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民団への韓国政府支援費、誰が管理してる?

2014年10月28日 | 三千里コラム

国会の外交部国政監査で質問するイ・ヘチャン議員(10.27)



在日本大韓民国民団(民団)には毎年、韓国政府から多額の支援金が伝達されています。しかし、政府予算から支給される公金を、誰が管理し、どのように使用されているのか、必ずしも明瞭とはいえません。

民団のモットーは“どのような政権であれ、本国政府を支持する”というものですが、そのような体質を形成するうえで、政府支援費は極めて重要な手段になってきました。民団と本国政府の関係をより健全なものとするためにも、政府支援費に関する現行の管理・運営体制は改善されるべきだと思います。

韓国の国会では、10月7日~27日まで国政監査が開かれました。27日の外交部(日本の外務省に相当)国政監査で、新政治民主連合のイ・ヘチャン議員(盧武鉉政権の国務総理)が、この問題を取り上げています。参考資料として、以下の記事を要訳して紹介します(JHK)。

27日付『オーマイ・ニュース』
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002047474&PAGE_CD=N0001&CMPT_CD=M0019

同日付『ニューシス』
http://www.newsis.com/ar_detail/view.html?ar_id=NISX20141027_0013257571&cID=10802&pID=10800


[国政監査-外交通商委]:在日民団への支援費、団長の個人口座に入金されてきた
  イ・ヘチャン議員、“機関カードなしで現金を使用”と指摘

在日本大韓民国民団(以下民団)に対する政府支援費が、民団団長の個人口座に支給されてきたことが明らかになった。

イ・ヘチャン「新政治民主連合」議員は27日、国会・外交統一委員会の外交部国政監査で“政府の民団支援金がどの口座に入るのか”と質問したところ、外交部領事局長は“中央民団団長の個人口座に入金される”と答えた。

イ議員はこれに対して、“今年は80億ウォン、去る40余年の期間に3千5百億ウォン近い政府支援費が支給されてきたが、このように杜撰な方法ではだめだ。海外国政監査で日本に行ってみると、民団は機関の法人カードではなく団長の個人カードを使用し、現金で支給していた。これでは支援費が正しく使用されているのか確認する方法がない。

(使用用途を)記録に残し、確認できなければならない。もし問題が発生して日本の警察が押収捜査でもすれば、丸裸にされるだろう”と指摘した。そして、“民団団長が恣意的に使おうとすれば防ぐ方法もなく、次の民団団長への支援費引き継ぎにも支障をきたすはずだ”と付け加えた。

イ議員はさらに、民団の賃貸料事業などが、法人ではない民団幹部の個人名義で行われており、民団が韓国政府はもちろん、日本政府にも登録されていない事実を指摘した。そして、“民団は(法的には)任意団体だ。任意団体に政府がこのように巨額の支援をしてきた事例がない。民団を法人化させ、韓国政府と日本政府に登録して法的保護と統制を受けるようにしなければならない”と助言した。

イ議員は最後に“まもなく国会で来年度の民団予算を審議するはずだ。今回は関連小委員会に私が直接参加するつもりだ。今のような支援費の伝達体系と事業内訳は早急に是正されるべきだし、総領事館が民団を監督できるようにシステムを変更する必要がある。民団ではなく、総領事館を通じて在日同胞を支援するほうが、より効果的だと思う。在日同胞も四世・五世が生まれている。最も重要なのは歴史・文化・言語教育だ。より良い支援のために総額は維持し、その伝達体系と事業内訳を変革すべきだ”と政府に要求した。

ユン・ビョンセ外交部長官はイ議員の発言に対し、“総合的に検討してみる”と答えるにとどまった。

紫のスカーフ

2014年10月18日 | 三千里コラム

民家協のオモニたち(1000回目の木曜デモ、10.16、ソウル・タプコル公園)



 もう20年ほど前になるが、『オモニの紫のスカーフ』(キム・テイル監督、1995年製作)というドキュメンタリー映画を見た。国家保安法違反の容疑で無期懲役を宣告され、30年近い歳月を韓国の獄中で過ごす息子...。その息子の釈放を信じ、待ちわびる一人の老母を描いた作品だった。

彼女は毎週、愛する息子を一日も早く釈放させるために、同じ境遇の女性たちと集会で訴え続けた。“紫のスカーフは”、息子や娘を、夫を、獄に奪われた韓国女性たちが集会で着用するシンボルなのだ。

ソウルに居ると、毎日のように何処かで定期集会が開かれる。よく知られているのは毎週水曜日、日本大使館前で開かれる「日本軍慰安婦問題の解決を求める水曜デモ」だろう。1992年1月に始まり、すでに1140回を越えている。韓国内だけでなく、世界的にも最長記録の集会ではないだろうか。

