NPO法人 三千里鐵道 

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YB-「ぼくは蝶になる」-歌詞(ハングルと日本語併記)

2010年11月30日 | 管理人のつぶやき
★最初ビートルズに接したとき、あれは不良たちの歌と耳を塞いでいた。それから20数年経ったある日、ジョンレノンのイマジンを聞いた。…平和を求め戦争に反対した彼は、凶弾に倒れた。
そしてMBの時代、追われるように干されたYBが、これまでの栄光と名誉を捨て未知の大陸に旅立った。…荒涼とした果てしない大陸に響き渡った『ナヌン ナビ』は、人々に希望と勇気を与えた。
ノムヒョン追悼コンサートに名を連ねるYBに好意を抱き、先日CDを買い聞いてみたが分からない、好きになれない、と一人悩んできた。…が、この曲はイマジンを凌ぐ衝撃でぼくに迫ってきた。
今日は米韓軍事演習二日目、朝鮮半島が最高潮の緊張状態にある。イムジン川のほとりで生まれ育ったユンドヒョンの生き様を投影した身震いするほどの名曲に出会った、と喜んでいる。是非『flyrocks』の公式サイトをご訪問下さい。
1972年2月3日生まれ、2歳年下の金ジェドンも誕生日は同じ。38歳にしてユンはまだ、少年のように輝いている。

http://blog.naver.com/flyrocks

YB-나는 나비

날개를 활짝 펴고
세상을 자유롭게 날거야
노래하며 춤추며
나는 아름다운 나비

내 모습이 보이지 않아 앞길은 보이지 않아
나는 아주 작은 애벌레
살이 터져 허물 벗어 한번 두번 다시
나는 상처 많은 번데기

추운 겨울이 다가와 힘겨울지도 몰라
봄바람이 불어 오면 이젠 나의 꿈을 찾아 날아
날개를 활짝 펴고 세상을 자유롭게 날거야
노래하며 춤추며 나는 아름다운 나비

거미줄을 피해 날아 꽃을 찾아 날아
사마귀를 피해 날아 꽃을 찾아 날아
꽃들의 사랑을 전하는 나비

날개를 활짝펴고 세상을 자유롭게 날거야
노래하며 춤추며 나는 아름다운 나비

날개를 활짝펴고 세상을 자유롭게 날거야
노래하며 춤추며 나는 아름다운 나비



YB-ぼくは蝶になる

翼をひろげ
大空を自由に飛びたい
歌い 踊りながら
ぼくは 蝶になる

自分が見えず、明日も見えない
ぼくは小さな青虫
肉を裂き、殻を脱ぎ、痛みに耐え
ぼくは傷ついたさなぎ

寒い冬、厳しさに耐え
春風が吹けば ぼくは夢を求め飛びたつ
翼をひろげ 大空を自由に飛びたい
歌い 踊りながら ぼくは 蝶になる

蜘蛛の巣を避け 花を捜して飛ぶ
カマキリを避け 花を捜して飛ぶ

花たちの愛を伝える蝶になる

翼をひろげ
大空を自由に飛びたい
歌い 踊りながら
ぼくは 蝶になる

(訳 NAMSANG)

 『ナヌン ナビ(ぼくは蝶)』ーYBドキュメンタリー映画、12月開封

2010年11月29日 | 管理人のつぶやき
写真ーYBのアメリカロックフェスティバル放浪記ードキュメンタリー映画のポスター.

韓国で、12月2日から公開 101分


名実共に韓国の代表的ロックバンドー YB.

2009年のある日、 YBは招待状一通を受けとる.それはアメリカ最大ロックフェスティバル ‘ウォプトトオ’から、公演をしてくれと言う招待状!!
シアトル,などアメリカの 7ヶ都市をツアーして公演をする史上最大のロックフェスティバルだった.

何の躊躇もなくアメリカ行き行飛行機に乗った YBは、はじめアメリカロックマニアの無関心の中、シアトルで数名の観客の前で初舞台に臨む。…果して YBは広大な大陸の各種各様,千差万別のアメリカロックマニアに、韓国ロックの真髄を見せることができるだろうか….

