NPO法人 三千里鐵道 

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6.15共同宣言14周年記念集会 7月6日(日)に開催します。

2014年06月30日 | NPO三千里鐵道ニュース
 NPO法人三千里鐵道は、『6.15共同宣言』の趣旨を日本の地において実践するという設立趣旨の下、これまで毎年、6.15共同宣言記念集会をしてまいりました。
 今年は、『嫌中憎韓』とまで称されるまでに至った日本の危険な現状を踏まえた討論会を開催することといたしました。多くの皆様のご来臨を賜りますようお願い申し上げます。
 
6.15共同宣言14周年記念集会

討論会『東北アジアの平和を求めて』

~南北・日韓・日朝の関係改善を求めて~

第一部 基調講演  野中広務先生 日本国 元内閣官房長官
           『東北アジアの平和に向けた日本の課題』

          林 東 源先生 大韓民国 元統一部長官
           『東北アジアの平和に向けた韓国の課題』

第二部 討論会 『南北・日韓・日朝の関係改善を求めて』

 討論者 野中広務  日本国 元内閣官房長官
     林 東 源  大韓民国 元統一部長官
     近藤昭一  日本国 民主党衆議院議員
司会・進行 康 宗 憲  韓国問題研究所所長

日時:7月6日(日) 午後2時開演(開場1時半・終演5時半予定)

場所:名進研ホール 名進研ビル3階
 (名古屋市西区名駅2-34-19  名古屋駅より北へ徒歩5分 サンルートホテル北側)

参加費:1000円 (学生無料)

主 催:NPO法人 三千里鐵道 問合せ 0532-53-6999



朝鮮半島の平和と統一を願う世界の人々が歓喜した『6.15共同宣言』から14年の歳月が流れました。
共同宣言を礎石として、2004年には開城工業団地での操業が開始され、2007年5月17日には朝鮮戦争以来分断されていた京義線と東海北部線は試運転にこぎつけ、同年12月11日からは貨物の営業運転が開始されました。なにより、南北離散家族再会事業が定期的に行われ、分断された家族の痛みが南北に分断された民族の痛みであることを知りました。 
金大中政権になってすぐの1998年から始まっていた金剛山観光に続き、2007年12月からは開城観光も始まり、多くの観光客が軍事境界線を越えました。朝鮮半島にはついに平和が訪れ、そう遠くない将来、平和裏に統一ができるものと、誰もが信じて疑わなかったあの日々。
しかし、2008年李明博政権になって南北関係は一転、対立と憎悪の時代に逆戻りし、開城工団は閉鎖、金剛山観光と開城観光は取りやめ、離散家族再会事業も途絶えました。
2013年に朴槿恵政権になり、開城工団はかろうじて再開にこぎつけましたが、一度閉鎖の憂き目にあった入居企業の苦闘は続いていますし、また離散家族再会事業も一度開催されましたが、南北関係の改善の動きは依然として遅々と進んでいません。
一方、日韓関係は、かつてないほどに険悪な状態に陥っているというほかありません。
2012年、任期満了間近の李明博大統領の唐突な独島(竹島)訪問は、いたずらに日本のナショナリズムを刺激し、日本にかねてより芽生えていた嫌韓情緒に火をつけ、歴史修正主義者に塩を送る結果となりました。 さらに従軍慰安婦問題にかかる安倍首相や橋下大阪市長などの妄言から、韓日関係は悪化の一途をたどったというほかありません。
また、石原東京都知事(当時)の尖閣購入方針に端を発した領土問題は、『目には目を』式の強硬的対応の応酬の結果、日中関係も悪化し、東北アジアはかつてないほどの緊張を孕んだ地域となってしまいました。
今では、一括りに『嫌中憎韓』と称される書籍が雨後の竹の子のように発刊され、日本の多くの書店では、それらが販促コーナーに山積みされるという事態になっています。
日朝関係は、2002年の日朝平壌宣言によって日朝国交樹立かと沸きたったのもつかの間、安倍首相をはじめとした政治家が拉致問題を自らの政治的野心に利用したがために頓挫してしまったまま、徒に時を浪費しています。
NPO法人三千里鐵道では、この様な東北アジアをめぐるまさに八方塞がりの情勢において、どのようにすれば、東北アジアの平和を実現できるのか、真剣に考えるべく今回の討論会を企画しました。
そのために最も適任であろうと思われる人選をしました。野中広務先生も林東源先生も、この趣旨にご賛同くださり快諾してくださいました。ここに改めて感謝申し上げます。
また、地元愛知県選出で、東北アジアの平和の問題をライフワークにしてこられた近藤昭一民主党衆議院議員にも討論会に参加いただくようお願いいたしました。
司会進行は、三千里鐵道の集会では講演に通訳にとご活躍
いただいている康宗憲韓国問題研究所所長が担って下さいます。
ご期待ください。

首相人事をめぐる漂流と葛藤

2014年06月29日 | 三千里コラム

留任決定の翌日、出勤するチョン・ホンウォン首相(6.27)


前々回のコラムで紹介したように、朴槿恵大統領がムン・チャングク氏(元『中央日報』主筆)を次期首相に指名したことに対し、野党と市民団体、そして広範な国民から指弾の声が高まっていた。そして「国会聴聞会で国民の了解を得たい」と就任への意欲を見せていたムン氏だったが、6月24日、ついに自ら“辞退”を宣言するに至った。

