NPO法人 三千里鐵道 

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爆発はなかった 魚雷もなかった  シン・サンチョル委員の『良心宣言』

2010年05月31日 | 南北関係関連消息
シン・サンチョルさんの『良心宣言』です。
訪韓したクリントン国務長官にあてた手紙です。

『良心宣言』が必要な時代になってしまったことを、心の底から悲しく思います。

しかし、第2、第3の『良心宣言』が切実に待たれています。
とりわけ、この沈没事故で多くの同僚を失った兵士たちです。
彼らは、今、遮断された状態にあります。隔離された状態にあると言ったほうが適当かも知れません。
この事故で最も不思議なことは、当事者が口をふさいでいるということです。それがいかなる理由によるのかは、容易に想像できます。
しかし、今口をつぐむことが、何をもたらすのか…

切実に、
『良心宣言』が待たれます。

by maneappa

追記
下記のホームページをご覧ください。
写真等により詳しい説明があります。
http://www.anatakara.com/petition/no-explosion-no-torpedo.html

……………・…・

爆発はなかった 魚雷もなかった

by Shin Sang-Chul   * Date : May 26, 2010

Title : Opinion about Accident of PCC-772
PCC-772の事故に関する意見

ようこそ韓国へ。長官が朝鮮半島を含む東アジアにおける平和を話合う好機を得られるよう望みます。

私は沈没した天安号調査のため韓国国会によって推薦された民間調査員、S.C.Shinです。ここ韓国における真実そのものを長官にお知らせしたくこの手紙を書いています。

私は韓国海洋大学を1982年に卒業し、航海および砲術士官として2年間海軍に在籍、その後、韓進海運で航海士として数年間極東と米国西海岸の定期航路貨物船に乗船勤務し、さらに現代、サムスン、大宇、韓進重工のような韓国大企業の造船所で7年間、造船検査業務を経験しました。

私は136,000トンのばら積貨物船3隻、2,000~4,000トンのコンテナ船10隻の建造で、船体構造、船用機械と装備、塗料と航行システムを含む航海器具を担当しました。

韓国政府の信じがたいような結論と態度

私は韓国軍当局の結論に合意しませんでしたので、現在名誉毀損により訴えられています。 この状況がおわかりでしょうか? 私は当局に反対の立場にたった唯一の人間です。それが私が訴えられた唯一の理由です。私は世界の中の民主主義国家において、どうしてこのようなことが起こったのか理解できません。それで私は自分の意見をあなたに述べたいと思いますが、さらにこれがあなたを韓国でのあの不幸な事故の真相へと導く、有意義な情報であるかもしれないと考えます。

ご存じのように、この事件は世界の平和に貢献する朝鮮半島の平和にとりあまりに重要な問題で,そのためあなたとあなたの国は熱意をもって完璧(な調査)にしようと追求するものです。

軍当局は「魚雷の爆発」によって天安号が2つに割れて沈んだという結論に達しました。

しかし私の意見はそれとは全く異なります、なぜなら私は「爆発」を示すものはかけらも見つけることができず、反対にその船の座礁と離礁を示すいくつもの証拠を見つけることができたからです。

私は、真実をもとめる小さな声が予期せぬ災いを防ぎ、朝鮮半島にいる7,000万人の人間の安全を確実にするということを、あなたに十分に理解して欲しいと思います。

これから、ベンニョン島の位置する環境、特にこの付近での船舶航海にとって重要な自然環境を含む地理学的背景について話します。

1.ベンニョン島はどこに位置しているか?

ベンニョン島は黄海(西海)にある韓国領の島で、北朝鮮領のOngin半島の沖合にあります。その島は北朝鮮の沿岸からは10マイル足らず、韓国本道からは100マイル以上離れたところにあります。

2.ベンニョン島と大青島の航空写真

上空からの風景はとてもきれいで穏やかですが、一方海面下の状態はひどく悪いのです。

3.浅瀬、岩の海底、強い潮流

赤印は、海軍第2艦隊が事故の翌日遺族に説明した活動状況地図上に印された座礁地点、船体が割れた地点、救助活動の場所、船尾・船首の場所をしめします

4. Too much narrow and dangerous Fair way

ベンニョン島と大青島の間の狭い水域と岩底は、東から西、あるいはその逆の航海の安全を、深刻なまでに妨げます。その狭い海峡からでてくる場合はどんな船でも、左右両側の浅い海流のため、進路を安定して保つしかありません。船はこのような特異な場所では危険な状況に直面しやすく、「座礁」あるいは「衝突」の状態におちいる可能性があります。
天安号の事故とは無関係に、水難事故を予防するため、この水域を調査をして適切な方策を求めねばなりません

5. Geological features

北朝鮮の大同江は良質の砂である珪藻土の土壌と二酸化ケイ素を持ち、それらはガラスの原料で、堆積していきます。この川がそれらの物質を海まで運び、そこから急な潮流がそれらをベンニョン島の地域まで運び、海岸にそってたくさんの砂丘をつくり、その地域の航行をより困難にします。

6.2010年の3月26日当日に、何が起こったのか

本部への772からの第一報は「座礁!」
「韓国海岸警備隊への本部からの第一報は「座礁!」
「政府への第一報は「座礁!」

B.I.Lee 沿岸警備隊の局長
―「座礁」という第一報を受け取り、501巡視艇に現場へ急行するよう命じた―
 
2010年3月29日-MBC ニュース

7.混乱―最初の事故の正確な時刻
国防省は最初に事故が21:45に発生したと発表したが、その後、KIGAM(韓国地理科学鉱物資源研究所)が振動波の時刻を報告するまで、毎日それを変更しました。

