NPO法人 三千里鐵道 

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歌手キム・チャンフンーヨットコリアンカップで独島を世界に広報する

2011年03月31日 | 韓日関係関連消息
★これまで当ブログでも何度か紹介したキムチャンフン。ニューヨークタイムズスクェアに独島の動画広告を出し、独島が韓国領であると記した、日本に埋もれていた古地図買取り資金提供等、自身を独島防衛隊長と自ら認める韓国の歌手だ。その彼が、日本の教科書検定に噛みつき、そして冷静に所信を述べた。…半端じゃない日本右翼の脅迫メールや脅しにも屈せず、このことで歌手として歌えなくても独島広報・防衛を放棄しないと宣言した。そして今も賃貸住宅に暮らしながら、生活費のみ残して稼ぎの全額を慈善事業に寄付すると言う。大方の韓国人は「チャンフンが歌手廃業したら国民が食わして行く。みんなそう思いながら応援している」という。我が家でもチャンフンが出ると、とりあえずチャンネルはそのままにする。歌でも、トークでも…。namsang


キム・チャンフン記者会見

「教科書検定に動揺しない。…ヨットコリアンカップで独島を世界に広報する」

聯合ニュース=金玉姫記者

歌手キム・チャンフンは30日独島領有権主張が強化された日本中学校教科書検定結果発表に先立ち、この日午前汝矣島63ビルディングで記者会見を行った。

"私はこれまで私の能力の許す限り独島を世界に知らせようと努力してきた。…今年5月に開かれる'2011コリアカップ国際ヨット大会(以下コリアカップ)'組織委に参加する"
と話した。

今年で4回目として開かれるコリアカップは、東海の独島と鬱陵島を巡るレースであり、国際ヨット大会として認定、世界ヨット連盟の公式大会でもある。

キム・チャンフンはコリアカップ組織委で、行事の企画と演出を担当、韓国広報専門家のソ・ギョンドク教授は広報を引き受ける。

キム・チャンフンは
"スポーツ行事としてコリアカップを全世界に広報し、独島と東海を知らせ"
"5大洋6大陸主要日刊紙に独島の写真と共にコリアカップ広告を出し、コリアカップ関連スポーツ ドキュメンタリーを製作して海外に放送する"
と話した。

一緒に記者会見に臨んだソ・ギョンドク教授は
"日本が(独島が)日本の領土と教科書に入れるのは、独島を国際紛争地域化して司法裁判所に引っ張っていくため、その戦略にまきこまれてはいけない"
"独島は地理的、歴史的、国際法的にわが国の領土である。…主張するより文化観光的な側面から接近し、世界的世論を喚起させなければならない"
と付け加えた。

この日キム・チャンフンは日本地震被害スローガンと独島問題は絶対分離しなければならないと強調した。

…私たちが助けるのは被災者である日本国民であって、日本国政府ではない。 日本に寄付をするのは、独島をあきらめろという意味ではなく、純粋な被災者への救護活動、と話した。

引き続き彼は、今回のコリアカップ行事を終えた後は光復節の8月15日に、東海で船上フェスティバルを開催する、と発表した。

また、来年春には'イーストシー(East Sea)フェスティバル'を開催する計画だ、と付け加えた。




金時鐘四時詩集より

2011年03月30日 | 南北鐵道関連消息
前回は「帰郷」を掲載した。その中で

故里が
帰り着くところであるためには
 もう一度ダムに沈む在所を持たねばならない。
故里が
帰り着く国であるためには
遠く葬る故郷をもう一度持たねばならない。

と言わしめた、在日一世の深く深刻な叫びを、二世である私は言葉を失う。
今回は「夏のあと」を掲載する。

    夏のあと

冬がくる。
きまってくるおまえに、ついに知る。
夏はやはり白昼夢だったと。
またも浮かれて春が来て
そうして一年が六十年にもなった。

夜来の雨にすっかりすけてしまった
柿の葉のかすかな放電。

わが尽きない夢の大地を
喊声は街の角を曲がったまま消えてしまい
渡ってくる風にも気配ひとつ伝わってこない。

待とうと待つまいと
おまえは来て過ぎていく。
待つ当てがないときもおまえは来て
長く居座る。

待ち侘びる誰がまだ
今もそこで生きていることやら。
疼くことさえ薄れてしまった
あの 夕日ばかりが美しい国で。

夜が深まっていくのは
星たちが感慨に耽りだすからだ。
私が時に夜空に食い入っているのも
疚しい半生が夜半ともなれば目をしばたくからだ。

六十年この方
私の不幸は、いや私にまつわる同胞の不運は
すべてが外からもたらされるものだった。
他者を断じて、この己が正義だった。

寛容さとはつまるところ
優位な己のひけらかしだ。
誠実とても、謙虚な自分がまずあってのものだ。
そうとも、忘れていたのだ。
はにかみは慎ましいわが同族の古来からの花だった。