ムン氏は当日の記者会見で、自身の首相就任が挫折した責任を国会に転嫁している。「大統領が首相候補を指名すれば、国会は法律に則って聴聞会を開催する義務がある。聴聞会法は国会議員の総意で成立したはずなのに、その法律を順守せず私に辞退せよと圧力をかけた」と、憤懣やるかたない様子だ。

朴大統領もムン氏の会見直後、「国会の人事聴聞会は検証を通じて国民の判断を仰ぐための場だ。聴聞会まで行けなかったのを極めて残念に思う」と述べている。あたかも、国会が聴聞会の開催を阻止したかのような発言である。

しかし、これは朴槿恵大統領の特技である「責任回避」話法にほかならない。なぜなら、国会の人事聴聞会は、大統領の任命同意案が提出されてこそ開催されるからだ。朴大統領がムン氏を首相候補に指名したのは、6月10日だった。ところが、ムン氏が辞退する前日の23日まで、任命同意案は国会に提出されていない。世論の糾弾に加え、与党内部からも反対の声が上がり、大統領はムン氏の任命同意案提出を躊躇したのだろう。

参考までに関連法を概観してみよう。国会法第46条の3と人事聴聞会法(2000年改正)によると、先ず、大統領が首相任命同意案を国会に提出する。同意案には任命承認要請書と、当人の学歴・経歴・財産・納税・犯罪歴などの関連資料が添付される。任命同意案を受けた国会は、13名からなる「人事聴聞特別委員会」を構成し、20日以内に審査を終えなければならない。その後、委員会の審査報告書に基づき任命同意案が国会に上程され、承認投票の手続きを踏むのである。

以上でわかるように、全過程の出発点は大統領の任命同意案提出である。今回の事態は、野党が人事聴聞会を拒否したのではなく、朴大統領がその開催を国会に求めなかったのが真相なのだ。ムン氏には同情を禁じ得ない。大統領官邸は、鳴り物入りで宣伝した次期首相候補を擁護しなかった。朴大統領も、自身の人選能力が問われる「指名の撤回」ではなく、ムン氏が自ら「候補を辞退」するように圧迫した。

ところが、今回の人事騒動はこれで終わらない。26日、朴大統領が次期首相に指名したのはチョン・ホンウォン(鄭烘原)氏だった。彼はセウォル号惨事(4月16日)が発生した当時の首相であり、その責任を取り、4月27日に辞意を表明している。つまり、朴槿恵大統領はチョン氏の辞表を受理しないことに決め、そのまま留任させることにしたわけだ。

大統領周辺に国民の承認を得られる適材がいないのか、あるいは、人事聴聞会の煩わしさを回避するためなのか、「更迭した首相の留任」という前代未聞の結末は、少なからぬ波紋を呼び起こすだろう。4月27日付『ハンギョレ新聞』はその社説で、「ギャグにしては余りにも荒唐なギャグ、コメディというには余りに情けないコメディ」と歎いている。

チョン首相の留任という決定からは、国政運営の責任を担う大統領の意思が感じられない。首相を選任し、国会の聴聞会で検証を受けるのは大統領の義務である。その義務を回避するなら、“首相に相応しい人物を一人も選べぬ無能な指導者”だと自認することになるまいか。

何よりも、チョン首相が辞表を提出したのは、セウォル号惨事への引責からだった。その首相を留任させるというのは、惨事を招いた政府の無能と無責任を不問に付し、この辺りで“区切り”をつけようとの意思表示ではないのか。「遺家族の悲しみを決して忘れない!」という大統領の誓いは、やはり“涙のショー”に過ぎなかったのだろうか。

韓国の政界では「人事が万事」と言われる。首相人事における相次ぐ漂流は、ややもすると政権の沈没を引き起こしかねない。6月27日、『韓国ギャロップ』が発表した週間世論調査(24日~26日に実施)によると、朴槿恵大統領への支持率は42%、不支持率が48%だった。先週の調査で初めて支持率と不支持率は逆転したが、今週はさらにその差が拡大している。不支持を選択した最大の理由は「人事の失敗」(38%)である。

時間的なタイミングから、今回の世論調査にチョン首相留任の事態は十分に反映されていないだろう。それでも、ソウル市民の回答では支持率が37%に過ぎなかった。韓国の政界では一般的に、現職大統領の支持率が30%台まで低下すると、“レームダック(末期症状)”化したと分析するようだ。政権出帆から1年4ヶ月にして早くも末期症状を呈するとしたら、朴大統領だけでなく、韓国民にとっても極めて遺憾な事態である。

韓国人には、日本人以上に四文字熟語を好む傾向がある。朴槿恵政権を規定する四文字を選ぶなら、「厚顔無恥」が適切かもしれない。現政権に対し、強く自省と自戒を促したい。(JHK)

河野談話-日本政府は何を「検証」したのか?