2009年 8月、 デビュー 15年を迎えた YB(ユン・ドヒョンバンド)は、韓国歌手ではアメリカで最初の舞台になる。ときめきと不安を抱いて彼らがアメリカ行飛行機に乗る時, 同じ時刻にアメリカ東部に住む移民の少女は偶然に YBの音楽に魅かれて, この公演を見ようと遠い西部に向けて旅に出る.

遂にベンスウォプドツアー公演で観客を魅了するまで、彼らが体験した悩みと努力の過程, 感動的な瞬間を繊細に描いている。


http://search.naver.com/search.naver?where=nexearch&query=%B3%AA%B4%C2%B3%AA%BA%F1&sm=top_sug.pre&fbm=1

★一昨日京都公演で最後から三番目に唄った、この映画のテーマソング『ナヌン ナビ』
詩も曲も素晴らしかった。ステージからユン自ら紹介、当日新幹線の終電車に乗って帰り翌日、早速検索してみた。
プロモーション映像が見つかった。空港を発つユン、心配そうに見送る金ジェドン…。そしてアメリカ大陸をトボトボあるくYB4人…。詩的な映像構成になっていそうだ。
早く見たい!NAM


丹波マンガンYBチャリティーコンサート、行ってきました。

2010年11月28日 | NPO三千里鐵道ニュース
昨日27日午後6時から、京都会館第一ホールにおいて開催された。
前日早めに来てもらえないかとの電話があり、4時回った頃会場に到着したが、5時開演までは入場できませんと言われ、やむなく近くの公園の落ち葉を踏みふみ散策し、ついでに平安神宮にも足を延ばした。
5時定刻に開場、パラパラと入場するだけで、この会場埋まるのかと心配になった。
開演時刻が迫るにつれ観客が急に集まりだした。満席とまでは行かなかったがそれでも主催者発表で1000人は越えたそうだ。

いよいよ開演!

まずチョンヒスン実行委員長の挨拶。チマチョゴリに身を包んだ彼女、挨拶にも気合が入っていた。
…丹波マンガン炭鉱記念館は、先代の館長、そして父の遺志を継いでその息子の現館長が一人で支えて来た。みんなで再開させよう!一人が5人に、5人が50人に、そして1000人、10000人に広がれば、きっと再開されます。今日のコンサートが、その決意をあらたにするきっかけになることを確信します。
と、やや上ずった声で力強く挨拶した。

照明が消え、ほの暗い舞台に出演者が一人、二人と現れた。そして、生のYBが照明に照らされた。
会場から湧きあがる歓声、その歓声すら押しつぶすほどのロックの嵐が2時間続いた。正直、圧倒された。そして、自分の歳を感じさせられた。
殆ど立ちっぱなしの子供やアジュモニ、若者たちに交じって、白髪のご老人たちはジーッと座ったままだ。そんな観客を横眼で見ながら、ぼくは椅子を戻しそこに腰かけ肩を揺すってみたものの、ユンドヒョンの呼びかけに反応し、その場で飛びはね両手を激しく振る仕草は、さすがに出来なかった。
途中五蔵六腑に響く音量に耐えかね、2度ほど会場の外に出た。

その中で、強烈に残った印象がある。あのユンの端正な顔立ちとヤンキー風の仲間たちは今、ベトナム戦争のさ中アメリカの若者がロックで反戦を訴えたように、イムジン川のほとりで生まれ育ったユンドヒョンとその仲間たちは、今世界に向けて叫び続けている、と。


今ぼくの手元にコンサートの曲目の目録がある。最後に唄った「オー必勝コリア」とYB風「アリラン」しか、馴染みがない。曲の合間にユンが話すことばから、多くを知ることができ、また感銘を受けた。

●丹波マンガンの歌

前回記者会見に来た時、在日ハルモニ、ウリ学校の生徒たちと交流、丹波マンガン炭鉱を視察した。そしてユンは、関係者に歌を作る、と語った。

ユンの語り
歌を作るつもりだったが、…出来ていません。(観客ー溜息)いや、出来ていないだけで、作らないのではありません。(観客ー拍手)…うーん、実は作ってきました。(大拍手)ぼくが初めて日本語で作り、日本語で歌う歌です。

