便りを伝えた。私は号泣した。 祖母が故国を離れその孫が故国に帰ってくるまで70年余りかかった。帰ってきて座っているとその時期が深く胸にしみる。


私、カン・グァンムンはソウル大初の朝鮮族教授だ。
慶北出身の祖父母は日帝時に中国、吉林省に渡り歴史の荒波の中で民族教育をした。


祖母の故郷は慶北霊泉、祖父の故郷は慶北安東(アンドン)だ。異郷万里にきても朝鮮族は血のルーツを探して百年佳約を結んだ。慶北出身の夫婦は八人の子供をもうけた。彼らはそれぞれ別の村で生まれた。 私の父その兄弟の故郷はすべて違う。 それは大騒ぎの歳月だった。


1950年代‘大躍進運動’とその後に続いた大飢饉、60年代の‘文化革命’に至るまで祖父と祖母は生き残るために繰り返し土地を移動した。 その時期を体験した朝鮮族は往事を口にしない。 直接体験しなければとうてい共感できないものがあることだ。 祖父は孫の私に過去の代わりに未来を語った。 学んで身につけることがどれほど重要なことかを説教した声が今も耳に残っている。 安定した土地で孫が暮らせることを祖父は切実に期待した。
若かりし頃、祖父は国民党と相対して戦った‘中国解放戦争’に参加した。後に中国共産党にも加入した。 理念が先であり、民族はたいしたことでなかった。それが全てではないということを祖父は文化革命の時に知ることになった。 中国政府は北韓・南韓とは異なる‘中国人朝鮮族’のアイデンティティを祖父に付与した。 民族意識が強かった数多くの朝鮮族が共産党から‘闘争’(公開批判)を受けた。地方末端公務員だった母方の祖父も闘争の威嚇を避け遠く黒龍江省に引っ越した。「私たちの祖国は中華人民共和国だ。」朝鮮族学生たちが勉強する中国語教材の冒頭に今も記されている。


祖母は中国を祖国だとは考えなかった。それでも中国に感泣した。「よその国に来てこのくらい豊かに暮らせるんだな。」 祖母は感激まじりの声で話したりした。建国直後の中国は朝鮮族全員に土地を分けてくれた。日帝・漢族土匪・国民党、さらには朝鮮の地主らもそのようにはできなかった。 後に土地を国有化したが、80年代以後には再び土地を分配した。中国は‘よその国’だが故郷を離れた異民族に生きる道を開いてくれた‘有難い国’でもあった。 朝鮮族が中国が好きなのは理念ではなく土地に対する感謝だ。そのような理由を理解していない一部の韓国人は朝鮮族を共産党側だと追い詰める。歴史を知らぬが故にむやみに悪口が出てくるということだ。


祖父・祖母世代は中国政府が提供した土地を基盤に民族教育を始めた。朝鮮族は漢族よりさらに熱心に耕し、さらに多くの収穫を上げた。その金で延辺(ヨンビョン)大学を作り、ハングルで書かれた民族新聞を発行した。日帝強制占領期に国外へ移住したのは米国・日本の同胞も同じだったが、自治・教育・言論であまねく民族共同体を作ったのは朝鮮族だけだ。


23cho2←‘複合的コリア共同体’を形成し朝鮮族を通じて我が民族が国境・国籍を越えて東北アジアの中心になることができると信じる。


私は高い教育熱のおかげで北京大を卒業し東京大で博士学位を受け韓国にきた。
70年ぶりに祖父母が離れた故国に帰ってきたのだ。


私はその熱気の中で育った。吉林省梅河口(メハグ)朝鮮族第11中学校時期、先生たちの関心事はひたすら勉強であった。 私たちは反復される試験に夢中になった。先生は‘競争の冷酷さ’、‘人生の失敗’を挙論して幼い私たちを急き立てた。すでにその時から私たちは漢族と妙な競争を行なっていた。私たちは彼らより、さらにできなければならなかった。 すべての民族学教はどの漢族学校より教育熱が高かった。