2014年06月23日 | 三千里コラム

「慰安婦」問題で日本政府を擁護した人物が首相に指名され、抗議するキム・ボクトンさん(6.17、大統領官邸前)


日本政府は6月20日、旧日本軍による従軍「慰安婦」への関与を認めた1993年の河野洋平官房長官談話(以下、河野談話)について、その作成過程を検証した報告書を衆院予算委員会理事会に提出した。

菅義偉官房長官による当日の会見内容を整理すると、報告書の要旨は以下の通りである。
①河野談話は、募集過程における強制連行は確認できないという認識を前提としている。
②河野談話は、韓国政府との綿密な文案調整を経て作成された。ただし、合意により調整内容は公表しないこととした。 
③韓国側の打診を受け元「慰安婦」16人への聞き取り調査を実施したが、事後の裏付け調査は行われなかった。
④河野談話を見直さないという政府の立場に変わりはない。安倍内閣は談話を継承する。

“談話を継承する”というタテマエではなく、安倍政権のホンネを理解するためには、「検証」作業の経緯をたどる必要があるだろう。今年の2月20日、「日本維新の会」所属議員が衆院予算委員会で“河野談話が根拠とする元「慰安婦」の証言内容はずさんであり、裏付け調査もしていない。新たな官房長官談話を考慮すべきだ”と、河野談話の見直しを迫った。

答弁に立った菅義偉官房長官は、一切の反論をしなかった。それどころか、我が意を得たと言わんばかりに、2月28日には政府内に「検証チーム」を設置すると表明している。安部首相も、その議員に対し“質問に感謝する”と述べたそうだ。河野談話を継承すると言いつつその内容を検証するというのは、どう考えても整合性のない矛盾した立場であろう。「検証」はあくまでも、見直しや異議を前提とした行為であるからだ。

今回、「検証」の主な対象となったのは、談話作成過程での政府間交渉だった。報告書は“日本側は宮沢首相、韓国側は金泳三大統領まで文案を上げて最終了解を取った”と強調している。文案調整の一例として紹介されたのは、「慰安婦」募集に際しての軍の関与についてだった。韓国側が求めた“軍の指示”という表現に日本側は難色を示し、最終的には“軍の要請を受けた業者”が、主に募集を担当したとの文言で決着したそうだ。

特定秘密保護法の制定や集団的自衛権の行使に向けた解釈改憲など、安倍内閣の強権的な内政スタイルが目立っている。アジア外交においても同様なのか、その傲慢さは鼻持ちならぬ状況に至ったようだ。事前協議の内容を公開しないとの合意を無視し、日本政府が「検証」の名目で敢えてその詳細を公表したのはなぜか。筆者としては“河野談話の検証”よりも、“報告書の検証”に挑んでみたいところである。

「検証」の目的や背景を分析すれば、日本政府の意図がよく見えてくる。河野談話の意義と価値を貶めることで、安倍内閣は「慰安婦」問題の責任を回避し幕引きを図ろうとするのだろう。報告書の目的は次の一点に集約される。“河野談話は日韓両政府の政治的な妥協の産物に過ぎず、信頼すべき歴史的証拠に基づいたものではない”と暗示することである。

そして、河野談話の根拠となった元「慰安婦」の証言に関しては“その信ぴょう性にまで踏み込まず、韓国側に配慮した”と、6月21日付『毎日新聞』朝刊は解説している。筆者は「韓国側への配慮」とする見方には同意しない。報告書に「事後の裏付け調査や他の証言との比較は行われなかった」と記載することで、証言の信ぴょう性は十分すぎるほどに損なわれてしまったからだ。

日本政府は、見え透いた小細工を弄しただけだ。毎日新聞が評した「韓国側への配慮」とは、被害女性たちの証言を冒涜する許し難い侮辱であり、韓国政府を「慰安婦」問題の不完全解決で妥協した“共犯”に仕立てる一撃にほかならない。外務省の幹部が「日本政府は世界に恥じるやりとりを韓国としたわけではない。韓国は冷静に受け止めていただきたい」と釘を刺したのは、こうした事情を反映したものだろう。

それでは、公正を期す意味で韓国政府の抗弁にも耳を傾けてみよう。報告書が提出された6月20日、韓国外務省は報道官の論評を通じて次のように表明した。“河野談話は、日本政府が自らの調査と判断に基づいて作成した「日本政府の文書」である。我が政府と文案調整をしたというが、日本側が繰り返し要請するので、非公式的な意見を提示しただけである。”

論評はさらに、日本政府の真摯な謝罪と責任認定を求める被害女性たちの声を無視し、慰労金の名目で「アジア女性基金」の一時金支給を強行したことにも、1997年1月11日の声明で反対した事実を喚起している。そして、日本軍「慰安婦」被害者の問題が、1965年の日韓請求権協定では解決されなかった点を強調している。

最後に論評は“去る20年余の間、国連の特別報告官や米国議会などの国際社会が、日本軍「慰安婦」問題に対する日本政府の責任認定とこれに伴うしかるべき措置を求めてきた。しかし、これを履行しないだけでなく、「検証」という口実の下に被害女性たちの痛ましい傷を再びえぐるような行為は、国連と国際社会が決して容認しないだろう”と警告している。

ところで、政府与党や「日本維新の会」所属議員らは“募集過程で強制の事実は立証されていない”と主張することに没頭し、そのことで「慰安婦」制度の存在そのものを否定しようとする。

