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コラムー水曜デモ1000回、壁にぶつかり続け希望を拓く

2011年11月26日 | 韓日関係関連消息

★統一ニュースに韓国挺身隊問題対策協議会常任代表ユン・ミヒャンさんのコラムが載った。出だしの部分だけ紹介する。大阪の西村さんなど、多くの方々に支えられ、水曜デモが1000回を迎える。その先頭にはいつもコラム氏がいた。N

 

              コラムー
              水曜デモ1000回、壁にぶつかり続け希望を拓く

                            韓国挺身隊問題対策協議会常任代表
                                         ユン・ミヒャン

                            2011年11月25日(金)tongil@tongilnews.com


1992年1月8日水曜日、当時宮沢総理が訪韓した。
キム・ハクスンハルモニが生存者であることを告発、日本の裁判所に訴訟し、日本軍‘慰安婦’問題が韓国と日本、国際世論に徐々に広がり始めた。 日本と米国で‘慰安婦’関連軍文書が発見され、日本軍の介入を否認した日本政府に対して批判の声が上がりはじめた。

女性たちが日本大使館の前に集まった。
日本軍‘慰安婦’問題解決のためのデモを水曜日ごとに継続することに決議した後の、行動初日だった。そして 2回、3回、4回... 水曜日ごとにデモは続いた。

 人々の関心は少なかった。 女性団体らも毎週水曜日ごとに日本大使館前に出てくるには、仕事が多く忙しかったから…。

しかし女性団体が出てこれない日には、被害者らによってずっと続いた。
ハルモニたちは孤独だった。 被害をこうむった当事者が、問題解決を要求し、連帯を懇請しなければならない状況であった。
心無い冷たい視線もあった。そのような恥を、何も騒ぐことない、と。

 ハルモニ達は、はかり知れない孤独と羞恥心を隠すために、顔を帽子の中に深く隠し、大き目のサングラスで顔を覆ったこともあった。

100回目の水曜デモの日も、寒い冬だった。 身を切るような風、零下の天気、1993年12月22日だった。
 日本大使館の前は人々と警察らで混みあう中、100回目の水曜デモは進行された。 デモを始めて2年が経っていた。 変わらない日本政府を糾弾し、ハルモニ達は白い韓服を着て号泣した。

そして来る2011年12月14日、いつしか1000回目の水曜デモを迎える。