私たちは韓国語・中国語・日本語を全て習った。偏らずにすべての言語を習得するまで先生は苛酷なほどに私たちを圧迫した。彼らは私たちが特定言語に限定されて育つことを願わなかった。全く新しい生活を送らなければならない幼い朝鮮族の運命を彼らは予感したのだろう。 朝鮮族はいかなる為替危機にも屈しない。 私たちの祖父がそうしたように私たちも迫り来る時期を勝ち抜かなければならなかった。 私たちの‘超国籍アイデンティティ’はとうとうたる‘民族的自負心’の上に形成された。


東北アジアで一生を流浪し代を引き継いで漂った。

朝鮮族は100年間に進行された民族分散を今や新しい共同体に進化させたい。


入試地獄に耐え抜いた私は北京大法科大学に入学した。その時初めて私は東北に集団居住していた朝鮮族の限界を見た。朝鮮族の大学生は概して無知だった。ただ大学入学が目的だっただけで、大学で何をどのようにするのか悩んでみたことがなかった。それは私たちと私たちの両親の水準を越える質問だった。 世界は東北はもちろん中国より広かった。


その頃、故郷では異常事態が始まった。民族学校は予想できなかった方式で早く壊れた。学生が不足し門を閉める学校が出てきた。 生き残った学校の地位と水準も急激に墜落した。 朝鮮族が新たに進出した大都市には民族学教がなかったり、あっても私立学校だけだった。 公立民族学校とは比較にならないほど劣悪な環境だった。


民族アイデンティティに対する懐疑も大きくなった。この頃、若い朝鮮族の両親たちは中国主流社会で豊かに暮らすことを目標にしている。何のために朝鮮族アイデンティティに固執するのかという考えが広まっている。それは民族に対する離反ではなく主流に対する劣等感だ。朝鮮族は中国現代史のすべての局面ごとにとりわけ積極的に参加した。母方の祖父は抗日戦争に参加したし、祖父は国共内戦に加担し、従祖父は韓国戦争の戦線に出て行った。さらに産児制限まで朝鮮族は漢族より熱誠的に参加し朝鮮族の人口自体が減った。その土台には中国内少数民族の劣等感がある。少数は変化に敏感だ。そうでなければ絶滅するからだ。


今の朝鮮族の若い両親たちは劣等感から子供たちを解放させようとしている。中国の少数民族に留まらず世界の舞台で自由に能力を発揮する夢を見ている。中国はその舞台に向かう土台となる。中国の地位が高まっている。世界的水準の大きな変化を全身で乗り切ってきた朝鮮族にとって‘G2時代’はただ事ではない。


‘複合的コリア共同体’を形成し
朝鮮族を通じて我が民族が国境・国籍を越え
東北アジアの中心になることができると信じる。


朝鮮族大移住のために中国東北地域の朝鮮族民族共同体が急激に流失している。 その結果、先祖が切り開いた東北3省の根拠地を失いかねず、朝鮮族自体が消える恐れもある。ただしそれを肯定のエネルギーに変える機会が残っている。 朝鮮族が世界各地に進出し小さいながらも新しい民族共同体を作り、緩いが地球的なきずな関係を作ることができないだろうか。


それは去る100年余りの間に進行された韓民族の分散を巨大で新しい共同体に進化させることでもある。中国居住韓国人は80万~90万人だ。日本にも在日同胞社会がある。 移住朝鮮族が韓国人・在日同胞などと交流し‘複合的コリア共同体’を形成することができる。 その夢は南北問題にまでつながる。北韓が門戸を開ければ吉林省延辺に韓国人と北韓人が集まるだろう。若い朝鮮族らも中国東北地域に再び集まるだろう。 延辺は中国沿海・内陸大都市を追い抜く東北アジアの中心都市になるだろう。


朝鮮族は国境・国籍に規定される近代国家のアイデンティティを根本的に揺さぶる。 国籍がなぜ当然のことなのかという問いを朝鮮族がすでに投じている。民族国家の固定観念を朝鮮族を通じて押し倒すことができる。朝鮮族は国境や国籍に関係なく新しい文化を作りながら、各国にいる私たちの同胞らと同じ民族というアイデンティティを維持している。 朝鮮族を通じて私たちの民族は東北アジアの中心になることができる。


