NPO法人 三千里鐵道 

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【独島:大前研一氏「韓国による実効支配を認めるべき」】

2008年08月29日 | 東北アジアの平和

やっとこういう論調が出てきたことを歓迎したい。
しかもこれが、『SAPIO』に掲載されたということで、裏にどんな事情が生じてきたのか興味を引くね。

『固有の領土』などという絵空事を主張するような馬鹿なことはもうやめよう。
肝心なことは、韓国と日本の両国の双方にとって利益になることだ。
WIN WINゲームにしないとね。

written by maneappa


http://www.chosunonline.com/article/20080829000046
2008/08/29 12:02:34
【独島:大前研一氏「韓国による実効支配を認めるべき」】
共同での資源開発を主張

 日本の著名な経済・社会評論家である大前研一氏(写真)が、独島(日本名竹島)の領有権問題の解決策として、韓国の独島に対する「実効支配」という現実を日本政府が認めるよう主張した。

 大前氏は日本の時事隔週刊誌『SAPIO』の最新号で、「島根県が“竹島の日”を制定したり、文部科学省が(中学校社会科の)新学習指導要領解説書に“竹島(の領有権問題)”を盛り込んだりしても意味はない。日本の教科書にわざわざ、“竹島は日本の領土”と表記すること自体が愚かなことだ」と指摘した。

 大手出版社の小学館が発行する『SAPIO』は、歴史問題や領土問題、国際政治などの多くのテーマで、日本の極右、タカ派の意向を代弁してきた。大前氏は中立的な考えを持つ知識人だが、極右的な傾向が強い雑誌に「実効支配を認める」という主張が掲載されるのはきわめて異例だ。

 大前氏は「領土の問題は、当事者間の話し合いや国連の仲裁によって(実効支配していない当事者が)取り戻したという例はない。(取り戻すための)唯一の手段である戦争は、(独島の問題を解決するための手段として)割に合わないということを誰もが知っている」と強調した。その上で、「こうした状況下で、独島について(教科書に記述するような形で)遠くから騒ぎ立てるのはみっともないことだ。不必要な摩擦を引き起こすのはやめ、漁業資源や海底資源の開発を共同で行うための交渉を進めていくべきだ」と指摘した。

 一方、大前氏は「(実効支配は認めた上で)領有権の主張は続けていくべきだが、韓国を批判したり刺激したりするようなことは慎むべきだ」とも主張した。その上で、「中国や韓国と上手に付き合い、領土の持つ意味が薄れる未来において、日本を“仮想大国”にしていく道を歩むべきだ」と強調した。

東京=鮮于鉦(ソンウ・ジョン)特派員
【ニュース特集】独島問題
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版


ついでに明石康さんの意見も載せておきますね。

http://japanese.joins.com/article/article.php?aid=103667&servcode=A00§code=A00
【明石康氏「法律的アプローチでは独島問題は解決しない」】

 明石康元国連事務次長(77)は、カンボジアとユーゴ紛争をはじめとする国際紛争当事者たちを仲裁した紛争専門家だ。宗教と民族、領土をめぐり対立している現場を見つけ、交渉と平和をあっせんしてきた彼は、国連退職後、現在、日本紛争予防センター所長を務めている。半生を国際人として生きてきた彼は、韓日間で尖鋭に対立する独島(トクト、日本名・竹島)問題をどのように見ているのだろうか。東京の六本木にある事務所で明石氏に会い、国際社会から見た独島(トクト、日本名・竹島)事態と北東アジア・韓日関係に関する意見を聞いてみた。

--独島に関する韓日両国の国民間の認識はあまりにも違う。日本政府はこの問題を国際司法裁判所で決めようという立場だが、韓国はこれに反対している。

「国際司法裁判所が1962年、領土紛争に関する判決を下した事例がある。裁判はカンボジアの勝利に終わった。タイとカンボジアはプレアビヘア(PreahVihear)をめぐり、今でも争っている。結局、法律的なアプローチは究極的な解決方法にならない。民族とアイデンティティーに関する問題ではより一層そうだ。韓日両国の独島問題も法律を超えた知恵を発揮しなければならない」

--それでも韓国では国際司法裁判所など第3の機構で独島問題を決める場合、経済的にまた国際社会で発言権が高い日本に有利な結論が出てこないだろうかと懸念する世論がある。

