NPO法人 三千里鐵道 

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都心で撒かれた大統領批判のビラ

2015年02月26日 | 三千里コラム

新村ロータリー付近で撒かれたビラ(2月25日、ソウル市)


「大統領直属機関である国家情報院の院長が、公職選挙法違反で拘束されました。この事件一つで、朴槿恵政権の正統性は完全に崩れてしまうのです。」

2月25日、新政治民主連合のイ・ヘチャン議員が国会の対政府質問で投じた言葉です。以前のコラムでも紹介したように、2月9日、元世勲(ウォン・セフン)前国家情報院長は公職選挙法違反で有罪判決を受け、法廷拘束されました。イ・ヘチャン議員は続けて、次のように現大統領を糾弾しています。

「全斗煥大統領の時ですら、国家情報院がこれほど露骨に選挙介入をしたことはありません。なぜ、わが国がこのようにブザマな姿になりましたか。大統領直属機関の前院長が拘束されたのですよ。これほどの事態になったら、大統領は国民の前に謝罪しなければならないものです。」

当日の対政府質問では、イ・ヘチャン議員に先だち、与党・セヌリ党の李在五(イ・ジェオ)議員も、政府を厳しく批判しました。

「‘傲慢な政府’は悪い政府です。ところで、‘傲慢な政府’よりさらに悪いのが、‘無能な政府’です。そして‘無能な政府’よりさらに悪いのはどんな政府か。‘正直でない政府’です。選挙公約を破っておきながら、公約違反で申し訳ないと、国民に一言も発しないような政府は‘正直でない政府’です。国民は‘無能な政府’はがまんするが、‘正直でない政府’には耐えられないものです。」

国家情報院の大統領選挙介入に有罪判決が出たことは、朴槿恵政権の出発点(正統性)そのものへの問題提議となります。例えば、大学入試での不正合格(カンニング)が発覚すれば、当然ながら入学許可は取り消されます。2012年の大統領選挙は「無効」だと最高裁でも判定されそうな現状ですが、朴大統領は相変らず沈黙しています。3月1日から 、116名の大規模な財界視察団を引率して、中東諸国を外遊する予定です。

しかし、民心を侮ってはなりません。今月に入って、政権批判のビラが全国に広がっています。12日、釜山市内でのビラ散布が嚆矢でした。16日に大邱市のセヌリ党本部前、24日に慶尚北道のヨンヤン邑地域と北上し、25日の午後には、ソウル都心で大量のビラが撒かれる事態となりました。

ソウル市内では、あろうことか大統領官邸前の歩道と、新村(シンチョン)ロータリー付近で撒かれています。ビラは二種類です。一つ目のビラは朴大統領と情報院長の写真を掲載し、「不法・不正選挙疑惑が事実と判明。朴槿恵氏、あなたの進退は?」と書かれています。もう一つのビラには「じゃあ、私に辞退でもしろというの?」という大統領のセリフに続き、「うん。そうだよ!」という有権者の回答が続きます。ビラの名義は2枚とも、『民主主義を念願する市民たち』でした。

植民地統治期に、李相和の抵抗詩「奪われし野にも春は来るのか」(1926年発表)が人々に愛唱されました。朴槿恵大統領の心境はどうやら、「疎まれし政権にも春は来るのか」といったところでしょうか。(JHK)

植民地朝鮮と満州国

2015年02月24日 | 三千里コラム

満洲国末期の鉄道網



ここ数日、中国の春節に関する報道が盛んでしたが、朝鮮民族も南北を問わず旧正月の連休を楽しみます。そのためか、これといった政治ニュースが見当たりませんでした。それで、今回は「満州」に関するエッセーを二回に分けて紹介します。筆者はパク・フンス氏。韓国の社会公共研究所・鉄道政策客員研究委員です。