日本軍「慰安婦」制度は、大日本帝国による戦争犯罪、植民地犯罪のなかでも典型的な「人道に対する罪」である。強制的な連行を立証する日本側の公文書が見つからなかったというが、政府であれ軍であれ、明白な犯罪行為を指示する(示唆する)文書を作成するだろうか。そのような文書があったとしても、敗戦の過程で、他の戦争犯罪に関する資料とともに焼却処分されたであろう。

日本軍「慰安婦」制度の残忍さは、連行過程での強制性に加え、何よりも「慰安所」における強制使役の実態によって明らかであろう。監禁され一切の自由を剥奪された状態で、軍人に性的奉仕を強要する「性奴隷制度」だった。ヒラリー・クリントン前国務長官が“「慰安婦」という表現は適切ではない。日本軍の「性奴隷」と呼ぶべきだ”と指摘したのは、全的に正しい。

河野談話の見直しを企図する勢力は、被害女性たちの証言を“裏付け調査で検証されたものではない”と主張し、その信ぴょう性を貶めようとする。では、当事者である河野洋平氏はどのように判断したのか、その「証言」を聞いてみよう。彼は『オーラルヒストリー、アジア女性基金』に収録されたインタビュー(2006年11月16日)で次のように述べている。

“話を聞いてみると、それはもう明らかに厳しい目にあった人でなければできないような状況説明が次から次へと出てくる。その状況を考えれば、この話は信ぴょう性がある、信頼するに十分足りるというふうに、いろんな角度から見てもそう言えることがわかってきました。”

十分に確信を持って強制性を判断できる聞き取り調査だったからこそ、「裏付け調査や他の証言との比較」に関しては、もとよりその必要性がないと見なしたのだろう。

さらに、各国の被害女性たちが日本政府に謝罪と賠償を求めた裁判で、日本の司法部がどのような判決を下したのかも「検証」に値すると思う。90年代に提訴された10件の裁判のうち、8件の裁判で35人の女性が被害の事実を認定されている(内訳は韓国人10人、中国人24人、オランダ人1人で、そのうち26人が10代の未成年)。「釜山『従軍慰安婦』・女子勤労挺身隊公式謝罪など請求訴訟」、山口地裁下関支部判決(1998年4月27日)の一部を以下に紹介する。

“甘言、強圧等により本人の意志に反して慰安所に連行し、さらに、旧軍隊の慰安所に対する直接的、間接的関与の下、政策的、制度的に旧軍人との性交を強要したものであるから、これが20世紀半ばの文明水準に照らしても、極めて反人道的かつ醜悪な行為であったことは明白であり、少なくとも一流国家を標榜する帝国日本が加担すべきものではなかった。...従軍慰安婦制度がいわゆるナチスの蛮行にも準ずべき重大な人権侵害であって、これにより慰安婦とされた多くの女性の被った損害を放置することもまた、新たに重大な人権侵害を引き起こす...”

裁判の結論はいずれも、原告の損害賠償請求を却下するものだったが、被害事実の認定では、ほぼ全面的に原告の主張を認めている。加害国である日本の司法が下した事実認定は、極めて重い意味を持つのではないだろうか。残念ながら司法の判断は、今回の「検証」対象には含まれなかったようだ。安倍政権が真に「河野談話の継承」を謳うのなら、司法の判断も「検証」すべきであろう。

今回の「検証」報告書は、河野談話に対する安倍政権の姿勢を明確に示してくれたようだ。内外世論の反発、とりわけ米政府の強い意志表示によって、河野談話の「見直し」という当初の目標は修正せざるを得なくなった。しかし、内容を歪曲し信頼性を傷つけることで、河野談話は「単なる紙切れ」に過ぎなくなる。それを口先だけで「継承」することに、何の躊躇もいらないだろう。

被害女性たちとともに日本軍「慰安婦」問題の解決に献身してきた韓国の市民団体『韓国挺身隊問題対策協議会』は6月19日、論評を発表した。そのなかで“日本政府が真に検証すべきなのは、河野談話作成に際した日韓政府間の文案調整過程ではない。日本政府が犯した日本軍「慰安婦」制度に対する徹底した検証であり、なぜ今も「慰安婦」問題を解決できずにいるのか、自らの過誤に対する厳正な検証であるべきだ”と強調している。

日本政府は聞く耳を持たないかもしれないが、折角なので、河野談話の一部を引用して拙文を終えたいと思う。(JHK)

“今次調査の結果、長期に、かつ広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したことが認められた。慰安所は、当時の軍当局の要請により設営されたものであり、慰安所の設置、管理及び慰安婦の移送については、旧日本軍が直接あるいは間接にこれに関与した。慰安婦の募集については、軍の要請を受けた業者が主としてこれに当たったが、その場合も、甘言、強圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、更に、官憲等が直接これに加担したこともあったことが明らかになった。また、慰安所における生活は、強制的な状況の下での痛ましいものであった。

 ...いずれにしても、本件は、当時の軍の関与の下に、多数の女性の名誉と尊厳を深く傷つけた問題である。政府は、この機会に、改めて、その出身地のいかんを問わず、いわゆる従軍慰安婦として数多(あまた)の苦痛を経験され、心身にわたり癒しがたい傷を負われたすべての方々に対し心からお詫びと反省の気持ちを申し上げる。

 ...われわれはこのような歴史の真実を回避することなく、むしろこれを歴史の教訓として直視していきたい。われわれは、歴史研究、歴史教育を通じて、このような問題を永く記憶にとどめ、同じ過ちを決して繰り返さないという固い決意を改めて表明する。...”

