正直に言います。
私もこの前の国会議員選挙の結果を見た後でも、
次の大統領は、朴クネでもいいんじゃないか…などという甘い考えを持っていました。
あの地味な服装、庶民的な立ち振る舞い。微笑…。
私も完全に騙されていたのです。
それで最近、その私の頭をガツンと殴る記事に出会いました。
長文ですので、機械翻訳して手を加えた程度ですから、読みにくい点もあろうかと思いますが、ぜひお読みください。
それから、
http://bbs1.agora.media.daum.net/gaia/do/debate/read?bbsId=D115&articleId=1995307
をぜひご覧ください。
写真や新聞などの資料が見られます。
by maneappa
パク・クネ、"チョン・ドゥファン兄さん"...事実はこうだったね!!!
パク・チョンヒとチョン・ドゥファンは大韓民国現代史から抜くことはできない人物です。 パク・チョンヒ独裁時代、チョン・ドゥファンは'パク・チョンヒの養子'という声を聞きます。
彼がパク・チョンヒの維新末期権力を維持する3個の核心勢力中(大統領警護室:チャ・ジチョル、中央情報部:キム・ジェギュ、保安司令部:チョン・ドゥファン)の一つになるまで彼の行跡はひたすらパク・チョンヒに向かった忠誠心で塗り固められた人物であるためです。
チョン・ドゥファンがパク・チョンヒの愛を受けるために努力した最も大きいこと中の一つがまさに5.16クーデター支持デモでした。
'パク・チョンヒの5.16軍事クーデターを生かしたチョン・ドゥファン'
パク・チョンヒの5.16軍事クーデターが起きて二日目、陸軍士官学校生徒がクーデター支持デモを行います。 この支持デモは当時駐韓米8軍司令官だったメグルーダー隊長が不法クーデターを鎮圧するための韓国軍の行動を支持した心を変えた事件でした。 結局、陸軍士官学校生徒らのデモでパク・チョンヒは流血衝突なしで5.16クーデターを成功的に仕上げることができました。
このようにパク・チョンヒに途方もない贈り物を贈った陸軍士官学校生もクーデター支持デモを主導した人物が陸軍士官学校11期先頭走者で大尉であったチョン・ドゥファンだったので、パク・チョンヒにチョン・ドゥファンはかわいらしくならざるをえなかった存在になりました。
パク・チョンヒは以後チョン・ドゥファンを寵愛したし、これに伴い、チョン・ドゥファンは特典司令官をはじめとして大統領府郊外周辺経費(警備)を担当する30団長、大統領府警護室、保安司令官まで上がることができました。
1970年代チョン・ドゥファンの'一心会'が不法軍内私組織で反乱など疑惑で大挙粛清にあう時もチョン・ドゥファンと一心会を助けた人がパク・チョンヒでした。
パク・チョンヒとチョン・ドゥファンは政治的養子の水準を跳び越えて完ぺきな軍事クーデターの師匠と弟子のようにそっくりであった者らです。
'パク・チョンヒとチョン・ドゥファンは軍事クーデターの師匠と弟子'
チョン・ドゥファンが12.12事態を通じて作った国保委(国家保衛非常対策委)はパク・チョンヒの国家再建最高会議をまねたものだし、不正蓄財者拘束は権力型蓄財一掃浄化作業で、いんちき報道機関整備と報道機関統廃合は名称だけ違うだけ同じ政権掌握の方法でした。
軍事クーデターを通じて作った政権を延長するために中央情報部による共和党創党と保安司による民主正義党創党まで見れば、チョン・ドゥファンは徹底して師匠パク・チョンヒの教範のとおり政権を掌握しました。
パク・チョンヒとチョン・ドゥファンのこういう関係でチョン・ドゥファンはパク・チョンヒの最側近であったし、その過程でパク・チョンヒの家族にチョン・ドゥファンは大統領府に出入りした一般的な人とは次元が違いました。
▲ 1989年発表された第5共和国不正検察捜査結果発表要旨出処:東亜日報
'パク・クネに大統領府金庫のお金を与えたチョン・ドゥファン'
第5共和国が終った後第5共和国不正に対する検察の捜査が始まったし、これに伴い、私たちは驚くべき事実を知ることになります。 10.26当時大統領府金庫で発見された現金など9億 6千万ウォン中6億1千万ウォンがチョン・ドゥファンによってパク・クネに渡されたという事実です。
ある人はお父さんがくやしく死んだのでこの程度のお金は用意するべきではないのかとするが、大韓民国が何のアフリカ酋長がたてた部族国家ですか? どうしたら国民が出した税金をチョン・ドゥファンが思いのままに独裁者の娘に与えることができますか?
