NPO法人 三千里鐵道 

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ソウル市立大学ー入学式風景

2012年02月29日 | 管理人のつぶやき

 ★韓国の入学式は極寒(新春?)の2月。暗いニュースが多い中、一陣の春風に当たったような春の便りだ。息子の兵役逃れをマスコミから叩かれたパクウオンスン市長、 その情報はデマと判明された後も破廉恥なカン議員を「許す、告訴はしない」と寛容と和合を訴えた市長、その市長が市民に大きなプレゼントをした。

因みに延世、高麗、梨花女子大などの私立大は、雀の涙ほどの値下げで800万ウオン台を維持したまま。 N

                           

                半額授業料、初めて適用される新入生ら

                         学生・父兄の表情、花のようにぱっと咲いた


パク・ウォンスン市長が半額登録金(授業料)を宣言したソウル市立大の入学式が29日午前ソウル市立大大講堂で開かれた。

パク・ウォンスン市長はこの日入学式で

"市立大学校の半額登録金施行は、現在まで他の多くの大学に影響を与えたし、今後も与える"

“夢を見ることができる権利、青春に最小限の権利すら保障できない社会は、最も危険な社会"

"私は皆さんの夢を応援するために、ここに立った"

として新入生らを励ました。

パク・ハンギル ソウル市立大新入生は

"他の大学より1/4程度、友人らに羨まれた"
"'大学も良いし、授業料も安いんで一石二鳥"
と感想を述べた。

父兄チョ・スギル(仮名)氏は
"大学校進学するまで私教育費とか養育費がたくさんかかったので、大学入ってもこういう状況が続くと大変…。学費負担が減るならば両親たちは大歓迎!"
と半額授業料に対する喜びを語った。

http://www.vop.co.kr/A00000479581.html


韓半島平和フォーラム新年大討論会ーキムジョンウン体制と韓半島の進路

2012年02月28日 | 東北アジアの平和

★懐かしい人物の出演に、飛ばし読みしたが…。あまりにも膨大な内容に圧倒され訳には取りかかれなかった。

丁世鉉氏の語り口は、相変わらずの軽やかタッチ。堅い講演、討論会でも笑いを取るすべを心得ていらっしゃる。

タイトルは

ーキムジョンウン体制と韓半島の進路

韓半島平和フォーラムの共同代表・白楽晴氏が開会の挨拶をした。林東源先生の姿がないのは少々さびしいが、「失われた10年」(所謂金大中、ノムヒョン時期を指すー現政権側の表現)を支えた統一部長官経験者、学者らの発言には、迫力があり重みもある。 N

http://www.socialdesign.kr/news/articleView.html?idxno=6573

 


康宗憲氏の再審、その後…

2012年02月26日 | NPO三千里鐵道ニュース

★昨年当ブログに康宗憲氏の再審が決まった、来年(2012年)から裁判が始まりそうだと書いた。

今年豊橋の呉炳学大回顧展会場に訪れた康氏に、その後の進行状況を聞いてみた。すると“難しそう、国家保安法が現存し、ましてや元「死刑囚」を再審することに、相当な抵抗があるようだ”、と静かに語った。

 

雑誌でしか見ていなかった「民族21」に、昨年再審決定後のインタビュー記事が載っていた。

すがすがしさ、みずみずしさ、そして強い熱情と鉄の意志をもった在日の誇るべき青年は、今も玄界灘を渡ったころの青年のままのたたずまいで、祖国に臨もうとしている。

以下、インタビューの一節のみ紹介する。 

是非添付したサイトも訪問(クリック)してください。N

 

 

『私に苛酷な行為で苦痛を与えた人々を、恨み報復をするつもりは、微塵もありません。ただ再審を通じて、真実が明かされることを望むだけです。私は決してスパイではなく、国の民主化と民族の平和統一を熱望した、一人の在日同胞青年であったという真実を…。』

 

http://www.minjog21.com/news/articleView.html?idxno=5181


大法院、イ・ミョンバク政権初期KBS掌握の‘違法’、確定判決

2012年02月24日 | 管理人のつぶやき

★当たり前ではあるが、この表情を見ると晴れ晴れとした気分になる。 

写真ー23日午後ソウル、瑞草洞大法院大法廷の前で

               イ・ミョンバク政権KBS掌握の‘違法’、確定判決

                                              2012.02.23

チョン・ヨンジュ前KBS社長が,解任無効請求訴訟で最終勝訴した.


