NPO法人 三千里鐵道 

NPO法人 三千里鐵道のブログです。記事下のコメントをクリックしていただくとコメント記入欄が出ます。

管理人Nからのお詫び

2012年04月23日 | 管理人のつぶやき
このところブログのアップ、怠っています。昨年8月から腰痛に難儀してきました。一進一退が続いていましたが、20号編集過程で悪化し、現在針治療をしています。車の運転も、椅子に座ることも医者から注意するよう言われています。
幸い事務所に訪れたU嬢から、保険の利く接骨院を紹介され、通院しています。掲げてある額に「仏手仏心」。大柄で太った院長先生が仏に見える今日この頃です。おまけに少したれ目かげんに長椅子に横たわるぼくを、心配そうに見下ろしていたU嬢が菩薩に見えました。
ついでアドバイザーK氏からは、最大の治療は耐えること、といわれいやに納得!

凡その完治まで、記事のアップ、間が空くかも知れません。ご了承ください。
腰がちくちくしだしました。暫くぼくはお休みします。N

ニュースレター20号・呉炳学大回顧展特集号、今日発送

2012年04月20日 | NPO三千里鐵道ニュース
★昨日誠実で有能ないつもの事務員3名とボランティア3名の計6名で、発送準備を終えました。ありがとうございます。
今号は節目(?)の20号、節目にふさわしい以下の記事をまずじっくりお読み下さい。N


              回顧展をふり返り、今思うこと

                      都 相 太

2000年6月15日の南北共同宣言の発表から、はや12年の歳月が経とうとしています。この間、NPO三千里鐵道によせられた皆様のご支援、ご理解に、心よりのお礼を申し上げます。
この2月に豊橋美術館で開催された呉炳学画伯の個展では千数百人の観客が訪れ、文化の持つ力を改めて感じました。
この個展の実行委員長の朴泰秀氏に深甚なる敬意と感謝を申し上げ、これに関わりあった多くの仲間にもお礼を申し上げます。
三千里鐵道の設立当時には内外部で激しい議論もありましたが、12年経ちますと少しおとなしくなった様な気もします。少し大人になったのか、それとも老いてエネルギーが減少したのか気になるところです。
南北共同宣言の二人の当事者である金大中大統領と金正日国防委員長は、この世からいなくなり、また、その意思を継承した慮武鉉大統領もいません。寂寥感はありますが、時の流れは世の常ですから、その意思を継いでいくのが生きている者の役目であると考えています。
設立当時からの念願でありました南北の鉄道は、二路線(京義線・東海線)で連結しましたが、残念ながら未だに人々と物の交流は達成されていません。
 個々人にそれぞれの主張を持っているものですが、南北の指導者は国民の選択の結果であると考えれば、私たち海外にいる同胞は、批判は別にして受けいれるしか方法はありません。しかしながら、平和と統一への願いはいささかの揺るぎの無いものであることは明確にしなければなりません。
 在日の先輩方の努力により、今年実施される韓国の総選挙と大統領選挙に、在日韓国人は投票の権利を得ました。
 海外同胞にとって非常に不平等な方式で、投票の意思表示をした者は3%内外という状況です。
 投票は当然の権利行使ですが、それには義務と責任が伴うもので、一人ひとりの民主主義のあり様と祖国に対する関心度を問われています。
 特に在日韓国人は本国政治の直接の当事者であることです。
 仲間たちが関わっている組織”投票2012”では、昨年末訪韓し、ハンナラ党(現セヌリ党)、民主党、統合進歩党にたいし、在日の候補者を擁立するように要請してきました。
 その成果として、在日の候補者が立候補することに決まりました。
 当選するか否かは別にして、このような人材を育むのも三千里鐵道の役目の一つであります。
 皆さんとともに、多くの境界を越え、境界をまたぎ、境界をなくし、愛のつまった境界をはっきりさせるのも、われわれの務めだと考えます。



寄稿ー第19代韓国総選挙に立候補して

2012年04月18日 | NPO三千里鐵道ニュース
★総選挙は終わった。明日出来上がるニュースレター20号に、在外同胞から初めて立候補した在日の康宗憲氏が寄稿文を寄せてくれた。イム・スギョンさんの記事と併せてご覧下さい。