氏は現在、インターネット新聞『プレシアン』に「鉄道で見る世界」を連載中です。紹介するのは2015年1月11日付で寄稿された第44話、「満州-朝鮮・中国・日本の欲望が交錯する地」です。「青年ソン・ギジョン(孫基禎)は、どのようにベルリンまで行ったのか?」という副題がついています。長文のため、内容の一部を省略しました。また、原文中の“韓国”を、歴史的な文脈の中では“朝鮮”に置き換えて翻訳しています。(JHK)

高句麗の広開土大王が駿馬を走らせた広大な満州原野は、韓国人にとって、狭い土地に閉じ込められた民族という劣等感を解消する象徴と言えよう。明け方、霧に包まれ果てしなく繰り広げられる地平線は、神話のようなイメージで私たちを魅了する。だが、満州の時間は、広開土大王の時代ではなく、李氏朝鮮末期から現在に至るまでの方が、はるかに重大な意味を持つように思えるのだ。

日本人にとっても満州は、特別な土地だ。最近の若い世代は、帝国主義の歴史を消し去る教育過程の影響からか、植民地支配と関連した事がらには鈍感な反応を示す。しかし、日本の近現代史において満州は、格別なノスタルジアを呼び起こす土地だ。特に、東アジア侵略戦争の時期に満州で生きた日本人には、希望と絶望が入り混じったまま、歴史に翻弄された時空間だったと言えよう。

もし日本が、帝国主義戦争に勝利して今日まで朝鮮と満州国を支配したとすれば、満州を題材にする映画は「ハリウッド西部劇」のように、特別なジャンルになっていただろう。 アメリカの西部開拓時期を彷彿させる無限の可能性と、その後の瞬間的な没落が共存する満州で、日本人は新しい王国を建設した。その王国建設の主人公は「南満洲鉄道株式会社」、略して「満鉄」と呼ばれた鉄道会社であった。

中国の主流である漢族の立場からすれば、近代を迎える時期まで、満洲族と呼ばれた東北地域“蛮夷”の支配を受けたわけだ。そして中日戦争の時期、満州は日本が建てた傀儡「満州国」が統治していた。日本の侵略戦争に対抗した中国人にとって「満州国」は、最初に闘う当面の敵だった。

領土問題がますます深刻化する現代では、中国が古代から歴史・文化的に支配した土地として満州が位置づけられている。中国政府が「東北工程」と呼ぶプロジェクトの一環だ。高句麗や渤海、女真、契丹などは中国古代国家の一つだったとする「東北工程」。その論理を推し進めれば、終着地は領土紛争の厳しい対峙線にならざるを得ない。  

満州をめぐる葛藤、そして日本の満州支配

清朝が中国を支配した時期、満州は「主のない空地(無主空山)」に他ならなかった。清朝は満州地域に対して、漢族をはじめとする他民族の出入りを禁止した。清朝の発祥地を神聖に保存するためだった。その反面、満州一帯を掌握した満洲族は中国大陸の主人になるとすぐに、北京をはじめ内陸の諸地方と都市に侵入して行った。

満州の空洞化は必然的だった。清朝が満州地域の封鎖を解除することになったのは、19世紀後半のことだった。ロシアの南下を憂慮した清朝が、漢族の満州移住を奨励することになったのだ。定着民が居なかった土地は、先に入った者が主人となるのに好都合な時代だった。  

朝鮮人が満州に集団で移住し始めたのは、清朝が封鎖政策を解除する前の19世紀中半だった。1862年、相次ぐ凶年で飢えに苦しんでいた咸鏡道(ハムギョンド)の住民たちは、国境を越えて中国に移り住んだ。物乞いをしながら生き延びてきた朝鮮人たちは、見捨てられた土地を開墾して畑を耕した。飢謹に苦しんでいた朝鮮北部地域に、中国に越境し定着した人たちの消息が伝えられると、移住民の規模はより一層拡大していった。

当初は越境者の受け入れを拒否していた清朝政府も、1865年には朝鮮人に鴨緑江(アムノッカン)北側での居住と農業を許可することになった。それ以後は、さらに多くの朝鮮人が満州に移住することになる。1885年までに満州で、朝鮮人が切り開いた土地は南北100km、東西1000kmに達する膨大な地域となった。この地域はチャンダオ、朝鮮語で間島(カンド)という名前で呼ばれた。  