「韓日両国の共通点は自身をとても小さく見ている点だ。韓国は底力のある国で、国際社会での業績も多い。国家地位は領土の大きさでなく自信が重要だ。過去、日本は敗戦し、植民地として持っていた地域を含み、領土の40%を失った。しかし結果的に見れば日本はからだが軽くなったので戦後の経済・貿易・投資、そして科学技術の発達で経済大国になることができた。国家の大きさと豊かさは別の問題だ。1+1=2でなく、3または4になる時代という事実を知っておかなければならない」

--福田康夫首相の外交、特に韓国や中国などアジア周辺国に対する外交政策を評価してほしい。

「福田首相が官房長官の時期に行った国際平和協力懇談会の座長を務めたことがある。福田首相はバランスが取れ、明確な見方で日本と世界問題を見て進取的に出て行かなければと考えている。中国もそのような事情を知っており、福田首相を信頼しているとみている。福田首相は韓国に対しても同じように考えているだろう」

--福田首相のアジア重視外交を信じた韓国政府や国民は今回の中学校教科書解説書に独島(トクト、日本名・竹島)が言及されたことに対してかなり失望している。

「日本の首相は米国大統領のような権力を持っていない。日本のメディアを見ればよく分かるだろうが、福田首相がしたいことをすべてするわけではない。独島は日本人たちの意識でそれほど大きな地位を占めていない。むしろ日本の立場では今回の解説書は韓日間の独島に関する意見が違うということを明確に入れることによって、韓国を配慮したともみられる」

--国際社会で40余年間活動しながら、世界から見た韓日関係を分析してほしい。

「冷戦以後、イデオロギー問題をめぐる国家間紛争は急減した。90年代以後にはむしろ国内民族問題と文化、人種、宗教問題が台頭している。しかしアジア、特に北東アジアでは依然として国家同士が対立し、民族主義も強くなっている。21世紀に、時代遅れなことをしているのではないかと思う」

--世界の中の韓国はどんな国なのか。

「韓国は日本よりさまざまなハンディキャップを持って出発した国だ。日本の植民地政策で苦痛を受け、独立した後にもまた戦争を行い、ここまで成長した。短い期間で急激な経済成長を成し遂げただけでなく、潘基文(パン・キムン)国連事務総長ら国際社会で活躍する人材も多く輩出している。特にこれから国を率いていく国際的な人材養成の側面としては韓国から見習う点が多い。国際化の中で各国が生き残るために人材の養成が最も重要な課題となったと思う。

◇明石康=秋田県出身、東京大学と同大学院を終えた後、フルブライト奨学生として米国、バージニア大学院を修了した。1957年、日本人としては初の国連入り、カンボジア暫定統治機構代表などを務めた。人道問題担当事務次長を最後に97年に退任。その後、広島平和研究所初代所長を務め、現在は日本紛争予防センターの会長となり、民間平和運動を展開している。世界と交流できる人材を育成するのが目標だ。著書には『国連から見た世界―国際社会の新秩序を求めて』『サムライと英語』などがある。

東京=パク・ソヨン特派員/中央日報Joins.com
2008.08.19 16:05:24

韓国生まれの日本人、歴史遺物328点を寄贈

2008年08月27日 | 東北アジアの平和
 こういう記事をみると、本当にほっとする。気持ちがすーとする。
こういう方のことが日本の新聞などでも大きく取り上げられるといいんだが…

 雨宮宏輔さん、ありがとうございます。

written by maneappa


http://japanese.yonhapnews.co.kr/relation/2008/08/25/0400000000AJP20080825002400882.HTML

【韓国生まれの日本人、歴史遺物328点を寄贈】
2008/08/25 17:34 KST

【大田25日聯合】忠清南道の公州で幼少時代を過ごした日本人が、自らが所蔵する韓国の歴史遺物300点余りを道に寄贈した。日本植民地時代に公州で暮らし、同地に縁のある日本人の集まり「公州会」の会長を務める雨宮宏輔さんが、25日に忠清南道庁を訪問し、李完九(イ・ワング)道知事に68種328点の遺物寄贈書を手渡した。


寄贈物を前にあいさつする雨宮さん=25日、大田(聯合)



 雨宮さんは公州で生まれ、中学1年生だった1945年、日本の太平洋戦争敗北と同時に日本へ引き揚げた。寄贈した遺物は、磨製石剣、青銅の鏡、粉青沙器の皿、白磁の沙鉢、硯(すずり)、漆塗りの器、植民地時代の国内写真が印刷された郵便はがき、大韓帝国関連の郵便はがき、朝鮮総督府施政記念や朝鮮博覧会の絵はがきなど、青銅器時代から日本植民地時代までを網羅している。これらは雨宮さんの父親が所蔵していた遺物の一部で、父親は公州で事業をしながら趣味で骨董品を集めていたが、解放直後の混乱で大半が盗まれたという。

