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韓国市民の求める新たな民主社会-大統領弾劾から社会変革へ

2016年12月16日 | 三千里コラム

「青少年が主人公だ!」とのプラカードを掲げ市民集会に参加する中高生(11.19、ソウル)



韓国市民の求める新たな民主社会-大統領弾劾から社会変革へ

大統領弾劾への過程

12月9日、韓国の国会で朴槿恵大統領に対する弾劾訴追案が可決された。所属議員300名のうち299名が投票し、賛成234、反対56、棄権・無効9という圧倒的な票差で朴槿恵大統領は職務停止となった。直前の世論調査(12月6~8日、韓国ギャロップ)では、大統領弾劾を支持する国民が81%に達していた。世論を反映すれば243の賛成票に相当するが、それを少し下回る結果となった。国会議員(特に与党)の反応はやはり、民心に遅れを取り消極的にしか受け入れないようだ。

10月29日、2万人の市民がソウルの光化門広場で第一次集会を開き「朴槿恵の即時退陣」を求めたが、野党は“国民世論の反発”を恐れ退陣や弾劾には否定的だった。しかし、第二次(11月5日・20万人)、第三次(同12日・100万人)、第四次(同19日・100万人)、第五次(同26日・190万人)、第六次(12月3日・232万人)と退陣を求める市民の声が全国に拡大するなかで、政界も「弾劾・退陣」を選択するようになる。政治(国会)を動かしたのは広場(市民)の力だった。

韓国市民はなぜ、これほどの憤怒を表出させているのだろうか。決して、日本のメデイアが指摘するような「政権末期に通例のスキャンダル」が原因ではない。核心は「権力の私物化」と言えよう。一民間人に過ぎない崔順実とその取り巻きが、朴槿恵政権を動かす事実上の指導部として君臨していたのだ。内政と外交における政策決定(開城工業団地の一方的閉鎖にも関与)だけでなく、政権要職の人事にまで私人が介入する歪な政権運営を、大統領は容認し、政権中枢部の閣僚たちもそれに便乗して特恵を謳歌してきた。

三星や現代などの財閥企業は権力集団と癒着して資本を拡大し、権力に忠実な司政機関(検察・警察)は、不正腐敗の摘発ではなく市民の抗議運動を弾圧するだけだった。保守的なメディアも情報機関と協力し、大統領の指導力を讃え“北朝鮮の脅威に備えた国民の団結”を宣伝することに奔走している。その一方で民生は破綻し、貧富の格差は拡がるばかりだ。セウォル号沈没など国民の生命と安全を脅かす大型事故が多発しても、大統領と政府は真相究明はおろか責任ある対処を全くしてこなかった。市民の憤怒は、積年の腐敗し切った権力構造に向けられている。韓国社会で進行しているのは、無能で無責任な政権とそれに寄生する「巨大カルテル」の解体を求め、新しい社会体制への変革を志向する市民革命である。

市民革命の伝統と現状

韓国の現代史は、こうした市民革命による民主主義の発展史にほかならない。不正腐敗にまみれた李承晩政権の長期独裁を打倒したのは、市民と学生による1961年の4月革命だった。数十万の市民デモに警察が発砲し、約200名が犠牲となった。全国各地に拡大する抗議デモの前に、李承晩は下野を表明するしかなかった。しかし、「ソウルの春」は短命に終わる。翌61年の5月16日、軍事クーデターで執権した朴正熙はその後、18年間に及ぶ長期の軍事独裁体制を敷いた。1979年10月、釜山・馬山をはじめ全国で展開された民主化運動によって政権は崩壊する。だが、「二度目の春」も血みどろの軍靴によって蹂躙された。民主政府樹立を求める市民の声を、全斗煥ら軍部勢力は戒厳令で鎮圧し、200名を越える光州市民軍の命が新たな軍事独裁の祭壇に捧げられた。