すでに遅れてしまった見込みのない夢でもありうる。今、東北には人がいない。 朝鮮族ディアスポラ(大移住)が葛藤する東北アジアに新しい活力を吹き込むまでには解かなければならない課題が多い。その責務の一部が韓国人たちにもある。私は今本を書いている。 30代朝鮮族の韓国定着記だ。年末に出版される予定だ。 韓国人が私たちを通じて新しい未来を見てくれればうれしい。 土地を求めて四方天地を流浪して、土地の束縛から抜け出すために再び異郷万里を漂った私たちは朝鮮族だ。<終わり>


文・写真ユ・シンジェ記者 ohora@hani.co.kr


原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/506663.html 訳J.S★


FTA抜打ち批准, 賛成者名簿にネチズン “売国奴…”

2011年11月23日 | 南域内情勢

 ★遠く中東カタールから国際卓球試合で、南北統一チームが男子ダブルス優勝、女子ダブルス準優勝の報が届いた。20年前の千葉でのように南北の選手が抱き合って喜んでいた。その喜びもつかの間、FTA国会批准の報が大々的に報道された。

各紙一面トップ扱い、京郷ダッカムは次のタイトルを付けた。 N

                         韓米FTA抜打ち批准, 賛成者名簿にネチズン“売国奴…”

                                         デジタルニュースチーム イ・ユンジョン記者yyj@kyunghyang.com

 

ハンナラ党が22日国会本会議を非公開にして韓米FTA(自由貿易協定)批准案を処理した。その表決議員名簿がツイッター上に公開された。 ハンナラ党はこの日午後在籍議員295人中170人が参加した中で賛成151人、反対7人、棄権12人で批准案を通過させた。

ネチズンは
“売国奴名簿だ。 忘れない”
“2011年11月22日大韓民国は米国の経済植民地になったことを公式宣言した。 第2の庚戌国辱だ”
“皆さんは現在、世界で最初の国際協約を非公開にした社会に生きている”
等と怒りを露にした。

 

●昨日はソウルもことのほか寒かった。抜打ち国会批准を聞きつけた市民が、ヨイドの国会前に集まり始めた。待機していた2500名の警官隊は容赦なく放水し、デモ参加者をゴボウ抜きに連行、逮捕した。

あるサイトには、“放水で収まるか、民衆の怒り”、“「ハンナラ党を解体しろ」”のタイトルを付け報じた。

アメリカホワイトハウスの歓迎声明、MBの笑顔…、韓半島を取巻くこの底知れない溝の深さは埋まるのであろうか。 


ある在日中国朝鮮族の物語

2011年11月20日 | 東北アジアの平和

★今日は日曜日、時間に余裕のある方はご一読をお勧めします。リンク先のハンギョレサランパンに、在米中国朝鮮族に続き在日のチェさん一家の物語がつづられています。

保守はもとより進歩言論でもそんなに扱われることの無かった在外同胞についての、本格的取材に基づいた記事、転載します。 N

 

←東京の代表的な庶民の町 上野に位置した朝鮮族食堂‘千里香’にソラン朝鮮族第一中学校を卒業した同窓が集まった。左側からチェ・インウォン、チェ・ヤングク、イム・チョル、キム・オンニョ氏

1980年代末から朝鮮族の若者たちは日本に留学に出た。韓国で日雇い仕事をして金を稼ぐ朝鮮族の両親たちが子供の留学費用を作ってくれた。現在日本には5万3000人余りの朝鮮族が滞留している。 その内33%が留学生だ。 日本で就職した人は27%だが、相当数は留学直後に現地で働き口を得たケースと推定される。最高学歴のエリートが日本滞留朝鮮族の主流をなす。韓国滞留朝鮮族の大多数が日雇い労働に従事していることと比較される。 中国東北地域で農業をした朝鮮族1世代、外国に出て下層労働を担当した2世代に続き、修士学位以上の高学歴に韓国語・中国語・日本語に全て堪能で世界を自分の舞台としようとする朝鮮族3世代が登場したのだ。

19HI0‘スメバ ミヤコ’。チェ・インウォン(33)氏は中国朝鮮族学校でその言葉を習った。 正しい意味は日本に来て悟った。‘自分が住む所が故郷’または‘なじめば故郷’という日本のことわざだ。 今のチェ氏の心情だ。 大地震の恐怖さえ東京を離れる理由にはならなかった。 東京は暮らしながらなじんでしまった彼の2番目の故郷である。


