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北弔問団、影の仕掛け人・林東源長官とのインタビュー

2009年08月30日 | 南域内情勢
キム委員長“ソウル情報、紛らわしい,イ大統領直接会って確認してきなさい”
北弔問団ー裏の主役イム・ドンウォン前長官のインタビュー

2009年08月30日(日)12:02:06キムチ観/パク・ヒョンボム記者tongil@tongilnews.com

北朝鮮の故キム・デジュン前大統領'特使弔意訪問団'は、“南北対話を再開して南北関係改善の契機にしようというキム・ジョンイル委員長の意思を伝達するという'任務'について明らかにした。

金前大統領逝去を契機に、南北首脳間'間接対話'を水面下で成功させた,キム・デジュン平和センター理事長イム・ドンウォン前統一部長官は28日、ソウルにある事務室で<統一ニュース>とのインタビューで北朝鮮特使弔問団の'任務'をはじめとする2泊3日訪問の転末を明らかにした。

今回は報道ではなく、三千里鉄道には近しいイム先生の、インタビュー全文を載せる。namsang


<イム・ドンウォン前長官インタビュー全文>


□統一ニュース:
キム・デジュン前大統領と縁が深いと聞いている。 '人間キム・デジュン'はどんな方と思われますか?

■イム・ドンウォン前統一部長官:
私は1995年初めから15年の間、キム・デジュン大統領に迎えられ仕事をしたのを、本当に光栄と考えている。 あの方は、民主主義と人権、南北の和解,祖国の平和と統一のために一生を捧げてきた方だと言えます。

あの方が残した多くの業績の中で、分断史上初の南北首脳会談を成功させ,南北間の不信と対決の歴史を越えて,和解協力の新しい歴史を開いたのが、最も偉大な業績の一つではないかと考える。 そして南北首脳会談以後8年の間、南北関係は途方もなく発展した。

だから今回逝去されたが,キム・デジュン大統領は、韓国だけでなく南と北を通じて全ての同胞が尊敬する民族の指導者、全世界の人々の尊敬を集める民族の指導者である。 多分分断史上,南北が皆同じく認める指導者はこの方が初ではないか。この方が私たちの民族史に占める位置はすごいと一言で言える。

キム・デジュン大統領は、真に立派な政治家であり、行動する良心であったし,卓越した知識人、思想家、と同時に歴史を創造する実践家であったと評したい。

統一ニュース
□金前大統領逝去を契機に、北側で特使弔意訪問団を送ってきた。 これをキム・デジュン平和センターが迎えたが,特使弔意訪問団の進行経過とメッセージ内容に対して明らかにして下さい。

■ 8月18日午後1時43分、キム・デジュン大統領が逝去された。 直ちにセブランス臨時葬儀室に行ったが,多くの人々との話の中で、皆が私に尋ねた。"北側で弔問団がくるか,…招請しなければならないのではないか"、と。

"ノ・ムヒョン大統領逝去の時も、喪主は北側弔問団招請を願ったが政府が許可しなかった,今回はどうだろうか"こういう要旨の質問を私に投げた。私はこの質問に対し、"まちがいなくくる"と応えた。 しかし一方で、南北関係がふさがっていて,南北間に対話と通信がみな途絶えた状態でどのように実現することができるか、正直疑問であった。

夕方にキム・デジュン平和センターに副理事長のチョン・セヒョン長官,ムン・チョンイン教授(諮問委員),パク・チウォン議員も理事として“4人で一緒に会おう”とし、対策を議論した。

“どのようにすれば良いか?”
全員“南北間に疎通がない時こそ、私たちが疎通の通路を用意すべきだ”と合意を見た。 それで、弔問団派遣を契機にして南北関係改善の契機が用意されれば良いという期待をしながら、イム・ドンウォン,パク・チウォン理事の名前でキム・デジュン平和センター理事長であるキム・デジュン大統領が逝去したことをお知らせした。

今回の8.15祝辞でイ・ミョンバク大統領が‘いついかなる水準でも南北間のすべての問題に対して対話と協力を始める準備ができていることを明らかにする’と言った。 多くの論議の末に、弔問団がくれば大統領府を訪問という希望を抱いてメッセージを送った。

すると,翌日19日朝、直ちに北朝鮮のア太平和委員会がキム・デジュン平和センターのイム・ドンウォン,パク・チウォン理事に回答を送ってきた。
この内容はすでにパク・チウォン室長が、その日午後に発表した。 内容はすなわち,私たちが昨夜送った訃報の電文を確かに受け取った,キム・ジョンイル委員長は直ちに弔電を送り、労働党秘書と部長を含んだ高位級特使弔意訪問団を派遣することを指示した,そしてキム委員長の花輪を持って特別機便で行く,訪問日は葬式前にするもののいつが良いのか知らせてくれ,滞留日程は当日、だが必要ならば1泊2日にすることもできる,実務的な問題を調整して知らせて欲しいということだった。

ここで私たちが着眼したことは、私たちが予測したとおり弔問団でなく特使を送るということだ。これは大統領に会いたいということ,その日飛行機で来て帰るのではなく,1泊2日と時間を設けて必ず会いたいということと解釈した。

それで直ちに四人がまた集まって,政府にこの電文をそのまま伝えた。政府が引き受けて,弔問だけでなく大統領府訪問をすれば良いという意見を提示した。 チョン・セヒョン長官がヒョン・インテク統一部長官に会って,そしてパク・チウォン議員が大統領府某首席に電話をかけて,この事実を通知した。

このように事は始まったが, 政府側では‘政府を排除して民間を利用しようとする私設弔問団に過ぎない。 政府としては弔問の他は考えない’という意向で否定的であった。

いずれにせよ私たちは、北側の回答を受けて政府側に伝達し,政府側と相談をした。一方北には,1泊2日にする方が望ましい’という電文を送った。 そして、その日の夕方に北側からキム・ギナム秘書を団長とする特使弔問団を送るという発表が届いた。

そしてその日夜, キム・デジュン平和センターにメッセージがきた。 8月21日金曜日3時に金浦空港に到着する,そして6人の代表団名簿があった。そしてここで重要なのが“南側当局者を含んだ多くの人々と会い、議論する用意がある”という内容が入っていたことだ。

この電文は、そのままみな政府に伝達した。政府が必要な措置を取るようにしたのだ。 このようにして,仕事が始まった。

統一ニュース
□その当時、政府当局者を含んだ多くの人々と会うといった事実が、対外的に知らされたか?