主義を先立て主義に浸って
なにかと呑んでは時節に怒って
ああなんという埋没。
とおに蘇ったはずの国が
今もって暗いのは私のせいだ。
遠い喊声を漫然と待っている
私の奥の夏のかげりだ。

きまってくる冬がくる。
殊更に待つべき春の冬がくる。
待って過ごして、またもうだって
誰かがふっと周りから消えて

それでも待っている人々の国よ。
謙虚でなければ耐えることだってできぬのだ。
呆けず腐らず淫らにならず
素朴にいとおしんで先を譲ろう。
ついに知った、愚かな私の六十年だ。

白頭山に関する火山南北協議, 都羅山で開催

2011年03月29日 | 南北関係関連消息
★久しぶりのポーズ。
中国側からもたらされる情報だけでも、戦々恐々としている壇君の後孫たちは今…。それでも優先されるものは、理念なのか。
10世紀、高句麗の継承国渤海の史跡を埋めるほどに大爆発を起こした白頭山は、1000年の時空を越え今不気味な兆候を見せている。…なのに。namsang



白頭山に関する火山南北協議, 都羅山で開催

2011年03月29日(火)都羅山=共同取材団/金致寛記者ckkim@tongilnews.com


29日都羅山事務所(CIQ)で白頭山火山関連南北協議を持った南北代表団は、共同研究の必要性に対して共感しながら、次の協議日程を決めないまま閉会した。


協議を終えた南側首席代表のユ・インチャン慶北大地質学教授は、この日午後ブリーフィングで
“我が方は火山活動可否に対する事実関係確認と共同研究の必要性を強調しながら、白頭山火山活動実態把握のための資料交換を提起した”
“資料交換を土台に先行研究を通じて白頭山共同研究方式を協議していこうと明らかにした”
と説明した。

また“北側は白頭山火山活動に対する共同研究必要性を強調しながら、専門家間学術討論会を進行し、現地での共同調査を提案した”と伝えた。

南側が資料交換と先行研究などの共同研究方式を提案したのに比べて、北側は学術討論会と現地共同調査などさらに直接的な活動を提案したと見られる。

ユ教授は“今回の会議では私どもが色々な質問を準備して北側の意見を聴取する立場”だったとし、“北側は白頭山火山活動の可能性に対する言及はなかった、白頭山火山活動に対して共同研究必要性次元で言及はあったが具体的兆候に対する言及はなかった”と話した。


南側は純粋民間専門家会議であることを強調し次の協議日程を提起しなかったが、北側は内閣所属地震局傘下の火山研究所関係者たちが参加し次の日程を提示するなどより積極的に臨んだ。

午後協議は2時6分頃始まって3時50分頃終えられたし、北側代表団一行13人は午後5時頃MDL(軍事境界線)を越えて出境した。


震災報道を見てーぼくのツブヤキ

2011年03月29日 | 管理人のつぶやき
最近はどの番組を見ても震災報道が大半を占める。
昨日のある番組は、タレントのコロッケが被災地を訪れたニュースを扱った。コロッケは避難民をしっかり笑わせた後のインタビューで、現場のあまりの酷さにむせび泣きながら応えていた。『ぼくが泣いてはいけないのに…』と言いながらも、顔をくしゃくしゃにしながら泣いていた。
ぼくもついもらい泣きした。

今朝はやはりタレントのはるな愛さんが被災地を見舞い、寝たきり老人の手を取り, 家族を亡くし泣き止まぬ婦人を抱きしめ、そして握手し励ました。トン汁の炊き出しもし、明るく振舞っていた愛ちゃんが、帰り際に泣き止まぬあの婦人が駆け寄り『愛ちゃん、みんな泣きたいのよ。思いっきり泣かせて…』と言ったと、インタビューに答えながら愛ちゃんも笑顔を崩した。
ぼくはまた鼻頭がツーンとした。
未曾有の悲劇は、その復活、再生過程で、想像を絶する感動を呼ぶものだ。
不謹慎にそんなことを思いながら見ていた。