 寄贈された遺物はまだ精密な鑑定評価を受けていないが、道の歴史文化研究院によると、鳥や花を彫りこんだ青磁の平鉢、内と外に点列を精巧に刻んだ印花紋の粉青沙器は文化財的価値が高いと評価された。

 雨宮さんは、公州の市民団体などが文化財返還運動を展開していると聞き、所蔵物の寄贈を決めたという。「ようやく遺物が本来の場を探し当てたようで満足している」と話した。


【米朝がNYで核検証を協議、米国務省が確認】

2008年08月26日 | 朝米関係関連消息
このニュースを見て思うことを書いてみたい。

 外交というものはその性格上、『国益』と『国益』のせめぎ合いでとすり合わせにならざるを得ないのだが、だからこそ、互いが戦略を持って戦うことになる。
 朝鮮と米国はまさにそのことをしているんだろうなあと感じるのだ。
 一方、朝鮮と日本はというと、感情という化け物がぶつかり合っているような気がしてならないのだ。

 中国を議長国にして北京を舞台にして行われる六者協議は『朝鮮半島の非核化』がテーマであるが、それを実現するためには、『朝米』『朝日』の異常な国家関係の清算が伴わなければならない。
 そうでなければ北が納得するはずがないからだ。

 考えてもみよう。
 1945年に先の大戦が終わって60年以上が過ぎているというのに、侵略と植民地支配の後始末が済んでいない『朝日』の関係は他に例がない。
 1953年に朝鮮戦争が終わり、50年以上が過ぎたというのにまだ休戦協定のままで平和条約になっていない『朝米』の関係も他に例がない。
 この異常な国家関係の改善が伴わない中で朝鮮が『武装解除』するはずがないではないか。

 この朝米直接対話が進んで、ひいては、それに促される形で朝日直接対話も進展することを心から願う。

written by maneappa

…………
【米朝がNYで核検証を協議、米国務省が確認】
2008/08/26 09:02 KST

【ワシントン25日聯合】米国務省のウッド報道官は25日、ソン・キム6カ国協議担当特使が22日にニューヨークで北朝鮮交渉パートナーに会い「具体的かつ実質的な」協議を行ったと明らかにした。米国はこの問題をめぐり北朝鮮側と周期的に協議を続けており、今後も協議が行われるとした。ただ、折り合いをつけられずにいる北朝鮮核開発計画の検証に関し、突破口を見い出すための進展があったかどうかは言及しなかった。
 米国は北朝鮮に対し、6カ国協議当事国がすべて満足して受け入れられるレベルの核検証システムを整えるべきだとし、北朝鮮のテロ支援国家指定からの解除を保留している。米国は特に、プルトニウムだけでなく北朝鮮とシリアの核協力、ウラン濃縮疑惑なども包括的に核検証体系に組み込むべきとの立場とされる。

【朝ロの羅津地域協力は実践段階に】

2008年08月25日 | 東北アジアの平和
 朝鮮民主主義人民共和国とロシアの関係は、ソ連崩壊以降冷え込んできたのだが、強いロシアを掲げるプーチンの登場と、北域に眠るレアメタル資源に対する世界的関心の拡散という中で、ここにきて良好な関係に戻りつつあるようだ。

 北とロシアが関係を強化することはとりあえず歓迎すべきことなんだろうだけど、北と南との関係悪化をみるときに、かつての冷戦構造の再来を危惧しないでもない。
 グルジア(その背景に米国やNATOがある)とロシアによる南オセチア紛争をみると、余計に不安になる。

 南と北の当局者に、冷戦の再来は絶対にしないという固い決意があるんだか…

  written by maneappa
 
………………

【朝ロの羅津地域協力は実践段階に、北朝鮮中央放送】
2008/08/19 10:27 KST

【ソウル19日聯合】北朝鮮の朝鮮中央放送は19日、「羅津~豆満江鉄道と羅津港の改修に向けたロシアとの協力が実を結び始めた。着工準備に拍車をかけている」と伝え、積極的な実践段階に入った事業が、両国間の経済協力をはじめ関係発展に寄与することになると報じた。
 両国は豆満江を挟む咸鏡北道・羅津とロシア・ハサン間の鉄道近代化事業を進めている。中央放送は、4月にはモスクワで羅津~豆満江鉄道と羅津港近代化に関する協力協定と羅津港合弁契約を、今月初めには平壌で同鉄道の賃貸契約がそれぞれ締結されたことにも触れた。これら事業のための法的、技術的な問題はすべて完全に合意できていると強調した。