昨今の『朝日新聞』誤報訂正に便乗して、あたかも“慰安婦問題は不当な濡れ衣”とでも言わんばかりの日本政府である。だが、「戦時下における非人道的な性奴隷制度」という国際社会の認識には、いささかの変化もない。“河野談話を継承する”のが日本政府の真意なら、日本軍慰安婦問題の本質を直視すべきであろう。

開催回数で「水曜デモ」に肩を並べるのが、『民主化実践家族運動協議会(民家協)』主催の「良心囚の釈放を求める木曜デモ」だ。第1回目の「木曜デモ」はソウル市鐘路区のタプコル公園前で、1993年9月23日に開かれている。

それから21年の歳月を経た10月16日、1000回目の集会が開かれた。この日もオモニたちは“紫のスカーフ”を着用し、通り行く市民たちに国家保安法の不当性を訴えた。今も韓国の獄中には、39名の「良心囚」が収監されている。

以下に紹介するのは、10月16日付『オーマイニュース』に掲載された、1000回目の集会に関する報告記事である(KJH)。
http://www.ohmynews.com/NWS_Web/View/at_pg.aspx?CNTN_CD=A0002044276


「グッバイ国家保安法!」民家協・木曜デモ、1000回目の叫び

紫のスカーフをかぶった10人余りのオモニたちが舞台に上がった。続いて登場したのは、真っ赤なバラを一輪ずつ手にした「統一広場」の元非転向長期囚たちだ。そのバラを一輪また一輪と、会員たちが感謝の気持ちを込めてオモニたちに手渡した。大きな歓声と拍手が鳴り止まない。

『民主化実践家族運動協議会』(民家協)が主催する「木曜デモ」が、16日で 1000回目を迎えた。1993年9月23日に最初の集会を開催して以降、民家協は21年にわたって毎週木曜日の午後2時、ソウル市鍾路区タプコル公園の3.1門前で「国家保安法撤廃と良心犯釈放を要求する集会」を続けてきた。

この日も、同じ時間、同じ場所で集会は開かれ、500個余りの紫の風船を飛ばすセレモニーで始まった。400余名の市民は「一、二、三」の掛け声とともに、真っ青に澄んだ空に向かって風船を飛ばした。紫のカラーには“苦難の中でも希望を持とう”という意味が込められているそうだ。

舞台には、民家協常任議長のチョ・スンドクさん登場した。かつて、息子が国家保安法違反の容疑で投獄されたチョ議長は、「統一と平和、進歩を追求する数多くの人たちにとって、木曜デモが‘オモニの暖かい懷’になるよう願っています。これからも多くの激励と愛を分かち合いたいです。民主家族の皆さん、愛(サラン)を贈ります!」と呼びかけ、大きな拍手を受けた。

1985年創立当初の民家協は、拘束者家族の親睦・互助団体だった。1993年に文民政権が登場すると、民家協も良心囚の釈放運動を展開するようになった。だが、当時の金泳三政府が釈放したのは、満期出所を目前に控えた良心囚に限られていた。

それで民家協は、全ての良心囚釈放と国家保安法撤廃を掲げて同年9月23日、「木曜デモ」を開催することになった。 第1回目の集会では、0.5坪の独房に収監された非転向長期囚の人権問題を、韓国社会において初めて公論化している。

「木曜デモ」はそれ以降、国家保安法撤廃と良心囚釈放のスローガンにとどまらず、外国人労働者や良心的兵役拒否者の人権擁護など、運動の領域を広げてきた。民家協によれば 、国家保安法違反容疑者と良心的兵役拒否者などを含め、韓国内には現時点で39人の「良心囚」が収監されているという。

民家協はこの日に発表した決議文で、「数十年間の血で書かれた民主化運動の歴史があるものの、民主的で人権が保障された社会になるための課題は今も山積している。木曜デモは苦痛を受ける人々やその家族たちと共に、これからも続くだろう」と表明している。そして、▲良心囚の全員釈放、▲国家保安法の撤廃、▲自主・民主・統一のための闘争を決議した。

1000回目を迎えた「木曜デモ」の祝辞では、進歩政党や市民団体の代表たちが朴槿恵政権に対する批判の声を高めた。ペク・キワン統一問題研究所所長は「良心囚が監獄にいる必要がない。監獄に行くべきは朴槿恵大統領だ。国を分裂と混沌に陥らせた朴槿恵勢力を監獄に!」と訴えた。