8.「最初の座礁」を示す調査活動地図が見つかる

海軍当局と生存者が事故の翌日3月27日に遺族に概略説明をし、一番上の左端に潮流の時刻と水深についての注釈が書かれた調査活動地図上で、正確な座礁現場をマークしたものを見せました。
海軍当局は「この地図は我々のものだが、ひとりの犠牲者の遺族がそれをとりあげ、そこにメモを書き込んだ」と語っています。しかし別のある遺族が、当局がその地図を用いて事故を説明したと明言し、さらに韓国放送システム(KBS)の「トレース60ミニッツ」という現行の番組のインタビューで「最初の座礁」についてはっきり語りました。
そして最近我々は、下記のように、海軍がその地図を用いて遺族に状況を説明している映像を発見しました。

2010年3月27日 18:50  KBS ニュース・スペシャル

9.「座礁」の証拠
(1) Serious船体側面下部の重大なひっかき傷
(2) ビルジキール(*)損傷と、その付近での海水の浸透
*ビジルキール(同様軽減のため船底湾曲部に沿って突出させた緩衝材)
(3) 右舷の5つスクリュー刃にへこみとなった損傷
前方へへこむ損傷は、困難な状況から逃れようとして船が砂丘か泥に座礁した間に、「エンジン全開で後進」を行ったことを示します。
5つのスクリューの刃すべてが前にへこんでいる。これはエンジンを「全速力後進」にして座礁状態から抜け出そうとしていたことをしめす。土壌は硬化した珪藻土であると推定される。
(4) PCC-772 の下部側面板の状態を、PKM-357のそれとくらべてごらんなさい。
後者は2002年6月に発生したYeonpyeong (延坪)での2度目の小競り合いで、黄海に沈没後、53日間海底に横たわっていました。(現在は、あなたが滞在されている韓国海軍第2艦隊の中庭に置かれています)

10.参照のための「座礁」事故

国防大臣は、「ソーナー・ドームが損傷していないことがわかるので、「座礁」は無かった」と言いました。しかしご存じのように、それはまるで、ホームベースに滑り込もうとしている野球選手に「アウトだ!なぜなら、君の左のひざを見れば、きれいだからだ」と言うかのように、まるで常識外れのことです。何と馬鹿げていることでしょう!
722は全長88メートル、船幅10メートルです。ソーナー・ドームはわずか、長さ90センチメートル、幅30センチメートルです。この船の座礁とソーナー・ドームの損傷(の有無)には何の関係もありません。

一般に船が座礁するときに、そのソーナー・ドームは損傷するかもしれません、しかしソーナー・ドームに損傷がないことは、「座礁していないこと」を保証するものではないことは、右の写真のように、船首部分の底がきれいであることからわかります。

11.当局の中間報告-4月25日

 魚雷貫通の痕跡なし (*)          
 火災跡なし
 熱の発生なし
 破片なし  (*)               
 ケーブル線カバー損傷なし
 オイル・タンクとダンプ・エリア損傷皆無

これがそうです。これは「爆発は無かった!」と宣言するのに十分です。しかし彼らの結論は「海中にて船外で魚雷爆発」でした!信じられません。魚雷が772の真下3メートルのところで爆発して、何の損傷もなく、ただ、鉄鋼が「切り落とされた」だけというのです。

12.仮に魚雷が爆発するのであれば、

 どうしたら、船体が割れた付近で見つかった犠牲者の遺体がああもきれいで、一方、船体を真っ二つに裂くのに十分なほどに大きな爆発が生じるのでしょう?

・船体の底に魚雷破片の貫通がまったくないものでしょうか? (*)
・ケーブル線を覆っているビニルがまったく損傷しないものでしょうか?
・大爆発が起こったというのに付近に死んだ魚すらみつからないことがあり得るでしょうか
・なぜ誰1人耳やのどに症状がないのでしょうか。鼻血すらも?
 大爆発が起こったというのに付近に死んだ魚すらみつからないことがあり得るでしょうか
 なぜ誰1人耳やのどに症状がないのでしょうか。鼻血すらも?

13.「座礁」から抜け出した跡、大きな損傷を引き起こした2つめの事故は何か?

(1) 岩への衝突 (2)爆発 (3)金属疲労 (4)衝突
  その他には? これらで十分かもしれません。

(1) 近辺に割れた岩は皆無でした。― 岩は除外されます!
(2)爆発したしるしは全く見つかりませんでした。―爆発は除外されます!
(3) 割れ目は底から始まっていました。―金属疲労は除外されます!
残りは(4)つまり「衝突」です。

そこで私はこの結論に達するわけです。―最初の事故は「座礁」で、2番目の事故は―あらゆる知識と経験と分析を持って言えば―「衝突」です。

14.何との衝突か?

(1)軍艦であるかもしれません。―軍の統制ルールでは、夜中の漁船の操業が禁止されており、近辺の民間の船は日没の1時間前に港に戻ることが求められています。
(2) もしかしたら、もちろん、「海上艦」か「潜水艦」のひとつかもしれません。
(3)誰が知るでしょう? 神のみでしょうか?