■それは私たちは発表しなかった。政府側で発表するように、と言った。 初めから私たちは政府側が進めるよう願っていた。 それを政府側は、不快に思ったのではないか?

8月20日木曜日,政府の関係部署間の協議を経て,キム・デジュン平和センター側と会った。 ホン・ヤンホ統一部次官と私とチョン・セヒョン長官,何人かが一緒に会った。政府では私たちが日程案を出した空港出迎え,弔問,献花,そしてイ・ヒホ女史礼訪はみな良い,身辺安全措置,費用,宿泊は国葬なので、みな政府の葬儀委員会が負担する,しかしそれ以上のことは考えないでほしいといった。

これは私たちが当局間接触を願い、大統領府訪問をするようにしてくれと言ったが、政府はそれは考えていないという意味であった。 その日(21日)夕方の晩餐、翌日の朝食会もしなければならないのに,政府は無関心、それでキム・デジュン平和センターの主催で晩餐,朝食会をもった。

北側代表団らとの晩餐と朝食会から出た話は、大統領府訪問を望む,キム・ジョンイル委員長はその間南北対話に関心を持っていたが,ソウルからの情報が紛らわしいので、イ・ミョンバク大統領を直接会って確認してこいとの指示があったということだ。 同時に北側が南北対話を再開して南北関係改善の契機にしようというキム・ジョンイル委員長の意向を伝達するといった。

もちろん政府側に、そのまま伝えた。しかし、北側の意志を聞いたにもかかわらず,統一部側は大統領府訪問に消極的、否定的であった。統一部長官を会って行けば良いのでは、という考えでいるように見えた。

この頃、キム・ドクリョン国民統合特補兼民和協議長が関心を持って,電話をかけてきて会いたいといった。 それで朝食会にきて,直接北側代表らと対話をして,正確な意見を伝え,大統領に伝達し,ようやく糸口が見つかり始めてた。

キム・ドクリョン特別補佐官が重要な役割をした。 キム・ドクリョン特別補佐官は政府を代表してきたのではなかったが、民和協議長として南北関係を改善させなければならないという考えを持っておられた。特補だから大統領への接近が容易であり、それで大きい役割をしてくれたことはとても幸いであった。

もちろんメン・ヒョング政務首席も8月21日国会議事堂に弔問をきた時に、北側の意志がこうだとすれば、大統領府訪問を実現させたら良いと話し,国会議長も会うのを希望するという意を伝達した。

いずれにせよ色々な難関を克服して大統領府訪問が実現された。 もちろん土曜日に大統領府訪問になれば良かったが、外国から来た弔問使節団との面談の一環でではあったが、日曜日に15分の予定が30分間会えた。北側はキム・ジョンイル委員長のメッセージを伝達し、またイ・ミョンバク大統領は政府の立場を明らかにした。 30分は、長い時間だ。

こうして、南北最高当局者間に間接首脳会談が成立したのだ。 コミュニケーションになった。 どれくらい幸いなことかわからない。

統一ニュース
□キム・ギナム秘書は以前にも会ったことがあるか?

■もちろんだ。 あの方はよく知っている。 キム・ギナム秘書は2005年に6.15共同宣言5周年行事の時私が政府代表団の一員として平壌に行って会った。その年8.15大祝典の時ソウルにキム・ギナム秘書を団長とする北朝鮮代表団がきた。 それでこの代表団が顕忠園(ヒョンチュンウォン)を参拝した。 とても歴史的事件だ。

その時キム・デジュン大統領がセブランス病院に入院しておられ,病院に病気見舞いに来られた。 …短い日程ではあったが、慶州に行って,仏国寺と石窟庵も見た。 仏国寺で朝食を食べて一緒に上がってきたが,今回も仏国寺で朝食をしたことが印象的だとおっしゃっていた。 性格が良くて、やわらかい方だ。

統一ニュース
□キム・デジュン前大統領は最後まで民主主義.庶民経済.南北関係の危機,いわゆる‘3大危機’克服のために‘行動する良心’になれと訴えたが,南北関係の危機はどこからもたらされたのか,どのように克服すべきか?

■南北関係危機の根源は何かということだ。
根本的には韓半島危機の根源が何かを先に考えてこそ答が出る。 韓半島危機の根源は、米国と北朝鮮の敵対関係に起因する。

1990年代初め国際冷戦が終わって,当時ソ連と中国は大韓民国と外交関係を樹立し、関係正常化をした。 ところが米国は、北朝鮮を相手にしないで,冷戦時代にしてきた封鎖政策を持続し,北朝鮮を圧迫と制裁で対応した。

北朝鮮は米国との関係正常化を望むのに、圧迫と制裁をしてくるからこれに反発して,結局は核開発をすることになったのだ。 核開発は北朝鮮としては安保威嚇に対処して,抑止力を確保するという側面もあるが,同時に米国と関係正常化のための交渉カードに使おうとしたのだ。 これが韓半島危機の根源だ。

したがって変化を掲げて大統領に当選し,今外交政策で変化の波を起こしているオバマ大統領は、米国が60年間余り持続してきた対北朝鮮敵対関係をもう終わらせて、北朝鮮と関係正常化をする決断をする時になった。 そうしてこそ韓半島問題が解決され、核問題も解決することができる。 そして韓半島平和と統一に対する米国の歴史的責務を果たすことができる。

もう関係正常化をしなければならない時がきた。 まさに米.北敵対関係が解消されてこそ、韓半島の平和を成し遂げることができるのだ。 これが韓半島問題の根源になっている。

それなら現南北関係がこのように悪化した原因はどこにあるのか?
キム・デジュン,ノ・ムヒョン進歩政府10年の間、南北関係改善努力をしてきたし,多くの進展を成し遂げた。このように和解協力の時代を開いたにもかかわらず、イ・ミョンバク政府が執権して関係が悪化し始めたのではないか?