2008年8月,イ・ミョンバク政府がチョン・ヨンジュ(66)前KBS社長を解任したことは違法, と判決が下された。

チョン前社長は自身の解任理由であった背任疑惑に対して、先月12日大法院で無罪確定を受けた。 イ・ミョンバク政権の序盤に繰り広げた言論掌握が、「違法」であると確認したのだ。

 


呉炳学大回顧展実行委員会、解散

2012年02月22日 | NPO三千里鐵道ニュース

昨日豊橋駅に隣接する朴泰秀実行委員長が会長を務める夢コーポレーション本社において、最後の委員会事務局会議が開催された。

開催期間中、写真だけは毎日アップし、まとめとして韓国「統一ニュース」記事の翻訳を掲載した。(ご参照下さい)

この企画の火付け役・三千里鐵道都相太理事長も参加し、最後は実行委員長の言葉で絞めた。

「個人的に良かったと思ったことは、(今回の回顧展で)友人たちに褒められ喜ばれたこと。次に(自宅を開放し呉炳学第二展示場を取り仕切った)家内の機嫌がすこぶる良かったこと(爆笑)、それに皆さんと出会えたこと。皆さん、本当にご苦労様でした」

素朴ではあるが、実に味わい深い別れの言葉であった。

「別れ」ではなく、ひょっとすると今回の回顧展をきっかけにして、何かが胎動し始める予感を感じさせる場になったのでは…。

会議の前日、都相太理事長は理事に向けて提案書をメールで発信した。

「自分は技術者のはしっくれ、カタチにできない想いはそんなに意味がない」

このような話を口癖のようにしてきた都相太さん、日本の市民と在日、益々近くなった朝鮮半島との関係の在りかたについて、今後どの様な設計図を描き実現してゆくのであろう。 N

 


朴正熙記念館、独裁喚起させるな

2012年02月22日 | 南域内情勢

 

09:50

[社説]朴正熙記念館、独裁喚起させるな

 
記事登録:2012/02/21 19:02(1203字)

大韓民国の既得権層が日帝下の親日・買弁勢力から独裁体制保護勢力につながる血統を持っているということは不幸なことだ。この致命的な弱点を糊塗するために、彼らは絶えず反共・冷戦イデオロギーと抑圧体制を強化しなければならなかったし、歴史と事実を操作して学問を歪曲しなければならなかった。昨日開館した朴正熙記念館はすぐにこれらの念願事業だった。記憶を歪曲しようとするこれらの努力はそれほど執拗だった。
 現職から退いた大統領に従うこれらが記念館を作って、各種展示を通して彼の業績などを紹介しようととすることは非難されるべきでない。 試行錯誤を警戒して政治功績は継承する意味深い教育の職人できる。このような趣旨から金大中図書館はすでに設立されたし、盧武鉉前大統領の記念館も推進中だ。独裁者だからといって朴正熙記念館自体を批判はできない。
 問題はそこに展示される記念品の内容だ。純粋に本当の原則に従わなければならないが、最小限、一方的な美化と称賛のための歪曲はあってはならない。歪曲の殿堂になってはならないという点から、朴正熙記念館は最初からボタンを掛け間違っていた。政治功績だけを抜粋、誇張して軍事クーデターや維新独裁を結果的に美化しているのだ。記念事業会の言う通り1960~70年代を分からない若い世代がこの展示だけ見ると、朴正熙は民族中興と近代化の先駆者としてだけ思い込まされやすい。今年夏に開館するという図書館もやはり個人の所蔵品や閣僚会議案件、親筆指示などを収集・整理するというから、朴正熙美化につきるにすぎない。このような歪曲の殿堂を作るのに国民の血税と市民の財産が投入されたということに戸惑うしだいだ。
 遺産や追従者の寄付で建てられた記念館ならば、美化あるいは称賛をする場合はそれに対する評価は私用ですべきだろう。だが、同館には政府予算が178億ウォンも投入されて、貴重な敷地5260㎡はソウル市が無償貸与した土地だ。500億ウォンは全経連が会員会社から寄付を受けたとしても、このお金もやはり厳格に言えば各企業の数多くの株主の財産だ。公共の財産である。 記念事業会がソウル市に寄付進呈することにしたのもそのような理由からだったろう。それなら展示内容はすぐにそのような公共性に見合わなければならない。
 市民は血税が独裁者の亡霊を蘇えさせるのに利用されることは望まない。国民の基本権を蹂躪して、民主主義を破壊して、親日買弁・独裁追従勢力が再び権力を握るのに利用されるのも願わない。政府やソウル市は記念館が歪曲の全党(殿堂)にならないように責任と義務を果たさなければならない。
原文: http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/520088.html 訳T.W