15. 私の意見の概略

(1) 最も重要なことは、事故は1度ではなく連続して2度あったということです。
(2) 最初の事故は上記の各種証拠から「座礁」でした。
(3) 「砂の上への座礁」はいくらか損傷させ浸水にも至りましたが、それ自体は、船を2つに裂くほどの重大な状況にはなりませんでした。
(4) 2つめの事故が応えてきて、沈むことになりました。
(5) 私は「爆発」があった痕跡は少しも見つけることができませんでした。
(6) 2度目の事故は私の上記の分析によれば「衝突」でした。

親愛なる長官様

これが徹底した分析をもってする私の結論であり、私は自分の意見が真実に非常に近いものだと確信しています。全部おわかりになったでしょうか?それならば、どうか朝鮮半島におけるこの緊張についてもういちどよく考えてください。もしまだ分からなかったのなら、どうかスタッフに「私に「真実」を伝える別の報告を持ってきて!」と依頼してください。

これはただ単に東アジアにおける一国の一事故ではなく、今や世界中で最も難しい問題になってしまっています。合衆国のオバマ大統領はスピーチでいいました。「最高司令官が結論を下すべき問題が生じてきた場合には、私がそういう問題に関して、人々を導く判断を示してきました、それが合衆国大統領である間私が示したいと思うリーダーシップです。」
今こそ、私のヒーローであるオバマ大統領が、朝鮮半島における平和の難問を解くために、そのリーダーシップと真実、信念と正義を私たちに示す時であると私は考えます。私たちは常識に従い、完璧な証拠をもって、正確に科学的にもう一度この事故を調査したいと思います。それだけです。それが、この問題を解くための正しい方法であるでしょうし、そうすれば、韓国と合衆国の関係を強化するのに役立つことでしょう。
本当のことを言いますと、私は韓国のあまりに多くの人々が何の疑いもなく「米国が魚雷爆発というこの結論を、そんなにも単純に信じられるものだろうか」と案じていることに対して、とても懸念を感じています。

私は心の底から、爆発はまったく無かったと言います。ですから魚雷もまったくありませんでした。私はたくさんの座礁を示す証拠を伴う、物理的損傷のみ見つけることができました。韓国当局は私を訴えましたので、私は自分がみつけたあらゆる証拠をもって法廷で、この事故の原因を確立するつもりです。どうか良い結果になるよう、私のために祈ってくださいますか? お時間を頂きありがとうございました。またこの問題に関し、可能であればお考えを頂くことができれば大変感謝いたします。

Faithfully,
S. C. Shin

・・・・・・・・・・・・・・
Shin Sang-Chulさんは、Seopriseの代表顧問で、韓国海洋大学を卒業後、海軍士官として艦船や空母に乗務、またコンテナ船の船員や、現代、サムスン、大宇の造船部長を務めた後、沈没した天安号事故に関する軍民合同調査委員会の調査委員であった。(韓国NGO、SPARKのHPからの英語訳による)

SPARKのHPによれば、Shin Sang SHul haさんは、今回の長いスピーチを始める前に次ぎのような言葉を述べたという。― 「私はもともとは、正義感が高くありませんでした。しかし、私は立ち上がることになりました、なぜなら常識とはあまりにほど遠い状況が現在おこっているからです。」
彼は事故の真相を語ったあと、海軍により名誉毀損で訴えられた。
Seopriseのサイトで、彼は自分のヒラリーへの手紙を紹介し、次ぎのような言葉で、その手紙を世界に広めるよう求めている。」

「今日、ヒラリー・クリントン米国国務長官が韓国を訪問しました。私は、彼女が米国への帰国の飛行機のなかで読むことができるよう、私の調査結果報告を何枚かの写真と共に、米国大使館に送りました。私はヒラリー・クリントン国務長官が真実により近づくことができるよう、祈ります。
それに関連して、私はこの内容がすべての国の政府書記官と新聞社に広がるよう、 ネチズンの皆さんが支援してくださることを希望します。主要な海外メディアは、記者の名前やeメールの情報を載せていますので、どうかなるべく広範に、韓国で何が起こっているかを知らせてください。
こういうことをしてもどれくらいの影響を起こせるのか確信はありませんが、ひとりの人間の真実をくみ取ることができる海外の報道関係者にこの手紙を伝えることができれば、というのが私の何よりの願いです。もし皆さんにこれを伝えてもらえれば、私のものと一致する証言を申し出るeメールが、有力なレポーターに殺到することもあり得ます。そうれば、彼が関心を持ってくれ、記事となるかもしれません。(SeopriseのHP
からの訳: ―nobasestoriesinkorea.blogspot.com)

"チョナン号4ヶ国共同調査を直ちに受け入れよ"

2010年05月30日 | 南域内情勢
ハン・ミョンスク候補、
"チョナン号4ヶ国共同調査を直ちに受け入れよ"
"イ・ミョンバク大統領、調査結果が北朝鮮の仕業でなければ責任を負わなければ"

2010年05月29日(土)チョ・ジョンフン記者whoony@tongilnews.com


29日午後4時ソウル、光化門広場で開かれた'韓半島平和のための非常事態選挙遊説'で、"イ・ミョンバク大統領と韓国政府は、中国政府の提案を決して避けてはいけない"とし、"北朝鮮の検閲団派遣提案拒否は理解できるが、 今度は状況が違う"と話した。

韓国政府は北朝鮮の検閲団派遣に対して"軍事停戦委員会で議論すること"と拒否したが、去る26日頃中国側が軍事停戦委員会を招集して南北と中国、米国が参加する4ヶ国共同調査'を提案した。

彼女は"四ヶ国専門家調査団が、北朝鮮の攻撃が明らかとなれば、キム・ジョンイル国防委員長が直接責任ある措置を取らなければならない"と主張した。 また"その場合、国連安保理を含んで超党派的協力意志がある。 そして北朝鮮の即刻核放棄と公開謝罪を要求し、北朝鮮の改革開放のために国際社会とともに声を上げる"と話した。