               第19代韓国総選挙に立候補して

                               康 宗 憲


 2012年、韓国籍の在外国民は初めて国政選挙に投票することとなった。残念ながら、在外国民の選挙人登録率は推定有権者の5.6%、実際の投票率はさらに低い約2.5%と推測されている。しかし、現行公職選挙法の煩雑な登録手続きを改正すれば、投票率は飛躍的に高まることだろう。とりわけ、在外国民の地域別投票率では、在日同胞の投票者が8068名(投票参加率43.3%、4月2日午前7時現在)と最多であったことに注目したい。
 今回の総選挙に、私は統合進歩党から比例代表として立候補した。少数野党の比例18番というのは、当選圏からあまりにも遠い順位である。某新聞の言うように「蟷螂の斧」に等しい無謀な愚行かもしれない。しかし、解放後も徹底して本国と居住国から疎外され政治的な無権利状態に置かれてきた在日同胞が、当事者として自ら声を挙げる事なくして、誰が私たちの状況を改善してくれるだろうか。その思いで私は出馬した。
 戦前から在日同胞の歩んできた道は、実に険しいものだった。過去を全く反省しない植民地宗主国で、解放と同時に分断された祖国を持つ在外国民として生きるしかなかった私たちは、まさに植民地統治と民族分断の痛みをもろに受けてきた存在と言えるだろう。それだけに、現在、私たちが直面する民族的な課題を解決するうえで、在日同胞こそ重要な役割を担えるのではないだろうか。その課題とは言うまでもなく、植民地支配の歴史精算であり、民族の平和統一だ。
 在外国民がようやく本国政治に直接参与する機会を得たこの歴史的な年に、私たち在日同胞が力を合わせ、先頭に立って新しい時代を切り開いて行きたいと、切に願う次第である。

統一の花・イム・スギョン、韓国国会に入城

2012年04月16日 | NPO三千里鐵道ニュース
写真ー李時雨と一緒に名古屋に来たことのあるイム・スギョンさん。当選後14日行ったところは、89年一緒に38度線を越えたムン牧師のいる済州島のカンジョン海軍基地白紙化行動現場。

★明日朝、ニュースレター20号責了!選挙結果を載せる欄を空けておいたのだが…。とりあえずトピックとして以下の文で絞めました。N


●韓国総選挙トピック

統一の花・イム・スギョン、韓国国会に入城


1989年夏, ムン・キュヒョン神父の手を握って板門店を越えたイム・スギョン。 23年前の記憶は、'統一の花'として南北コリアと海外同胞の胸中に刻印された。
そのイム・スギョン氏(43)が、第 19代国会議員に当選した。
去る7日夜選挙戦のさ中ソウル仁寺洞で統一ニュース記者とインタビュー、立候補の思いを語った。その回答、断片的に拾ってみた。


―民主党の6.15,10.4宣言履行の無力さと、現政権の南北関係破綻を目撃、国会進出の覚悟を固めた。

ー南北関係が天安艦と5.24措置以後遮断された。 金剛山観光も途絶え、 文化.体育.放送交流が一瞬に停止し、 あまりにも苦しかった

ー私の候補者名刺には、'南と北をつなぐ架け橋になります'と刷ってある。「イム・スギョン」だからできることがある。

ー89年は障壁を突破するためだった。そして6.15,10.4宣言で西海直航路も乗り、金剛山も行き、今も制限的だが開城工業団地も運営されている。

ー分断で苦痛を受ける人々が多い。 離散家族、金剛山観光中断で苦痛を受けた地域の人々、天安艦犠牲者の母たちの涙をふいてあげ話を聞いて、彼らの真の願いを実践することを、国会議員がすべきでしょう。

ー 私が平壌に行ってきて23年になった。 今、北の19才、20才の方に「スギョン」という名前が多いと聞いた。彼らの両親世代や私たちの世代は、あの夏板門店で流した熱い涙、胸に秘めてきた多くの想いを忘れていない。イ・ヨンヒ、パク・ヨンギル、イ・ドンミョン、キム・グンテ等で代表される分断イデオロギーと地域感情を克服しようとした7,8,90年代民主主義変遷史がある。今はみな亡くなった。 今はそういう方々を継承することが必要だ。



統一の花・イムスギョン、 国会進出 夢みる

2012年04月10日 | 南域内情勢
★選挙戦、今日が最終日。明日が運命の投票日だ。色々なニュースが飛び交う中で、ぼくはこの記事を選んだ。成熟した女性に成長した。一緒に38度線を越えたムン牧師は、今チェジュのカンジョンにいる。墜落、大怪我をした姿で…。
祈るような気持ちで4.11の結果を待つ。N


    '統一の花'―イムスギョン、 国会進出 夢みる

     インタビュー 19代民主統合党国会議員比例代表 21番で

1989年夏. ムンギュヒョン神父の手を握って、板門店を越えて来た 20代初盤の林秀卿.
23年前のあのニュースと新聞を憶えているだろう.
その林秀卿さんが国会進出を夢見ている.