間島はいつの間にか“朝鮮人の土地”として知られるようになった。当時は、近代的な意味の民族と国境の概念が生成される以前の時代だった。土地は、“集団で居住し主流となった種族の所有”という考えが常識だったのだ。朝鮮王朝も“間島は朝鮮の領土だ”ということを、それとなく主張していた。1885年、高宗(コジョン)は鴨緑江と豆満江(トゥマンガン)、白頭山(ペクトゥサン)一帯の国境線策定を清朝に要求した。

朝鮮と清朝は国境線をめぐって対立していたが、高宗の要請に応じた清朝政府は、国境付近での1次共同調査を実施する。1887年には2次調査を行ったが互いの主張は食い違い、合意点を見出すことができなかった。その後、日清戦争が勃発して朝鮮と清朝の間で結ばれた全ての条約が廃棄されると、朝中国境は両国間の衝突が発生する紛争地になった。   

1905年、日露戦争が終わると戦勝国日本は、ロシアが中国から得た権利である東清鉄道に対応して、満州を支配できる鉄道路線の敷設を構想する。日露戦争のポーツマス講和条約は、その間、ロシアが中国から割譲された利権を日本が継承するというものだった。日本はロシアの租借地である旅順・大連港をはじめ、長春-旅順間の鉄道権利を確保した。この長春-旅順間の鉄道運営のために1906年6月9日、「南満洲鉄道株式会社(満鉄)」の設立が公布され、12月には正式にスタートした。  

日本は長春-旅順間の南満洲鉄道だけでなく、朝鮮から中国内陸とシベリア横断鉄道を連結する鉄道の開設を望んだ。そのためには、中国の東三省(現在の東北三省)である満州地域の鉄道路線を確保しなければならない。しかし、中国は日本の鉄道敷設を強く反対した。東三省の総督は、新路線の建設や既存路線の改築を許可できないと抵抗し、延辺の日本軍守備兵に撤収を要求した。また、日本の鉄道敷設に対抗して、中国資本による満州鉄道の敷設を試みた。

これに対し日本は、清朝政府による満州地域の鉄道敷設は日本が所有した南満洲鉄道の利益を深刻に侵害するとし、敷設を強行するならば適切な手段を発動して南満洲鉄道の利益を守護すると威嚇した。  

そして1905年以後、朝鮮の保護国を自任した日本は間島朝鮮人の保護を名目に、朝鮮統監府内に間島派出所を設置する。当然ながら中国側は、領土主権に対する侵害だと反発した。日本も譲らず、朝鮮統監府の名で、間島が朝鮮の領土であることを明確に主張した。 中国と日本の重要な利権問題の真っ只中に、間島が位置を占めることになったのだ。

こうした状況のもとで、満州経営に関する日本の構想が具体化されていった。日本にとって、朝鮮縦貫鉄道の大陸連結は経済的にも軍事的にも、必須の課題となったのだ。中国に相応の代価を提供してでも、鉄道と鉱山の利権を取りまとめる方案が具体化されていった。  

1909年2月6日、清国外務部に中国駐在日本公使、伊集院彦吉の提案書が伝達された。中国の間島領有権を認める代わりに、満州における日本の鉄道敷設権と鉱山開発権の拡大を求める内容だった。清国は日本の提案を受け入れる。1909年9月4日、日清両国は「間島協約」を結び、粛宗(李氏朝鮮の第19代国王)以後、160年間余り続いてきた朝中の国境問題を整理した。

日本は「間島協約」により、吉会鉄道の敷設権を確保した。吉会鉄道とは、朝鮮の会寧(フェリョン)と満州の吉林省を連結する路線だ。ようやく日本は、京釜(キョンブ)線と京義(キョンウィ)線を繋ぐ朝鮮の縦貫鉄道を、満州にまで拡張させることになったのだ。間島の領有権を清国に渡したとしても、鉄道さえ保有していれば実質的な支配ができるという日本の野心は、満州全域での鉄道拡張に全力を尽くすことに向けられた。  