そこには2~3、最も根本的な原因があると見る。
一つは現政府が'非核.開放.3000'というスローガンを掲げて、核問題が解決されてこそ南北関係を改善することができるという政策に、根本的原因がある。

北朝鮮核問題の本質は何か?
米国と北朝鮮の敵対関係の産物だ。 だから米国と北朝鮮の関係が正常化されてこそ、北朝鮮核問題が解決することができるのだ。 米.北関係正常化と北朝鮮核廃棄はかみ合っている。

このような事実はジュネーブ合意の時もこの二種類を一緒に解決すると合意していて,9.19合意の時も二種類を一緒に解決すると合意していることでも明らかではないか?

ところが政府が、南北関係を北朝鮮核問題に従属させてから,南北関係が難しくなり始めた。 以前の政府は、北核問題は米国と北朝鮮が解決しなければならない問題とし、南北関係発展を通じて米.北関係改善を助けるという並行戦略を敷いてきた。 ところが現政府に入っては、連係戦略を使ってこのようになった。

幸運にも今回の8.15祝辞にイ・ミョンバク大統領は、最初の強硬路線からは後退した話をした。 今までは核を廃棄してこそ南北関係が発展することができるといったが、今回は北朝鮮が核廃棄の‘決心を見せるならば’わが政府はどうこうする意志があるとだいぶ変化した態度を見せたので、可能性は見える。

二番目は南北関係が悪化した要因の中の一つは、イ・ミョンバク政府執権以後に、以前の政府で合意した6.15南北共同宣言と10.4宣言を無視、否定する態度を取ったことだ。

北朝鮮は“この二宣言は、南北が和解.協力しようという宣言、実践していこうということなのに、それを否定するということは何を意味するのか? 不信と対決に戻ろうということか?”ということで南北関係が悪化した。

一部反北朝鮮.極右勢力らは、6.15共同宣言をあたかも北朝鮮の対南赤化戦略に私たちがもてあそばれていると解釈する。それは、 ものすごく被害意識を持った考えだ。 こういう雰囲気が現政権に影響を与えたと見られるが,でも正さなければならないだろう。

現政府も対北朝鮮政策は‘共存共栄’の政策だと話している。共存共栄の政策ということは何か? 和解協力,包容政策ということだ。 しかし実践をそうしないから問題だ。

南北間に合意した5大重点事業らが、みな中断されている。開城工業団地を除いてはオールストップになったが,いよいよ離散家族対面も始まるし工業団地事業も活性化されるだろう。 もちろん金剛山観光事業も開始、南北間経済協力もまた始まるだろう。 とにかく8月は私たちに希望の便りをたくさん伝えてくれた。

統一ニュース
□キム・デジュン前大統領の遺志を実現するために、政界と市民社会が韓半島平和と統一のためにしなければならないことは?

■チャンス到来だ。 私が見るには、今年8月に入り、米.北,南北関係に良い薫風が吹き始めていると見る。例えば8月4日に米国クリントン前大統領がキム・ジョンイル委員長に会って,米.北関係改善のため多くの議論をしたし,女性記者釈放もした。

オバマ政府はそこに依拠し,対北朝鮮政策を最終検討しているであろう。 今のところ、方法論と手続き上の問題らを詰めているようだが、うまく解決するだろうと見る。

南北間においては8月16日にヒョン・ジョンウン現代グループ会長とキム・ジョンイル委員長の会見を通じて、色々な合意を見た。またその前に、抑留されていた勤労者も釈放された。 それだけでなく、開城工業団地通行制限措置も解除し,門を閉ざした開城工業団地南北経済協力協議事務所も復元した。

今回キム・デジュン大統領逝去に際して,特使弔問団を送って,大統領府を訪問し,イ大統領とコミュニケーションをとった。 これを契機に完全に途絶えた通信網が再開し,また離散家族対面のための赤十字会談が開かれている。 秋夕離散家族対面は実現されるだろう。

このような進展で,その間ふさがっていた南北関係の糸口が見つかり始めた。南北が互いにこれをよく活用するならば、9月に南北当局間会談が開かれることも,南側から北朝鮮に特使を送ることもできる。 今なら特使を送っても、(北朝鮮が)受け入れるであろうし,また特使に適合する人も生じた。

このようにして,私たちの意志如何にしたがって南北関係が改善されて,同時に米.北関係も一緒に改善していくことができないか,こう思う。

キム・デジュン大統領は亡くなりながらも,南北対話のいとぐちを開いて南北関係改善の契機を用意するという贈り物を残して逝かれた。

統一ニュース
□北に送る特使に適合した人物は誰か?

■今まで特使に適合した人が南側としては現政府ではいなかった。 ところが今回キム・ドクリョン特別補佐官,民和協議長が北朝鮮の対南関係最高責任者らと初めて出会い、意見を交換した。互いに良い印象を持っている。

大統領が願うならば、このような人を送るならば直ちにあちらで受け入れないか。 一番の適任者だ。 その他に誰がいるかは分からないが,私が見る範囲ではそうだ。

統一ニュース
□北朝鮮が最近、南北関係と北.米関係に積極的である。どのように見ているか?

