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民族の未来・ 朝鮮族出身ソウル大教授の3代

2011年11月24日 | 東北アジアの平和

[朝鮮族大移住100年]<2部>④民族の未来 朝鮮族出身ソウル大教授の3代

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23cho1原文入力:2011/11/22 20:48(4541字)


←ソウル大 初の朝鮮族出身 カン・グァンムン教授


カン・グァンムン(38・写真)教授はソウル大 初の朝鮮族出身教授だ。慶北(キョンブク)に根を置いた彼の先祖は日帝時に中国、遼寧省に渡り吉林省鷹河口に定着した。 民族学校に通った彼は中国の名門 北京法大を卒業し、日本に渡り東京大学で修・博士学位を受けた後、今年初めソウル大法大教授として任用された。 彼が経た東アジア3国は今日の朝鮮族を鋳造した。彼が考える朝鮮族の未来を‘1人称’話法で再構成した。

23cho0ディアスポラの夢‘超国籍民族共同体’


地図を広げて指先に辿ってみる。慶北霊泉(ヨンチョン)、大邱(テグ)、ソウルをすぎて平壌(ピョンヤン)へ、新義州(シンウィジュ)を経て中国、瀋陽まで。 なぞっていく指でさえめまいがする。その遠い道をどうやって来たのだろうか。「汽車に乗ってきただろう。」祖母はそう答えた。大人たちに手に引かれて満州へ向かった12才の少女は車窓の故国の風景の代わりに巨大な汽車にだけが心に残っただろう。


少女は満州で娘に育ち同族の男性と結婚した。食べ物が無尽蔵だと聞いて故郷を後にしたが、夫婦の暮らしはとても厳しかった。吉林省と遼寧省の広い土地を移動しながらいつも新たに畑を耕した。「手を動かさなくては何も得ることができなかった」祖母は私に話した。「学ぶことが最も重要で。」祖父も私に話した。地べたに這いつくばるようにして生きてきた彼らは私に土地を離れるように言った。土地の束縛から抜け出しなさいと。


私は汽車に乗り故郷を離れた。北京大で法学を勉強した。日本の東京大で修・博士学位を受けた。 去る3月ソウル大法大教授として任用された。 瀋陽、北京、東京を経てソウルまで。 遠いその道程で私はどこにも属しなかったがすべての所に属した。私は緊張し葛藤する東北アジアで一生を流浪して代を引き継ぎ漂った。民族・国家の境界を行き来しながら民族・国家の束縛に対する思いが深まった。


もし生きておられれば祖母はこう言っただろう。「私たちの孫、立派だね。」 2005年1月10日午後8時41分、祖母は最期の息をひきとった。吉林省の兄弟が東京の私に電話で便りを伝えた。私は号泣した。 祖母が故国を離れその孫が故国に帰ってくるまで70年余りかかった。帰ってきて座っているとその時期が深く胸にしみる。


私、カン・グァンムンはソウル大初の朝鮮族教授だ。
慶北出身の祖父母は日帝時に中国、吉林省に渡り歴史の荒波の中で民族教育をした。


祖母の故郷は慶北霊泉、祖父の故郷は慶北安東(アンドン)だ。異郷万里にきても朝鮮族は血のルーツを探して百年佳約を結んだ。慶北出身の夫婦は八人の子供をもうけた。彼らはそれぞれ別の村で生まれた。 私の父その兄弟の故郷はすべて違う。 それは大騒ぎの歳月だった。


1950年代‘大躍進運動’とその後に続いた大飢饉、60年代の‘文化革命’に至るまで祖父と祖母は生き残るために繰り返し土地を移動した。 その時期を体験した朝鮮族は往事を口にしない。 直接体験しなければとうてい共感できないものがあることだ。 祖父は孫の私に過去の代わりに未来を語った。 学んで身につけることがどれほど重要なことかを説教した声が今も耳に残っている。 安定した土地で孫が暮らせることを祖父は切実に期待した。
若かりし頃、祖父は国民党と相対して戦った‘中国解放戦争’に参加した。後に中国共産党にも加入した。 理念が先であり、民族はたいしたことでなかった。それが全てではないということを祖父は文化革命の時に知ることになった。 中国政府は北韓・南韓とは異なる‘中国人朝鮮族’のアイデンティティを祖父に付与した。 民族意識が強かった数多くの朝鮮族が共産党から‘闘争’(公開批判)を受けた。地方末端公務員だった母方の祖父も闘争の威嚇を避け遠く黒龍江省に引っ越した。「私たちの祖国は中華人民共和国だ。」朝鮮族学生たちが勉強する中国語教材の冒頭に今も記されている。