♪丹波マンガン
 過去の中に明日がある
 丹波マンガン
 痛みの中に希望がある

万雷の拍手と喚声。舞台と観客が一つになり、何度も何度も繰り返し大合唱した。

●アリランの前後に唄った歌詞

ユンの語り
我々は一つです。YB結成15年、その中で忘れられない公演の一つが平壌での公演です。…そして静かに歌いだし、そして叫び、怒りをぶっつけるように全身を激しく震わした。


♪我らは一つ
 同じ歌をうたい
 同じ踊りをおどり
 同じ空の下で祈祷してきた

 誰が我らを二つに分けたのか 

●アンコールに応え、再登場。全員オリジナルティーシャツ姿。今回の公演でYBは一銭も頂きません。このシャツ、買って下さい。記念館再興に寄付されます、とアピール。
韓国でぼくの芸能仲間に丹波の話をするんですが、はじめは理解できないようで…。しかし韓国でも支援の輪が広がっています。皆さんと一緒に手を携えて、マンガン炭鉱記念館を再建しましょう!

そして、舞台の中央で深々と一礼。その後舞台の端から観客と触れ合いながら、舞台の袖に消えていった。…恥ずかしながら、ぼくも握手してもらいました。

YB、カムサハムニダ! namsang



延坪島事件、直ちに南北対話.交渉をー 林東源

2010年11月27日 | 南北関係関連消息
写真ーインタビューに答える林東源前統一部長官

"北ウラニウム濃縮、過去の政府恨むより責任を負わねば"

"延坪島事件、直ちに南北対話.交渉しなければ" 林東源


2010年11月26日(金)金致寛記者ckkim@tongilnews.com


“李明博政府は、過去の政府を恨むよりは北朝鮮濃縮ウラニウム計画(HEUP)が最近1-2年間に進行されていた事実に対して、責任を負わなければならないだろう。”

●26日林東源前統一部長官は北朝鮮のウラニウム濃縮施設公開に対して、大統領府の人々が“過去キム・デジュン.ノ・ムヒョン政府は北朝鮮の高濃縮ウラニウム プログラム開発に対して知っていながらも意図的に隠してきた。当時の関連者らは、このことに対して解明しなければならない”と主張したことに対して、公式な反論をした。

この日の昼、ソウル市内にある事務室で会った林東源前長官は
“色々な新聞らがこの問題を報道したので解明、反論するのが良いという意見が多くて、何人かと相談して立場を整理した”と明らかにした。

反駁文には
1997年北朝鮮の高濃縮ウラニウム計画疑惑がふくらんだ時から、2002年10月ケリー米国務部次官補北朝鮮訪問を契機に、米国は確証を提示しないまま北朝鮮のウラニウム濃縮能力を誇張発表したが、以後穏便に収集した全過程が紹介されている。

イム前長官は“しばしば核施設を訪問したスタンフォードの核物理学者ハッカー博士とかジョン・ルイス教授などが、2008年末に行った時はこういう施設は全くなかったし、北で見せてくれた数 百個の遠心分離機はみな新しいものだった”とした。
さらに“米国の他の専門家の話によると '明確に北朝鮮で作ったようではなく、違うところから持ってきたようだ、それなら北朝鮮に対する制裁、封鎖政策は失敗に帰したのではないのか' と話したそうだ。
ハッカー博士もこれ以上悪化する前に、米国と北朝鮮が対話をしなければならないといったが, 私も全面的に同意する”と話した。

●延坪島砲撃、“容認できない.. 、政府対決政策の結果だ”

イム前長官はまず先に“今は怒りの時期”として“私たちの領土に対して砲撃を敢行し、 しかも民間人まで被害にあった。 決して容認されることではない”と断固と話した。

しかし問題の原因に対しては
“北朝鮮にも責任があるが、わが政府が北朝鮮に対して過去の政府がした和解協力政策を中断、対決政策をとってきた結果だ。北朝鮮に頭を下げ屈服しろと強要する政策をとり、その結果より関係が悪化してきた”と話した。