■北朝鮮の意図を正確に分からないが、北朝鮮はオバマ政府に期待していた。 ところが、人工衛星発射によって米国がそんなに激烈な反応を見せるだろうと考えられなかったようだ。

今回最高人民会議を開き、キム・ジョンイル3期体制出発を祝う意味で人工衛星を発射したが,98年にもそうした。 それを日本と韓国が先に立って騒ぐので、オバマもそこにまきこまれて強硬策をとった。 大きく間違ったのだ。 そのようにするのではなかったのに。

何ヶ月前にイランが発射した時は静かに見守ったが,なぜ北朝鮮だけはいけないのか…。 それで北朝鮮は、核実験までしたのだ。

こうして北米関係が難しくなり、解けるのに時間が多少かかるのだ。 5月に核実験し,6月からは解くための努力を北朝鮮はした。 そうするうちに8月初めにクリントンがきて解け始めた。 今回突然なったのではない。
オバマ政府になって,北米関係改善を模索してしてきたが、人工衛星発射でねじ曲がったが、正常化していく過程だ。

南北関係も6月ぐらいから北側は解こうとしたようだ。 北朝鮮の軍部強硬派の声が大きくなる時がある。 その次にはまた協商派の声が高まり始める。 南批判も少しずつ温和になり始めたことが分かる。 それも米.北関係と関連があるだろう。
<終わり>

つぎはMBC殺しに躍起! 韓国言論の品位を疑う

2009年08月29日 | 南域内情勢
写真ーメンバーの面々

生前ノムヒョンは、「言論に屈服する政治家には決してなりません」と宣言した。在任中ノムヒョンの一挙手一投足にことごとく反論し、貶し、さてはでっち上げまでして妨害した韓国の保守言論(朝鮮、中央、東亜ー「朝中東」は韓国保守言論を指す国際語になった)は、権力の妾になり下がった検察権力との共同作戦で前職大統領を追い詰めた。…その言論の巨頭である朝鮮日報が、金大中前大統領の国葬に際し、故人を悼み讃える漫画を載せた。YS、DJの和解を描き国民統合と和解に寄与したと、讃えたという。YSとは、言わずと知れたハンナラ党の前身である3党統合の産みの親、民主化にとっての背信者と言われた人物…。そして決定的に袂を分かった二人だ。そのYSが、生命維持装置で辛うじて息をしていた金大中と和解、と、勝手にいけシャーシャーとほざく。それを朝鮮日報は持ち上げる。
そして今回、メディア法強行採決の余勢をかって、信頼度一位の公営放送MBC乗っ取りに乗り出した。
因に「放送文化振興会」メンバーには、チャンジャヨンリストにも載った朝鮮日報のパンさん、ニューライトの学者など錚々たるメンバーが名を連ねている。namsang


"放送文化振興会(以下「放文振」)、MBC掌握に躍起,
"オム・キヨン社長解任説'流す、MBC労組は"放送民主化蹂躙,政権陰謀"と

2009年08月26日(水)16:19:19チョ・ヒョンホ記者( chh@mediatoday.co.kr)

MBC最大株主・放送文化振興会が業務報告を受けた後,オム・キヨンMBC社長の解任、MBC掌握という話が内外に出回った。
全国言論労働組合MBC本部は26日、"退くことはできない、戦いの開始だ"としながら、"過去20年放送民主化闘争の成果を蹂躙しようとする政権の陰謀に対抗して,一歩も退かずたたかう"と明らかにした。

MBC本部はこの日発表した声明で、"大統領府のシナリオのとおり,放文振が現オム・キヨン社長を電撃解任して,露骨にMBC掌握に出るという"うわさに接し、"大統領府から次期社長を落下傘人事を受けるための角逐戦はすでに始まった,その実名まで議論されている状況と説明した。

MBC本部は、"二人の前職大統領を送った今, 話では'和合と統合が時代精神'と騒ぎながらも,水面下で政権が進行している。この卑劣な行為は、未久にその姿を白日下に表わすだろう"と明らかにした。

MBC本部は放文振が経営陣の業務報告を聞いて"汗流し,公営放送MBCを作ってきた人々に偏狭な理念的思考で裁き、労組経営とか、アカ傾向としながら、根拠のない罵倒をはばからなかった。彼らは政治的ミッションとしてMBCを手に入れるため,労使皆を犯罪集団扱いし狂奔した"と批判した。

MBC本部は、放文振に対して"いったいどこに向かって頭を下げ、MBC殺しに躍起になるのか"と問い、誤った判断で各自の人生に汚名を残さないように,と警告した。

MBC本部は、オム・キヨン社長にも"少しの間の卑屈を我慢できず、名誉を根こそぎ失った歴史の教訓を忘れるな"として、"MBCと国民が人間オム・キヨンに施した愛情を大切にし,誇らしい公営放送の首長として、堂々と対応してほしい"と要請した。

メンバーの質問は、言論人とはほど遠い下品な内容、一方的に社長を追い詰めていった。(内容省略)品位を疑いたくなる場面である。

今後の成り行きに注目しよう!



日本が民主党政権になることで、東北アジアに変化があるのか…

2009年08月28日 | 東北アジアの平和

統一ニュースに、和田春樹の講演に関するニューが出ていた。
タカ派一色になっている日本の報道社会では全く報道されないのだが、ちょっと参考になるかもと思い、翻訳して掲載しました。

こう進めばいいんだがなあと懐疑的ながら…

by maneappa

………………・

http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=86213

日, 北と対話.和解可能性高い"
和田春樹, '8.30 総選' 以後展望."自主的対米外交になる"

2009年 08月 27日 (木) 16:44:28コ・ソンジン記者 kolong81@tongilnews.com

▲和田春樹教授が 27日午後 3時、国会図書館大講堂で開かれた民主政策研究院創立 1周年記念招請講演で発言して。[写真-統一ニュース チョ・ソンボン記者]

日本の代表的な知韓派学者に知られた和田春樹東京大名誉教授は来る 30日の日本衆院総選挙を通じて 55年ぶりの政権交代が成立すれば、以前とは違い、朝日間対話と和解の雰囲気ができるものとみる。