“朝鮮と清の国境は図們川(現在の豆満江)であり、大日本帝国政府は間島を清国の領土と認定し、将来は吉長鉄道を延長して会寧で朝鮮の鉄道と連結する”というのが、「間島協約」の内容だった。朝鮮統監はこの協約を10月27日、朝鮮内閣総理大臣・李完用(イ・ワニヨン)に通告した。11月9日、李完用は朝鮮政府が「間島協約」を承認するとの意思を朝鮮統監に伝えた。その結果、満州の朝鮮人は中国領土における不法滞留者という身分に転落した。  

朝鮮人が、苦労の末に築きあげた生活基盤への権利が消滅したのだ。1910年の強制併合後には、国籍さえ不明なディアスポラの身分になった。それでも朝鮮人の移住人口は増え続けた。植民地の民となった朝鮮人は満州への移住を続け、1933年には間島総人口の80%、約41万5000人を越えるまでになった。

これら満州の朝鮮人たちは、中国人から見ると異邦人であり、帝国日本の下手人だった。 日本人からすれば満州は、朝鮮本土に比べ統治力が及ばぬ地域なので、朝鮮独立の不純な運動が起こり得る‘背後基地’だった。強力な対処が必要な地域と見なしていたわけだ。日本は中国との衝突に朝鮮人を利用するなど、巧妙に中国人と朝鮮人の仲を裂き、葛藤と対立の関係を作り上げた。

マキャベリは、次のように教えている。「他国を征服して領土を併合した際に、当該地の人々が自身の固有な言語・慣習・制度を保有し続けているならば、その領土を維持するためには、大変な労力と勤勉さが要求される」と。マキャベリは『君主論』で、征服した国家を統治する方式に関して、三つの類型を紹介している。

最も効果的な方法は、君主自身が征服地に行って親しく定住することだ。現地で暮らせば、解決が不可能になった時にしか知ることのできない諸問題についても、間を置かず正しく対処できるからだ。次善の策は、征服した国家に移民団を送ることだ。移民団による植民地建設は費用も多く要らない。先住民に対しても、移民にともなう被害者とそうではない人々を分離させることができ、結果として植民地母国に対する抵抗を減らすことができる。

最も好ましくない方法は、軍隊を派遣して強圧的に支配することだ。征服者は、植民地から得た利益の相当部分を軍備に使用しなければならず、実質的な損害を被ることになる。軍隊による統治下の民心は荒廃し、その地域のすべての住民が征服者に敵対的となる。

アメリカがイラクやアフガニスタンで、どん底に陥って四苦八苦しているのは、マキャベリが挙げた最悪の方法を選択したからかもしれない。日本は次善策を選択した。政府が自ら、朝鮮と満州への移民を国策として奨励したのだ。  

朴槿恵大統領を風刺するビラ、“レーム・ダック”から“デッド・ダック”へ

2015年02月16日 | 三千里コラム

2月12日夕方、釜山市内に撒かれた風刺ビラ



朴槿恵大統領への支持率が一向に回復しない。30%を境にして、3週間も停滞している。韓国社会では政権の支持率を判定する際に、30%を「心理的なマジノ線」と見なす。政権の統制力や求心力が急速に低下する末期症状、いわゆる“レーム・ダック”状態に陥ったと分析するのだ。

5年任期の半分も経過していないのに“レーム・ダック”とは、いささか早急すぎる感じがしないでもない。だが、2月1日付『ハンギョレ新聞』のコラムを読んで、状況はもっと深刻なのかもしれないと思った。コラムは“デッド・ダック”という題名だった。“レーム・ダック”が「末期症状」なら、“デッド・ダック”は文字通り、「臨終もしくは瀕死の状態」を意味するからだ。