[政治] -パク・クネの無言遂行と300億遺産
当時パク・クネが受けた6億1千万ウォンを今のお金に換算すれば何と300億ウォンに近いです。 これに加えてチョン・ドゥファンはパク・チョンヒが'プイル奨学会'を強制的に奪い取って作った'5.16奨学会'を'正修奨学会'と変えてパク・クネに譲ります。
[現代史] -正修奨学会を分かればパク・クネが見える。
このように途方もないお金と一生暮らすことができる私有財産をパク・クネにさっさと与えたチョン・ドゥファン、この二人の関係を見せるエピソードがあります。
▲ 1992年東亜日報に掲載された新軍部関連記事とキム・ジョンピル家族写真
'チョン・ドゥファンと兄妹の間であったパク・クネ'
チョン・ドゥファンの新軍部はキム・ジョンピルを不正蓄財疑惑で連行します。 キム・ジョンピルが連行された次の日夫人パク・ヨンオクはパク・クネを訪ねて行ってキム・ジョンピルの救命をお願いします。 理由はパク・クネがチョン・ドゥファンを兄さんと呼ぶほど親しかったといううわさがあったためです。
事は、パク・ヨンオクとパク・クネはそんなに仲が良くない関係でした。 パク・ヨンオクはパク・チョンヒのめいだったが5.16クーデター直後に起きた'4代疑惑'事件以後にもキム・ジョンピルを牽制するための政治的暗闘のためにパク・チョンヒはキム・ジョンピルを外遊するようにしたし、こういう理由でいとこだったパク・ヨンオクとパク・クネの関係も良くなかったのです。
■ 4代疑惑共和党を創党するための資金を用意するために証券波動、ウォーカーヒル、新しい国自動車、パジンコに革命主体勢力がかかわった事件、本来キム・ジョンピルも連行されなければならなかったが、パク・チョンヒのめいであったパク・ヨンオクが洋酒を飲んでパク・チョンヒ大統領を訪ねて行って"叔父さん、私から捉えて閉じ込めて下さい"とあがいてキム・ジョンピルが解放された事件。
顔も見たくなかった間だったが、パク・ヨンオクは当時新軍部の権力者チョン・ドゥファンに救命運動を広げるためにチョン・ドゥファンを'兄さん'と呼んだパク・クネを訪ねて行きました。
'パク・クネ政治的支持勢力の基盤'
ある人々はパク・クネ委員長の政治的力量と性分を強調するけれども実際に彼女の政治的支持基盤勢力がどこから始まったのか分かるならば、簡単にパク・クネという人物では一つで終えることはできないです。
▲ 1976年パク・チョンヒ大統領と共に対韓救国布教団チェ・テミン総裁と会っているパク・クネ
パク・クネの政治的支持勢力の援助は'救国女性奉仕団'です。 70年代末救国奉仕団は会員数字だけ3百万人に肉迫するほど巨大だった全国的な組織でした。 この時、救国奉仕団を導いた人がチェ・テミンとパク・クネでした。 そのような理由で引き続きチェ・テミンとパク・クネ不正疑惑が明るみにでているのです。
この時、救国奉仕団がどれくらいすごかったかというと、キム・ウジュン、テウ会長、イ・ミョンバク現代建設社長など全経連理事大部分が救国奉仕団運営委員であったという点です。 全国的な組織網に全経連理事が運営委員だったらその組織がどれくらい資金と労働者動員で政治的影響力を発揮できたのかは小学生も皆知ることができるでしょう。
このように強大な組織力を新軍部でそのまま置いておくはずがありません。 それで1980年代初め保安司では救国奉仕団を解体してしまいます。
(パク・チョンヒに政敵を除去する方法を習ったチョン・ドゥファンにいくら主君の娘でも自身に威嚇される存在は去勢の対象であったし、このためにパク・クネは第5共和国時期多くの圧迫を受けたという内心を映ったりもしました。 しかしパク・クネは後ほどチョン・ドゥファン勢力を自分の中で抱く広い(?) 寛大な心を施したりもしました。)