和田春樹教授は 27日午後 3時、国会図書館大講堂で開かれた民主政策研究院創立 1周年記念講演で "日本民主党が 政権を取ったら自民党政権では不可能だった対話と和解の路線に行く可能性が高い"と北日修交可能性が高いと述べた。

彼は "民主党はよく分かっていることのように、タカ派も属している"と紹介し、 "若い自治団体長たちが '日本回復' などのスローガンを掲げて右翼的な主張を展開したり、憲法第9条の改訂に対して民主党議員のかなり多くが賛成している"と保守的見解もかなり多く存在していると伝えた。

しかし和田春樹教授は "政権交代を実現するということは自民党政権とは違うことをするということ"と言いながら "今の自民党よりタカ派的な道を選択する理由がない。政権交代選挙のすべての指揮者である小沢代表代行はよりハト派の道を選択するように見える"と予測した。

その根拠で 8月 19日付の朝日新聞に載せられた候補者たちの面々を把握したアンケートを挙げた。

調査結果によれば, '憲法改定', '防衛力強化', '集団的自衛権の行使' などの項目で民主党候補たちは自民党候補とは違いかなり多くが反対する態度を見せている。

和田春樹教授は "マニフェストでは対北政策に対して核保有に反対、拉致問題の徹底解決以外には取り上げていない。すなわち何も言ってないこと"だと言いながらも小沢一朗が党代表だった時、党の国際局副局長に朝日修交正常化議員連盟事務局長であるが川上義博参院議員を任命した人事事例などを挙げ、 "小沢が朝日関係の進展を計画しているということが分かる"と判断した。

また政権交替になれば首相になる可能性が大きい鳩山由紀夫民主党代表に対しても "歴史問題と前後補償問題に積極的な人"と言いながら "今度の選挙では靖国神社に替わる無宗教的国立追悼施設案に積極的な態度を見せた"と和田教授は言った。

アメリカとの関係に対しても彼は、 "確実に言えることは、自主的な外交関係を持つようになること"と言いながら、アメリカの核兵器が日本本土に搬入されることを反対している民主党がこの部分に対する確かな意見表明があると見た。

和田春樹教授は "これは日本において最後のチャンスで、これを逃したら日本は希望がない那落に落ちること以外に他に方法がないこと"と言いながら "韓国側からの支援を願う"と訴えた。

この日、和田春樹教授の記念講演に引き続き、韓相震ソウル大教授が 転換期以後の模倣性と民主党の 六大課題'という主題で講演が続けられた。

和田春樹教授は 故 金大中前大統領拉致事件以後、日本で真相糾明運動を活発に展開した学者で、 金前大統領の獄中書信を日本語で翻訳、紹介した。金前大統領の国葬期間には梵香所を尋ねて故人を哀悼したりした。

彼はまた日本民主党の対北政策助言者で知られているし、去る 20日、韓国、アメリカ、日本の代表的知識人 110人が署名した '東北アジアの平和と安全のために'と題した声明発表に参加した事がある。

南北赤十字会談合意書

2009年08月28日 | 南北関係関連消息
26日から3日間にわたって協議されてきたが、つい先ほど、2時34分についに合意書を発表した。

内容に目新しいことはないし、規模も小さいのだが、このように合意を見たことを海外同胞として心から歓迎したい。

李明博政権になって以来、緊張が高まる一方であったが、クリントン訪朝に続き、金大中の国葬の際には弔問団を派遣、そして今回の赤十字会談の合意。
緊張がピークに達した後のこと、ぎこちないのは致し方ないこととして、南北がとにかく、会い、話すことに、エールを送りたい。

このような流れの中で、金剛山、開城観光が再開することを心待ちにしている。

※10月末に韓国家族旅行を計画しているのだが、もしも金剛山観光が再開するのならば、計画を変更するつもり。

by maneappa


<南北赤十字会談合意書>

南と北は 2009年 8月 26日から 28日まで金鋼山で南北赤十字会談を持ち、次のように合意した。

1. 南と北は秋夕を契機にして離散家族再会行事を来る 9月 26日から 10月 1日まで次のように進行する。

一、 再会規模は南と北がそれぞれ 100人ずつとすることとする。

二、 生死確認依頼書は 9月 1日双方がそれぞれ 200名ずつ、解答書は 9月 15日。
最終名簿 100人は 9月 17日交換する。

三、再会場所は団体再会は金鋼山離散家族面会所で、個別再会は金鋼山ホテルなど既存施設ですることとする。

四、双方は再会の円満な保障のために先発隊事業を再会開始 5日前から進行する。

2. 南と北は離散家族問題など赤十字人道主義問題を南北関係発展の見地から継続して協議して行く事とする。

2009年 8月 28日

南北赤十字会談南側代表団首席代表 キム・ヨンチョル
南北赤十字会談北側代表団団長 チェ・ソンイク

MB支持率、45%に。ほんと ?

2009年08月27日 | 南域内情勢
リアルメーター世論調査,MB支持率31.4%
大統領府,支持率‘40%台安定’と言っていたが…国政運営不正評価は58.5%に

2009年08月26日(水)13:11:08リュ・ジョンミン記者( dongack@mediatoday.co.kr)


国葬、北弔問団の青瓦台訪問、南北赤十字会談と、かつて無い好材料のなかで行った世論調査、タイトルのような支持率を青瓦台は発表したが、本当だろうか?彼らの希望的観測が世論調査に反映?されたのだとの見方も一部にある。
同時期、リアルメーターという専門世論調査機関の集計結果が、メディアオヌルというサイトに載った。ご参考下さい。namsang

林東源先生からメール、都理事長の追悼文に謝意

2009年08月26日 | NPO三千里鐵道ニュース
現在、当ブログで金大中前大統領追悼リレーを行っているが、トップに載せた理事長の文を翻訳し、林先生にメールしたところ、今日返信がありました。以下、全文紹介します。namsang