コラムで筆者のイ・ドンゴル教授は、次のように指摘している。
「新年の記者会見が重大な契機となった。朴槿恵大統領は国家の最高指導者に相応しい品位、知性、寛容に欠けているだけでなく、大統領職を遂行するだけの知的能力も自信も持っていないことを露呈した。そして、人間として自身を振り返る自省能力さえもないことを証明した。だが、本当に決定的だったのは、大統領の政治スタイルが全く変わっておらず、これからも決して変わらないだろうことを国民に印象付けたことだ。」

2012年12月の大統領選挙では、国家情報院が組織的な世論操作を行い、選挙結果に重大な影響を及ぼしたと告発されている。当時の国家情報院長、元世勲(ウォン・セフン)氏に関する裁判が進行中だ。一審は選挙法違反の容疑を無罪と判決し、彼は執行猶予で釈放された。だが、2月9日の控訴審でソウル高裁は選挙法違反の事実を認定し、懲役3年の有罪を宣告した。彼は法廷からソウル拘置所に収監された。

朴槿恵政権には大きな痛手となる判決だが、大統領は自らの関与を否定し、すべての責任は李明博・前政権が負うべきだとしている。しかし、大統領当選の合法性に、深刻な疑念が生じたことは否定できまい。最高裁(大法院)の判決が注目されるところだ。

そして2月12日、釜山市の中心部では、朴槿恵大統領を風刺する大量のビラが撒かれた。ビラの「表面」には着物姿の朴槿恵大統領が描かれており、背景に沈没するセウォル号と‘7時間?’の文字。「裏面」には‘雪の女王’姿の朴槿恵大統領と、作業服姿の李明博・前大統領。現大統領には「退陣せよ!」、前大統領には「投獄せよ!」のスローガンが英語で書かれている。

本日(2月16日)、国会では朴槿恵大統領の推挙を受け、李完九(イ・ウァング)議員の国務総理任命同意案が採決される予定だ。今回の人事も、野党だけでなく与党議員の一部が反対しており、世論の反応も芳しくない(過半数が反対)。違法な不動産投機や兵役逃れなど、国会議員としての資格すら問われている人物であるからだ。朴槿恵政権は総理の人選で失敗をくり返してきた。今回は与党単独で、強行採決も辞さない方針だという。

しかし、適格な国務総理すら選出できずに右往左往する政権なら、もはや国政を担当する資格も能力も喪失したと見なすべきだろう。“デッド・ダック”という聞き慣れない言葉、好ましくは思わないが、言い得て妙な気がするこの頃である。(JHK)

ワシントンに吹く安部総理への逆風

2015年02月07日 | 三千里コラム

『米国歴史協会(AHA)』所属の学者たちによる、安部総理への糾弾声明(2.5)



安倍晋三総理の歴史認識に深刻な問題があることは、日本国内だけでなく国際社会でも広く知られています。敗戦70周年となる今年の8月15日には、「安倍談話」が公表されるようです。しかし、50周年の「村山談話」、60周年の「小泉談話」の精神を継承すると言いつつも、安部総理は侵略戦争や植民地支配というキー・ワードを使用することに嫌悪を隠そうとしません。

「安倍談話」の内容を予測することは難しくないでしょう。総体的に“戦争の悲惨さ”に触れることで過去と決別し、未来志向を強調しながら抽象的な平和賛美で終わるような気がします。彼は“積極的平和主義”を掲げ、二つの方向で事実上の改憲を推進しています。一つは集団的自衛権行使による「参戦権」の確保であり、もう一つが過去の戦争犯罪を否定する歴史修正主義です。

本コラムでは、国会で表明した安部総理の歴史認識が、アメリカではどのように糾弾されているのかを紹介します。

1月29日、衆議院予算委員会に出席した総理は、「アメリカの公立高校教科書に載った慰安婦関連の記述を見て本当に驚いた。慰安婦の強制徴用などと誤認されているのを国際社会で正さなかった結果、このような教科書が作られている。積極的に修正要求をするつもりだ」と述べました。