朴槿恵の過去断絶論と正修奨学会

2012年02月22日 | 南域内情勢

15:18

[社説]朴槿恵の過去断絶論と正修奨学会

 
原文入力:2012/02/20 19:03(1148字)
朴槿恵・セヌリ党非常対策委員長が昨日放送記者クラブの討論会で最も強調した話は‘過去との断絶’だった。彼女は "今セヌリ党が復活している"として "過去の過ちと完全に断絶して新しく生まれるために果敢な刷新をしている" と話した。五日前政党代表演説に続いて繰り返された過去断絶論だ。

 セヌリ党はすでに政治綱領・政策の基調を競争を優先視する新自由主義から幸福を重視する福祉拡大の方向に変えた。14年以上使い続けたハンナラ党という名前も果敢に捨てた。現在、真っ最中の公認選びでも道徳を基準として現役議員を大幅に入れ替える計画という。‘李明博でなければ何でもいい’というほど大きな変化が予想される。
 朴槿恵委員長が主導するセヌリ党の変化と改革は格差解消と福祉拡大を望む国内外の流れを反映すると同時に、二大選挙を狙ったパフォーマンスの意味も帯びている。とにかく政党が時代精神を反映して変化するのは良いことで、その中に真正性まで含まれているならば加える私上がないだろう。
 しかしパク委員長が追求する過去との断絶や変化、改革は本当に誠実といえるのか疑問だ。彼女は李明博政府の問題点として対話不足と格差社会の進行を指摘した。対話は民主主義の後退を、格差は経済の失敗だといえると考えられる。格差はひとまず差し置いても、疎通と民主主義に対するパク委員長の思いはほとんど感じられない。
 最も代表的な事案が正修奨学会問題だ。正修奨学会は釜山(プサン)日報の株100%、文化放送の株30%と京郷新聞社の土地700坪余りを所有している財団法人で、いまだにパク委員長と深い関係がある。だが彼女はこの日関連質問を受けて "2005年に理事長をやめたので自分と関係ない。これと関連して奨学会は明確に立場を表明する必要がある" とまで話した。今でも朴正熙前大統領を‘王様’、パク委員長を‘大令嬢’と呼ぶ(<ハンギョレ> 2月4日付3面)チェ・フィリップ氏が奨学会理事長を務めているという事実と非常に距離感がある認識であり発言だ。
 世の中の仕組みは法律関係だけで成り立っているのではない。人脈でからまりあい、情でつながれている。パク委員長が本当に正修奨学会と関連がないならば、自身をいまだ王朝時代の上殿のように迎える人を理事長から退かせて、市民・マスコミ団体の要求通り社会に財団を還元できないわけがないはずだ。過去と断絶はひとからではなく自分から始めてこそ誠実だ。