▲新しい心奉仕団とパク・チョンヒ、ユク・ヨンス記念事業会会長、1989年槿花奉仕団まで運営したパク・クネ
パク・クネはこういう新軍部の圧力にも1982年'育英財団'理事長に就任して1989年はユク・ヨンス女史を追慕する団体を標ぼうする'槿花奉仕団'を組織します。
槿花奉仕団は会員だけ20万人であり、全国試みはもちろん郡単位まで支部があって、当時年末会員数目標が50万人に肉迫した巨大組織でした。
分かるようにこういう組織力はどんな選挙でも有利な得票を持ってくる力があります。 特に'新しい心奉仕団','槿花奉仕団'と同じ組織は一般庶民層が指導層で活動しません。 ある程度財力がある家庭の夫人が組織の親分役割をするので(に)、保守勢力だと呼ぶことができる階層が政治的影響力を下部組織まで発揮されました。
▲パク・チョンヒ大統領10周期に参加したパク・クネを報道した当時ハンギョレ記事
パク・クネはこういう単純な組織力を整えた奉仕団活動だけでなくパク・チョンヒの名前を掲げて維新勢力らを集めました。 新軍部によってちりぢりに散った'パク・チョンヒ時代'追従者は'パク・チョンヒの赤子'を前に出してパク・クネの下に集まりました。
私たちは選挙の時ごとに保守勢力候補者がパク・クネとともにとった写真を、君も私も掲げた姿を今でも記憶しています。 これだけでなくパク・クネに対する経歴を候補者経歴に入れた新しいヌリ当たり公認申請者らの見せ掛けの形も知っています。
[政治] - 'MB屈辱'と強姦未遂犯も申請する'セヌリ党公認'
単純に公認と選挙に有利なパク・クネ関連を前に出す政治家だけでなくまだ慶南とTK地域はパク・クネに対する支持勢力が途方もなくあります。 これが単純に今のパク・クネに対する支持ではないという点を私たちは悟らなければなりません。
パク・クネの支持勢力はパク・チョンヒの維新体制から作られて今までずっと続いた徹底した維新の残滓であり、高度な政治的遺産であることを私たちは必ず記憶しなければなりません。
パク・クネ セヌリ党非常対策委員長を単純にパク・チョンヒ大統領の娘で、今はセヌリ党の大統領候補と認識している人が多いです。 しかし事実パク・クネ委員長は大韓民国現代史と政治史に抜けられない主要人物中の一つです。 彼女の人生を顧みて正しく知る時歴史が正しく立って、私たちの政治がどのように正しい道に進むことができるのか悟ることになるのです。
2012年大統領選挙でパク・クネがパク・チョンヒの娘という事実だけで彼女を攻撃してはいけないという論理があります。 そうです。 彼女を単純に'独裁者の娘'とだけ見てはいけません。 彼女が持った政治的背景と支持勢力の巨大さを認知しなければなりません。
▲ 4.11総選挙富川(プチョン)セヌリ党遊説場にパク・クネが登場するとすぐに駆せ参じた人波出処:景気(競技)ニュータウンニュース
'独裁者の娘'であったという攻撃は小学生らの戦いで君優秀だったと戦う水準です。 彼女がなぜチョン・ドゥファンから今お金300億ウォンに達する金を受け取り、当代最高の権力者であったキム・ジョンピルの妻までパク・クネを訪ねて行って'兄さん'と呼んだチョン・ドゥファンに救命運動をお願いしたのか記憶しなければなりません。
現代建設社長だったイ・ミョンバクが運営委員であった巨大組織'救国奉仕団'と全国的な組織力を整えた'槿花奉仕団',そして莫大な財産を保有した'育英財団'を率いたパク・クネの実体を分からなければなりません。
パク・クネという人物を分かれば私たちの曲げられた現代史を悟って前に私たちが何を心配して恐れるのか知ることが出来ます。 歴史は単純な過去ではありません。 隠された真実と未来を計ることができる端緒になります。