総理の発言、特に教科書の記述修正を要求したことに対して、アメリカ国内では強い反発が起きています。民主党のマイク・ホンダ下院議員は1月30日(現地時間)、安倍総理の要求に対して「非常識な行為だ。安倍総理がアメリカの教科書を修正するように要求したからといって、受け入れられるはずもない。歴史的な事実を否定するような主張を、どうして受け入れることができるのか。このような動きには、在米コリアンが強く対抗しなければならない」と語っています。

安倍総理が言及したのは『マック・グローヒル社』の教科書です。同社は最近の声明で「日本政府の代表が私たちに、教科書の慰安婦描写の部分を修正してほしいと要請した。しかし、執筆した学者たちは慰安婦の歴史的事実に則っており、私たちは執筆者たちの著述と研究、表現を明確に支持する」と表明しています。

また、『ニューヨークタイムズ』も30日付けの記事で、「教科書を修正しようとする日本政府の試みが成果を上げられずにいる。在米コリアンたちは、日本軍慰安婦の碑を建立する運動を全国的に展開しており、日本政府は外交官を派遣してこれを阻止しようと努力したが、ほとんど成果がなかった」と解説しています。

一方、アメリカの著名な歴史学者たちが、安倍総理の歴史教科書修正要求に対し、集団的な意志表示を見せています。コネチカット大学のアレクシス・ダッドン教授をはじめ『米国歴史協会(AHA)』所属の学者19人が連帯署名し、「日本の歴史家らと共に立つ」という声明を発表したのです。声明は2月5日付で韓国の『聯合ニュース』と『聯合ニュースTV』に送られてきました。

アメリカの大学で歴史学を教える学者たちが、このように特定の問題に関して集団声明を発表したことは前例がないそうです。以下に声明を要約して引用します。

「私たちは、第二次世界大戦当時の日本帝国主義による性搾取の野蛮的システム下で苦痛を味わった日本軍慰安婦に対して、日本政府が行う自国および他国の歴史教科書記述を抑圧しようとする最近の試みに対し、驚愕を禁じ得ない。私たちは、国家や特定利益団体が政治的目的の下に、出版社や歴史学者に研究結果を変えるよう圧力を加えることに反対する。」

「安倍総理は『マック・グローヒル』出版社の歴史教科書を取り上げ、慰安婦に関した記述が誤っていると指摘した。私たちは出版社を支持する。そして‘どんな政府も歴史を検閲する権利がない’と述べた、ハーバートジーグラー・ハワイ大教授の見解に同意する。」

「日本政府の文献を用いた吉見義明・中央大学教授の慎重な研究と生存者たちの証言は、国家が後援した性的奴隷システムの本質的な特徴を示している。この事実には論争の余地がない。多くの女性が本人の意志に反して徴集されたし、移動の自由が全くない最前線の慰安所に連れて行かれた。」

「安倍政権は愛国的教育を鼓吹しようとする目的から、すでに確立された歴史評価に声を荒らげて問題を提起することで、学校教科書から慰安婦と関連した言及を削除しようと試みている。一部の保守的な政治家たちは国家次元の責任を否定するために法的論争を展開しており、生存者たちを誹謗している。右翼の極端主義者たちは、犠牲者たちの話を聞き慰安婦問題の記録に関与した言論人や学者たちを執拗に威嚇している。」

「私たちは、第二次大戦当時の様々な悪行と関連した事実に光を当ててきた、日本および他地域の多くの歴史家たちと共に、これからも立ち続けるだろう。」

この声明は『米国歴史学会会報』の2015年3月号に、「歴史の観点」と題して掲載される予定です。(JHK)

ソウル市民1000人による円卓会議-ソウル市民の力で民主主義を守ろう!