勉強のできる朝鮮族の青年たちは中国の大学を卒業して日本留学に出る。
韓・中・日語が可能だから日本では出世の道が開かれる。


彼は中国、吉林省、ソラン市の農村の村で生まれた。韓国に行った未亡人の母が彼の学費を作ってくれた。北京交通大を卒業した後、日本の横浜国立大で修士課程を終えた。 日本最大の生活用品製造業者に就職し中国輸出業務を受け持っている。 中国国籍の本社職員はチェ氏一人だ。 会社は日本人の入社同期を抜いて彼を一番最初に係長に昇進させた。 民族差別はなかった。 むしろチェ氏を配慮した。 去る3月の大地震直後、会社は被害復旧のために非常事態になった。 それでも日本人の部長はチェ氏の休暇を許した。「分かったよ。 行って来いよ。」 一人息子を心配する母親に会いに韓国に行ってくるというチェ氏の話に躊躇なしに答えてくれた。


日本は彼に全てのものを与えた。 韓国は違った。 母親に会いに正月や秋夕(チュソク)の時に韓国に行けばタクシー運転手からしてチェ氏を無視した。チェ氏の話し方は韓国人と違ったし、そのようなチェ氏をタクシー運転手はためらいなく無視した。「今後も韓国で仕事をするつもりはありません。 私たちの両親が韓国で蔑視されたことを考えれば韓国には行きたくもないし。」 早くに父親と死別したチェ氏にとって‘私たちの両親’とは朝鮮族の壮年層全体を意味する。彼は‘差別’ではなく‘無視’という単語を選んで繰り返し力を込めた。 朝鮮族の歴史的・文化的自尊が韓国人により傷ついたという意だ。


チェ氏は来年には日本永住権を受け取る。 韓国で家政婦として仕事をしている母親も日本に迎えるつもりだ。 100年前、日帝によって満州へ強制移住させられた朝鮮族の子孫は今は日本で心の平和を得ている。


歴史は時に逆説の人生を産む。中国人は中等学校で英語を習う。中国東北地域の朝鮮族学校だけが日本語を第1外国語として教える。日帝侵略と満州国時期を体験した朝鮮族の中には日本語を駆使するエリートが多かった。 中国建国以後にも彼らが民族教育の一つの軸を担当したし、その脈は今も続いている。日本語は韓国語と文章構造が同じだ。 朝鮮族の学生は漢族の学生よりはやく日本語を覚える。


中国東北の朝鮮族農村の村に閉じ込められていた日本語使用者は1980年代に新たな転機をむかえた。 80年代初期に執権した中曽根康弘日本総理は‘留学生10万人誘致政策’を推進した。 日本の知的・文化的影響力拡大を念頭に置き、アジア各国の学生に留学の門戸を開放した。 日帝統治から始まった朝鮮族の日本語の実力は日本保守政治家の政策によって花開いた。 朝鮮族重点学校(成績上位学生たちだけが入学する名門学校)卒業生の半分が日本に進出する事態まで起きた。 日本留学は勉強のできる朝鮮族学生たちの夢になった。

小平はそのような朝鮮族エリートらにエンジンを付けた。文化革命以後、事実上廃止された中国の大学入試が1978年の改革・開放政策と共に復活した。出身成分などにより決定されていた大学入学機会をすべての中国人に開放したのだ。 ただ少数の学生だけが延辺(ヨンビョン)大など民族大学に進学できた朝鮮族は北京・上海など内陸の中国名門大に視線を転じた。


すでに彼らの教育熱は中国56ヶ民族の中で最も高かった。延辺(ヨンビョン)朝鮮族自治州の場合、1952年に小学校,1958年に中学校を義務教育化した。 1950年代に民族大学3ヶ所の設立を終えた。 今でも民族別人口比で見る時、朝鮮族の大学生が漢族の3倍、他の少数民族の5倍を越えている。 子供を民族大学または、中国内陸大学に進学させた後、日本に留学させるのは80年代中盤以後すべての朝鮮族両親の夢になった。


チェ氏とともに吉林省ソラン朝鮮族第一中学校を卒業した80余人の中で15人が日本へ留学したり就職した。(表参照)その中の1人のチェ・ヤングク(33)氏はソラン朝中理科班を卒業した。超中(中学校)・高中(高等学校)の間、ずっと日本語を習った。それは日本企業に就職する上で決定的に役立った。 吉林省で大学を卒業して3ケ月後に日本の情報通信企業に就職した。 中国、大連にある支社で2年間仕事を学び東京の本社に移ってきた。