韓国市民はこの尊い犠牲を無にせず、87年6月の民衆抗争で報いた。大統領直撰制を骨幹とする現行憲法への改正を勝ちとり、全斗煥政権を退場させた。しかし、歴史の女神はまたもや市民に微笑まず、野党の分裂により全斗煥の盟友、盧泰愚が執権した。韓国現代史を貫通するのは、こうした民主社会を求める市民革命の潮流である。広場に結集する市民の力が、独裁政権に終止符を打つ原動力となってきた。87年の6月民衆抗争が民主主義の形態(大統領直撰制)を獲得しただけに終わったのなら、2016年11月の市民革命は、上述した醜悪な権力構造を根本的に変革し、民主社会にふさわしい内容と制度を盛り込むための闘いと言えよう。

今回の市民集会には、これまでの政権下で闘われた市民デモとは異なる特徴が見られる。87年の6月抗争や李明博政期のキャンドル集会は、進歩勢力が中心の運動であり目標も単一事案(憲法改正、米国産牛肉の輸入阻止)に限定されていた。今回は進歩と保守が一体となる共感帯が生まれており、韓国社会の根本的な構造改革を求めている。この間、一ヶ月以上にわたり延べ700万人が参加した市民集会では、中高生をはじめとする青年層から壮年・高齢層まで、あらゆる世代が怒りの声を上げている。また、朴槿恵政権を支えてきた慶尚北道地域でも広範な市民が退陣を要求しており、地域対立の構図すら消滅した感がある。崔順実の娘が露骨な入学特恵を受け、国民年金の基金が特定財閥の支援金に流用されるなど、世代と地域を超えた民衆の憤怒が大統領と政権に向けられているのだ。

なかでも、朴槿恵政権に絶望し最も“過激”なスローガンを掲げているのが青少年たちである。10%を越えて増え続ける青年失業率、アルバイトの日常化を迫る高額の学費、いくら努力しても生活向上への可能性が見えない格差社会の現状などは、彼らをして市民革命の先鋒に立つことを決断させている。11月5日の第二次市民集会では、「中高生革命指導部」のプラカードを掲げた集団が隊列の一角を占め、「中高生が先頭に立って革命政権を樹立しよう!」とのシュプレヒコールを唱えていた。彼らこそ、同年代の仲間をセウォル号で失い、国定教科書での歴史教育を強制される、朴槿恵政権における最大の被害者たちである。日本社会ではもはや死語になった「革命」という言葉を、韓国では何の違和感もなく青少年が口にしている。韓国の中高生は、教室で学んだ民主主義を街頭と広場で実践する。彼らを広場に向かわせ実践教育の場を提供したことが、朴槿恵政権の成した唯一の功績といえるかもしれない。

今後の展望と課題

国会における大統領の弾劾訴追案可決は、市民革命の勝利に向けた第一歩にすぎない。大統領としての職務は停止されたが、朴槿恵氏は今も青瓦台(大統領官邸)で起居している。警護と礼遇はそのままであり、給与も支給される。彼女にとっては有給休暇なのかもしれない。今後、弾劾の最終的な可否は憲法裁判所の判断に委ねられるが、その間、大統領の職務は国務総理(首相)が代行する。しかし、総理の黄教安(ファン・ギョアン)氏は弾劾された大統領が任命したのであり、現政権の初代法務長官として統合進歩党の強制解散を陣頭指揮するなど、総理に抜擢されるまで常に大統領の忠実な同伴者だった。現状の国政混乱を招いた責任を問われるべき閣僚に、大統領の職務代行を委ねるべきではないだろう。ところが3野党はすべて、黄教安代行との協力を掲げている。

憲法裁判所は本来、民主主義を擁護するために設置された機関である。ところが李明博政権から現政権に至る過程で、民主主義を後退させる判断が相次いでいる。憲法裁の所長は大統領が任命し、残り8名の裁判官も大統領・与党と最高裁長官の指名した人士が大半であることから、進歩的な法官の登用は期待できなくなった。2014年12月の統合進歩党解散審理でも、9名のうち反対を表明したのは野党が推薦した金二洙(キム・イス)裁判官だけだった。当時、朴漢徹(パク・ハンチョル)所長は金淇春(キム・ギチュン)大統領秘書室長と緊密な連絡を取り合い、事案の審議や証拠の検証も不十分なまま解散決定を強行した。憲法裁判所が当時と同じ状況なら、朴槿恵氏は有給休暇を存分に楽しむことになるだろう。