ところが昨日のある番組に、福島原発20キロから30キロ屋内避難圏内に自主避難の勧告が出た後のゴーストタウンを見廻る自警団の姿が放映された。銀行が遠くて現金を金庫に保管していることの多い東北地方海岸近くの被災地に、窃盗事件が発生しているという話が、震災直後全世界に発信された。その記事を『秩序正しく、我慢強い』日本人を褒め称える報道の片隅に見たときは、そんなに驚きもしなかった。しかし、何故か昨日のゴーストタウン化した街を見廻る「自警団」の活動を見ながら、正直寒気みたいなものが一瞬よぎった。

1923年9月1日、マグニチュード7.9を記録した関東大震災、自警団の標的は暴徒化(デマ)した「不逞朝鮮人」に向けられた。(YAHOO検索サイトに、割と冷静に詳しく載っている。ご参照を)

もうこんなことは起こらないと信じているが、それでも韓国サイトの片隅に『外国人窃盗団の暗躍』云々の報道に、関東大震災の悪夢を想起させた。

在日の象徴的な支援活動、韓流スターの行動とメッセージはあまりにも知られているので、これ以上書かない。だが在日の両巨大組織の総連と民団でも、積極的な支援活動を行ったいることは、あまり報道されない。
特に総連には被災地仙台に朝鮮高校があり、震災直後に東京、京都、大阪から被災地救援隊を派遣し、支援活動を行っている。学校だけでなく日本人被災者への支援活動も日増しに活発化している。
『高校無償化』から唯一はずされた彼らが、それでもこの緊急時に彼らが見せたこの想いと行動を理解することが、過去の不幸を繰り返さない一番の近道であろう。

そんなことを思いながら、恐らく今日も震災番組を見るであろう。namsang

李時雨氏、近況報告ー韓米軍事演習参観記序文に!

2011年03月28日 | NPO三千里鐵道ニュース
★もう一カ月になろうとする。名古屋での講演と交流会で、多くの思い出を残して行った李時雨氏、その足で見た事を韓米軍事演習参観記序文に記した。namsang


北に上陸,占領過程を想定した訓練”

<参観記> 2011年キリジョルブ/鷲演習

2011年03月28日(月)イ・シウ専門記者tongil@tongilnews.com

日本での講演旅行を終え韓国でキリジョルブ/鷲演習が始まった日の2月28日、岩国米海兵隊基地に到着した時、独身者宿舎の灯りはいくつかしかついていなかった。 大半が空いていたのだ。キャンプ岩国の滑走路になければならない輸送機も見られなかった。
岩国海兵隊は韓米連合軍事演習時韓国に展開する部隊だ。 これら部隊は通常、統一大橋北側坡州の民間制限区域に駐留しながら野戦訓練を実施する。

3月2日福岡から釜山に戻ると、釜山港区の海軍作戦司令部基地から一隻の艦船が釜山港の外海に出動するのが目撃された。埠頭には2隻の駆逐艦が停泊中だった。 これら埠頭とは離れた米軍埠頭には、韓国のものなのか米軍なのかは識別されなかったが、上陸輸送艦が停泊しているのが遠くから観測された。
言論に公開されなかった訓練が、すでに始まっていた。

※以下長文の韓米軍事演習の公開報道説明
が…。省略する。

ただ、日本の大震災支援でアメリカ原子力空母2席が日本に急派! しかし演習は縮小されたが、その意図は変わらない、と報告。

事務局会議、開催ー6.15記念行事等

2011年03月26日 | NPO三千里鐵道ニュース
2011年になって初めての事務局会議だ。場所は、豊川市佐奈川のほとりサラオ。いつものメンバーに都代表の二男英吾氏も途中参加、ワイワイガヤガヤと楽しい語らいが続いた。
その前の会議では、勿論真剣な議論がなされた。凡そ次のような議題が話し合われた。

1.今年の6.15記念行事について


  場所 名進研ホール
  
  日時  6月12日 午後2時~3時開演

  テーマ 「朝鮮半島に平和を! 大討論会」

     上記タイトルに沿い、参加者がテーブルを円卓にして向き合いフリートーク
     をする。都相太、磯貝治良、康宗憲(予定)らも一緒に発言(発題を兼ね)
     する。在日と日本人の立場から、東北アジア平和にとって喫緊の課題であ      
る、しかも状況の厳しい今何をすべきかを、皆が胸襟を開いて語り合う場に
     したい、と。10年間三千里鐡道に関わって来た方々が、一人でも多くの隣人
     友人を誘い、成功させよう、と話し合われた。