尊敬する都相太理事長様

キム・デジュン前大統領逝去に際した都理事長様の哀祷の文を、感銘深く読みました。 金大統領との縁もよく知ることになりました。

国葬を無事に終えました。悲しみを共にし、哀悼して下さったことに対して、頭を下げ,感謝します。

私は国葬期間、キム・デジュン平和センターを代表して北側弔問団を招請し, キム・ジョンイル国防委員長が派遣した特使弔意訪問団をむかえ晩餐と朝食会を主催し,多くの意見を交わし,弔意団の大統領府訪問を実現させるために努力しました。 ご存じの通り南北関係はふさがり、南北当局間対話と通信網は途絶えた状態でした。 容易ではなかったですが幸い大統領府訪問が成就し,最高当局者間の率直な意見交換を通じて,南北関係改善の糸口が見つかることになってうれしく思っています。

私は朝食会席上で南北鉄道連結を喜び南北当局に献金した都理事長を紹介し, 今後養豚支援事業も推進したいと意思表示した問題を提起しました。その際、金ヤンゴン統一戦線部長とウォン・ドンヨン室長は、鉄道建設献金はもちろん養豚支援事業意向を知っているという事実を確認しました。
どのように知ることになったのかは尋ねなかったです。 キム部長が言うには,この事業を推進したいが, 先に南北間に畜産物検疫協定などが締結されなければならない問題があるとしながら、南北関係が進展すれば解決されるとの期待を表明しました。

以上対話要旨をお知らせします。

もう一度哀悼の文に感謝申し上げ、これからも康寧でありますよう祈ります。

                        
                           2009.8.25.

                           イム ドン ウォン



金大中前大統領追悼リレー 9

2009年08月25日 | NPO三千里鐵道ニュース
           

          この地に融和と和解、そして統一を!


… …
"被告人、最後陳述して下さい"
"再びこの地に政治報復はあってはならないでしょう"
"被告人キム・デジュンを死刑に処する"

被告人キム・デジュンは,パク・チョンヒ,チョン・ドゥファンなど軍事政権の独裁者らに魂まで売ってしまった判事らから死刑を宣告された。 単なる地位保全のために良心まで売り飛ばした政治侍女ら,その判事らからの死刑宣告…。
死刑宣告を控えた被告人の、この地にこれ以上政治報復があってはいけないという彼の最終陳述は, 死刑を宣告する判事らの肝を冷やした。

あの5.18光州事件の首謀者として死刑を宣告された金大中が、最終陳述を行った場面を描写した文である。
奇跡の生還を果たし大統領に上りつめた時、彼を拷問した悪辣非道な刑事は戦慄した。これで自分の人生も終わりだと…。ある日刑事のもとに郵便が届けられた。開けてみると漢方薬「熊胆」と、金大中からの手紙であった。これを飲んで元気に長生きしてください、と。
その刑事は、今回の金大中逝去に際し、インターネットサイトに文を載せ、故人のご冥福を祈った。

世界で唯一の分断国家・朝鮮半島は、過去3年間の戦争を経験している。血で血を洗う凄惨な戦争が残したものは何か。それは数百万の同族の死骸と山河の破壊、そして骨髄に沁み込んだ憎悪であった。その後経済は復興し、山河に緑は戻っても、今も大国の都合に翻弄される朝鮮半島は、冷戦構造の枠組みの中にがっちり取り込まれ、息詰まるような分断と対立の中にある。
びくともしないと思われた鉄の壁に穴を開けた人、それが金大中である。
これまでも幾多の志士が、民族統一と融和の祭壇にその命を捧げた。金九、文益煥、近くはノムヒョン…。
彼らはパルゲンイと罵倒されながらも、過去殺し合った、しかし同族である彼らを、愛と融和の精神で受け入れ対話し、気の遠くなるような忍耐で一歩、また一歩と進んできたのだ。

死を目前にした金大中が「失われた10年」を叫ぶ輩(その頂点であるMB)に向かって、民主主義の逆行を憂い独裁的手法に警告を発した。しかしその金大中の国葬に際し、MB政権は、故人の遺志を継ぎ国民統合と融和の機会にしようと、叫ぶ。本意だろうか?
あまりにも嘘と謀略が透けて見えるので、突然彼の口から吐かれる言葉を額面通りには信じがたい。北の弔問団を招き柔和な笑みを浮かべるMBに、何故かぼくは、軍服を脱ぎサングラスをとったあの独裁者の姿を見る。
それでも本当に南北融和と統一に向かうのであれば、ぼくもMBを支持する。好きになろう。なぜなら、わが民族にとって最大、緊急の至上命題は分断された国土と民族の統一であるから。

ノムヒョンは言った。嘘のない、原則を貫く政治をしたい、と。
今年の夏ポンハを訪れ、彼の歩いた道、彼の眺めた風景を見ながら、退任後ノムヒョンが故郷で描いた夢を見た。そんな小さな夢まで無残に踏みにじったMBの所業を、国民は忘れていない。そのことで体の半分が崩れ、逝かなければならなかったDJの無念を忘れない。

ノムヒョンが生前、最も尊敬する人の一人として上げたDJ、彼とあの世で、今どんな話をしているだろうか。… …
金大中前大統領、ご苦労さま。ご冥福をお祈りします。namsang



金大中前大統領追悼リレー 7

2009年08月24日 | NPO三千里鐵道ニュース
           

             身を捧げ南北融和に貢献
                        
                      野村光司(東京)