原文: http://www.hani.co.kr/arti/opinion/editorial/519916.html 訳T.W


ソウル市長, ソウル平壌サッカー、ソウル市響平壌公演協力要請

2012年02月18日 | 南北関係関連消息

 

                                  パクソウル市長、リュ統一部長官に

                         ソウル平壌サッカー、ソウル市響平壌公演協力要請


                                                                  2012年02月15日(水)

                                                    チョ・ジョンフン記者whoony@tongilnews.com


15日午後、政府総合庁舎内統一部を訪問、パク・ウォンスン市長がリュ・ウイク長官に"ソウル平壌サッカー、ソウル市響平壌公演協力要請"をした。

パク・ウォンスン市長は
"就任する時サッカーソウル・ピョンヤン戦開催やソウル市交響楽団の交換公演を推進すると約束した"
"この問題は統一部の協力なしには不可能だ。 "
と話した。

昨年12月31日の新年辞でもパク・ウォンスン市長は、この件につき言及、
"地方自治体次元を越える問題だが、小さいことでも緊張を解いて平和を開くことに貢献すべく、ソウル市次元で試みようとする"
と明らかにした。

サッカーソウル・ピョンヤン戦は、日帝時代に京城と平壌を代表するサッカーチームが、場所を替えながら行った親善競技で、1946年を最後に途絶えた。

以後1990年10月'南北統一サッカー大会'という名称で、平壌とソウルで各々開かれ、2002年9月ソウルで'南北統一サッカー競技'として、ソウル平壌サッカー対抗戦の伝統の脈を引き継ぐ競技が開催されたことがある。

 


世界美術史に刻まれよう、海外同胞コリア美術の偉大な貢献-呉炳学大回顧展

2012年02月16日 | NPO三千里鐵道ニュース

★今日毎月1回の墓参りに行った。父母の眠る墓石の周辺には、在日と一目で分かる墓標が目につく。韓国「統一ニュース」への投稿を終え、この地に眠る在日1世とその子孫と呉炳学大回顧展が、ぼくの胸中を去来した。 N

 

 

写真ー27日から13日まで、日本豊橋市の美術博物館で在日同胞画家オ・ビョンハク先生の米寿を記念した美術展が開催された。展示会開催直前まで描かれたという大作をオ・ビョンハク画伯が熱く語る。 [写真-チェ・ソンイル]

 

 

 

     世界美術史に刻まれよう、海外同胞コリア美術の偉大な貢献

 

            "オ・ビョンハク大回顧展、日本豊橋市で開催”

 

                20120215() 南相三 tongiltongilnews.com

 

 

去る27日から12日まで、日本の本州中心に位置する愛知県豊橋市の美術博物館で、在日同胞画家オ・ビョンハク先生の88(米寿)を記念する美術展が開催された。

 

初日開会式には多くの同胞らと市民、画伯を慕う美術愛好家らと支持者が参集した。何よりもこの地に居住する同胞らは、主義主張と団体所属を越えて88才老画伯の大回顧展成功のために、共に出席し祝った。

 

主催はオ・ビョンハク大回顧展実行委員会、委員長には三千里鉄道結成当時からの理事、企業家のパク・テス氏が引き受けた。昨年名古屋市で行った画伯の美術展以後、志を共にし取り組んだ在日同胞と日本人が事務局をつくり準備してきた。

 

 

開会式では、日本与党の参議院議員予算委員長・石井一先生、名古屋出身国会議員・近藤昭一先生からの祝電が紹介された。つぎに豊橋市佐原光一市長が開会式に直接出席、大回顧展の開催を祝う挨拶をした。

 

祝辞で市長は

88才高齢に描いた絵が一番大きくて雄壮、若さと迫力にあふれていて驚いた。在日同胞も多く住んでいる豊橋市で開催したことに感謝し、市民と共に嬉しい気持ちで歓迎する”としながら、祝辞後には進んで画伯に近付き画伯の手を握り、その意を表わした。

 

開会式のニュースは、日本の大新聞の一つである中日新聞と地域紙ら、東海TVの当日ニュース、地域有線放送等を通じて繰り返し放映された。

 