日本企業にとって朝鮮族は‘高級人材’だ。 1990年代から中国投資を始めた日本企業は日本語と中国語に堪能な人材を求めた。 朝鮮族エリートがそれに応えた。 「高中(高等学校)を終えた朝鮮族の上昇欲求が制度的障壁で詰まっていたが、中国に投資した外国系企業がその道を開けた」とパク・グァンソン中国北京中央民族大教授は分析する。


日本朝鮮族5万3千人の内33%が留学生で大多数が日本での就職に成功している。
「蔑んで無視する韓国では仕事をするつもりはありません。」


日本企業の賃金は中国はもちろん韓国企業よりはるかに高い。チェ・ヨングク氏は現在、約500万円(約7300万ウォン)の年俸を得ている。 中国、天津の韓国大企業中国法人で課長として仕事をする2才上の兄より年俸が高い。日本滞留9年目の今年の初め、チェ・ヨングク氏は3500万円の‘マンション’(高級アパート)を購入した。東京西郊の相模原のマンションは妻と3才の娘が一緒に暮らすに充分だった。一生、農作業をしていた両親とともに暮らした吉林省ソランの古い田舎の家とは比較にもならない。


吉林省の農村の村の田舎の家から東京郊外のマンションへ向かう中間に韓国がある。中国と日本で同時多発的に開かれた身分上昇の機会を握るためにはお金が必要だった。朝鮮族が農業で稼げる所得は今でも年間3000~4000中国元(約54万~72万ウォン≒5万円)程度に過ぎない。 80年代中盤から始まった朝鮮族の‘韓国ブーム’は日本または中国内陸大都市に子供を留学させようとする苦闘でもある。 日本で会った朝鮮族留学生の大多数の両親は相変らず韓国で仕事をしている。


朝鮮族の未来を担った‘日本留学派’がまだ解決できていない問題がある。日本が彼らに提供した機会は多いが、しっかりと定着するにはまだ足りないことがある。 東アジア3国が朝鮮族に上書きした‘ガラスの天井’がある。ソラン朝中卒業生のイム・チョル(34)氏は中国最高の名門 北京大で政治学を専攻した。 学科の漢族同窓は大部分が公務員になった。 イム氏は日本留学を選んだ。 中国は‘関係・人脈'が支配する社会なので朝鮮族公務員の限界が明らかだと考えた。 イム氏は日本の早稲田大学で政治学修・博士学位を受けた。


朝鮮族エリートが中国最高権力側に接近できない歴史の根は深い。1930年代‘民生団’事件の時、中国共産党は朝鮮族民族主義指導者らを日帝のスパイに追い立て粛清した。 1960年代‘文化革命’時期には抗日運動家出身の朝鮮族指導者が改良主義者にされて大挙粛清された。 以後、数十年間、賢い朝鮮族の若者は文科の代わりに理科を選んだ。 チョン・シンチョル中国社会科学院教授は「中国の他の少数民族とは違い朝鮮族には‘領袖人物’がいなくて、民族のエリート集団が形成されえなかった」と分析した。 民族の運命を切り開く政治的指導者グループがなかったという意だ。


しかし企業分野を別にすれば日本の高位層もやはり異民族には排他的だ。イム氏は先日、一緒に北京大を卒業した朝鮮族の友人に会った。 彼は日本で弁護士試験に合格し日本最大規模の法律会社で仕事をしている。 成功街道を走っているとばかり思っていた友人は苦々しい顔で話した。「いくら熱心に仕事をしても(法律会社の役員級弁護士には)絶対に上がれないのだ。」彼の年俸は同じ経歴の日本人弁護士の半分にも達しなかった。