 クリントン元大統領が訪朝し金正日総書記と会見、米国記者2名が解放されたとき、その昔ニクソン米大統領が中国を訪問し米中雪解け、国交回復となったことを直ちに思い出しました。日本はアメリカに追随して田中角栄さんの訪中となり日中国交回復がなりました。
 今回は韓国から現代グループのトップも訪朝し、クリントン同様の成果を挙げました。そして金大中先生の国葬を機会に北朝鮮弔問団が来られ、李明博大統領との会見も成りました。 南北冷却未だ完全には解けないうちですが、さすがに金大中先生はお亡くなりになっても「死せる諸葛孔明、生ける仲達を走らす」で、身を捧げて南北融和に大きく貢献されました。イエス・キリストは自らの身を十字架に磔にして人類の罪を雪いだといわれますが、金大中先生の逝去が同じことになることを祈るばかりです。すなわち我ら日本民族の朝鮮民族への罪がその心からなる懺悔によって雪がれ、南北朝鮮民族の不和と言う最近の過ちも反省され、この韓朝日の暖かい友好協力により東アジア全体に王道楽土が建設されて欲しいと言う私の年来の願いが達成されることを、私は秘かに願っております。

二人の韓首相

2009年08月24日 | 管理人のつぶやき
金大中の国葬で弔辞を読んだのが韓昇洙首相。
盧武鉉の国民葬で弔辞を読んだのが韓明淑元首相。
同じ韓氏としてなんだか誇らしいと思うのは、私の守旧性の表れですか。

昨日の国葬の時のこの二人がとても印象的だった。

韓明淑元首相は最初から終わりまでうつむいて涙を落していた。同志と先生をたて続けて失ったその胸中がわかるだけに、私ももらい泣きした。
その姿をすぐ隣の席で訝しげに見ていたのは李明博だった。

韓昇洙首相が焼香する時だった。
かれは、右手をばっと開いて、ありったけの香をわしづかみにして梵いた。
その時の表情に無念が満ちていた。
彼は、歴代政権に重用されたが、金大中の時代には第30代外交通商部長官(2001年3月~2002年2月)、第56代国際連合総会議長(2001年3月~2002年2月)等を務め、金大中のノーベル賞授賞式にも参列している。
彼は今、李明博政権の下で首相をしているが、胸中只者ではないものがあるように感じるたのは私だけであろうか…。


by maneappa

残しておきたい記事をいくつか。

2009年08月24日 | 南域内情勢
金大中の死後、朝鮮日報、中央日報、東亜日報の三大紙がいずれも、追悼一色になったという。生前あれほど敵対していたのは何だったのだろうかと思わせる。
そういう中、趙甲済は相変わらずだったようだが。

by maneappa

…………

2009/08/14 14:29 KST
全斗煥元大統領、金大中元大統領を見舞う

【ソウル14日聯合ニュース】全斗煥(チョン・ドゥファン)元大統領が14日、肺炎で33日にわたり延世大学セブランス病院に入院中の金大中(キム・デジュン)元大統領を見舞った。前職大統領の見舞いは10日の金泳三(キム・ヨンサム)元大統領に続き2人目。
 金大中元大統領は1980年の光州事件(民主化抗争)を裏で操作したとされ、全斗煥新軍部により陰謀の疑いで死刑を宣告されるなど、軍事政権最大の政敵として弾圧を受けた。しかし、全元大統領が1996年に粛軍クーデターや光州事件と関連し死刑宣告を受けると、「前職大統領の不幸な歴史を繰り返してはならない」と当時の金泳三大統領に特赦を建議。これが翌年の特赦措置につながるなど、2人は悪縁を断ち切り容赦と和解の手を取り合った。全元大統領は金大中元大統領の在任中、通貨危機局面での指導力や太陽政策を高く評価している。

 全元大統領は同日午前11時ごろ、金大中元大統領の病室がある20階に到着するや、李姫鎬(イ・ヒホ)夫人の手を取り苦労をねぎらい、「状態が悪化しているようで休暇中に訪問した」と述べた。また、「金大中元大統領のときが前職(大統領)らが最も幸せだった」「金大中元大統領は外国歴訪後に前職大統領夫婦を招いて成果を説明してくれた」などと褒め称えた。

 続けて、自身も同病院で手術を受けたと紹介しながら、高齢のため時間がかかるだろうが、間違いなく全快して退院するだろうと回復を祈った。

(聯合ニュース)

…………

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=119277&servcode=200§code=200

朴槿恵氏「父の最大の宿敵」DJを見舞う
中央日報

16日で金大中(キム・デジュン DJ)元大統領がソウル・延世(ヨンセ)大のセブランス病院に入院してから35日目となる。

1カ月以上「見舞い政治」が続き、韓国政治の場は汝矣島(ヨウィド)の国会からこの病院に移された。特に今月10日、DJが危篤だというニュースが流れた後、歴史的な和解と容赦の姿が相次いでいる。ハイライトのシーンのひとつが、15日、朴槿恵(パク・クンヘ)元ハンナラ党代表の見舞いだった。

朴元代表にとってこの日は光復節(独立記念日)以前に母親・陸英修(ユク・ヨンス)さんを失って35年になる日(74年)だ。DJ側は朴氏が病院の20階でエレベーターを降りるまで見舞いの計画を全く知らずにいたという。朴氏は記者が集まっている3階の入口ではなく地下の駐車場を利用した。

朴元代表は金元大統領夫人・李姫鎬(イ・ヒホ)氏の手を握ったまま「ご心配だろうと思います。安定を取り戻しつつあるとうかがって、お見舞いに来ました」とし「ご迷惑になるのではと思って、静かに訪れました」と話したという。

DJは朴正煕(パク・チョンヒ)元大統領にとって最大の宿敵だった。73年の朴正煕政権時代、中央情報部は日本に亡命中のDJを拉致(らち)したこともある。朴元代表を迎えた権魯甲(クォン・ノガプ)元民主党顧問は「(DJが)在任時代に先に和解と統合の政治を実践したため可能なこと」と述べた。