祖母は中国を祖国だとは考えなかった。それでも中国に感泣した。「よその国に来てこのくらい豊かに暮らせるんだな。」 祖母は感激まじりの声で話したりした。建国直後の中国は朝鮮族全員に土地を分けてくれた。日帝・漢族土匪・国民党、さらには朝鮮の地主らもそのようにはできなかった。 後に土地を国有化したが、80年代以後には再び土地を分配した。中国は‘よその国’だが故郷を離れた異民族に生きる道を開いてくれた‘有難い国’でもあった。 朝鮮族が中国が好きなのは理念ではなく土地に対する感謝だ。そのような理由を理解していない一部の韓国人は朝鮮族を共産党側だと追い詰める。歴史を知らぬが故にむやみに悪口が出てくるということだ。


祖父・祖母世代は中国政府が提供した土地を基盤に民族教育を始めた。朝鮮族は漢族よりさらに熱心に耕し、さらに多くの収穫を上げた。その金で延辺(ヨンビョン)大学を作り、ハングルで書かれた民族新聞を発行した。日帝強制占領期に国外へ移住したのは米国・日本の同胞も同じだったが、自治・教育・言論であまねく民族共同体を作ったのは朝鮮族だけだ。


23cho2←‘複合的コリア共同体’を形成し朝鮮族を通じて我が民族が国境・国籍を越えて東北アジアの中心になることができると信じる。


私は高い教育熱のおかげで北京大を卒業し東京大で博士学位を受け韓国にきた。
70年ぶりに祖父母が離れた故国に帰ってきたのだ。


私はその熱気の中で育った。吉林省梅河口(メハグ)朝鮮族第11中学校時期、先生たちの関心事はひたすら勉強であった。 私たちは反復される試験に夢中になった。先生は‘競争の冷酷さ’、‘人生の失敗’を挙論して幼い私たちを急き立てた。すでにその時から私たちは漢族と妙な競争を行なっていた。私たちは彼らより、さらにできなければならなかった。 すべての民族学教はどの漢族学校より教育熱が高かった。


私たちは韓国語・中国語・日本語を全て習った。偏らずにすべての言語を習得するまで先生は苛酷なほどに私たちを圧迫した。彼らは私たちが特定言語に限定されて育つことを願わなかった。全く新しい生活を送らなければならない幼い朝鮮族の運命を彼らは予感したのだろう。 朝鮮族はいかなる為替危機にも屈しない。 私たちの祖父がそうしたように私たちも迫り来る時期を勝ち抜かなければならなかった。 私たちの‘超国籍アイデンティティ’はとうとうたる‘民族的自負心’の上に形成された。


東北アジアで一生を流浪し代を引き継いで漂った。

朝鮮族は100年間に進行された民族分散を今や新しい共同体に進化させたい。


入試地獄に耐え抜いた私は北京大法科大学に入学した。その時初めて私は東北に集団居住していた朝鮮族の限界を見た。朝鮮族の大学生は概して無知だった。ただ大学入学が目的だっただけで、大学で何をどのようにするのか悩んでみたことがなかった。それは私たちと私たちの両親の水準を越える質問だった。 世界は東北はもちろん中国より広かった。


その頃、故郷では異常事態が始まった。民族学校は予想できなかった方式で早く壊れた。学生が不足し門を閉める学校が出てきた。 生き残った学校の地位と水準も急激に墜落した。 朝鮮族が新たに進出した大都市には民族学教がなかったり、あっても私立学校だけだった。 公立民族学校とは比較にならないほど劣悪な環境だった。