そして韓国. 彼らの先祖の本来の故郷である韓国は日雇い労働に疲れた彼らの両親をむやみに蔑む国であることを朝鮮族最高エリートは骨の髄まで深く知っている。

世界を舞台とする朝鮮族3世の面倒見は
韓国で金を稼ぐ両親たちの役割だ。
彼らの夢は‘子供の成功’だ。


東京のある研究所で仕事をするイム氏はこの頃、大学教授の席を探している。日本の大学に固執するわけではない。 彼は韓国語・中国語・日本語・英語に堪能だ。 どこの国に行っても関係ないと考える。 どうせ帰る故郷はない。 日本に進出した15人のソラン中同期の中で8人が中国に帰ったが、故郷の吉林省ソランに定着した友人は一人もいない。 彼らの両親もやはりソランの農村の村を離れて久しい。


その村には思い出が宿っている。 子供たちはこちんこちんに凍りついた川でソリに乗って石を独楽にして疲れるまでふざけた。しかしもう青年になった彼らは思い出だけでは生きられない。 故郷の村には働き口がない。


東京/文・写真ユ・シンジェ記者 ohora@hani.co.kr


原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/506172.html 訳J.S


南北卓球、"20年ぶりにカタールで共同チーム"

2011年11月19日 | 南北関係関連消息

★昨日のKBSニュースにチラッと出た。?マークを取ってもよさそうだ。それぞれ男女1名づつの南北4名で構成される。

20年前千葉でぼくは歴史的な瞬間を目撃した。16年負け無しの世界王者中国を撃破し、南北の選手が抱き合い、応援席からも歓呼と歌声が体育館を揺るがした。

遠く離れた中東、規模の小さい大会ではあるが、南北選手の健闘を祈る。 N                

                       

                    南北卓球、"20年ぶりにカタールで共同チーム?"

                       "韓国、北朝鮮' ピース アンド スポーツ'大会に出場予定"


                           2011-10-18 ノーカットニュース アン・ユンソク論説委員


来月中東のカタールで開かれる国際親善卓球大会に、韓国と北朝鮮が参加する。


'国際卓球連盟(ITTF)アダム シャララ会長は17日
"今月初め北朝鮮を訪問、内閣副総理と体育指導委パク・ミョンチョル委員長に会って今回の卓球大会に北朝鮮が参加するという約束を取り付けた"と明らかにした。

国際卓球連盟は、政治的に対立する国家が政治色を排除し卓球というスポーツを通じて平和を追求しようという意味で'ピース アンド スポーツ'大会を提案した。

翌月21日から二日間カタールで開かれる'ピース アンド スポーツ'大会に招待を受けた国は全10ヶ国。
韓国、北朝鮮と米国、中国、ロシア、日本など北核問題解決のための6者会談参加国とイラン、パキスタン、インドそして開催国カタールなどだ。

国際卓球連盟は、大会を通じて1970年代米国と中国の外交関係を変化させた'ピンポン外交'のように、紛争国の間の平和的雰囲気を作ることを期待する"と付け加えた。

一方、韓国卓球協会も今回大会に男女各1人ずつの選手を出場させる予定だと明らかにした。

南北の卓球選手は1991年日本の千葉で開かれた世界選手権大会で、南北単一チームで出場した。

韓国のヒョン・ジョンファと北朝鮮のユ・スンボク選手を前面に出した南北単一チームは、16年間世界選手権女子団体戦の優勝を独占してきた中国を破り劇的な優勝を遂げた。


'金剛山観光の再開を!'-韓半島平和フォーラム論評

2011年11月18日 | 南北関係関連消息

                                           韓半島平和フォーラム論評


                                    '金剛山観光は再開されなければならない'


                                                               2011年11月17日(木)tongilnews.com


韓半島平和フォーラム(共同代表イム・ドンウォン、ペク・ナクチョン)は金剛山観光開始13周年をむかえて
タイトルのような論評を17日発表した。

論評は“金剛山へ行く道が途切れ、韓半島は冷戦に逆行し、対話は中断された”と主張した。

以下略

 


パク・ウォンスン市長、“開城工業団地,10個所は必要”

2011年11月18日 | 南北関係関連消息

★市長当選以前に受諾した講演、当選後の過密スケジュールを調整し、学生たちの前に立った。以前と違うのは、ほぼノーネクタイで臨んだ講演だが、写真の通りキチンとネクタイしている。N

 

 

                     パク・ウォンスン市長、“開城工業団地,10個所は必要”

 

                      東国大‘21世紀リーダーの資格’講演で..