…………

以前こんな記事があったけど、それはどうなったのかなあ。併せて掲載しておきます。

【韓国の貨物、朝露鉄道で欧州へ向かう】

韓国から欧州へ向かう輸出貨物を北朝鮮・ロシアを経由し運送する事業が現実化する見通しとなった。朝露両政府が、ロシア沿海州ハサンと北朝鮮羅津(ラジン)を結ぶ鉄道を改修、補修し、羅津港を現代化する事業を進めることで一致したことに加え、韓国企業も来月にも同事業に参加する可能性が大きくなったからだ。

ロシア鉄道公社・ヤクニン社長と北朝鮮・金容三(キム・ヨンサム)鉄道相は24日、ロシア・モスクワで両国鉄道協力の覚書を調印した。イタル・タス通信など複数のロシアのメディアが報じた。

覚書には、羅津からハサンまでをつなぐ54キロメートルの区間を改修、補修し、羅津港の現代化やコンテナ基地の建設事業を進める、という内容が盛り込まれている。双方は同事業を通じ、韓国から欧州に輸出される貨物の相当量を羅津港へ向かわせる、としている。船舶を利用して釜山港(プサンハン)から羅津港に貨物を運んだ後、シベリア鉄道(TSR)を経由し欧州まで輸送するということだ。

韓国ではグロービス・ウジングローバル・チャングム商船など6社からなる合弁法人「ルコ」がロシア側と交渉中であり、早ければ来月にも正式に契約するもようだ。イ・ヨンチェルコ副社長は「韓国側の参加が確定すれば、南北(韓国・北朝鮮)ロシアの3国間の物流事業はもちろん、長期的にはTSRと韓半島縦断鉄道(TKR)の連結、ロシア産ガスと電力の韓国への輸入計画などにも肯定的な影響を及ぼすだろう」と述べた。

現在、海上運送以外の欧州行き貨物は、多国籍企業が運営するロシア・ナホトカ付近のボストーチヌイ港を通じて輸送されている。しかし、高い荷役料金と輸送遅延などで荷主の不満が強いのが実情だ。

専門家の推算によると、羅津-ハサン鉄道の改修・補修には1億~1億2000万ドル(約100億~120億円)が、羅津港の現代化には4000万~6000万ドルが、それぞれ必要とされる。北朝鮮とロシアは、同事業を進めるための合弁会社を設けており、韓国など外国の投資誘致に積極的に乗り出す方針だ。

双方によると、羅津-ハサン区間の改修・補修と羅津港現代化事業が完了すれば、第一段階として、韓国から欧州へ向かう貨物の10~15%(年間5万5000~8万TEU。TEU=高さ20フィートのコンテナを表す単位)を羅津港を経由し輸送できる。

中央日報 Joins.com
2008.04.28 17:48:16

北京オリンピックに思う

2008年08月25日 | 南北鐵道関連消息
世界の度肝を抜いた開会式から17日間、北京オリンピックは昨日で幕を閉じた。
思えば昨年の5月17日、朝鮮半島を分断する非武装地帯を突き抜け、南北を行き交った統一列車の映像に接し、三千里の友人はどれほど胸とどろかせたことか。
「統一列車に乗ってコリア南北統一チームの応援に行こう」
自然と湧き起こった声ではあったが、李明博大統領の登場により環境は急速に冷え込んでいった。そして金剛山での被撃事件…
融和ムードの中で続いた統一旗の下での南北選手団の入場も中止した。しかし選手団は頑張った。韓国はソウル、ロスの金12個を凌ぐ金13個、朝鮮民主主義人民共和国は金2個を獲得した。南北を合わせると金15個で、世界の総合順位は豪州を抜き、中、米、露、英、独につぐ6位! 堂々たる世界のスポーツ大国の仲間入りである。
北抜きでも総合7位、今日ソウルで選手団の凱旋を国民が祝う。この祝祭ムードの中で、BSE問題で全土に灯った1000万以上のチョップルがかき消されてしまうのではないのか…。プーチンは強いロシアのため、まずマスメディアを手中にした。韓国の政局で騒がれているKBS社長解任もその前触れのようで気になる。
潰えた統一列車での応援の夢、しかし南北コリアと在外同胞700万、そして平和を愛する世界市民の記憶の中に、あの統一列車の映像は色あせることはない。
圧倒的なマスコミ報道の嵐の中で、歓喜しながらもロンドンでの統一チームの活躍を夢見る。