首相の人選が予告する朴槿恵大統領の政局運営

2014年06月14日 | 三千里コラム

新政治民主連合パク・ヨンソン院内総務の国会代表演説(6.12)


6月10日、朴槿恵大統領は新たな首相候補として、ムン・チャングク(文昌克)『中央日報』元主筆を内定した。大統領官邸の報道官は彼を「所信と原則に忠実なジャーナリスト」と高く評価した。しかし、野党や市民社会からは「セウォル号の惨事を克服し、広範な国民世論を収斂すべき現政局には不適切な人事」だと、強い懸念が表明されていた。

というのも、主筆として在職した当時、彼は極右保守の立場から煽情的なコラムを数多く執筆していたからだ。とりわけ、盧武鉉元大統領が自死した2009年5月26日のコラムでは、「国家の最高指導者だった人間が自殺という誤った選択をした。葬儀の手続きもその点を考慮すべき」と述べ、国民葬にも反対している。また、金大中元大統領が病死した同年8月にも、「数千億ウォンに上る資金疑惑(南北首脳会談時の対北協力資金に関する捜査:訳注)の真相を明らかにしないまま死亡したのは遺憾」と主張し、南北和解政策への敵意を隠そうとしなかった。

人事をめぐる騒動と混乱は毎度のことであり、朴槿恵政権のアキレス腱とも言えるだろう。特に、名目上の第二人者である首相の人選では、国会の聴聞会が大きな難関となっている。セウォル号惨事の責任を取り、チョン・ホンウォン現首相が辞意を表明して久しい。朴大統領は5月22日、最高検察庁の中央捜査部長から大法院(最高裁)判事に転じたアン・デヒ(安大熙)氏を次期首相に指名した。

だが、世論の猛反発を受け、一週間後には本人が辞退を表明している。大法院判事を辞め弁護士を開業した5ヶ月の期間に、彼が約16億ウォンという巨額の報酬を得ていたことが明らかになったのだ。いかに有能な弁護士とはいえ、月に3億ウォンを上回る(日収に換算して約100万円)高額収入は、「元最高裁判事への特別礼遇」という悪弊の産物にほかならない。

統一地方選挙を辛うじて乗り切った朴槿恵大統領は、新たな首相候補としてムン・チャングク氏を選択した。首相の人選は、大統領の政局運営を予測する試金石と言えるだろう。だが、国会での人事聴聞会を待つまでもなく、ムン候補に対する国民の評価は、6月11日午後9時のKBSニュースで既に下されたようだ。2011年に、彼が長老として所属する教会で行ったスピーチが、動画で放映されたのだ。内容の一部を紹介する。

「日本による植民地支配やその後の南北分断は、神の意志だった。1945年8月15日の光復も、独立運動の結果ではなく神の御心によってもたらされた。...わが民族の象徴的な特質は、その怠惰さにある。...日本が我々の隣国であることは、地政学的な祝福といえる。...1948年の済州島4.3事件は、共産主義者による反乱だ。...」

韓国社会における「親日・反共」勢力の根は深い。ムン候補の発言が決して特異なものではないだろう。だが、朴槿恵大統領が次期首相候補に彼を指名したことで、韓国市民は現政権の本質と正体を、これ以上はない明確さで認識するようになるだろう。

なぜ、このような人士を首相候補に選んだのか、当初は不思議でならなかった。しかし、あれこれ推測を巡らすよりも、政権中枢部の思考回路をあるがままに辿ることで、筆者は単純明快な結論に到着した。ムン候補の歴史観や民族意識、あるいは政治的な見解が問題になるとは、朴槿恵大統領をはじめ誰一人として考えてもいなかったのだろう。現政権の中枢部とムン候補は、「親日・反共」の固い絆で結ばれた同類なのだ。

ムン候補はKBSニュースが“意図的な編集で立場を歪曲した”と抗議し、“すべて聴聞会で明らかにする”と声を荒げている。あくまで、“首相に相応しい人間”と自負しているようだ。大統領官邸も事態の推移を見守るだけで、これといった対策を講じていない。首相候補の相次ぐ落馬という醜態は、なんとしても避けたいのだろう。

だが、根源的な問いかけを国民にせねばなるまい。

日本の右翼が感激の涙を流したくなるような輩を、大韓民国の首相として承認するのか?
このような愚か者を首相に任命する政治家を、大韓民国の大統領として承認するのか?