民族アイデンティティに対する懐疑も大きくなった。この頃、若い朝鮮族の両親たちは中国主流社会で豊かに暮らすことを目標にしている。何のために朝鮮族アイデンティティに固執するのかという考えが広まっている。それは民族に対する離反ではなく主流に対する劣等感だ。朝鮮族は中国現代史のすべての局面ごとにとりわけ積極的に参加した。母方の祖父は抗日戦争に参加したし、祖父は国共内戦に加担し、従祖父は韓国戦争の戦線に出て行った。さらに産児制限まで朝鮮族は漢族より熱誠的に参加し朝鮮族の人口自体が減った。その土台には中国内少数民族の劣等感がある。少数は変化に敏感だ。そうでなければ絶滅するからだ。


今の朝鮮族の若い両親たちは劣等感から子供たちを解放させようとしている。中国の少数民族に留まらず世界の舞台で自由に能力を発揮する夢を見ている。中国はその舞台に向かう土台となる。中国の地位が高まっている。世界的水準の大きな変化を全身で乗り切ってきた朝鮮族にとって‘G2時代’はただ事ではない。


‘複合的コリア共同体’を形成し
朝鮮族を通じて我が民族が国境・国籍を越え
東北アジアの中心になることができると信じる。


朝鮮族大移住のために中国東北地域の朝鮮族民族共同体が急激に流失している。 その結果、先祖が切り開いた東北3省の根拠地を失いかねず、朝鮮族自体が消える恐れもある。ただしそれを肯定のエネルギーに変える機会が残っている。 朝鮮族が世界各地に進出し小さいながらも新しい民族共同体を作り、緩いが地球的なきずな関係を作ることができないだろうか。


それは去る100年余りの間に進行された韓民族の分散を巨大で新しい共同体に進化させることでもある。中国居住韓国人は80万~90万人だ。日本にも在日同胞社会がある。 移住朝鮮族が韓国人・在日同胞などと交流し‘複合的コリア共同体’を形成することができる。 その夢は南北問題にまでつながる。北韓が門戸を開ければ吉林省延辺に韓国人と北韓人が集まるだろう。若い朝鮮族らも中国東北地域に再び集まるだろう。 延辺は中国沿海・内陸大都市を追い抜く東北アジアの中心都市になるだろう。


朝鮮族は国境・国籍に規定される近代国家のアイデンティティを根本的に揺さぶる。 国籍がなぜ当然のことなのかという問いを朝鮮族がすでに投じている。民族国家の固定観念を朝鮮族を通じて押し倒すことができる。朝鮮族は国境や国籍に関係なく新しい文化を作りながら、各国にいる私たちの同胞らと同じ民族というアイデンティティを維持している。 朝鮮族を通じて私たちの民族は東北アジアの中心になることができる。


すでに遅れてしまった見込みのない夢でもありうる。今、東北には人がいない。 朝鮮族ディアスポラ(大移住)が葛藤する東北アジアに新しい活力を吹き込むまでには解かなければならない課題が多い。その責務の一部が韓国人たちにもある。私は今本を書いている。 30代朝鮮族の韓国定着記だ。年末に出版される予定だ。 韓国人が私たちを通じて新しい未来を見てくれればうれしい。 土地を求めて四方天地を流浪して、土地の束縛から抜け出すために再び異郷万里を漂った私たちは朝鮮族だ。<終わり>


文・写真ユ・シンジェ記者 ohora@hani.co.kr


原文: http://www.hani.co.kr/arti/society/society_general/506663.html 訳J.S★


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1 コメント

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希望が見える (chonghwa)
2011-12-19 14:43:12
10年前に延辺に行って会った人たち,初めて会った人であるのに同胞と会えた喜びで、どこで暮らそうと朝鮮人として心が通じ、喜びを分かち合い、祖国の統一をともに願うことガ出来ると思ったことを思い出しました。未来に希望を持つことが出来ました。一人一人が自分の果たすべきことを、忘れずに日夜努力をしていきましょう。
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