クォン・ナッキ「統一広場」代表は、「木曜デモをいつまで続けるのだろうか。人には寿命があり、団体も寿命があるものだ。民家協は民主主義が成熟すれば不要になる団体だが、朴槿恵政権の登場で、民家協の寿命はかなり伸びそうだ。」と語っている。

次に、政党の解散審判訴訟を抱えている統合進歩党のイ・ジョンヒ共同代表が発言した。 「朴槿恵政権の進歩党解散要求は民主主義を破壊し、祖国の自主的統一に努力してきた市民団体を強制的に解散させようとの宣言だ。維新(朴正熙政権)復活の現独裁政権に対抗すること、そして進歩政党の強制解散を防ぐことが、木曜デモに集うオモニたちの愛を守ることだ」。

引き続き、イ・ジョンミ正義党副代表が「社会を改革するために息子や娘たちが、再び獄に囚われることがないように願う。病の身にもかかわらず良心囚の手を握るオモニたちを思い、良心囚のいない社会をめざして努力する」と決意を表明した。

『10.4南北首脳宣言』から7年を迎えて

2014年10月04日 | 三千里コラム

表彰式後、一緒に記念写真を撮る南北の女子サッカー選手たち (10.1,仁川アジア大会)



熱戦が続いたアジア大会も今日で終了します。注目されたサッカー競技は、女子が北、男子は南が優勝を分けあいました。南北両チームによる男子の決勝戦は白熱し、民族よりも国家が強調される分断状況を反映したものとなりました。一方、日朝の決勝戦となった女子は、民族の一体感に満ちた応援の姿を見せています。

大会の期間中、「和解」と「不信」の両側面が混在する分断の現状を、一度ならず目にすることになりました。たとえば、10月2日の女子マラソンでは、“泣きたくなるような笑い話”を耳にしました。仁川市内のある小学校で、担任教師が「応援したい国の旗を持ってコースに行こう」と提案したそうです。生徒のうち8名は北の国旗を描いて、40㎞付近でその小旗を振って北の2選手を応援しました。

他の国なら何の問題もない微笑ましい光景ですが、ここは国家保安法の国、大韓民国です。生徒たちと教員は警察に摘発され、8本の「共和国旗」は現場で没収されました。事前に最高検察庁が「アジア大会の期間中、国民が北の国旗を所持・使用することを禁止する」と発表していたからです。幸い、いや当然ながら、“利敵性がない”と判断され教員と生徒たちは放免されました。

もう一つ、これも国家保安法に関した話です。昨年6月、韓国の極右団体が「三星(サムソン)ブルーウィンズ」に所属する在日同胞の鄭大世(チョン・デセ)選手を、国家保安法違反の容疑で検察に告発しました。朝鮮学校出身の彼がその間、“北の最高指導者に敬意を表するなど、利敵行為をくり返した”というのです。

これに対して水原(スウォン)地検公安部は9月30日、「嫌疑なし」との決定を下しました。検察は「鄭選手の言動が大韓民国の存立・安全と体制を威嚇したり、威嚇しようとしたと見る証拠は不十分だ。鄭選手の立場と特殊な成長背景も考慮した」と説明しています。

国家保安法はこのように、民族統一の未来にはそぐわない「時代錯誤の代物」です。盧武鉉・元大統領は「博物館に納めるべき」とも言いました。南が“民主主義と人権”を語るうえで、この悪法の存在は説得力を著しく損なっています。

今朝、アジア大会の閉幕式に、北から党と軍の高官3名が参加するとの報道がありました。南の政府高官たちと昼食を共にしながら歓談するそうです。南北関係の改善に向けた、貴重な契機になってほしいものです。思えば7年前のこの日、二回目の南北首脳会談が開かれ『10.4南北首脳宣言』が採択されています。

以下に、10月2日付『統一ニュース』の観戦記を紹介します。ユーチューブの映像も参考にしてください。(JHK)


やはり、血は水よりも濃かった

1日、仁川アジア大会の女サッカー決勝戦は文鶴(ムナック)競技場で行われた。北朝鮮が3-1で日本を破り優勝した。素晴らしい競技だったが、ゲーム内容に劣らず、応援の真髄を見せた競技でもあった。日本チームには申しわけない気もするが、南の観衆が北の選手を一方的に応援したことで、“血は水よりも濃い”という言葉を実感するゲームとなった。

単純に、最近の刺々しい韓日関係を反映して南の観衆が一方的に北を応援したのではなかった。北の選手が競技場に現れると、南の観衆はいっせいに歓声をあげ拍手を送った。南北関係の悪化から思うように表出できなかった“一つの民族”としてのDNAが、ごく自然に発散されたかのようだった。