朴槿恵大統領は職務停止の直前(一時間前)に、空席だった大統領府の民政首席秘書官に曺大煥(チョウ・デファン)弁護士を任命した。その間、朴大統領の法律顧問を担当してきた人物だ。彼と黄教安総理、朴漢徹憲法裁判所長らは司法研修院の同期(13期)であり、黄・朴の両氏は公安検事として辣腕を振るった経歴を持つ。曺大煥氏は朴槿恵大統領の意向に従い、総理や憲法裁判所長と連携して弾劾審判を有利に進行するために画策するだろう。遅くとも来春3月には憲法裁の判断が出るものと予測されているが、楽観は許されない。

だが、国会の弾劾決議を主導したのが広場の市民集会であったように、憲法裁に速やかな弾街決定を圧迫するのも広場に結集する市民の力である。保守的な性向の裁判官たちであるが、圧倒的な弾劾世論と即時退陣の声に対抗して、消え行く大統領と心中するほどの愚かな忠誠心は発揮しないだろう。朴槿恵大統領と崔順実らの犯罪はすでに、検察の一次捜査と良心的なメディアの取材でかなり明白になっている。権力の意向と同時に、世論の動向にも極めて敏感なのが憲法裁の裁判官だと言われている。朴漢徹憲法裁判所長の任期が来年1月末に迫っている。任期内に弾劾決定の判断を下すことが望ましいだろう。そのためにも、市民集会のキャンドルを絶やしてはならない。

国会の弾劾訴追が第一段階なら、間もなく始まる特別検察チームの捜査で、朴槿恵大統領の犯罪事実を究明することが次の段階だ。朴槿恵大統領とその側近たちの容疑は、①三星やロッテなど財閥からの収賄、②秘書室長や民政首席秘書官らの職務遺棄、③セウォル号事故に際して「7時間の空白」をもたらした大統領の職務遺棄、などである。これら三大疑惑を究明することが第二段階である。そして憲法裁での弾劾決定が第三段階。さらに大統領の拘束・起訴という第四段階を経て、大統領選挙での民主的政権交代が第五段階だ。新たな政権の下で諸般の民主改革を断行してこそ、2016年11月の市民革命は完成される。

市民革命の前途は険しく、長き道程となるだろう。権力と財閥、言論などが一体となって既得権を固守してきた韓国社会の構造的矛盾は、朴正熙政権から計算しても50年を越える期間に達する。敵対的な南北分断体制の下で、国家保安法は権力が民衆運動を弾圧する最大の武器だった。制定から68年が経過した今日も、この悪法は生き延びている。韓国社会の根本的な変革が容易であろうはずはないが、その前進に向けて今、広場の力を現実の政治舞台(国会)に反映させる様々な模索が続けられている。

12月8日、1141人の市民が連名で「オンライン市民議会」の結成を呼びかけた。広場の民意を国会に伝達する「市民代表団」を選出しようというのだ。共同提案者として金薫・黄晳暎などの小説家、市民集会で司会を担当した金濟東、セウォル号特別調査委員長の李錫兌弁護士などが名を連ねている。また12月12日には、大学教員、企業家、会社員、自営業者、農民、労働者、青年など各界各層の市民170名による「市民憲章」が発表され、『市民主権会議』の準備委員会が発足している。『市民主権会議』の設立趣旨文は、「市民革命の過程で表出した熱望を実践し、朴槿恵弾劾後に新しい大韓民国を準備するために結成された市民組織」と自らを規定した。そして「特定の政党や組織の利害を代弁せず、すべての人に開かれた組織であり、市民主権の実現を掲げる他団体と連帯し協力する」と表明している。

これらの運動に共通するのは、韓国政治の現状が決して民意を反映していないとの危機感であり、下からの民主主義・直接民主主義に対する強調と期待である。これまでの歴史がそうであったように、韓国の市民革命は新たな民主社会の実現に向け前進を続けることだろう(JHK)。