                        “ソウル・平壌サッカー大会開催も”

 

                            20111116()キム・ヤンヒ記者

                                                        tongiltongilnews.com

 

 

“開城工業団地,10個所は必要”

パク・ウォンスン ソウル市長が去る15日東国大学校本館中講堂で開催された‘Pride Dongguk知性コンサート21世紀リーダーの資格’で、ある北韓学科学生の質問に答えた言葉だ。

 

パク市長は

“イ・ミョンバク政府下で南北関係が凍りついていなかったなら、このような状態にはならないこと”

“北朝鮮は私たちがよく管理しなければならない対象、南北対話を強化してウィンウィンの道を模索しなければならない”と話した。

 

この一環として“中小企業の困難を開城工業団地で模索しよう”

 

彼は“現在韓国の中小企業投資1順位は中国、ベトナムだが、北朝鮮は私たちと話が通じ近くて休戦ライン真上に位置している、本来休戦ライン真上は南への侵略の道であったのに開城工業団地の建設でこの方法がなくなったのだ”として

“台湾と中国はもう経済的に緊密な関係が築かれ、戦争をすることはできない、だから(南北関係も)このような形にならなければならないだろう”と明らかにした。

 

また“ソウル市は南北関係の主要機関ではないが、ソウル市と平壌とは交流できる。ソウル市は以前、ソウル・平壌サッカー大会をしていた”としながら

“北韓学科学生たちの人材が多数必要、将来ビジョンのある学科だ”と助言した。

 

彼はまた、登録料半額問題に関連

4.19等は青年たちの闘争があったので可能、ドイツなどは登録料を一つも出さない”として

“学生たちは登録料引き下げ闘争でなく撤廃闘争をしなければならない”と話した。


アン・チョルスの‘財産還元’Eメール全文

2011年11月17日 | 南域内情勢

★日本で孫正義が、日本経団連の大枠原発容認・推進に関する政府提言決議に、噛み付いた。少なくても原発反対を唱える経団連メンバーがいたことを議事録に残せと、気を吐いた。

同じIT界の韓国での巨人アン・チョルスが、1500億ウォンを社会に寄付し、その件で社員向けに発したメールが、今韓国でホットな話題になっている。

今韓国で彼の発する言葉は、とてつもない波及力を持って、人々の心を動かしている。

成功の頂点に達した感のある彼が、若者たちに勇気を与えたいと始めた青春コンサート。2年間全国各地を回りながら語りかけた「コトバのチカラ」が、今韓国の若者たちのハートを鷲づかみにしているようだ。

青春コンサートは今、キム・ジェドンなどが引き継いで各地で行われている。 

韓国の今は、DJが数万、数十万の民衆を前に演説し熱狂させた時と、相当様変わりしているようだ。 

49歳、アン・チョルスの社員向けに送った以下のコトバを味わってみよう。 N

 

                                         アン・チョルスの‘財産の社会還元’Eメール(全文)

 

                                          ー共に希望を抱き生きていく社会を夢見てー

 

アン・チョルス研究所の皆さん、こんにちは。

私は今日永らく胸に抱いていた小さな決心を実践に移そうと思っています。 それはナヌム(分かち合いー訳者注)に関することです。

私はこれまで、医師と企業家、そして教授の道を歩いてきながら、私たちの社会と共同体から過分な恩恵と激励を受けきたし、その結果いつも挑戦するときめきと成就の喜びを抱いて生きてくることができました。

この過程で私は、一つの想いを忘れず大切に抱いてきました。 それは、私が成し遂げた全てのものは、私だけのものではないという点です。

私は企業を経営しながら、“魂のある企業”を作ろうと努めてきました。
企業の存在には金を儲けること以上に崇高な意味があり、ここには構成員一人一人の自我実現はもちろん共に生きてゆく社会に寄与する存在にならなければならないという、より大きな次元の価値も含まれていると信じてきました。

そしてその価値を実践しなければならない時がきたと考えます。
戦争の廃虚と分断の痛みをのり越え類例のない成長と発展を成し遂げてきた私たちの社会は、今大きな試練を経ています。 元気な中産層の人生が崩れ、特に夢とビジョンを持ってより明るい未来を夢見なければならない若い世代が、挫折し失意に陥っています。