また2007年2次南北首脳会談を通して発表した10.4宣言の西海平和協力特別地帯が実現されていれば、と遺憾の意をにじませた。

イム前長官は“西海平和協力特別地帯は、海でも非武装地帯のように問題解決していこうということで、これを南北が合意したことは本当にすごい進展だった”と評価し、“今後もこのようにするしかない”と話した。

しかし“これを現政府に入って否定したので、西海はずっと緊張の海、衝突の海になってしまった”とした。“すでに昨年度の海戦、今年3月天安艦爆沈事件、今回の延坪島砲撃事件など、私たちの貴重な若い人々の人命被害を受けた”と憤慨した。

●“南北が向かい合って座って対話交渉し、緊張緩和措置を取らなければ”

彼は
△最初に、南北関係を改善しなければならない。
△二番目、10.4宣言に基づいて西海を平和の海に作らねばならない。
△三回目、6者会談で合意した通り韓半島の停戦体制を平和体制に転換するために平和交渉をしなければならない
と整理した。

彼は
“直ちに南北が対話して交渉しなければならない。 そこで西海地域での緊張を緩和するための措置を取っていかなければならない”と強調した。
“そうしない限りこういう事件は今後も反復され、エスカレート(escalate,拡大)する可能性もある”と警告した。

そして林東源氏は
“停戦協定直接当事者の4ヶ国が交渉して、韓半島に公告した平和を作る努力をしなければならない”
“米国と中国との葛藤関係が深刻化されるならば、私たちにはさらに難しい状況が差しせまってくるかも知れない”
と憂慮を表わした。

“ピース キーピング(peace keeping)をするのも重要だが、ピース メーキング(peace making)をしなければならない”という普段の持論を最後に付け加えながら。

★心なしかいつも穏やかな林東源先生の表情に険しさが感じられる。
今年の5月ハンギョレ統一文化賞受賞式祝辞で林東源先生は、天安艦のことには一切触れず、ただ「険しい状況」であるとだけ話された。
そして「歴史はそれを望む者たちの側にある」と、暗に平和への信念を吐露され、参加者を激励された。namsang

「韓半島に徘徊する妖怪, 実体をさらけだす」-あるブログから転載

2010年11月26日 | 南域内情勢
★北砲撃の翌日、あるブログに出会った。感銘を受けた。あるカキコに, 読みながら泣いた、とあった。緊張と恐怖のさ中に、ふと触れる温かさや救いに、人は感動を覚える。
超緊張状況にあっても、事態を冷静に見つめるグン氏に敬意を表する。
アメリカの空母ジョージワシントンは今、どのあたりを航行中だろうか。そして28日からの米韓合同軍事演習を前に、ヨンピョン島から島民がすべて避難した。namsang


韓半島に徘徊する妖怪, 実体をさらけだす

グンシロン氏
2010/11/24 18:51 http://blog.hani.co.kr/parkje09/33130


2010年 11月 23日, 私は遂に見た. 韓半島を包む危機の危うさと, その実体を。
長い間ぼやけて霧の中にうごめいていた、何かはっきり見分けられない危険の実体を。

今日出勤、 新聞に目を通した. 現場状況と北朝鮮の攻撃背景, 断固たる対応を促す声, 金融市場衝撃, 外国の反応などの記事で、どの新聞も壁貼り状態だ。

過去北朝鮮の ‘ソウル火の海’ 脅威など南北の緊張が急激に高まった時、常に演出された買い占めも今度はあまり見られない. 島人たちは陸地に待避するため大騒ぎしているが, 陸地の人々はあまり緊張を感じていないようだ.
 
●21世紀韓半島南側に住む私たちが、本当に気になることは何か?

幾多のマスコミの吐き出す文面からは、捜すことができない. …何の罪もない私の弟(妹)みたいな海兵隊兵士らと民間人が、晴天の霹靂のように犠牲にあわなければならない、この事態の実体は何かという問いの答えにはなっていない。
果たして私たちは、そんな危険から脱しているだろうか?