読者諸氏の不快感を些かなりとも癒やす意味で、6月12日、新政治民主連合のパク・ヨンソン院内総務が国会で行なった代表演説を紹介する(同日付『聯合ニュース』の記事から抜粋、JHK)。


パク・ヨンソン、南北首脳会談の開催と統一特別委の設置を提案

新政治民主連合のパク・ヨンソン院内総務は12日、南北首脳会談の早急な開催を促した。同時に、平和統一に向け国会内に「統一特別委員会」を構成するよう提案した。

パク院内総務はこの日、国会の交渉団体代表演説で「今こそ私たちの未来と希望を南北関係に求める時だ。南と北が和合すれば、素晴らしい機会が私たちの前に開かれるだろう。希望を遮る障碍を取り除かなければならない」と述べ、人道支援の再開と民間部門の交流・協力を主張した。

そして「7.4南北共同声明と南北基本合意書、6・15および10・4首脳宣言の基本精神に立ち戻るべきだ。また、北の核廃棄と朝鮮半島の平和協定、米朝間の信頼構築を内容とする2005年の9・19共同声明を蘇生させなければならない。そのためには対話が急務であり、速やかに南北首脳会談を開催するように促す」と表明した。

さらに「統一は朝鮮半島における安保面での不安要因をなくし、民族が飛躍する契機となるだろう。国会の次元でも、平和統一を準備するための真剣な努力を始める時期になった」と強調し、特別委員会の設置を主張した。

南北問題に関するコメントは配布された原稿にはなかったが、朴槿恵大統領の掲げる「統一大当たり(テバク)論」との差別化を試みたようだ。あるいは、進歩陣営が占有していた南北関係や統一問題に対し主導権を確保するための布石とも読める。

パク院内総務はムン・チャングク首相候補の発言を紹介した動画に関しても、「大韓民国の首相内定者なのか、日帝朝鮮総督府の官憲なのか分からないような話をした」と批判している。

そして、「このような人を首相に任命すれば国民がどう受けとめるのか、3.1節と光復節にどんな話ができるのか、先日亡くなった元慰安婦のペ・チュンヒさんがどう思うのか、朴槿恵大統領とキム・キチュン秘書室長は答えなければならない」と叱咤した。

引き続き「今回の事態は、大統領府の人事システム崩壊が続いていることを再確認する契機となった。大統領が半分の支持者だけで国家を運営するのなら非常に憂慮される。“半分だけの大統領”ではなく、“すべての大統領”になってほしいというのが国民の要求」と述べ、国家運営の基調を転換するようにくり返し促した。

パク院内総務はまた、「貪欲と規制緩和がセウォル号惨事の原因だった。われわれは今、韓国社会のパラダイムを根本的に変える歴史的瞬間に立っている。徹底した真相究明が国会における第一の課題であり、聖域なき調査を展開すべき」だと強調した。

「6・4統一地方選挙」が示す韓国社会の民意

2014年06月07日 | 三千里コラム

「また成功!」“涙の仮面”を脱ぎ捨てる大統領(6月6日付『ハンギョレ新聞』風刺漫画)



 6月4日、韓国で統一地方選挙が実施された。韓国では地方自治体をその規模によって二分する。17の「広域」自治体(各道とソウル特別市など大都市で構成)と、226の「基礎」自治体(市・郡および大都市の各区で構成)である。今回の投票率は56.5%で、前回(2010年)の54.5%をやや上回った。今回、全有権者 4129万 6228人のうち、2346万4573人が投票している。

日本の統一地方選挙と違うのは、「広域」と「基礎」の両方で、各政党への支持票数により比例代表議員が選出されることだ。また、「広域」自治体では、地域における教育行政機関の責任者である教育監も、同時に選出する。ただし、教育監は政党の公認や推薦を受けない。

国政との関連で言えば、「広域」の首長をどの党が多く取るのかによって、統一地方選挙の勝敗が左右されると言えよう。とりわけ、人口の集中する首都圏(ソウル市・仁川市・京畿道)の行方に最大の関心が集中せざるを得ない。首都圏には、全有権者の約50%が居住しているからだ。

開票の結果、与党・セヌリ党は「広域」で8、「基礎」で117の首長が当選した。一方、第一野党の新政治民主連合は「広域」9、「基礎」80だった(「基礎」の残り29は無所属の首長)。そして、統合進歩党・正義党・労働党などの進歩政党からは、「広域」と「基礎」を問わず、一人の首長も選出されなかった。

「広域」の当選分布を見ると、与野党はほぼ互角だったといえるだろう。だが、実質的には“野党の敗北”(“与党の勝利”とはいえないまでも)と断定せざるを得ない。セウォル号惨事の責任を追求され、政権与党は極めて厳しい立場で選挙に臨むしかなかった。逆に野党は、これまでのどの選挙よりも有利な立場だったが、与党を下回る得票に終わったからだ。

投票結果をもう少し踏み込んで分析してみよう。野党はソウル市長の再選を果たしたものの、首都圏の仁川市と京畿道を失った。与党は全敗も予想された首都圏で善戦し、釜山市も掌握した。17の「広域」自治体のうち、200万人以上の有権者が居住する7大「広域」(京畿道、ソウル市、釜山市、慶尚南道、仁川市、慶尚北道、大邱市の順)を見ると、ソウル市を除けばすべての地域で与党が勝っている。

「基礎」自治体でも、与党は過半数の首長が当選した。ちなみに、前回の「基礎」自治体は与党(ハンナラ党)82、野党(民主党)92という結果だった。今回、野党はソウル市長選挙に勝利したこと以外には、これといった成果を達成できなかったといえるだろう。

セウォル号惨事の悲しみは無能な政府への怒りとなり、朴槿恵政権を審判する選挙になるものと予想された。選挙の最終局面で与党は大統領の写真を前面に掲げ、国民に支持と信任を泣訴する「朴槿恵大統領を救え!」キャンペーンを大々的に展開した。そして「朴槿恵キャンペーン」の効果は期待以上だった。一部有権者の同情心を引いただけでなく、保守層の危機感を刺激し与党票の結集力を高めたからだ。