私は去る10余年の間、皆さんと同じ元気で覇気あふれる若者たちと、現場で同僚として共に仕事をしてきましたし、学校で教師と弟子としても会いました。その過程で私は、理想とビジョンを掲げたし、苦悩と涙も見てきました。

しかし今日私たちが体験している試練は、国家社会が一挙に解決することのできないものと考えます。

だとすれば国家と公的領域の悩みだけに委ねるのでなく、私たち自らもそれぞれの立ち位置で何をすべきかを悩むことが重要ではないだろうかと思います。

特に社会において相対的に多くの恩恵を受けている立場から、先頭に立って共同体のために貢献するいわゆる‘noblesse oblige(指導層が持つ道徳的義務)’が必要な時ではないかと思うに至りました。

失意と挫折に彷徨う若者たちに向かった真心に充ちた慰労も必要ですし、対策を議論することも重要ですが、共同体の共生のために小さな実践をすることこそ、今この時点で最も切実に要求される徳性だと考えるからです。
“いつかは一緒になくなる同時代の人々ともう少し意味のある元気な価値を守りながら生き、やがて‘宇宙の彼方に彷徨うホコリ’に帰ることが人間の生だと考える。”と、 10余年前私が本に書いた話をまた思い出します。

まず私は、私の持つアン研究所の株の反分程度を、社会のために使うつもりです。

具体的にどんな手続きを踏んだ方が良いのか、また、どのように使われることが最も意味あることなのかは、多くの方々の意見を謙虚に聞いて決めるだろうが、私としては低所得層の子供らの教育のために使われればと思っています。

今日私たちの社会が抱いている数多くの問題の核心の一つは、価値の混乱と資源の偏った配分であり、その根本には教育が位置していると考えるためです。

自身の処した社会的、経済的不平等により機会を保証されることなく、思う存分才能を育てていくことのできない低所得層の青少年らに、夢と希望を与えることに使われれば良いと考えます。

これは かなり以前から考えてきたのを実践することであり、他の目的からではないことを申し添えます。

ただ一つ希望があるとすれば、今日の私の小さい考えが呼び水となり、私と志を同じくして下さる何人かの友人らのように、多くの方々の参同があれば幸いに思います。
志のある皆さんの、多くの関心と参与を期待する次第です。

                                                                          ありがとうございます。

                                                                                    2011年11月14日

                                                                                           アン・チョルス拝


今朝のKBSスペシャル、ご覧になりましたか?

2011年11月13日 | NPO三千里鐵道ニュース

植物の種子に関する内容だが、途中から見たのでタイトルも正式な企業名なども記憶していない。

強烈に残った印象は、ベトナム戦争で枯葉剤を生産・供給したアメリカの死の商人○○○社が、種子の遺伝子組換えと除草剤開発に乗り出し、アメリカ国内はもとより世界進出し始めている様子に驚愕を覚えた。すでにアメリカは19世紀から、世界各国の種子を集め保存、研究し、遺伝子組換え種子で国内外で生産している。その種子に特許まで与え、巨額のロイヤリティーを吸い上げているという。

インドのある農場で、アメリカ企業の開発した新種の種子がたまたま風に乗って、あるいは輸送中にこぼれ生育した。農場主は翌年も、その翌年もその種を植え収穫してきたのだが、ある日晴天の霹靂のようにその種特許所有のアメリカ企業から損害賠償訴訟を受けた、

訴訟大国アメリカ側は19人の弁護士を揃えたが、農場側はただ一人。勝負にならない、そして破綻し散々な目にあった、と。

FTA、TPPで問題になっているISD条項(前回既載)。もし今のまま容認したなら、今後起こりうるアメリカ企業の訴訟に、韓国は対応できるのであろうか。 N

 

 

 

 

 


有権者登録 在外選挙人登録申請書の記載例です。

2011年11月11日 | NPO三千里鐵道ニュース
‎13日から始まる有権者登録。実際の記入例を貼り付けますね。


実は、実際の用紙の裏に書いてあるのとは、少し変更になっていま す。
心を込めて作りましたので、よく参考にしてください。
それから、注意することですが、旅券と外国人登録証明書は、原本とコピーの両方が必要です。領事館でもコピーできるはずですので、領事館でコピーするのもありです。

 
韓国在外選挙民間広報団体 投票2012
maneappa