しかし調査結果が北朝鮮の仕業でないことが明らかになれば、"イ・ミョンバク大統領は無限責任を負わなければならない"と強調した。

ハン・ミョンスク候補の'MB無限責任'発言に、参加者はいっせいに"イ・ミョンバクは下野しろ"と叫んだ。

★「魚雷も爆発もなかった」
 民軍合同調査の結果が発表された後、ただ一人調査結果にノーを叫んだ民間出身のメンバーがいた。シンサンチョル、その人だ。彼はヒラリーに書簡を送り、ある教会で真相を内外に公表した。
韓事務局長からのメールで知り、ぼくは直ぐに韓国にいる知り合いにメールした。平統サのサイトを検索し、6.2の選挙に必ず行くようにと。
皆さん、行動する良心は、現在韓国に向け投票を促し、平和を願う人々と連帯すること!
一人でも多くの人にこの事実を知らせよう!namsang

中国ー'チョナン号解決に向け始動.. 米、同意

2010年05月28日 | 東北アジアの平和
★1980年代、KAL機爆破事件が起きた。金浦空港に猿轡をはめられた金賢姫が機関員に両脇を抱えられながらタラップを降りてくる様子は、全世界に配信された。そして北へのテロ国家指定と長い、厳しい経済制裁が昨年まで続いた。作家ソヒョヌは長編「背後」で、謀略説に基づいて事件を描写した。小説執筆にあたり蒐集した資料を昨年統一ニューに連載した。KALも被害者家族と一部に根強く、謀略説がくすぶっている。以下略
今回の調査結果発表と、MBの声明はあまりにも稚拙で、拙速。中国の提案は全面再調査を求めているのだ。真実が明らかになることはないだろうが、せめて一方的な調査結果の発表とそれに基づき、国際社会が歩調を合わせて韓国の言いなりなることは防げそう。namsang


中国ー'チョナン号解決に向け始動.. 米、同意

<単独>北.中参加した停戦委で共同調査提案

2010年05月28日(金)キムチ観記者ckkim@tongilnews.com


28日外交消息筋は“中国が軍事停戦委を開いてチョナン号事件の共同調査を実施することを正式提案した”とし、“米国と中国間の接触から出た”と確認した。

米国と中国はこのような方案を調整した後、UN司令部を通じて去る26日頃韓国政府に提案した。 米国と中国間の協議はクリントン米国務長官の訪中とは関係なく、'ニューヨーク チャネル'を通じて進行された。

長く休止していた軍事停戦委がまた開かれる場合、北朝鮮とUN司令部当事者だけではなく、中国も参加する。 このなれば南と北、中国と米国(UN司令部)等が参加する国際的共同調査が実施されるものと見られる。

しかし軍事停戦委でチョナン号共同調査の可否は、韓国政府にかかっている。 北朝鮮の‘国防委員会調査団派遣’提案を拒否した韓国政府がUN司令部を通した中国側の軍事停戦委招集提案を受け悩んでいる。


中国側の停戦委共同調査提案が受け入れられる場合、チョナン号事件は新たな局面に入ることになり成り行きが注目される。

●未確認情報
1、NLL最前線にアメリカの原子力潜水艦が核を搭載し、北の要衝に標準を合わせ長期間潜水、待機していたが、その所在を知らされていないチョアン号が攻撃した。それに反撃したのが今回のチョナン号沈没事故だという説。潜水救助の兵士が犠牲になったが、彼は原子力潜水艦のアメリカ兵救助の過程で死亡、アメリカ軍に礼遇されているとの情報。潜水艦の場合は全員死亡、極秘裏に死体を運んだ。事件後のアメリカの沈黙が、うろたえたアメリカを反証しているとの声も。水面下折衝でやっと落ち着き、謀略の本家本元が動き出した、とも。
2、これはほんとう?
民軍合同調査団の内、ある海難事故調査のプロが、魚雷爆発はなかった、座礁かその後の衝突で沈没、と。その理由は引き揚げられた船体のどこにも火薬痕なし、座礁を示す証拠だけ、と。調査結果にただ一人ノーを突きつけた彼は、現在軍から名誉棄損で訴えられている。

今後も色々な情報が錯綜するはず。北魚雷説の辻褄にほころびが出始めれば、それも国際監視の下で…。己の起こした北風に、己が吹き飛ばされかねない、そんな予感するする。
KALではどうにでもなった世論が、今回は状況が違う。昨日ソウル、京幾、仁川の野党単独候補3名が、民衆に向け発した言葉は「1番は戦争、2番は平和」だ。1番はハンナラ党候補。民心の審判はなるか、注目したい。

ハンギョレ統一文化賞授賞式ー挨拶

2010年05月26日 | NPO三千里鐵道ニュース
授賞式は今日の11時30分、ハンギョレ新聞社ちょんあむホールにおいて開会、林東源財団理事長の挨拶、審査委員長からの選定に至った経緯報告の後、いよいよ都理事長の受賞挨拶が始まった。
まず口頭で「日本に生まれ70年近く生きてきたが、ハングルでは初めてする挨拶です。ご理解ください」と場を和ませ、約15分ほどの受賞挨拶を行った。
*
統一ニュースをご覧ください。当ブログのリンク先から。

第12回ハンギョレ統一文化賞 祝辞

ハンギョレ統一文化財団理事長 林東源

この席を輝かせて下さった貴賓の皆さん、三千里鐡道の磯貝治良と南相三副理事長様、韓基徳事務局長様をはじめ日本からこられた貴賓の皆さん、アン・ビョンウク審査委員長をはじめとする審査委員の皆さん、