筆者は北朝鮮海岸砲のヨンピョン島攻撃を通じて、韓半島安保危機の実体を衝撃的に悟った。わが国民の大多数が、北朝鮮攻撃用武器の射程圏内に入っているという事実が、剥製化された文字ではない現実であることが立証されたからだ。
言い換えれば南北緊張が一定な水位、または臨界点を超え、否それよりもっと大きな規模の局地的武力衝突とそれによる被害への憂慮が、私たちがこれまで思っていたよりずっと大きいということを悟ったのだ.
その被害者は筆者であるかも知れないし, あなたであるかも知れない。
 
韓半島に徘徊する妖怪がぼやけて見えたのは、私たちの安保不感症のせいでも, 戦争抑止力が充分に備わっているからでもない.
ただこれまで, 私たちが実感することができる証拠物がなく、はっきり認識することができなかっただけだ.
    
●多くの人々は信じる. 韓半島に全面戦争可能性はほとんどない、と。 同意する。 
1994年 1次北核危機当時、アメリカが外科手術方式の平壌爆撃を計画した時のように、戦争直前まで行きながら、しかし全面戦争の引き金は誰も引くことができなかった.
 …
 今度北朝鮮の攻撃で, 南北対立の危険は全面戦争ではないという事実を悟った。 韓半島を支配する本当の恐怖は、まさに制限的, 局地的戦闘だ。 
今度の事態は、南北の間の制限的戦闘のうち B級にあたる. 西海交戦のように両方の軍が係わる武力衝突を C級だと見れば, 民間犠牲者が発生した今度の事態は、一段階もっと私たちの身近に近づいた危険だ.
 
それでは A級は?
休戦ラインに配置された, 1万砲と推定される北朝鮮の大砲が、首都圏を狙って火を噴く状況だ. 北朝鮮は首都圏全体を射程圏内にしている長距離砲300門位を保有しているという。
 
北朝鮮が長距離砲を打てば全面戦争に飛び火するかも知れない。しかし、北朝鮮は全面戦争を憂慮して攻撃を慎むだろうか…。 今度の事態を通じて、その返事が明確になった. 
今回ヨンピョン島の海兵部隊を打撃目標にした北朝鮮砲部隊が、いつ南側の心臓部を狙うかは誰もわからない. なぜ? そんな事態が生じても全面戦争に飛躍する可能性は極めて低いから。
 
全面戦争は、南側が何倍もの軍事力で戒める態勢ができていてこそ、可能だ。
李明博大統領が弱腰に見られることが心配で、一歩遅れて出した「高度な報復」をし、北朝鮮基地を爆撃すれば、全面戦争になるのか?  返事は ‘ノー’だ。

●もちろん両方の武力衝突の水位はより高まるかも知れない。 しかし全面戦争に行くためには、両方がどんな犠牲も顧みず反撃, 再反撃を繰り返さなければならない. 
 
全面戦争が勃発すれば、速戦即決で終わる可能性は希薄だ. 北指導部が ’オールイン’をするから. 1950年代朝鮮戦争の時も 3年以上もかかった。 短い時間の内に北の降参を引き出すことができなければ、 長期戦になるのがおちだ.
21世紀に南側国民が, まさにあなたが, あなたの家族と知り合い, 愛する人々が死んで行く状況を許容するだろうか。 そんな驚くべき忍耐力を発揮した後に、我々は何を得るのか? 北朝鮮に勝つために、北朝鮮に勝てば、こなごなに壊れた私たちの生活が帰って来るのか?
 
そんなバカなことをする人は、ほとんどいない. 言い換えれば武力衝突がいくら高まっても、南側はいつも戦闘中断の方向に動くしかない. 国際社会も同じだ. イラクやアフガン攻撃を決めたアメリカも、全面戦争をけしかける覚悟はないようだ。
そして何より、私たちの一つしかない命にかかわる問題だ。私たち1人一人は、韓半島全面戦争を阻止する人質なのかも知れない.

●局地戦で終わるといっても同じだ。
南北がこうむった被害を比較し, 全体的に見れば北側がより大きいこともあるだろう。 それでは, 私たちが勝ったのか?