  2部 都相太随想集「非武装地帯に立つ」出版記念パーティー開催の件

  場所 サンルートホテル
  日時 6月12日 午後6時~

  昨年10周年記念誌から漏れた都相太理事長のエッセイ等を、三千里鐡道10年の歩  みと共に編集する。今年古希を迎える都相太理事長、彼のこ
れまでの思索、こだわり、想念、苦しみと喜び、そして夢等が記された記録だ。…現在制作中。

2.呉炳学個展開催

  場所 豊橋美術博物館
  日時 今年10月以降(未定)

  先日黒谷氏の取材記事が、中日新聞文化欄に大きく載った。名古屋での同時開催を
  目指し、準備を進める。


以上のようなことが話し合われた。会議の合間、その後の会食等で話題はさらに広がった。論客ぞろいの事務局会議ではいつもそうだが…。

今回の大震災に、巨額の寄付金を出した在日の巨商達(ユニクロ柳井10億と衣類、ソフトバンク孫正義5億、マルハン韓昌祐5億…)、そして震災直後に表明した韓流スターぺヨンジュンの10億ウォン表明等…。活発な支援、募金活動が報じられてはいるが、イチロー1億、松井5000万等のほかは目立った動きが見られない(情報不足?)…。 寄付文化の違いか?

ETA3周年李政美の舞台、彼女の追っかけはこれまでの中で、最高のできだったと吐露した。そのわけは、震災翌日の舞台であったこと、舞台の周りに一世のハルモニ達が陣取り、政美さんも孫を見るような眼差しを感じたからかも…。皆さん、歌も良かったが本当に良い女性(話し言葉では「オンナ」と)になったと絶賛!

次に2012年、いよいよ韓国で大統領選挙が…。初めて選挙権を行使できる在日、選挙に向けてどんなことが出来るのであろうか。6.15精神がズタズタになったこの5年、このまま続けて良いものか。在日がなすべきことは…。

等などnamsang

  

  

こんなドキュメンタリー映画が上映

2011年03月24日 | 管理人のつぶやき
一年前26日の今日、天安艦が沈没した。このポスターは「民衆の声」サイトに載っていた広告。タイトルもダイレクトに「天安艦」とある。一周年を前にして保守新聞は、新たに提議された疑惑についても「素人の判断」と、黙殺の構え…。文化部(政府)世論調査では80%以上の国民が、北の仕業と思っているそうだ。このキャンペーンに対して民衆の側からは、権力の対国民詐欺との声も上がっているが…。ともあれ、この映画の出来栄えが気になる。namsang

この写真に写っているモノは?

2011年03月24日 | 南域内情勢
政府が天安艦事件の決定的証拠として提示した'1番'魚雷推進体に、韓国では東海にしか棲息しない赤いホヤと推定される生物体が発見された。

別名'錦ホヤ'とも呼ばれる赤いホヤは、ロシア、カナダ、米国、ベーリング海、日本北海道、韓国東海の水深20~100mの海に棲息し、西海には棲息しない種だ。

シン・サンチョル前天安艦民・軍合同調査団民間調査委員は23日、昨年戦争記念館に展示されていた魚雷推進体を撮影した未公開写真を公開した。(写真)
"東海にだけ生きている赤いホヤが、魚雷推進体で発見されたことは、この魚雷推進体が天安艦沈没原因と関係がないということを語る証拠"と主張した。

●詳しくはオーマイニュースのサイトをご覧ください。

ペンリョン島哨兵 “当日、我軍の射撃音を聴く”

2011年03月24日 | 南北関係関連消息
★早いものだ。あれから明日26日で1年になる。疑惑だらけの天安艦事件、『北の魚雷攻撃による爆沈』で幕引きを図ったが、その後も疑惑は増幅するばかり。当局は触らぬ神に祟り無しと、できるだけ触れないように努めてきたが、さすがに一周年では鳴り物入りの追悼記念行事を大々的に開催している。
当時報道各社が二の足を踏む中、統一ニュースが『天安艦事特別取材班』を組織し、独自に真相解明に奔走してきた。その先頭に、昨年名古屋での6.15記念行事取材した金編集局長がいる。
一周年を前に放った、彼の渾身の記事を紹介する。NAM