ハンギョレ統一文化財団は、今年のハンギョレ統一文化賞を、日本、名古屋の非営利法人三千里鐡道の都相太理事長に授与することになったことを非常に嬉しく思っています。

都相太先生は6.15南北共同宣言が発表され、南北鉄道連結が議論された時、誰よりも最初に‘非武装地帯の鉄道を私たちの手で連結しよう’というスローガンを掲げて、募金運動を展開しました。 志を一つにする多くの会員たちが参加しました。

分断された鉄道の連結に寄与することが、とりもなおさず念願してやまない祖国統一の偉業に参加する具体的行動であり、また分裂した在日同胞社会の大和合を目指すのだという信念から沸き出たことでした。

三千里錦繍江山を鉄道で連結しようという意味を込め、非営利法人‘三千里鐡道’と命名しました。 そして祖国の平和的統一を念願する海外同胞らの希望と真心の込められた誠金を、ソウルと平壌当局に直接伝達しました。

非武装地帯4Kmの鉄道は、名古屋三千里鉄道会員たちの誠意によって連結されました。 彼らの夢と希望が実ったのです。 しかし、都相太理事長と三千里鐡道会員の皆さんの夢と希望に相応しくない現実に、私たちも悲痛な思いです。 私たちは一日も早く皆さんが連結した鉄道の上を、鉄馬が走るようにしなければなりません。

都相太理事長と三千里鐡道は、北の地における山林緑化のための苗木支援事業も展開しており、養豚支援事業も推進しています。 また、毎年6.15記念講演会を開催し、広報紙「ニュースレター」とインターネットのブログを通じて祖国の便りを伝える事業も展開しています。 真に6.15共同宣言の精神を実現するための模範的な事例と言えます。

都相太先生はハンギョレ統一文化賞を受けるべき適任者です。在日同胞社会の分裂は、祖国の分断に匹敵するほどの辛い歴史を抱えています。 都相太先生はその間、総連と民団の和解のために努力してこられ、同胞社会の和合を力説してきました。 2008年には在日コリア協議会結成を主導され、現在、副会長兼中部地域会長として活躍しておられます。

在日コリア協議会は、在日同胞社会が本来一つの根に基づいていることを確認して、思想、信条、所属を超越して祖国の自主的平和統一を実現し、さらに国際的協調を得るため、同胞社会の大和合のために努力しています。

<在日は和合! コリアは平和! 世界は融和!>という目標を実現するために、ネットワークを形成して活動しています。 このような努力が同胞社会の大和合と共に、祖国に対する理解を高め平和と統一を引き寄せることに寄与するであろうと信じて疑いません。 都相太先生こそ、真の統一の働き手です。

私たちは今年、不信と対決の半世紀を越えて民族和解協力の新しい時代を開いた歴史的な6.15南北共同宣言10周年を迎えます。

しかし残念な思いを禁じ得ません。 平和と和解協力を願う誠意で築いた塔が、崩れようとしています。 ‘冷戦の過去’を目撃しているような心情です。 韓半島で‘平和’という言葉が、何時にも増して貴重に思われる現実です。

しかし、悲観しません。 歴史は一時的に後退することもあります。 韓半島では、平和と統一という歴史の流れに逆行するのは一瞬です。 何よりも平和を渇望して、民族の統一を念願する8千万民族が、そうした逆行を許さないでしょう。

韓国社会の至るところで平和を作るために、努力する人々がいます。 そして海外で、分断の現実に心を痛め、祖国の平和と統一を切実に望む人々がいます。 このような人々こそ、私たちが抱く希望の根拠です。

私たちは異国の地で、祖国の平和と統一に向け献身されている方々の努力を記憶するでしょう。困難な状況の中でも、分裂ではなく和合の可能性を見せた、都相太理事長と三千里鐡道会員の皆さんの労苦を忘れないでしょう。

海外同胞の皆さんの、このような同胞社会の大和合と祖国を愛する献身的な努力が、わが国の平和と統一達成に大きな力となることを信じて疑いません。 都相太理事長と三千里鐡道の活動に支持と声援を送り、より一層の輝かしい発展を成し遂げられるように祈願します。

歴史は希望する人々のものです。 韓半島の平和統一もやはり、過去に戻ろうとする人々ではなく、未来を夢見る人々のものです。 都相太先生のような方々がいる限り、私たちの未来は決して暗くはありません。 絶望の歳月は瞬間です。 再び希望を謳歌する時代がくるでしょう。

ありがとうございます。


統一文化賞受賞にあたり

都 相太

今回、ハンギョレ統一文化財団より、私どもNPO法人三千里鐵道および都相太に対し名誉ある統一文化賞を受賞するに当たり、財団理事長はじめ理事の方々に心よりのお礼を申し上げます。また、多くの関係者の皆様にも、心よりのお礼を申し上げます。
受賞の知らせを受け、緊張と恐縮の思いでいます。
何よりも過去の受賞者の先生方のお名前を拝見し、緊張と恐縮が生まれるのは当然なことです。それに、NPO法人三千里鐵道および都相太に受賞資格があるのかと自問せざるをえませんでした。
しかしながら、この受賞はNPO法人三千里鐵道に対する励ましと考え、謙虚に素直に受け取りたいと考えます。
もう一度、感謝の意を表します。
心よりの感謝を申し上げます。