去る 7日夜ソウル仁寺洞、全国遊説で声がのかれた '統一の花', 林秀卿候補を、統一ニュースがインタビューした.

以下略


http://www.tongilnews.com/news/articleView.html?idxno=98080

病室からの窓の外、真っ青に晴れてますー頑張れ、高仁鳳さん

2012年04月09日 | NPO三千里鐵道ニュース
写真ー記事の一部。

★ほぼ二日に一度は届いていたメールが、突然途絶えた。在外同胞投票に、這ってでも行くと言っていた彼から12日ぶりに、届いたメール…。何も言えない! ただ、頑張ってと、全快を信じると、祈るばかり…。メールの末尾にアドレスが…。
激励のメッセージを送りましょう。N


高 仁鳳(KO INBONG)@KBS です。
皆さん、あんにょん。4月8日のメールです。

病室からの窓の外、真っ青に晴れてます。
大阪城のサクラもきれいでしょう。

病室のiMac(パソコン)の電源を切って、再び入れたのが、12日ぶり。
ひどく辛い日、3月26日に電源を切って、昨日4月7日に、やっと、電源を再び入れまし
た。

抗がん剤のつらさ!どう表現すれば、いいやら。

私に打たれる抗がん剤は、5?FUというもの。1本を24時間かけて点滴。5本打たれる。
その副作用の苦しさ、たまりません!
私の場合は、放射線の照射を受けていますから、ダブルの傷みつけになります。

その抗がん剤の点滴が終わったのだ、3月27日で、放射線治療が終わったのが、3月29日
です。

昨日の7日にどうやら、今日のイースターに合わせたのか、生き返りました。
神に感謝します。

再び水も飲めるようになりました。

現在、免疫力が一番下がっています。この時期、外部との接触も気をつけて乗り越えれ
ば、
とりあえずの勝利を迎えることになります。
いくら辛くとも負けません。

まもなく、元気な姿を実況中継します!

毎日新聞に記事が掲載されました。
http://inbong.com/2012/0406shinbun/

今日もいい日でありますように。

高 仁鳳(KO INBONG)
http://www.inbong.com/
ko@inbong.com

キム・ジェドン氏、アメリカから映像メッセージ

2012年04月08日 | 南域内情勢
キム・ジェドン氏、アメリカから映像メッセージ

“投票率65%越えれば,上半身公開!”

“70%越えれば70%程度の国民を恐れることに、80%越えれば80%国民を恐れることに,
90%越えれば政治を政治家でない市民と国民が行える”

“権力が市民を査察してはいけない。 市民が権力査察しなければならない。 これは投票で堂々と示そう”

キムジェドン、米国で‘青春コンサート’

2012年04月06日 | 管理人のつぶやき
★話題の人ジェドンは、今アメリカにいる。コンビを組んでいるH和尚と、広大なアメリカ各地で「青春コンサート」をはじめた。ハンギョレサイトから、以下抜粋! N



キムジェドン、米国で‘青春コンサート’

韓国政治を風刺“政治家があのようにまで笑わせるのに、
私は何をしているのか!”(自虐ギャグ)


最近‘民間人査察’対象者の1人と確認されたコメディアン キム・ジェドン(38)氏が、5日(現地時間)米国メリーランド大学で‘青春コンサート’を開催、 留学生らと韓国人など900人余りの聴衆は、キム氏の風刺とユーモアに2時間ずっと爆笑した。

傍聴客との質疑応答などトークショー形態に進行されたこの日のコンサートでキム氏は
“この頃はコメディよりニュースがもっと面白い”
“政治家たちを見れば、コメディアンとして自己嫌悪を感じる。 あのようにまで笑わせてくれるのに、私は何をしているのか。 魔法瓶を砲弾だと考え、ある国会議員は箪笥に現金が7億ウォンがあったが‘分からなかった’と…。タンスに現金があれば、服は金庫にあるのか”と話した。
これはセヌリ党イ・サンドク議員の‘タンス現金波紋’を迂回的に批判したのだ。

以下爆笑トーク炸裂!