DJは97年の大統領選候補時代に慶尚北道善山郡(キョンサンブクド・ソンサングン)にある朴元大統領の生家を訪問し、大統領に当選した後「朴元大統領記念事業会」の名誉会長を務め、記念館の建設に200億ウォン(約15億円)の予算を配分したこともある。朴元代表は04年8月、代表になった直後、DJと会い「父の時代に多くの被害を受け、ご苦労なさった点に対し、娘として謝罪したい」と伝えた。

金大中前大統領追悼リレー6

2009年08月24日 | NPO三千里鐵道ニュース
昨日は金大中の国葬をスカパーのKBSワールドでずっと見てた。
5月に非業の自殺を遂げた盧武鉉前大統領の国民葬を思い出しながら、その違いがそのまま二人の違いだなあと思いながら。

この二人の大統領には、実は大きな違いがある。
それは世代の差によるものが大きいのかもしれないけれど、特に政治スタイルに大きな違いがあった。
盧武鉉の遺族関係者が家族葬を望み(これはかなえられなかったが)、故郷の自宅近くに墓地を定めたのと、金大中の遺族関係者が国葬を望み、顕忠院に墓地を定めたことの違いに象徴的に表れる。

私にとって金大中は、どこまで行っても韓国の政治家であり、また先生のような方だった。盧武鉉は、やはり運動家であり政治家になりきれなかったいわば先輩のような感じであった。

いずれにせよ、偉大な政治指導者を二人続けて失ったことに、韓国の現代史の試練を感じる。
ある先輩いわく、「神さまは、まだわが民族に試練を与えようということだ。仕方がない。」と語ったが、そうなのだろう。

先ほど、韓国の友人に電話していろいろ話していた。韓国内でも南北対話の空気が強まってきているとのことだ。
金大中は、死してなお、我が国のために大きな仕事をしたということだろう。

国葬の中で短い追悼映像が流れたけれど、とても金大中の一生を語れるものではなかった。まさに、信念に貫かれた波乱万丈の人生。映像には含まれないことをいくつも思い出しながら、しみじみとその偉大さに頭が下がる。

国葬が終わった後、庭に、忍冬草を2本植えた。金大中のニックネームのその草木である。冬でも枯れることのない草木。
つる性の草木だから手入れが大変だと思うけれど、金大中を記憶するためにと思って植えた。

幸い韓薬でもあって、その草木は乾燥してからお茶として、花は、忍冬酒をつけようと思う。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%B9%E3%82%A4%E3%82%AB%E3%82%BA%E3%83%A9

母の話では、何のことはない、この茎や葉をマッコリを作るときに一緒に混ぜたんだそうだ。
ちょっと調べてみたら、「東医宝監」にもその効能がうたわれているようだ。

それと、日本では、なんと徳川家康も愛飲していたというではないか。
いまも、昔ながらの製法で、忍冬酒が製造されている。
これも一度飲んでみたいと思う。

by maneappa


金大中前大統領追悼リレー5

2009年08月24日 | NPO三千里鐵道ニュース

        金曜行動後に、金大中さんの弔問に
            
          名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟を支援する会共同代表
          名工大名誉教授     寺尾 光身


毎週金曜日午前中、品川駅港南口と三菱重工本社前で名古屋三菱・朝鮮女子勤労挺身隊訴訟原告への謝罪と補償を求める街宣、ビラまき、三菱重工へのアピールを行っていますが、昨日はこの金曜行動後に、仲間5人とともに亡くなられた金大中さんの弔問に大韓民国大使館を訪れました。

山手線目黒からメトロ南北線に乗換え、麻布十番下車。強い日差しの影を拾いながら大韓民国大使館へ。門前に警官を含め警備員3、4人。「何か御用?」、「金大中さんの弔問に」

玄関の外と内に黒背広姿の男性が一人ずつ案内に立つ。玄関を入り右手奥突当りの部屋に入る。右手に受付。記帳するとともに名刺をお渡しし、お花を1本受け取る。

正面に清楚な花に囲まれた金大中さんのお写真。その前の長机上の左右に献花台、そして蝋燭が灯り、中央に線香立てと焼香用香炉を兼ねた壺、その脇にお香とお線香が用意されていました。
金大中さんは確かクリスチャンだったと思うのですが、弔問者それぞれの弔意の表し方を尊重する配慮を感じ取ることができました。

私はお線香を立て、手を合わせることなく深々と頭を下げるという、ちぐはぐなやり方でした。KCIAによって日本から金大中さんが拉致されたとき、また死刑判決を受けた時、私たちもいろいろな救出活動をしました。そんなことを思い出しながら、また志半ばで亡くなられた金大中さんの統一と東アジア平和達成への想いが、一日も早く実現するよう、できるだけのことをしたいと思いながら、大使館を辞しました。

心からご冥福をお祈りします。

金大中前大統領追悼リレー 4

2009年08月22日 | NPO三千里鐵道ニュース


遺族のもとに高銀詩人から追悼詩が届き、紹介された。追悼リレーの一つとして訳し、載せました。namsang


追悼詩

    あなたは私たちです

            高 銀

1.

あなたは民主主義です

闇の日々

荒狂う吹雪に耐え咲く意志です

何度も死の丘を

何度もその丘を越えて

また立ち上がる命の勝利です

あ~あなたは私たちの自由です, 私たちです。

2.

あなたは民族統一です

憎しみの歳月

互いに向けた銃口おさめ、うたう歌です

その誰も妨げることのできない

その誰も望んではばからない

私たちに駆けよる一つの山河です。

あ~あなたは私たちの平和です、 私たちです。

3.

あなたは世界です

人里離れた孤島に生まれ育った

民族の指導者、民族を越えた教師です

あなたの苦難、あなたの長い間の夢は

地球の津々浦々にまで広がり

あなたの名前は、いま世界の名前です

あ~あなたは私たちの未来です、 私たちです。


安らかにお逝き下さい、

私たちに長い叙事詩を残し、お逝き下さい。