当NPO法人は、2000年6月15日の南北共同宣言を受け、多くの仲間たちのもとに結成されました。
冷戦崩壊から10年以上の時を経過して出されたこの宣言は朝鮮半島の分断状況を解消するための大きなきっかけになるものでした。
宣言の具体的事業として分断された鉄道連結を挙げられていました。
私どもは友人仲間と連絡取り合いながら、在日と日本人と共に立ち上げたのが三千里鐵道であります。
思想、信条、国籍の別なく、より多くの会員を募りました。
日本のマスコミにも大きく取り上げられ、多くの仲間を結集することができました。
ある在日は百万円の募金を届け、ある日本人は肉親の法要のために集まった金額のすべてを届けてくれました。その額は50万円に近いものでした。また、ある老人は100回以上に及ぶ募金を提供してくれました。ある同胞は、喜寿の祝儀を届けていただきました。
このように、それぞれの歴史と思いを込めた募金のおかげで、2002年には、韓国統一部と朝鮮民主主義人民共和国内閣に、非武装地帯の鉄道連結のための線路代金として届けることができました。

三千里鐵道は6.15宣言記念行事を開催してまいりました。
時系列的に申し上げれば
2001年6月、一周年記念「鉄馬は走りたい」として本国からは、朴永吉・金槿泰・李在禎・任鐘析・李根・劉元琥・真寛の諸先生招きました。
2002年6月、二周年記念集会には、李時雨・林秀卿の両氏、2004年6月は高鎮和・李華泳の両国会議員、2005年6月は特別記念講演として李相烈牧師、2006年8月丁世鉉元統一部長官、2007年6月は李鳳朝統一研究院院長、2009年には林東源元統一部長官の講演を主催しました。
この間、在日からは作家である金石範先生、李鐘元教授、姜尚中教授をはじめとして多くの方の協力を得ました。
また、休戦ラインツアー、民族大会への出席、2006年4月には開城での苗木支援事業、同年8月には仁寺洞の画廊において在日の画家呉炳学先生個展の主催など実行しました。
昨年12月には、在日コリア協議会主催による「海外コリアンシンポジウム・世界大会」を国立京都会議場で開催し、三千里鐵道は中心的役割を果たしました。この時も、林東源元統一部長官を特別講演者としてお招きしました。
三千里鐵道は市民運動です。
この間、延べ数千名の一般市民からの多くの募金によって支えられています。
この中には、在日の思いばかりか多くの日本人の思いも込められていることも申し上げておきます。

在日は南北両政府の変数として、長い分断の中で存在してきました。
韓国には深刻な南南葛藤があると聞いています。在日にも深刻な、南南葛藤・南北葛藤・北北葛藤・韓朝日葛藤があり、それにまして朝鮮半島日本列島葛藤があります。
その葛藤の最大原因は、朝鮮半島の分断に他なりません。
6.15共同宣言は、在日にとってそれらいくつかの葛藤の終焉を告げたものでした。
日本で生まれた2世の私にとっての民族回帰は、祖父母・父母の生き様であり、またその死でありました。
日本へ渡り故郷へ一度も帰れなかった祖父母、反面教師としての儒教の父、すさまじい生活戦士であった母、身近な者から歴史をたどり、民族としての自負心と回帰を求めています。
在日も3世、4世の時代に入り、民族しての意識の希薄性を論じられていますが、冷戦と分断の中ではそれもやむをえない側面を持っています。また、残念なことにそれを促進した南北両政府の施策もありました。
海外同胞は600万とも700万とも言われていますが、私は変数ではない、定数としての拠点が、この朝鮮半島に必要であると考えています。
時の権力構造に関わらない、関われない拠点こそが重要で、分断状況が続く限り、非武装地帯もしくはその付近である必要があります。
平和と統一のため海外同胞の普遍性を保つ場所は、祖国の大地に根付くことだと考えています。

今年は植民地100年にあたります。父の生誕から100年になります。
海外にいるわれわれは境界に生きることを運命付けられています。
その生き方は、民族的であり、生産的であり、楽しいものでなくてはなりません。

三千里鐵道発足当時から、私は 和而不同 でいくと言っていました。
ご存知のように論語の一節ですが、中国とアメリカの国交回復時 求同存異 とほぼ同じような意味だろうと思います。
10年経過した現在でも、この精神は生きつづけています。意見や主張が異なる人士の集まりである三千里鐵道では、どのような議論も可能であります。
私もそうですが、激しやすいといわれるわが民族にとって、とても大事にしたい言葉かと考えます。
昨年11月、3人の元統一部長官に招待された旅の中、都羅山駅において真新しい枕木に、和而不同 平和統一と署名しました。
この精神は、今後とも大切にしていきます。

社会を変革するのは、若者・ばか者・よそ者であるといわれています。
100年離れた「よそ者」に、大きな機会を与えられように、本国の皆様のご理解とご協力を、切にお願いして、受賞のご挨拶とします。
ありがとうございました。

ハンギョレ統一文化賞ー授賞式前日 仁川空港にて

2010年05月25日 | 南域内情勢
出迎えの林東源先生、李鳳朝先生、ハンギョレ関係者とサンボン!
日本からは都理事長の長兄都相夏、弟相仁氏、妹さんに姪二人、磯貝副理事長、康宗憲氏とぼく南の計9名。(韓事務局長は準備のため先に来韓)
*初めての出先からの書き込み、写真添付がうまくいかない。明日も写真は送れそうにない。ご免!namsang
帰国後写真添付。林東源先生が出迎えに見えられた。

“和而不同 平和統一のために献身したい”

2010年05月25日 | 南北鐵道関連消息
★「民族21」に載ったインタビュー記事です。

インタビュー
三千里鐡道都相太理事長

“和而不同 平和統一のために献身したい”