南側を見よう。 私たちの社会は兵士1人、市民1人でも、南北の武力衝突で犠牲になれば途方もない打撃を受けたと受け止める。 それが民主主義社会だ。 一人一人の生命ほど大切な価値はない。 軍人も同じだ。
 
権威主義体制の北はどうだろうか?
南側の反撃で北のいくつかの基地が破壊されて、北朝鮮の人ら何百、何千人が死んだとしよう。 キム・ジョンイルを頂点とする北朝鮮指導部が受ける打撃は、どれほどになるだろうか。 南側が受ける政治社会経済的打撃と比べるなら、殆どなかったか僅かな水準に過ぎないだろう。
 
たとえ全面戦争に飛び火する段階まで行くとしても、 北朝鮮指導部の対応はいくらでも変わることができる。
全面戦争が北朝鮮の敗北、権力の喪失と死を意味するのであれば、 その時彼らは方向旋回することもありうる。 イラク戦のように平壌を占領してキム・ジョンイル、キム・ジョンウンを逮捕する前に、戦闘中断を要請してくるかも知れない。
 
換言すれば、北朝鮮の選択肢は軽い挑発から局地的戦闘、全面戦争前段階まで幅広い。
反面、南側の選択肢はきわめて制限されている。 どんな状況下でも、国民の犠牲より高い価値を持つことはできない。 南側最高軍統帥権者がいくら断固たる、または「莫大な報復」を叫んでも、むなしく聞こえる所以である。  
  
●この韓半島対立状況の本質を見抜いた時、私たちにとって最善の選択肢は何か?
軍事的対応は無意味だ。 北朝鮮はキム・ジョンイル一家が被害をこうむらない限り、重大な打撃を受けたと受け止めないから。
 
この状況で最も恐ろしいのは、まさに局地的戦だ。 両側が衝突しても、北は格別負担がなく、南側は失うものがあまりにも大きいからだ。 それだけに北側は、誘惑を感じる可能性の高い選択肢になるのだ。
 
南側の好戦勢力らがよく使う強硬な武力報復が、どれほど無謀な話なのかは、簡単に分かることだ。 南側が何倍、いや何十倍の報復をしても、それは北朝鮮指導部にではなく、住民たちの被害を増やすだけに終わるからだ。
悔しいが、私たちには出せないカードである。

卑屈になれとの話ではない。 現実を直視しろとの話だ。
米国はともすれば武力攻撃もオプションから除外しないと言うが、己の家族の人生が崩壊する危険を目前にして、攻撃を云々する人はいない。 米国がイラク戦を遂行できた最も大きい理由は、貧しくて軍に志願するほかはなかった低所得階層の他に実質被害をこうむる人が殆どなかったためだ。
韓半島での武力衝突は、その影響圏から誰も逃れられない。
 
●武力ではないならば、他の対応手段はないものか?
安保理決議もやるだけやったし、経済制裁も稼動しているのに、さらに残っている対応があるとしたら何だろうか。
 
私たちは今回の事態を通じて、南北関係の方程式を作り直す必要がある。
対北朝鮮支援は、ポジュギ(むやみに与えること)ではない。 だからと言って、単に未来の混乱や統一費用を減らすための投資だけでもない。
それは危険管理、局地戦防止、平和維持費用だ。 経済協力も同じだ。 北朝鮮も失うものが明らかになれば、他の方法を考えるに違いない。
 
ネズミは追い詰められたところで、猫にかみつくしかない。 北朝鮮を崖っぷちに追い立てれば、指導部は打撃を受けない局地的戦闘の誘惑に落ちやすい。 対北朝鮮支援は北朝鮮がそのような誘惑を感じないようにするニンジンであり、テコだ。 北朝鮮が金剛山観光再開に執着していることを見ても分かることだ。
  
それなのに私たちは、米国と共に大部分のニンジンとテコを自ら捨てた。
そして北朝鮮を袋小路に追いやった。 北朝鮮が局地的、単発的攻撃をするのに、特別な口実が必要なのではない。 南北の間に今回のような口実は散在しているのだ。
 