日本に奪われた石塔の返還求め運動推進

2008年08月24日 | 東北アジアの平和
                        「マンヒョン山五重石塔」 

 このように日帝強占期に日本に搬出されたウリナラの文化財は、他にもいろいろあるのではないだろうか。
 2年ほど前の話だが、何と靖国神社の中にひっそりと眠っていた「北関大捷碑」も返還運動の結果、ひとまず韓国に戻った経緯があります。

 この石塔もいずれ返還されることになると思いますが、肝心なことは、日本側が自らすすんで、略奪していった文化財の調査をして返還することではないかと思いますね。

 靖国神社も最初は『寄贈されたものを保管』しているだけという姿勢だった。
 元々あったところに返しましょうという姿勢が感じられなかった。
 鈍感なんだか、歴史認識の欠如なんだか、いずれにせよ、侵略戦争の反省がないというのが一番の問題なんだろうと思う。

 今度東京に行ったら、早速見てこようかなと思った次第。

written by maneappa


【日本に奪われた石塔の返還求め運動推進 /利川】

 「一目で分かりました。写真では何度も見てきましたから。しかしどこにも“韓国から持ってきた”という説明はありません。人知れず見知らぬ土地に建っている塔を見て、感情が込み上げてきました」

 2005年、利川文化院のイ・サング院長(55)は東京の由緒あるホテル、「ホテルオークラ」を訪れた。ホテルの横にある大倉集古館の裏手に入っていくと、韓国様式の石塔が目に飛び込んできた。まさしく、高麗時代に造られたと推定されているマンヒョン山の五重石塔(写真)だった。京畿道利川市にあったこの石塔は、日本統治時代の1918年10月に日本へ運ばれ、以来90年間、他国の地にたたずんでいる。

 イ院長は準備の末、今月16日に利川地域の各団体を集め「マンヒョン山五重石塔返還・汎市民運動推進委員会」を結成し、共同委員長に就任した。同委員会には利川文化院、韓国芸術文化団体総連合会利川支部(利川芸総)、利元会(利川出身の元老の集まり)、利川YMCA、利川環境運動連合、利川市持続可能発展協議会などが参加している。

日本が略奪した高麗時代の五重石塔の返還のために立ち上がった利川文化院のイ・サング院長(右側)とイ・インス事務局長。/写真=パク・スチャン記者 イ院長が「先鋒」なら、塔の返還のための研究は利川文化院のイ・インス事務局長(61)の担当だ。「1970年代、壇国大のチョン・ヨンホ教授から“利川の塔が一つ東京にある”という話を聞きました。しかし、生きることで精一杯だった時代のこと、塔に没頭することはできませんでした」。その後、在日韓国人の雑誌などを通じ1996年に塔の所在が分かったが、事務局長が本格的に塔に関心を持つようになったのは、2000年代に入り利川市の歴史を整理し始めてからのことだった。

 マンヒョン山の五重石塔は、搬出の過程が細かく記録されており、日帝の文化財略奪史をよく示す証拠でもある。この石塔は1918年、日本軍と取引のあった富豪、大倉喜八郎が奪っていった。その数年前、景福宮における王世子(皇太子)の居所だった資善堂がまるごと持ち去られたが、大倉はその張本人であり、持ち去った資善堂を東京の自宅に据えた。大倉は家を改装して博物館を開き、第2代朝鮮総督・長谷川好道に手紙を送って「朝鮮の見事な塔」を置きたいと頼んでいる。

 大倉は平壌にある石塔を求めたが、総督府では「人が大勢往来する道にあり、人目を引く」という理由でこれを拒否、代わりに利川郷校の近所に建っていたこの石塔を送った。この塔は3年前の1915年、日本が韓日合邦5周年を祝うために景福宮で開いた「朝鮮物産共進会」の会場を飾るためソウルに移されていた。総督府は「合併した両国の国民の同化と親交を増進するのに利益となる」という説明も付けている。

 しかし、石塔の返還は簡単ではないと見られる。大倉財団側は「塔の返還問題はよく分からない。(塔の問題について)検討する計画はない」という立場を取っており、韓国政府の積極的支援を期待することも難しい。しかし二人はあきらめないという。イ院長は「利川に塔が戻ってきたときの“場所”からまず用意しておきたい」と語った。