話題


ハンギョレ統一文化賞を受賞した初めての海外同胞

ハンギョレ統一文化財団(理事長林東源)は、第12回ハンギョレ統一文化賞受賞者に日本の非営利法人(NPO) 三千里鐡道―都相太理事長を選定した。
財団は三千里鐡道と都相太理事長が、6・15南北共同宣言の具体的な実践に貢献し、日本で過去10年の間着実に努力してきたことを選定理由とした。
《民族21》は在日同胞では初めてハンギョレ統一文化賞を受賞した都相太理事長と書面インタビューを行った。

ヨム・キュヒョン記者 minjog21.com


日本の名古屋を中心に三千里鐡道は、2000年6・15共同宣言が発表されるとすぐに同じ年9月に発足し、南北鉄道連結のための募金運動を行い、2002年軍事境界線の南北2kmずつの非武装地帯区間に付設する鉄道レール費用680万円(7000万ウォン)を、各々南北当局に伝達した。
また2001年から着実に、6・15南北共同宣言記念式と討論会を開催、DMZ平和紀行、各界名士招請講演会などを開いて、在日同胞らに民族と統一の希望を伝えている非営利法人だ。

▲在日同胞では最初にハンギョレ統一文化賞の受賞者になられました

正直に言えば、驚いていますし、当惑もしています。
ハンギョレ統一文化賞は耳にした記憶はかすかにありますが、その賞の内容についてとかその重さを考えたことはありません。本国からの受賞者の先生方のお名前を見て、改めてびっくりしています。市民運動である、三千里鐵道の理事長であることは確かですが、それに値するのかどうか自信はありません。ただ本国の人々の三千里鐵道に対する励ましとして受け止め、素直に謙虚に受賞しようと考えています。

▲三千里鐡道は日本で着実に南北和解と統一のために努めてきたとお聞きしています。 団体を作ることになった背景とその過程などが気になりますが。

当然なこととして2000年6月15日に発表された南北共同宣言がきっかけです。その中に鉄道連結の話があり、在日としての意思を伝えるべきだと考えました。友人たちにその旨を伝え結成されたのが三千里鐵道です。
半世紀以上の分断と冷戦の中で、在日は本国以上の葛藤を経験したといっても過言ではないでしょう。冷戦崩壊は意識転換を要求しましたが、柔軟に対応ができないほど傷ついていたからではないでしょうか。
南北共同宣言を受け、三千里鐵道のような運動が、あちらこちらで起きるだろうと予想しました。結果は残念なことに予想外のものでした。
在日が多く住む東京や大阪でも、共同宣言に呼応した大きな動きはありませんでした。
このことは民団、総連のありようが問われると同時に、南北両政府のありようも問われていると考えます。
三千里鐵道の本拠地は豊橋という地方都市にあり、東京と大阪の中間地点です。中部地方と呼ばれていますが、まだこの地方には大都市ほど南北葛藤が少なかったといえるでしょう。

★写真説明―“昨年11月訪問した都羅山駅の枕木に、‘和而不同平和統一’と記しました。 三千里鐡道は民団、総連、日本人で構成されています。 その構成員は個性あふれる人々です。 各自の人生を尊重して、‘批判をしても非難はしない’という立場を堅持しています。 合意しなければならない前提、それは民族、平和、統一を指向することです。”

▲その間三千里鐡道は2001年から毎年日本で6・15南北共同宣言記念式と討論会、在日同胞らのDMZ平和紀行、各界名士招請講演会などを開催し、在日同胞と日本の市民に民族統一と平和の重要性を強調してきました。 併せて理事長は2008年‘在日コリア協議会’結成にも主導的な役割を果たされたとお聞きしました。 在日コリア協議会結成過程について説明して下さい。

三千里鐵道は6.15宣言記念行事を開催してまいりました。
時系列的に申し上げれば
2001年6月、一周年記念「鉄馬は走りたい」として本国からは、朴永吉・金槿泰・李在禎・任鐘析・李根・劉元琥・真寛和尚の諸先生をお招きしました。
2002年6月、二周年記念集会には、李時雨・林秀卿の両氏、2004年6月は高鎮和・李華泳の両国会議員、2005年6月は特別記念講演として李相烈牧師、2006年8月丁世鉉元統一部長官、2007年6月は李鳳朝統一研究院院長、2009年には林東源元統一部長官の講演を主催しました。
この間、在日からは作家である金石範先生、李鐘元教授、姜尚中教授をはじめとして多くの方の協力を得ました。
また、休戦ラインツアー、民族大会への出席、2006年4月には開城での苗木支援事業、同年8月には仁寺洞の画廊において在日の画家呉炳学先生個展の主催など実行しました。
昨年12月には、在日コリア協議会主催による「海外コリアンシンポジウム・世界大会」を国立京都国際会議場で開催し、三千里鐵道は中心的役割を果たしました。この時も、林東源元統一部長官を特別講演者としてお招きしました。
在日コリア協議会は以前から宿題として、私の中にありました。
在日市民団体の緩やかな連帯組織として結成しました。東京、中部、大阪、九州の団体が集まり、東京での姜尚中講演会をかわきりに京都国際会議場でのシンポジウムまでこぎつけました。
在日の再度の結集と祖国の平和と統一を断固として願う組織が誕生したことは、在日にとっても、大きな意味があることだと考えています。

▲在日同胞社会はその間, 多くの困難を乗り越え祖国の平和と統一のために重要な役割を果たしてきました。 だから誰よりも現在の凍りついた南北関係を心配して眺めていることと思います。 現南北関係についての、在日同胞社会の見解はどうか気になります。

在日同胞社会の見解になるかどうかはわかりませんが、一大統領の出現により、これほどまでに政策が転換されることに当惑しています。それでも韓国社会の合意ですから、個人的な批判は別にして、残念ではありますが政策を見守るしか方法はありません。先日ソウル広場へ天安艦事件の犠牲者の弔問に行ってきましたが、南北関係が緊張し、悪化すればするほどこのような不幸な事件は多発します。
海外同胞の一人として、平和と統一へのささやかでも具体的寄与ができないものか、今も模索は続いています。

小さくても統一のため実質的な貢献をしたい

▲昨年南側言論とのインタビューで“直接自分が汗を流して統一を作る事業”を強調しました。 北に苗木を植える事業、養豚事業等を話されましたが、今もその準備はしていらっしゃいますか?