※悲しいかな日本では彼の青春コンサートは開催されていない。YBの生歌は京都で聞いたが、ジェドンの生トーク、生の笑顔にも接してみたい! N

「まともなニュースデスク」8-放送人・キンミファの場合

2012年04月05日 | NPO三千里鐵道ニュース
★4年前ノムヒョン追悼の司会を務めた金ジェドン氏を、当時国情院X氏が訪問し司会から下りるよう勧めた件が報道された。直後近くに住む映画「ルツボ」で大ヒットを飛ばした作家コンジヨン氏がジェドンを誘い食事をしたそうだ。その時、ジェドンはその後、舞台に上がるのが恐かった、夜睡眠薬を飲まないと眠れなかった、などともらしていたという。
MBC新労組制作の「まともなニュースデスク」(裏番組)8で、放送人・キンミファ氏が似たような経験を告白した。
今日ハンギョレでは、「DJ時代に盗聴された」とあるセヌり党議員が「暴露」、終盤に突入した総選挙投票行動に、この民間人査察問題がどのような影響を及ぼすのであろう。 N


http://www.youtube.com/watch?v=X60zAbm1J8I

済州-沖縄平和連帯のため/ 済州島海軍基地建設反対 声明

2012年04月04日 | NPO三千里鐵道ニュース
★寺尾氏から届いたメールです。沖縄とチェジュが連帯しました。 N


        済州―沖縄平和連帯のための

       済州島海軍基地建設反対 声明


済州島海軍基地建設が進行中の江汀(カンジョン)村では、
毎日まるで戒厳令下のような緊張と対立が続いている。
基本的な人権や常識さえこの村では通用しない。
60余年前の4.3道民虐殺事件を想起せざるを得ない
状況である。
沖縄の米軍政時代も虐殺事件が起きた。韓国における
米軍政下で4.3虐殺事件がおきた。アフガニスタンの
米軍政下、トラボラからヘルマンドまでの至る所で、
虐殺事件が起きている。イラクの米軍政下では、
ファルージャで虐殺事件がおきた。米軍の軍政に関する
教範は、1940年代にイタリア、アフリカの北部の占領地域で
最初に作られ、沖縄で完成された。そして韓国で再び
実施され、現在まで続けられているのである。
米軍政による統治が行われる所、どこでもその軍政の
最後の段階に親米政権を樹立するために選挙が行われ、
その直前に大量虐殺事件がまるで決まったように
再現される。これは米軍の教範に従う必然的な結果なのだ。
沖縄と済州島の歴史的悲劇は同じ加害者によって
もたらされたものである。

1990年、湾岸戦争で劣化ウラン弾が使用された。1995年、
沖縄で劣化ウラン弾の誤射事故が起きた。1997年、
京畿道ヨンチョンで劣化ウラン弾の暴発事故が起きた。
1998年、ハワイに停泊していた米軍艦から劣化ウラン弾が
誤って発射された。そして 京畿道スオンとオサン、
忠清北道チョンジュ、沖縄嘉手納基地弾薬庫には
300万発の劣化ウラン弾が貯蔵されていることが明らかに
なっている。これはイラクで使われた劣化ウラン弾の
3倍以上の量である。核弾頭トマホークを搭載した
原子力潜水艦は、ハワイと沖縄のホワイト・ビーチを経由し、
韓国の鎮海(チネ)に寄航する。これらの米国艦船が
済州島の海軍基地に寄航するのは自明なことだ。米軍が
駐屯する所では例外なく、性的暴行事件が頻発している。
沖縄、 済州島で現在も進行している悲劇には、これもまた
同一の加害者が存在するのだ。

韓国・日本・沖縄・済州島を結ぶ最も重要な要は
国連軍司令部である。1951年9月8日、日米安保条約と
同時に締結された吉田‐アチソン交換公文書には、
「日本政府は韓国での国連軍の活動を支援するために、
全ての施設と役務を提供する」となっている。
この交換文書により、横須賀米海軍基地、
横田米空軍基地、キャンプ座間、佐世保米海軍基地、
沖縄嘉手納空軍基地、普天間米海兵隊基地、
ホワイト・ビーチが国連軍司令部の後方基地と指定された。
国連軍司令官の作戦統制範囲は38度線の
非武装地帯から沖縄に至る範囲であり、日・米・韓の
軍事同盟は単に抽象的概念として存在するのではなく、
一人の司令官が指揮、統制する軍事機構である
と言うことだ。