投票結果をあるがままに解釈すれば、今回の選挙に反映された民意とは、「セウォル号惨事の責任を問うが、政権の崩壊や大統領が早期にレイムダック化するのは望まない」ということのようだ。

政権の出帆からまだ15ヶ月しか経っていない。“涙の記者会見”で国民に謝罪した朴槿恵大統領への期待も、まだ残っているのだろう。何よりも有権者にとって、セウォル号の惨事から選挙に至るまで、これといった争点や対策を提示できなかった野党は、存在感の薄い無能な政党でしかなかった。野党の掲げる“政権審判論”が広範な共感を得ることができなかったのは、野党が有権者の信頼を失ったからに他ならない。

“野党の敗北”と評価される首長選挙とは対照的に、政党が関与しない教育監の選挙では、「進歩派」13人に対し「保守派」4人という結果になった。所属政党ではなく候補者の経歴や主張を判断基準にしての投票だっただけに、セウォル号惨事に対する有権者の意識が端的に反映されたといえるだろう。

セウォル号の惨事を体験した国民は、これまでの開発・成長といった経済偏重の価値観や、自主性を欠いたエリート主義の競争教育に懐疑を抱くようになった。韓国社会には根本的な変化が必要だと痛感しているのだ。多数の高校生が犠牲となったセウォル号の惨事は、まさに教育の内容が問われる問題でもあった。

朴槿恵大統領をはじめ政権与党は、今回の選挙結果をどのように評価しているのだろうか。
どうやら、勝利の美酒に酔い、従前の公安的な政局運営を継続するように見受けられる。首相と一部閣僚の更迭、行政部署の改編でこの危機局面を乗り切ろうとするなら、一時的に猶予された有権者の審判は、より厳格な形態で必ずや執行されるだろう。

今回、首都ソウルの市長選で与党候補が得た得票は43%に過ぎない(野党候補は56%を得票)。ソウル市の歴代選挙(大統領選挙や国会議員総選挙を含め)で、野党候補に13%もの大差で敗れたのは異例の事態といえる。これが真の民意なのだ。そして、与党が勝利した「広域」のうち、京畿道・釜山市・仁川市の得票率差はそれぞれ、0.87%、1.31%、1.75%という僅少値だった。まさに“辛勝”であり“薄氷の勝利”といえよう。いずれの地域も、無効処理された投票数よりもはるかに少ない票差で、勝敗が決している。繰り返すが、これが民意の実態なのだ。

あまり重視されてはいないが、仁川市では統合進歩党の市長候補が1.83%を得票した。第一野党の新政治民主連合が政権のアカ狩り攻勢に怯むことなく、前回のような野党連帯を組んで統一候補を出していたなら、勝利は野党の側にあっただろう。新政治民主連合には、与党以上の猛省を促す次第である。

以上で見たように、今回の統一地方選挙に現れた民意は、複雑で微妙な様相を帯びている。即時的な政権審判には同意しなかったが、決して現状を容認したわけではない。政権与党の責任を問い、野党の覚醒と奮起を促すメッセージが込められている。筆者としては、進歩政党の冷徹な自己分析と再起への準備を期待したい。

痛嘆の惨事を体験した民衆が、その深い悲しみを怒りに変え、さらには体制変革と政権交代への動力に昇華させるには、いくつかの契機を必要とするのだろう。今回の選挙は、間違いなくその最初の契機だった。知る人ぞ知る。韓国社会に“怒りの葡萄”が熟しつつあることを。(JHK)

5月31日にハンギョレ新聞に掲載された全面意見広告

2014年06月02日 | 南域内情勢
5月31日にはハンギョレ新聞に掲載された

在日同胞が国内同胞に送る呼訴文
≪私たちは韓国が何よりも人の命と人権を大切にする国になることを願います≫

をアップします。

またこのような意見広告が出たことを、ハフィントンボスト・コリアが記事にしています。
http://www.huffingtonpost.kr/2014/05/31/story_n_5421799.html?page=1

この記事をフェイスブックでこれまでに約1000人の方がシェアしてくださっていることから この呼訴文が韓国国内で静かな波紋を起こしていることがわかります。このように多くのシェアを頂く記事はそう多くありません。

水曜日には掲載紙が到着しますので、賛同してくださった方に発送いたします。


by maneappa




日朝関係の展望

2014年06月01日 | 三千里コラム

局長会談を終えた朝鮮・日本の両国代表(5.28,ストックホルム)



5月28日、日朝両政府はストックホルムでの局長会談を通じて、日本人拉致問題の再調査に合意しました。また、再調査が開始される時点で日本政府は、対北独自制裁を解除すると約束しています。

2002年9月の日朝首脳会談と平壌宣言から、12年が経過しました。早期の国交正常化をうたった両首脳の宣言は、拉致問題がネックとなって不信と敵意だけを増幅させてきました。今回の合意が両国間の関係改善に向けた第一歩を踏み出すことになるのか、期待を持って見守りたいと思います。