2015年02月03日 | 三千里コラム

ソウル市民1000人による円卓会議(1.31;プラカードは「民主主義を破壊する朴槿恵糾弾!」)



1月31日、ソウル市鍾路区の天道教水運会館では、500人を越えるソウル地域市民社会団体の主要メンバーが参加して、『民主主義を守るソウル市民1000人の円卓会議(以下、円卓会議)』が開催されました。その内容を、2月2日付『統一ニュース』の記事を要訳して紹介します。(JHK)

『円卓会議』は現時局を民主主義に対する危機と規定し、その解決法を模索するために結成された。この日の結成集会には、イ・チャンボク『6.15南北共同宣言』南側委員会常任代表議長、ハム・セウン神父、アン・ビョンギル『良心囚後援会』会長、イ・ナムシン『韓国非正規職センター』所長など105人が提案者として参加している。

参加者たちは発言を通じて、①内乱陰謀事件の捏造と統合進歩党強制解散など朴槿恵政権の反民主的公安弾圧、②労働者・庶民に失政の責任を押し付ける公約破棄、③民生破綻の経済政策、を厳しく糾弾した。そして、新しく建設する『民主主義を守るソウル行動(仮称)』と共に、2月28日に開催予定の大規模集会に参加することを決議し、清渓広場までロウソク・デモを行った。

集会ではイ・チャンボク『6.15南北共同宣言』南側委員会議長が激励の辞を述べ、「今日この場から始まる民主守護草の根運動を、全国各地に広げて行こう。」と訴えた。そしてセウォル号遺族のチョン・ヘスクさんは連帯メッセージで、「セウォル号の惨事から10ヶ月が過ぎたが、真相は何も明らかにされていない。主権者である国民には権力の誤りを指摘する権利がある。生命を守る草の根文化を全国に広げ、国民の力で政権も変えましょう」と力説して熱い拍手を受けた。

最後にイ・ナムシン『韓国非正規職労働センター』所長が「円卓会議を拠点にして、より多くの国民が結集するだろう。労働者・民衆はすでに勝利の道を歩み始めた。自ら墓穴を掘っている政権の末路を早める闘いに、最後まで一緒に行動する」との決意を明らかにした。



*直前のブログで、朴槿恵政権への国民支持率が急落していることをお伝えしました。では、国際社会は現政権をどう評価しているのでしょうか。やはり、朴槿恵政権には厳しい評価となっています(http://www.pressian.com/news/article.html?no=123679を参照)。

1971年に発足した『世界経済フォーラム(WEF)』は、各国の競争力を指数化して公表します。同フォーラムは毎年1月、スイスのダボスで年次総会を開く(『ダボス・フォーラム』)ことで有名です。今年、『世界経済フォーラム(WEF)』が発表した「2014年の国家競争力評価」は、朴槿恵政権には極めて衝撃的な内容となりました。

2月1日、韓国政府が明らかにした評価によると、韓国は144ヶ国中の26位で、前年より1段階の下落にとどまっています。しかし、部門別に詳細を見ると問題点が明瞭になります。特に、「国家政策と関連した制度的要因」の部門では、62位(2012年)⇒74位(2013年)⇒82位(2014年)と、朴槿恵政権のもとで中下位圏へと下降しています。

中でも制度的要因に属する「政策決定過程の透明性」は、昨年、144ヶ国中の133位です。 これはカンボジア(130位)とブルンディ(131位)、マダガスカル(132位)よりも低い点数ですから、独断的な政局運営という朴槿恵政権の本質を突いていると言えるでしょう。

「公務員の公正度」に関する評価も低く、法体系の効率性を低下させる主要因と指摘されています。この部門の順位は82位で、7位の日本(5.1点)や22位の中国(4.1点)には遠く及ばす、74位のベトナム(3.0点)にも遅れを取っています。

「司法府の独立性」も82位(3.5点)で、憂慮すべき低水準です。ちなみに中国は60位(4.0点)。セネガルが80位です。朴槿恵政権の韓国は、これらの国よりも司法府が独立していない、との評価を受けているのです。

では、政治が国家競争力を改善する動力になるのでしょうか。「政治家に対する信頼」の部門で、韓国は97位でした。ベトナム、ウガンダよりも低い評価です。朴槿恵政権の下で最も顕著に劣化したのが、「政治」なのかもしれません。(JHK)