 「日本を脅して解決する問題でもなく、時間がかかるでしょう。発泡スチロールに写真を貼った臨時の塔を作ってでも、本物の塔が戻ってくることを祈っています」


利川=パク・スチャン記者
朝鮮日報/朝鮮日報日本語版
http://www.chosunonline.com/article/20080824000005

息切れしないよう、継続していきます。ご愛顧くださいね。

2008年08月23日 | 管理人のつぶやき
 昨日開設したこのブログ、まだ機能とかわからないこともあるし、 慣れないけれど、ちゃんと継続して豊富化していきたいと思う。もっと早く始めればよかったとも思う。
昨日、オープンしたばかりだというのにすでに57人の方が訪問してくださった。びっくりすると同時に感謝です。
 また、あるMLにこのブログのことを紹介したら、さっそく返事がきました。紹介します。

……
○○です。

お気に入りに加えて、
見せていただきますね。

日本のメディア情報は、意図的に大事なことが、報道されないので、
韓国の様子などを、 三千里鉄道のブログから、異なる視点として、
参考にさせてもらえると、楽しみににしています。
……

うれしいですね。
そして、そういう期待が確かにあることを肝に銘じて、私たちのミッションをいつも噛みしめながら、充実させていきたいです。

よろしくお願いします。

written by maneappa

支援者の皆様へ①

2008年08月23日 | NPO三千里鐵道ニュース
いよいよブログがスタートしました。
企画、制作に係わった方々、ほんとうにご苦労さまでした。
2008総会と事業計画です。ご覧ください。

支持者の皆様へ
2008年6月28日

NPO法人三千里鐵道は、新たな目標に向けスタートをきります

日ごろはNPO法人三千里鐵道に、ご理解とご賛同をいただき、心よりのお礼を申し上げます。
南北共同宣言より、早くも8年の時を経過しようとしています。NPO法人三千里鐵道も、それに近い時を経過しています。
その期間、朝鮮半島おける南北の和解は実に多くのものを積み重ねました。政府レベルばかりでなく、特に民間レベルにおいて、その実績と行動は脈々と維持され成長しています。
韓国において政権の交代はありましたが、後戻りできないほど南北交流は活発化しています。このことは、朝鮮半島が分断されている限り、朝鮮半島に希望がないことを、人々が生活の中で実感している証左であります。統一なくしては、朝鮮半島に未来がないことを。
昨年5月17日に、京義線は南から北へ、東海線は北から南へと試運転が挙行されました。その感動的な様子は、韓国統一部・統一研究院の協力により入手し、NPO法人三千里鐵道の翻訳により完成し、皆様に送付しました。
朝鮮半島の鉄道が連結され、NPO法人三千里鐵道の大きな目標の一つは達成されました。統一のための一里塚としての鉄道連結は、統一という終着駅のスタートに過ぎません。
NPO法人三千里鐵道は、韓国の民間団体とともに北側の開城においての植樹祭に参加した実績を持っています。特記すべきことは38度線を南から越えたことです。
また、この6月15日に北側の金剛山で実施される南北共同宣言8周年記念行事に、海外の同胞について南側から北側への入国を許可したことです。
これは初の快挙であります。
理事長である私、都にも招請がありましたが、残念ながら時間制約の中で参加を見送りました。
NPO法人三千里鐵道は現在、緑化すべき候補地の選定を協議しています。紆余曲折はあるにしても、日本の友人たちと一緒に北側の大地に、緑の森を耕していこうと考えています。
南北共同宣言から8年、NPO法人三千里鐵道の内部にマンネリの弊害を抱いていました。それぞれの生活基盤の脆弱と時間制約の中で、大きな困難を解決できなかったことを反省しています。
幸いに今年から、ほぼ常勤に近い情熱を持った人を確保しました。
今までのNPO法人三千里鐵道と違った行動を、皆様にお示しできると確信しています。
今年度から、新たなNPO法人三千里鐵道の活動を展開します。
皆様にはこれまで以上のご協力を、お願い申し上げます。

朝鮮半島を皆様とともに、平和と緑の大地にしましょう!