写真ーペンリョン島 000警戒所 A哨兵の 2次自筆陳述の一部.[資料 - 統一ニュース]


ペンリョン島哨兵 “当日、我軍の射撃音を聴く”
単独ーチョナン艦事件当日、ペンリョン島付近で射撃訓練実施

2011年 03月 23日 キムチクァン記者 ckkim@tongilnews.com


天安艦事件が発生した去年 3月 26日,政府発表とは違い西海最北端ペンリョン島付近で、射撃訓練が実施されたことで確認された.

事件当時ペンリョン島 000警戒所で爆発音と白色閃光を目撃したと述べた A哨兵は 4月 4日付け 2次自筆陳述書で、ペンリョン島の方で我軍軍艦の射撃があったと記録した.
その海域はペンリョン島北西の方に位置し,海の方で突き出たところだ.

“音はどかんという音だった。衝撃音というよりは、爆発音に近かった。付近での我軍軍艦の当時の射撃音と似た大きさで、 21:23分に聞き取りした音がもっと大きく聞こえた.”

政府は事件当時は 2010年韓米軍事演習イーグル期間(3.23-28)だったが、天安艦事態で 3月 26日付で訓練を早期終了した。訓練区域は西側海上の該当区域最北端からペンリョン島まで、約 100㎞ あるので、天安艦事件とイーグル訓練とは全然関係がないという立場を一貫して来た.

このような政府の公式発表は A哨兵の自筆陳述の内容と違うが、国防省関係者は 23日統一ニュースとの電話通話で “もう調査団が解体された,当時すべて解明された”と “あの時の資料がどこにあるか分からない”と、事実上確認が難しいと語った.


統一ニュースが入手したイーグル演習期間で実施された訓練内容を見れば,
26日午前 11時から午後 1時まで ‘対潜/対空海上機動支援訓練’が,
午後 2時から 9時までは ‘海上大部隊作戦訓練’が実施された、とある.


不思議なことに国防省が発刊した “天安艦事件合同調査結果報告書”には、当時束草艦が 76mm 艦砲 130発を鳥の群れか何か分からない物体に浴びせた事実さえ記載されていない。韓米軍事演習に関しての言及は、初からそっくり抜けている.


金時鐘四時詩集より

2011年03月23日 | 管理人のつぶやき
詩人金時鐘氏は沈黙十年のあと、金時鐘四時詩集「失くした季節」を発刊した。
高見順賞を受賞した。
私にとって、過去に発刊した詩集は読みづらい印象ばかり強くて敬遠していたが、この詩集はその思いを払拭してくれた。
詩人の魂の琴線に触れたおもいである。
折に触れその一遍いっぺんを紹介します。    sangtae


     帰 郷

故里が
帰り着くところであるためには
もう一度ダムに沈む在所を持たねばならない。

残り雪の里山に
明け方また霜が張り
それでもふくらむ朝鮮つつじの
かすかなほころびに霊気がおとなう
ある春の日の
 誰よりも早い朝まで待たねばならない。

渓川のせせらぎや 色めく花々。
高架にもやる狭霧のただよいでは
人はむしろ はるばる戻ってゆくためにやってくる。
 このあり余る自然とやらが仇なのだ。

とりわけれんげ草の盛りは侘しいものだ。
ねぎを捥いだ老婆がひとり
とっくに出払った村のあぜみちを歩いている。
その孤独が弧絶でないためには
満々たる水底の
 楠の大木をひとりひとり秘めていねばならない。

故里が
帰り着く国にあるために
遠く葬る故郷をもう一度持たねばならない。

またとは帰り着けない国であっても
行き着いてはいけるはずだと
ある春の日の
誰よりも早い蕾のふくらみを
そっと胸の内でほころびるまで待たねばならない。



米,はじめ廃炉を前提に‘最終対策’提案. 日本時期尚早と断る

2011年03月19日 | 東北アジアの平和
写真ーダニエル ポンメン(右側)米国エネルギー部副長官とグレゴリージャズコ(左)米原子力規制委員長

★懸命な作戦が続いている。全世界が息を詰めて成り行きを見守っている。同盟関係を慮りギリギリまで退去を口にしなかったアメリカまで、脱出を始めた。仙台の韓国特派員は家族を帰し、自分は日本を信じここに残ると、本社に打電した。我が家にも直ぐに日本を出発しろと、韓国から涙ながらに電話してきた。…ニュースとは裏腹に、平穏な日常が続いている。しかし、薄氷の安定かもしれない。
韓国メディアに、日本政府の初期対応を痛烈に批判した記事が載っていた。さわりの部分だけ抜粋する。namsang