ゲームを寸評するなら、「北の体力とスピードが日本の技術と組織力を圧倒した」と言えるだろう。しかし、この結果には観衆の応援も無視できない要因だった。スタジアム本部席の向い側(バック・ストレッチ側)に、小人数の日本チーム応援席が陣取っていた。それ以外のスタンドはすべて、北を応援する南の応援団と観客だった。日本チームの応援団は孤立無援の“島”のようだった。

北の競技にはもう常連となった南の応援団-「南北共同応援団」と「アリラン応援団」-が、本部席向い側に日本チーム応援席を挟んで陣取った。「南北共同応援団」は白地に“私たちは一つだ”と書かれたT-シャツを着て、青の風船と統一旗を振りながら応援した。赤いT-シャツを着た「アリラン応援団」は、バチを鳴らしながら色んな歌とダンズを披露してくれた。応援団はそれぞれ「私たちの願いは統一」、「私たちは一つだ」と書いた大きな垂れ幕を掲げていた。

この日は、新しい応援部隊も加勢した。本部席のスタンドに、年配の宗教団体の方々がオレンジ色のチョッキを着て、赤い風船棒を手に応援していたのだ。また、50人余りの役員と選手団で構成された北の応援団は、いつものように終始立ったまま応援したが、普段のような緊張感よりは余裕があるように見えた。南の観客の応援に力をもらったようだ。これといった小道具がない一般の観衆は、最も原初的な手段である拍手と歓声で応援した。

場内は“チャルハンダ(いいぞ!)”、“ヒムネラ(頑張れ!)”、“イギョラ(勝て!)”などの短い掛け声から、“コリア勝て!”、“ウリヌンハナダ(私たちは一つ!)”、“チョグックトンイル(祖国統一!)”といった統一スローガンまで、多様な声援で満ちていた。

北がピンチをしのぐと歓声が、ゴール・チャンスを逃せば嘆声があがった。ゴールの瞬間には文鶴(ムナック)競技場がさらに熱くなった。競技の終盤、北のホ・ウンビョル選手が三点目を入れて3-1での勝算が固まると、観衆はいっせいに“イギョラ(勝て!)”から“イギョッタ(勝った!)”にスローガンを変えて連呼した。

みんなが一体になっていた。観衆と応援団はいうまでもなく、競技場のボランティアや係員も、そして監視に動員された機関員たちまで、北がゴールを入れると自分たちの任務(?)を忘れて熱い拍手と歓声を送った。

歓呼は続いた。競技終了とともに北の選手たちが、涙まみれで“共和国旗”を手に応援席へとやってきた。彼女たちの答礼を受け、観衆はいっせいに“祖国統一”を連呼するのだった。北のキム・グァンミン監督は記者会見で“南の観客の応援を聞きながら、北と南は一つの民族だとあらためて実感した。祖国統一を望む南の人民の心を見た思いだ。”と感激していた。北の応援団は来れなかったが、南の観客が代わりに北の応援団になったのだ。

応援の絶頂は過ぎ去ったかと思われたが、授賞式で再び歓呼は頂点に達することになった。 観客の多くは、競技が終わって30分後に始まる授賞式を見るために、帰ろうとしなかった。 授賞式では金メダルが北の選手たちに、銀メダルは日本の選手たちに、そして銅メダルが南の選手たちに授与された。

南の選手に銅メダルが授与されるや、北の選手たちが激励の拍手を送った。北の選手に金メダルが授与されると、南の選手たちも拍手で祝ってくれた。国旗掲揚台の真ん中に北の「共和国旗」が、その両側には日章旗と太極旗が掲揚された。優勝国の国歌である「愛国歌(朝は輝くこの山河に)」が鳴り響いた。

授賞式も終わった。日本の選手たちは力なくスタジアムを後にした。南北の選手たちはそれぞれ、グランドで記念写真を撮りながら余韻に浸っていた。その時、観客席から南北の選手たちに向かって“一緒に撮って。一緒に撮ってよ!”と連呼の声があがった。一緒に写真を撮れ!という切実な声だった。

すると、驚くことが起きた。記念写真を撮っていた南の選手たちが、隣で写真を撮っていた北の選手たちの合間に入ってきて、「一緒に写真を撮ろうよ」と促すのだった。瞬間、文鶴スタジアムはこの日最大の拍手と歓呼に覆われた。初秋の夜、文鶴(ムナック)競技場はこうして皆が一つになった。文鶴という競技場の名前もすばらしいが、この日だけは、一片の詩や金言に思いを馳せる文学(ムナック)競技場でもあった。

やはり、“血は水よりも濃かった。”


ウリヌンハナダ(私たちは一つ!)