NPO法人 三千里鐵道
理事長   都 相太


支援者の皆様へ②

2008年08月23日 | NPO三千里鐵道ニュース
特定非営利活動法人 三千里鉄道

2008年度 事業計画

1.朝鮮半島北域における緑化推進事業
6.15共同宣言実践の一環として、北域の緑化推進事業を行う。

1) 韓国の北域緑化推進事業のために結成された『同胞の森』その他関係団体、個人と協力関係を作りながら、三千里鉄道が主体的に参与できるルートを作る。

2) 『1人1年10株運動』を展開する。 (1口2000円)
募金用に加入者負担(赤色)振替用紙を印刷し配布する。

3) 在日同胞をはじめとした海外同胞のネットワーク作りを視野にいれて活動する。日本人にも広く呼びかける。

2.6・15南北共同宣言記念事業
  6.15共同宣言の意義を再確認するとともに、それを記念し、6.15共同宣言記
念集会を開催する。

1) 6.15共同宣言9周年にあたる2009年6月に開催する。
2) 内容は、記念講演、北域緑化事業に関する映像の上映等とする。
3) 日本の市民グループとの共同開催を模索する。

3.京義線、東海北部線視察事業
      開城または金剛山観光旅行を絡めて、視察旅行を企画実施する。

   1) 2009年4月 実施。 20名規模。

4.広報活動の強化
  『1人1年10株運動』を成功裏に遂行するために、ニュースレターとホーム
ページを積極的に活用する。

1) ニュースレターの年2回発行
7月に第12号(『1人1年10株運動』の特集号) 1月に第13号
2) ホームページの刷新
更新が容易なホームページ作りを早急に研究する。

5.会員名簿の再整理、及び拡大
会員名簿を整理し、会員拡大を図る。

   1) 住所変更・連絡不可者、その他を整理する。
   2) 会員募集を積極的に行う。

7月までの南北間貿易、前年同期比18%増加

2008年08月22日 | 南北関係関連消息
 七月中旬だったか、金剛山観光に来ていた南のアジュンマが、北の兵士によって射殺されるという事件が起こったが、そのあとの南北政府の対応のまずさにはあきれるばかりだ。
 南の対応は、まるで日本政府の拉致事件に対する対応みたいだし、北は北で、南には絶対に譲歩しないという頑固さ。
 その結果、金剛山観光はいつ再開できるものかさっぱり見当がつかないままだ。 南北関係は、いろんな分野でぎくしゃくしているけれど、そういう中で、発表されたこの数字。  

本当に惜しいですね。

written by maneappa

・・・・・・・・・
2008/08/22 17:43
聯合ニュース

【7月までの南北間貿易、前年同期比18%増加】

【ソウル22日聯合】
 統一部が22日に明らかにしたところによると、年初から7月までの南北間貿易額は10億6164万8000ドルで、前年同期比17.7%増加した。

 同期間の南北間の人的交流は7万7668人から11万4122人に46.9%、北朝鮮・金剛山への観光客数も14万4000人から19万9966人に42.4%、それぞれ増加した。 
 また、年初から6月までの北朝鮮・開城工業団地の稼動企業は72社、生産額は総1億1887万ドルで、前年同期(35社・7750万ドル)から企業数は2倍、生産額は53.3%増えた。

 一方、昨年は55回開催された南北間会談は、今年はまだ一度も開かれていない。
 2000年は27回、2001年は8回、2002年は33回、2003年は38回、2004年は25回、2005年は34回、2006年は23回行われている。

 2000年の初開催から続いてきた当局レベルの南北離散家族面会も、今年は実現していない。
 これまで当局レベルの面会を通じ再開した人数は、2000年は2394人、2001年は1242人、2002年は1724人、2003年は2691人、2004年は1926人。
 その後は2005年が3134人、2006年が3236人、昨年が3613人と、毎年3000人を超える離散家族が対面またはテレビによる面会を果たした。

2010年を統一の年に

2008年08月22日 | 管理人のつぶやき



このブログの開設日は2008年8月22日である。
この日が何の日かご存知の方は決して多くないと思われる。

『韓国併合ニ関スル条約』…
 いわゆる日韓併合条約は、1910年(明治43)8月22日にソウル(漢城)で、大日本帝国 寺内正毅 朝鮮統監府統監と李完用 大韓帝国首相が調印したものである。古朝鮮建国以来、初めてこの世界からウリナラが消滅した日である。日本や中国による度重なる侵略を撥ね返し、世界最大の帝国を誇ったチンギス・ハーンの元でさえもウリナラを征服することはできなかったというのに…
 韓国ではこの日を『国恥日』として記憶している。 (写真は李完用と寺内正毅)