うわさはうわさを呼び、二日目展示場を訪れる人々はさらに増えた。画伯自らが語るギャラリー-トーク(主題は画伯の人生と美術に対する信念、そして作品解説と参加者の質疑応答など)が開かれた締め切り前日には、400人余りの人々で混み合った。

 

その中でも特にこの地域同胞らの反応は格別なものがあったようだ。

ある同胞は、今回の回顧展のために画伯が準備した大作「仮面舞劇」の前で、立ちすくみしばらく動くことができなかった。またある同胞は、画伯の手を熱く握り“有難う”と何度も繰り返した。そして、展示場では昔なじみらと久しぶりに再開し挨拶を交わす老・中年男女の姿も見られた。過ぎし日々を懐かしむこの方々の胸中には、総連、民団等の所属団体や主張などは消えていた。

 

日帝時代この豊橋は軍都と称され軍事的に重要な戦略的拠点の一つであった。海軍大崎飛行場と小坂井の住友金属製作所、当時東洋最大の豊川海軍工廠もあった。また、軍需物資輸送のため鉄道敷設工事などが集中した。全国から多くの同胞が寄り集まったが、その中には故郷から強制連行された徴用者などもいたと言われている。

 

祖国が解放されるや同胞が密集し住んでいるでは万歳の歓声が木霊した。そして日々の苦しい生活の中でも、解放の喜びを胸に隣人を大切に思い助け合いながら暮らした。

この平和なに(戦争まで起こした)祖国朝鮮半島の理念対立が、その後の同胞社会に目に見えない壁をつくり、ちりじりに引き裂いてしまった。

 

それでも廃虚になった飛行場、軍需工場跡で、幼少年期共に遊んだ記憶と互いが成長しながら会えばただ酒を酌み交わし騒ぎ遊んだ追憶は、理念に縛られたくびきから抜け出していた。生活の底辺で、この地の同胞たちは、互いに近い存在であったのだ。やむを得ず分けられても、そしてしばし別々に存在していたとしても、心の片隅にいつも一つの望みを持って生きてきた。

 同胞たちは、画伯のもたらした渾身の大作の前で、その「仮面舞劇」の放つ強烈なメッセ-ジに吸い込まれるように、旧情を取り戻したのだ。

 

日本市民らの反応も良かった。“西洋油絵の技法に東洋の精神を融合させた独特の作品世界”、“画伯の闘魂とコリアの勇壮な気概に圧倒された”と絶賛した

 

回顧展を終えて関係者たちの打上げも済ませた次の日、画伯を訪ねインタビューを求めた。

 

筆者は躊躇することなく、今回発表した大作に込めようとした創作意図、今後の目標について尋ねた。画伯は、静かにしかし信念に充ちた声で次のように話した。

 

“仮面の裏に隠れた民衆の圧制者に対する怒り、未来への希望、五千年の歴史の中で東北アジアを駆け巡った騎馬民族―今に引継がれているコリア民族の気概と魂を表現しようとした。

私は日帝時代セザンヌに魅かれ画家になろうと、単身日本にきた。深刻な人権差別の中で苦学をしながら、セザンヌの世界を体得しようと今日まで研鑽を重ねてきた。しかし決して、先人の模倣で終ろうと考えたことはない。セザンヌの世界と民族的な情緒、技法を融合させ、オ・ビョンハク独自の世界、即ち世界美術史に寄与するほどの独創的な世界の創造が私の目標だ。

今どの段階に達したのかは、見る人々が評すであろうが、今後も私の残った余生をその目標のために捧げる覚悟だ。そして、統一された祖国の国立美術館に私の絵を寄贈することが、私の夢であり願いだ。”

 

まさに今回のオ・ビョンハク大回顧展は、分断された祖国の南北民族と在日同胞に向けた画伯の信念と宿願がこの地にもたらした祝祭であり、美術史に記録される巨大な足跡となった。

 

 

 http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=97593