●今回の事態は決して一過性でない。
平時に南側領土に砲射撃をした以上、その標的は、さらに多くの民間人が住む所に移るだろう。
北朝鮮を放置する限り、私たちはいつ飛んでくるか分からない砲弾の被害者になるかもしれない。
全面戦争の可能性が希薄だから、私が被害をこうむらないという安易な考えは捨てなければならない時になった。

これが韓半島を徘徊する妖怪の実体だ。
 


 

'丹波マンガン記念館'再建韓国推進委員会発足-李館長挨拶

2010年11月25日 | NPO三千里鐵道ニュース
写真ー挨拶に立った李ヨンシク館長

'丹波マンガン記念館'再建韓国推進委員会発足 2011年3月再開館目標...1億5千万ウォン募金切実

2010年11月24日(水)チョ・ジョンフン記者whoony@tongilnews.com


24日午前10時ソウル、東崇洞興士団3階講堂で、丹波マンガン記念館再建韓国推進委員会'発足式が開かれた。

韓国推進委員会にはカン・チャンイル民主党議員、ナム・ギョンピル ハンナラ党議員、パク・ソニョン自由先進党議員など政界をはじめキム・ジョンチョル地球村同胞連帯共同代表、キム・チャンゴン東北アジア平和連帯共同代表、パン・ジェチョル興士団理事長、イ・ヨンソン私たちの民族助け合い運動共同代表、イム・ホニョン民族問題研究所所長、チョンスンチョン海外同胞民族文化.教育ネット代表等を中心に161人の各界市民らが推進委員になった。

日本でも去る6月再建推進委員会を発足チョン・ヒスン'エルファ'理事長、ト・サンテ三千里鉄道理事長を含む250人余りの市民らが参加している。


この日発足式に参加したイ・ヨンシク館長は、"丹波マンガン記念館は日本で唯一、朝鮮人強制徴用の歴史を見せる所"としながら"日本には数多くの博物館があるが自分たちの加害歴史を扱う所には絶対支援しない。 建設以後20年間耐えたが続いた赤字で門を閉めなければならなかった"と話した。


韓国推進委員会は発足式宣言文で
"記念館が持つ価値と精神は、在日朝鮮人の歴史を子孫に伝えようとする意志を越えて、歴史の真実を隠そうとする巨大勢力に対する抵抗、これを忘却したがる私たち皆に対する叱責、人間平等と正義に向かった譲歩できない信念の表明"
としながら
"強制徴用という歴史を糾弾するばかりでなく、在日朝鮮人と日本社会、私たちと日本の真の和解のために、日本人が強制徴用という加害の歴史を知らなければならないという素朴で正当な主張をする所"
としながら再建参加の意向を明らかにした。

★今回YBのユンドヒョンが27日に京都でチャルティーコンサートを行い、翌日丹波マンガン記念館を訪問し記者会見を行う予定だ。韓国からもNGO団体が多数来日するそうだ。歴史の当事者とその子孫である在日と日本市民も、共に27日京都に集まろう!namsang

「民主平和福祉フォーラム」創立記念講演ー林東源

2010年11月24日 | 管理人のつぶやき
★23日、北砲撃の前日22日に開催された表題の講演で、林東源先生は今回の事態を予見したように、次のように語った。(前回省略したが、あまりにも意味ありげなので載せる)

講演タイトルー韓半島の平和と統一

…わが民族問題の当事者である南と北が、力を合わせ主導し南北問題を平和的に解決しなければならない。正しい統一哲学と確固とした統一意志をもって、南北関係を発展させなければならない。
…南北経済協力の活性化、経済共同体を形成発展させ、相互依存度を高め民族経済の統一的で均衡的な発展をはからねばならない。
…6.25の悲劇を決して繰り返してはならない。戦争を抑止し平和を守るだけでなく、安保脅威を根本から解体し平和を作らなければならない。

●6.25を繰り返してはならない、この声が砲声を圧倒し天地に轟くことを祈念する。NAMSANG


無題ー…!