私は技術者の一人として会社を創業し45年近くなります。思想を具体化しなければ技術者とはいえません。鉄道連結の運動も、生きかたとして形にしたものです。汗を流すことは、私にとって大きな喜びです。非武装地帯の北側で養豚団地などを運営することは、私の夢の一つです。現在日本の地で300頭近い豚を飼っています。それに山羊も鶏も…。環境問題もあり、その飼料の多くは廃棄物を乾燥し提供しています。今年末には子豚の出産で数百頭になるでしょう。乾燥するための燃料は、膨大に捨てられる木材を利用し、乾燥炉は関連会社で設計製作しています。
北側の大地は有機肥料を要求しています。また、北側での養豚事業は、バングラディッシュのノーベル平和賞モハマド・ユヌス氏が提唱するsocial business方式を採用しようと考えています。

▲南北分断の克服以前に南側内部での南南葛藤克服が大変難しい課題です。 在日同胞社会もやはり、民団と総連の間の完全な団結がなされずにいます。 いかなる努力が同胞社会に必要だと考えますか?

われわれ在日には、南南葛藤ばかりか、南北葛藤、北北葛藤、韓・朝・日葛藤があり、朝鮮半島・日本列島葛藤も存在します。
これらの最大原因は祖国の分断です。これだけは断言してもいいでしょう。
昨年11月に訪れた都羅山駅の枕木には、和而不同 平和統一と書きました。
三千里鐵道内部は民団、総連、日本人で構成されています。その構成員は個性あふれる人士たちです。
それぞれの人生を尊重し、批判はしても非難はしないという立場を堅持しています。
合意があるとすれば、民族的であり、平和と統一を希求することです。

批判はしても非難はしない

▲理事長は三千里鐡道の他にも企業を運営する事業家でもいらっしゃいます。 合わせて在日コリア協議会副会長も引き受けておられます。 いつから統一運動、南北問題、民族問題に関心を持つようになりましたか?

先ほども述べましたが、創業した会社が45年経とうとしています。
兄弟で始めたものですが、実権は今、子供たちに移行しつつあります。
在日の多くは、生活のために本来あるべき自分を放棄して、不本意な人生を送らざるを得ない状況があります。私は生活と仕事が近い、幸運な一人かもしれません。
私が一人の民族の構成員としての回帰は、日常の中にありました。それを教えてくれたのは、祖父母、父母の人生でした。渡日して一度も故郷に帰れなかった祖父母、消耗しきって亡くなった父母。それは在日にとってありふれたことでした。
その人生を振り返ったとき、それは歴史そのものに還らざるをえませんでした。
それも100年戻れば十分でした。
それとあわせて学生時代の4.19革命、軍事独裁の出現、1973年の金大中氏拉致事件、大統領の暗殺事件、光州事態等々、次から次へと祖国からの悲鳴は、日本の片田舎にも届いていました。
子供たちがソウルへ留学中の1989年文益換牧師の訪北事件は、私が韓国に創った合弁企業との関連で大きな打撃を受けました。
意識する意識しないに関わらず、祖国からの叫びはひたひたと押し寄せてきました。しかしながら、民主化もしかりですが、命を懸けたのは本国の若者であって、日本にいるわれわれは傍観者からは脱し切れませんでした。
このように在日は在日独自の運動を展開するのが、その使命であると考えるようになりました。私は愛国者ではありません、あえて言えば愛族者なのかもしれません。

▲ 現政権になって南北関係がかなり難しい状況です。長く南北和解と統一のために献身してこられた方として、現在の南北関係の危機にどのように対処すべきと考えますか?

先ほども申し上げましたが、外国に住むわれわれは多くの葛藤の中で日々を送っています。
この葛藤の最大要因は分断であることは言うまでもありません。
韓国での政権交代は、対北政策を180度転換したようですが、壊滅的な戦争を望まなければ、南北和解へと進まざるを得ません。そこのところは非常に楽観的です。

▲統一を目指す全ての南北と在日同胞の方々への応援メッセージをお願いします。

私たち海外に住む同胞は、様々な境界の上を歩いています。そしてこれからもそうしていくでしょう。時間が経つにつれ、世代が変わるにつれ、祖国との境界も、民族としての境界も薄くぼやけてくるでしょう。
特に、近くの外国に住む在日は南北祖国の従属変数といわれ、理不尽な強制も強いられてきました。私は、変数でなく定数であるべきだと考えています。
定数になるためには、どうしても定点が必要になります。
三千里鐵道の内部では、非武装地帯近く北側の地が最善であると合意をみています。
養豚団地の建設もそのような視点で計画しているものです。
戦争は環境破壊の最たるものです。軍備も必要のなくなる方法を模索しなくてはなりません。
市民団体として10年間継続してきましたが、楽しく確信に満ちた運動を展開できればと考えています。
本国の皆様のご理解とご協力を切望いたしております。