日本と韓国、そして沖縄と済州島の間に存在する国境は
米軍にとって何の意味もなく、単なる一つの戦場に
すぎない。沖縄と 済州島が同じ歴史、同じ悲劇、
同じ目標を共有せざるを得ない理由がここにあるのだ。
日・韓・沖縄・ 済州島の運動が連帯を越え、連合体に
発展せざるを得ない理由もここにあるのだ。

我々はカンジョン村に作られようとしている
‘民軍複合美港’(民間用・軍事用複合港湾施設)の
建設に対して憂慮の思いを表明せざるを得ない。
軍事基地と民間施設が一緒に建設されることは、
常識的に理解できないことだ。これは動く弾薬庫ともいえる
軍艦で発生する偶発的事故や他国による偶発的攻撃に
民間人を無責任もさらすことになるのだ。

我々は日・韓・中の全ての市民の生活に必要な
エネルギー源ともいえる海洋輸送路が緊張関係の中に
置かれることを望まない。緊張関係に備えるという
名分の下に、軍事態勢を強化すること自体が緊張を
誘発する源泉であるからである。海洋大国の膨張戦略は
沿岸国にとって脅威になり、沿岸国はどうしようもなく、
無理な海洋軍備競争に追い込まれ状況になることは
明らかだ。海洋輸送路の軍事化が強化されるに連れて、
脅威を受けるのは我々市民の生活である。

我々は日・韓・中の新しい、建設的な海洋制度を樹立に
逆行する海軍基地建設に反対する。 済州島海軍基地は
イオ島水域防備を目標にしていると韓国が
明らかにしたため、韓・中の間の海洋に関する衝突の
導火線になった。韓国海軍が、済州島海軍基地建設の
理由にしたイオ島は韓・中の排他的経済水域が
重なり合う海域である。国連海洋法協約に従えば、
排他的経済水域制度とは日本や米国等の海洋覇権国に
立ち向かう第3世界の沿岸国が、海洋管轄権を
拡大するのに成功した歴史的成果と言える。この制度が
適用される過程で、日・韓・中の東北アジア海洋水域で
衝突が増幅していることも事実である。しかしながら、
日・韓・中はお互いの漁業協定締結を通して東北アジアの
海洋制度を作り上げる最後の段階に至っているのだ。
東北アジア海洋制度建設は軍事力重視主義に
よるものではなく、平和的な協議を越えたお互いの
信頼によって完成されるものだ。各国がこれまで
積み上げてきた忍耐心と譲り合いの心そして信頼を
打ち壊す軍事力重視主義は、決して東北アジアの
海洋平和を推進することにはならず、国連海洋法協約に
正面から挑戦することになるのだ。

我々はカンジョン村の住民とカンジョン村を守ろうとする
人々に対する人権を侵害し、表現の自由を奪う弾圧を
即刻中止することを求める。住民生活と直結する
問題提起、抗議は全て憲法によって認められている
市民の当然な権利である。違法行為が予想されるという
予断の下に、事前に制裁を加えることは明々白々な
違法行為であり、法治国家の基幹を揺るがす暴挙である。
これは戒厳令下でもあり得ないで出来事だ。

我々はこれまでの歴史経験を通して、済州島と沖縄、
日本と韓国の問題は決して国境の向こうの他所の国の
問題とは考えられず、次のように主張したい。

―欺瞞に満ちた、危険千万の民間・軍事複合港湾建設に
反対する。
―東北アジア海上輸送路における軍事的な緊張感を
増幅する海軍基地建設に反対する。
―東北アジアの平和的海洋秩序樹立に逆行する
海軍基地建設に反対する。
―住民どおしの衝突を助長する海軍基地建設に反対する。
―人権を侵害し、表現の自由を奪い、弾圧する
警察庁を糾弾する。
―人類の自然文化遺産を破壊する不法工事の強行を
中断せよ。

2012. 4. 7

     済州島軍事基地建設反対・日韓平和行動(仮称)

普天間基地爆騒音訴訟団、日韓民衆民主連帯、
ストーン・ウォーク・コリア、韓国原爆2世患友会(など、など)