2010年11月24日 | 管理人のつぶやき
★全てのマスコミがトップニュースとして伝える北砲撃。…何故こうなってしまったのか? …ことばにならない。
しかし現実は、アメリカの空母ジョージワシントンが日本横須賀から出航、28日から韓米軍事演習を西海海域で行う。ぼくには、ニュースキャスターや評論家の声など殆ど耳に届かない。ただ、胸の締め付けられる思いで、事態の成り行きを注視している。

あるサイトに出会った。何故かぼくの深層を除かれたような気がして、…アップします。

(写真に添えられた言葉)
私たちは分断と共に, 戦争、非武装地帯、挑発、核開発などの言語から緊張と恐怖を感じ生きてきた。 もう、うんざりだ。 いつまで同族の民を対象に、分断の恐怖と緊張を背負い続けるのであろうか?


ノリパンの蔡孝氏一行、佐奈川など訪問記

2010年11月24日 | NPO三千里鐵道ニュース
写真ー都さんの自宅でご馳走を頂く御一行。この写真はノリパンブログにはありません。NAMSANG

以下のアドレスで素晴らしいブログが見れます。

英吾さん、また忘れちゃったー。ワンクリックで開けるようにしたいのだが…。NAMSANG

★英吾さん、有難う。ワンクリックでOK。11月14日まで下がると、重厚なルポをご覧になれます。是非ごらんください。

http://blog.livedoor.jp/noripan/

李在禎先生から招請状届く

2010年11月24日 | NPO三千里鐵道ニュース
写真ー今年4月ソウルのホテルで

現在国民参与党の代表李在禎氏から、都相太理事長に招請状が届いた。統一マジ主催(理事長キムサングン)の「生命平和そして夢」展(進歩的画家4名によるー11月30日~12月6日)への招待だ。自筆によるメッセージもあったが、本人は豚にかかりっきりで時間が取れないそう、どなたか行かれる方いましたら宜しくお伝え下さい。

「民主.平和.福祉フォーラム」発足-全野党元老ら2012年向け決起

2010年11月23日 | 南域内情勢
★昨日の22日、既報! リアルタイムでの発信で纏まっていませんでしたが、今日「民衆の声」に短信で載っていました。今はまだ他の言論では扱っていないようです。namsang


全野党陣営元老らも'2012執権に苦慮'..

「民主.平和.福祉フォーラム」発足

パク・サンヒ記者psh@vop.co.kr

前職国会議員をはじめとする全野党陣営元老で構成された'民主.平和.福祉フォーラム'が22日公式スタートした。

'民主.平和.福祉フォーラム'はこの日午後ソウル プレスセンターで創立大会を開いてイ・ブヨン前開かれたウリ党議長を常任共同代表に、チョン・デチョル、キム・ジョンギル、イ・チャンボク前議員を共同代表に選出した。


この日フォーラム発足式には、ハン・ミョンスク前国務総理、キム・ウォンギ、イム・チェジョン前国会議長、キム・グンテ前開かれたウリ党議長などフォーラム元老代表の他にも、民主党ソン・ハクキュ代表と民主化運動記念事業会ハム・セウン理事長など全野党陣営要人150人余りが参加した。

この日イ・ブヨン常任代表は"利害関係や政派主義に捉われず、…フォーラムを互恵と寛容という時代精神を実現する'公論の場'にしたい"と明らかにした。

発足式に集まった人々はこの日創立宣言文を通じて、イ・ミョンバク政権の対北朝鮮政策、4大河川事業などに憂慮をしながら"嶺湖南も、企業家と労働者も、若者と中壮年も、合理的な保守と元気な進歩も共に会って'人が優遇される平和な国'を作らなければならない"と強調した。

また、彼らは
△参加.連帯を通した民主主義実現
△南北平和共存と互恵繁栄
△対.中小企業共生繁栄
△普遍的福祉政策指向
など8種類政策議題を提示。

尚、この日林東源韓半島平和フォーラム理事長が、「韓半島の平和と統一」のタイトルで の記念講演は行った。

政党関係者からは民主党ソン八ッキュ代表が祝辞を述べた。