 その屈辱の日からちょうど100年に当たる日が2010年8月22日である。そう、あと2年である。

 1945年8月14日、大日本帝国はポツダム宣言の受諾を連合国側に通告した。そして、9月3日横須賀沖に停泊した戦艦ミズーリの艦上で降伏文書の調印が行われ、大日本帝国は敗戦したわけであるが、それがすなわちウリナラとウリ民族の解放を意味するものではなかった。
 ウリナラは戦勝連合国の手によって分断され、東西冷戦の最前線に立たされてしまった。
 1948年には南北に分断国家が樹立され、1950年にはウリナラの全土が戦場となり、同じ民族でありながら、場合によっては家族同士までが殺しあうという悲劇を我々は経験した。
 そしてその戦争は休戦協定が結ばれたものの平和条約には至らず、ウリ民族の傷が癒えぬまま、分断、対立、戦争、憎悪、独裁…というおぞましい単語を持ってしか語りえない60年余を過ごしてきた。
 そう、われらはまだ開放を勝ち取ってはいないのだ。

 では、我々は何を持って解放の時といいうるのか。

 それは、ウリナラの統一の日、その時であるとわれらは宣言すべきだ。いや、すでにそう宣言されて久しい。
 ならば、その日を迎えるのはいつか。

 提案したい。
 2010年こそ、その年にしようと。
 大日本帝国の侵略によってウリナラが消滅したその日から100年に当たる2010年までには必ず統一しようと。そのためにウリ民族は一人残らず、南北の和解と平和そして統一を実現するよう、それぞれが献身しようと。

 偽りの解放の日である8月15日ではなく、恥辱にまみれた8月22日をこそ、我々は記憶しよう。

written by maneappa


資料として、条約文を掲載しておきます。
………

韓国併合ニ関スル条約

日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ハ両国間ノ特殊ニシテ親密ナル関係ヲ顧ヒ相互ノ幸福ヲ増進シ東洋ノ平和ヲ永久ニ確保セムコトヲ欲シ此ノ目的ヲ達セムカ為ニハ韓国ヲ日本帝国ニ併合スルニ如カサルコトヲ確信シ茲ニ両国間ニ併合条約ヲ締結スルコトニ決シ之カ為日本国皇帝陛下ハ統監子爵寺内正毅ヲ韓国皇帝陛下ハ内閣総理大臣李完用ヲ各其ノ全権委員ニ任命セリ因テ右全権委員ハ会同協議ノ上左ノ諸条ヲ協定セリ

第一条 韓国皇帝陛下ハ韓国全部ニ関スル一切ノ統治権ヲ完全且永久ニ日本国皇帝陛下ニ譲与ス

第二条 日本国皇帝陛下ハ前条ニ掲ケタル譲与ヲ受諾シ且全然韓国ヲ日本帝国ニ併合スルコトヲ承諾ス

第三条 日本国皇帝陛下ハ韓国皇帝陛下太皇帝陛下皇太子殿下並其ノ后妃及後裔ヲシテ各其ノ地位ニ応シ相当ナル尊称威厳及名誉ヲ享有セシメ且之ヲ保持スルニ十分ナル歳費ヲ供給スヘキコトヲ約ス

第四条 日本国皇帝陛下ハ前条以外ノ韓国皇族及其ノ後裔ニ対シ各相当ノ名誉及待遇ヲ享有セシメ且之ヲ維持スルニ必要ナル資金ヲ供与スルコトヲ約ス

第五条 日本国皇帝陛下ハ勲功アル韓人ニシテ特ニ表彰ヲ為スヲ適当ナリト認メタル者ニ対シ栄爵ヲ授ケ且恩金ヲ与フヘシ

第六条 日本国政府ハ前記併合ノ結果トシテ全然韓国ノ施政ヲ担任シ同地ニ施行スル法規ヲ遵守スル韓人ノ身体及財産ニ対シ十分ナル保護ヲ与ヘ且其ノ福利ノ増進ヲ図ルヘシ

第七条 日本国政府ハ誠意忠実ニ新制度ヲ尊重スル韓人ニシテ相当ノ資格アル者ヲ事情ノ許ス限リ韓国ニ於ケル帝国官吏ニ登用スヘシ

第八条 本条約ハ日本国皇帝陛下及韓国皇帝陛下ノ裁可ヲ経タルモノニシテ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス

右証拠トシテ両全権委員ハ本条約ニ記名調印スルモノナリ