キム・ジェドン "国家情報院職員が2度訪ねてきた"

2012年04月03日 | 南域内情勢
★今韓国は選挙戦真っ最中だ。中盤に差し掛かるこの時期に、BHの民間人査察問題が膨らんできた。「リセットKBS」が最初2600数件の資料を暴露するや、BH広報担当は「この資料、80パーセントはノムヒョン時代のもの」と反論、パククネまで「私も査察を受けたことがある」と言い出し、事がこんがらがった。そんな渦中、またもジェドンが話題に上がった。…

サランパンには以下のような記事も
「民間人不法査察の胴元を自任したイ・ヨンホ前大統領府雇用労使秘書官が国務総理室公職倫理支援官室の業務報告書を李明博大統領に直接報告したという証言がチャン・ジンス前主務官を通じて出た。 これは今まで大統領府が否認してきた公職倫理支援官室-イ・ヨンホ前秘書官-李大統領につながる秘線(秘密ライン)を通じた報告の存在を裏付ける内容だ。」
さてこの顛末、どちらに有利であろうか。 BH側からの再反撃は? 益々ヒートアップする韓国、今後の行方を注視したい。 N



2012年04月03日

キム・ジェドン "国家情報院職員が2度訪ねてきた"

入力:2012/04/02 22:48(1336字)


"盧前大統領追慕コンサート , なぜあなたが司会をするのか、言え"

 大統領府 民政首席室が2009年9月、キム・ジェドン氏など政府に批判的な芸能人に対する査察を警察に指示していた事実が明らかになったたのに続き、国家情報院職員がキム氏に直接会い故盧武鉉大統領追慕コンサート司会を担当しないよう懐柔した事実がキム氏の証言で新たに明らかになった。

 ギャグマン キム・ジェドン氏は2日<ハンギョレ>との電話通話で 「盧武鉉大統領逝去1周期を控えた2010年5月頃、国家情報院職員の要請で2度会ったことがある」と明らかにした。

 彼は当時の出会いは一面識もなかった国家情報院職員の要請によってなされ、その職員がキム氏が暮らすソウル、瑞草区(ソチョグ)、方背洞(パンベドン)のソレマウルにキム氏を2度直接訪ねてきたと明らかにした。 この国家情報院職員は2回の出会いで 「盧武鉉大統領1周期追慕コンサートの司会をするというのは事実か。 なぜそれをあえてあなたが行わなければならないのか。 あなたでない別の人もたくさんいるじゃないか」 としてコンサートの司会をしない方が良いという意思表明をしたとキム氏は伝えた。 キム氏はしかし予定通りに5月23日にボンハ村で開かれた1周期追慕コンサートの司会を担当した。 この日キム氏と親密な縁のあるタク・ヒョンミン聖公会(ソンゴンフェ)大兼任教授もツィッターを通じて国家情報院職員が「色々な経路でキム・ジェドンに‘自重’(?)することを薦めた」と明らかにした。

 キム・ジェドン氏は「査察にあったという事実を記事を見て知った」と話した。 彼は2009年<スターゴールデンベル>(KBS2)等の司会者から釈然としないままに退いたのが今回のことと関連があると思うかという質問には「その時も話したが、そちら側に聞いてください。私は自分のすべき仕事を一生懸命にするだけ」と答えた。

 「そこに名前が挙がっているけれど何を調査したかは分かりません。そちらでした仕事が正当なものか、そうでないかはそちら側の方がよく知っているでしょう。 私にはよく分かりません。私は元気に暮らしています。私は自分の仕事をするから、そちらはそちらの仕事をしろと言って下さい。」

 キム氏は続けて「これを通じて被害を受けたりしたこともない。拷問されたわけでもなく、‘私のことが気になっているんだね’その程度」と付け加えた。

 キム氏が所属するタウム企画のキム・ヨンジュン代表は「査察にあった立場からは具体的内容も分からないのみならず、査察をした主導者が内容を公開して釈明のが先」と明らかにした。

 国家情報院関係者は「キム・ジェドン氏を私的に知っている職員がいるかもしれないが、そのような私的な接触があったなら国家情報院としては分からない」と説明した。

ナム・チウン記者 myviollet@hani.co.kr

原文: http://www.hani.co.kr/arti/politics/politics_general/526460.html 訳J.S
.