福島原子力発電所事態に関連、米国政府が初めから廃炉を前提にした‘最終対策’を日本側に提案していたことが分かった。

日本政府はしかし、東京電力側が事態を収拾できると見てこれを断った。国内外で日本政府の対応が甘すぎたとの批判が出てきている。

米国はまた、事態の初期から(本来北朝鮮核監視用の)偵察衛星等を通して福島原子力発電所事故に対する情報を独自に収集してきた。

日本読売新聞は18日福島第1原発事故に関連、米政府が地震発生直後原子炉冷却のための技術的支援意思を明らかにしたが日本政府がこれを断ったと報道した。

この新聞は日本民主党幹部の話を引用して“11日東北大地震直後米国側が原子炉廃炉を前提としたテクニカルサポート意思を明らかにしたが、日本政府と東京電力は冷却機能回復は可能と見て‘米国側の提案は時期尚早’としてこれを拒否した”と報道した。


●何を書いても気が重い。原発以外のことをアップすると、何故か不謹慎にさえ感じてしまう。「再開」を決意したのだが、…すみません。…事態が落ち着くことを祈ります。N

「原発」は時限爆弾、正確には核爆弾…?

2011年03月19日 | 東北アジアの平和
★以下の記事はノルウェーにいる韓国人が、ハンギョレのブログに載せたものだ。本人は自身を社会主義者と言っているが、続きまで読めば原発の歴史まで分かる。長いので前文だけ転載する。namsang


朴露子(バク・ノジャ、Vladimir Tikhotov)ノルウェー、オスロ国立大教授・韓国学

ここ数日、私という存在は一瞬一瞬を「日本」に帰一しています。ものを書いていても授業をしていても家族たちと一緒にいても、いつも日本の事態に関するニュースを見たい衝動に駆られてしまいます。

よく「隣国の災い」と言いますが、私は日本で起こっている出来事について、日本を別の「国」、すなわち国民国家とはあまり認識していません。むしろその国家的な所属と関わらず、韓半島から非常に近い列島に住む衆生たちだと思っています。また、地理的には互いにやや離れていても、ただ今日本列島の住民たちの直面している災難はそのまま韓半島の人々の懸案でもあるという認識はとても強く持っております。

国内のメディアは「我が国は安全地帯」と吹聴していますが、今のようにあまりにも刺激の強い対北政策が本当にいつか局地戦に飛び火し、南韓の21ある原子炉の一つにでも砲弾やミサイルが当たったと想像してみてください。「戦時」ということをも考え合わせると、ただ今日本列島の住民たちが受けている災難より遥かに恐ろしい災難を招きかねません。もちろん、南韓の保守メディアがいくら「悖倫児 金正日」を非難しようが、いかなる極端な場合にも彼がそのようなことをしでかす可能性は大変稀薄であるという点を、実はよく弁えています。逆に、そのことを知っているからこそ、今のようなあまりにも挑発的な対北政策を推進する勇気でも出しているのでしょう。

ところが、軍事衝突までいかなくとも、原発とはいつなんどき制御不能なフランケンシュタイン(http://en.wikipedia.org/wiki/Frankenstein)に急変するか、実は誰にも分からない代物です。何の前触れもなくいきなり起きた1986年のチェルノブイリの惨事を思い起こせば気が付くはずです。原発は時限爆弾 -正確には核爆弾- であり、私たちは今この爆弾を抱いて眠ることを強いられているのです。

「安全地帯」? まあ、有事の際にはいつでも家族たちをみんな連れて彼らの「内地」ともいえるアメリカに引越す用意のできている韓国の支配者たちにとってはどこでも「安全地帯」なのです。「世界人」の真似ができるだけのお金と各種の書類をすべて備えているからです。ところが、この地に縛られている僕たちは福島県の住民たちのような無惨な運命をいつ味わうようになるか、誰にも分かりません。そのため、福島県とその周辺の被害者たちは,当然国境などとは関わりなく「私たち」と認めなければなません。

※続きは「ハンギョレサランパン」に