今回の合意で注目されるのは、①開催場所、②合意文の履行意志、③東北アジア情勢への影響、などです。

① その間、金正恩政権下で開かれた日朝間の実務協議は、2012年8月北京、11月ウランバートル、2013年5月ピョンヤン(飯島勲・内閣官房参与の訪朝)、2014年3月北京、といった場所で開催されています。決定的な会合となった今回の交渉が、北京ではなくスウェーデンの首都で開かれたのは、中朝関係の微妙な現状を反映しているのかもしれません。

対外貿易における中国の比重は圧倒的ですが、金正恩政権は中国と一定の距離を置くことで自主的な外交を展開してきました。北京は日朝両国にとって地理的にも便利な場所です。しかし、その分、中国の徹底した監視下に置かれます。敢えて北京を回避したのは、朝鮮政府の強い意向があったからでしょう。

② 5月29日午後6時半、合意文がピョンヤンと東京で同時に発表されました。日本では関係閣僚との協議を経た安部首相が直接、合意内容を発表しています。局長会談の内容を首相が公表するのは異例のことですが、拉致問題にかける強い意志を表明したかったのでしょう。安部首相らしいパフォーマンスです。

筆者が注目したのは発表形態よりも、合意文にある“最終的に”という表現でした。朝鮮中央通信の報道によると、「朝鮮政府は包括的な調査を進め、日本人に関するすべての問題を最終的に解決する意思を表明した。...日本政府は独自的に行っている対朝鮮制裁措置を、最終的に解除する意思を表明した」となっています。

双方が共に、相手側の核心的な要求事項を“最終的に”解決する意思があると表明しているのは、単なる外交辞令とは思えません。相互の意思確認ができたからこそ、両国政府は「平壌宣言に則って不幸な過去を精算し懸案問題を解決して、国交正常化を実現する意思を再び表明した」のでしょう。

③ 米日韓の三国はその間、「北朝鮮の核放棄先行が対話の前提」とする共同の圧迫政策を展開してきました。米韓両国は今回の合意に賛同しつつも、安倍政権が拉致問題の解決に傾倒して「北朝鮮の武装解除」を蔑ろにしてはならないとの警告を発しています。

しかし、軍事的圧迫と経済封鎖を中心とする北朝鮮への制圧政策(戦略的忍耐)では、朝鮮半島の軍事緊張は一向に緩和されず、「北朝鮮核問題」の解決も遠のくばかりです。6者会談を速やかに再開し、問題の“包括的で最終的な解決”に向け、関係諸国が真摯な交渉を続けるしかありません。実は日朝国交正常化も、2005年9月に交わされた「第四回6者会談の共同声明」に含まれている履行内容です。

参考資料として、5月30日付『ハンギョレ新聞』の社説を紹介します。(JHK)


[社説]朝日合意を6者会談再開の契機に

北朝鮮と日本が29日に重要な合意を交わした。日本人拉致問題の再調査と対北制裁の一部解除を核心とするこの合意は、朝日関係の改善だけでなく、行き詰まった朝鮮半島情勢を打開する転機になり得るという点で意味がある。これを契機に、6者会談の再開および南北関係の進展に向けた努力が強化されるよう期待する。

朝日間の電撃合意には、両国の置かれた状況が大きく作用している。北朝鮮は金正恩・国防委第一委員長が権力を継承して以降、国際的な孤立から抜け出せずにいる。伝統的な友邦である中国さえも、北朝鮮指導部とは距離をおく姿勢を見せている。北朝鮮としては、このような構図を変えねばならない切実な必要性があったのだろう。

一方、安倍政権は攻撃的な対外政策と歴史問題で韓国・中国と葛藤を生じさせてきた。今回の合意で安倍政権は、局面転換に活用できる新しいカードを手に入れたと言えよう。

だが、朝日間の合意が順調に履行されるか、疑問である。まず、日本人拉致問題と関連して、日本が期待する水準と北朝鮮ができることの間隙が大きい。また、核・ミサイル問題が解決されない限り、日本が取り得る制裁解除措置には根本的な限界がある。その上、米韓両政府は等しく、今回の合意に渋い反応を見せている。

両国は今回の合意が、北朝鮮を圧迫する政策基調の亀裂につながると見ているようだ。中国は日本の発言力が高まることに対しては不満であるが、韓国とアメリカの対北強硬基調を批判してくる可能性が大きい。

望ましいアプローチは、関連諸国が今回の合意をうまく活用することだ。確かに、核問題より朝日関係の改善が先んじては、事態がさらに複雑になりかねない。核問題を議論する基本枠組みである「9・19共同声明」においても、朝日関係は二次的に言及されている。

だが、韓国とアメリカが、北朝鮮と日本の接近にブレーキをかけるのは誤りだ。それよりも、6者会談の早期再開に向け努力することが正しい態度だ。現状は、米韓の両国政府が、北朝鮮と日本が合意を成し遂げたような柔軟性を持つならば、6者会談の再開が決して難しくない雰囲気でもある。

韓国政府の選択が、とりわけ重要な局面を迎えている。アメリカが北朝鮮との対話に積極的に取り組むよう説得できるのは、我が国を置いて他にはない。南北関係においても、「5・24措置」(李明博政権が2010年に発した南北関係の断絶措置:訳注)を解除・緩和するなど、先制的なアプローチが求められている。

明らかなのは、この間の「待つ戦略」を固守していたのでは、核問題を解決する機会を失うだけでなく、朝鮮半島問題に関する発言権も弱くなるばかりであるという点だ。