パク・クネは単純に'独裁者の娘'でなく歴史の変化の時ごとに政治勢力を組織して導いた人物であったし、国民を既望する工作政治を習得した人物です。 全校1等する江南(カンナム)金持ち子供を無条件ののしる単純さから抜け出してどのように試験に徹底して備えて勉強するのか悟らなければなりません。
野党圏が度々まぬけな戦略に出てくれば、2012年大統領選挙も壊れることができます。 どのようにすれば勝つことができるのか相手方の過去と力をいつも勉強しなければならないでしょう。 徹底しなければ当てられることが政界という事実を絶対に忘れてはいけません。
私もこの前の国会議員選挙の結果を見た後でも、
次の大統領は、朴クネでもいいんじゃないか…などという甘い考えを持っていました。
あの地味な服装、庶民的な立ち振る舞い。微笑…。
私も完全に騙されていたのです。
それで最近、その私の頭をガツンと殴る記事に出会いました。
長文ですので、機械翻訳して手を加えた程度ですから、読みにくい点もあろうかと思いますが、ぜひお読みください。
それから、
http://bbs1.agora.media.daum.net/gaia/do/debate/read?bbsId=D115&articleId=1995307
をぜひご覧ください。
写真や新聞などの資料が見られます。
by maneappa
パク・クネ、"チョン・ドゥファン兄さん"...事実はこうだったね!!!
パク・チョンヒとチョン・ドゥファンは大韓民国現代史から抜くことはできない人物です。 パク・チョンヒ独裁時代、チョン・ドゥファンは'パク・チョンヒの養子'という声を聞きます。
彼がパク・チョンヒの維新末期権力を維持する3個の核心勢力中(大統領警護室:チャ・ジチョル、中央情報部:キム・ジェギュ、保安司令部:チョン・ドゥファン)の一つになるまで彼の行跡はひたすらパク・チョンヒに向かった忠誠心で塗り固められた人物であるためです。
チョン・ドゥファンがパク・チョンヒの愛を受けるために努力した最も大きいこと中の一つがまさに5.16クーデター支持デモでした。
'パク・チョンヒの5.16軍事クーデターを生かしたチョン・ドゥファン'
パク・チョンヒの5.16軍事クーデターが起きて二日目、陸軍士官学校生徒がクーデター支持デモを行います。 この支持デモは当時駐韓米8軍司令官だったメグルーダー隊長が不法クーデターを鎮圧するための韓国軍の行動を支持した心を変えた事件でした。 結局、陸軍士官学校生徒らのデモでパク・チョンヒは流血衝突なしで5.16クーデターを成功的に仕上げることができました。
このようにパク・チョンヒに途方もない贈り物を贈った陸軍士官学校生もクーデター支持デモを主導した人物が陸軍士官学校11期先頭走者で大尉であったチョン・ドゥファンだったので、パク・チョンヒにチョン・ドゥファンはかわいらしくならざるをえなかった存在になりました。
パク・チョンヒは以後チョン・ドゥファンを寵愛したし、これに伴い、チョン・ドゥファンは特典司令官をはじめとして大統領府郊外周辺経費(警備)を担当する30団長、大統領府警護室、保安司令官まで上がることができました。
1970年代チョン・ドゥファンの'一心会'が不法軍内私組織で反乱など疑惑で大挙粛清にあう時もチョン・ドゥファンと一心会を助けた人がパク・チョンヒでした。
パク・チョンヒとチョン・ドゥファンは政治的養子の水準を跳び越えて完ぺきな軍事クーデターの師匠と弟子のようにそっくりであった者らです。
'パク・チョンヒとチョン・ドゥファンは軍事クーデターの師匠と弟子'
チョン・ドゥファンが12.12事態を通じて作った国保委(国家保衛非常対策委)はパク・チョンヒの国家再建最高会議をまねたものだし、不正蓄財者拘束は権力型蓄財一掃浄化作業で、いんちき報道機関整備と報道機関統廃合は名称だけ違うだけ同じ政権掌握の方法でした。
軍事クーデターを通じて作った政権を延長するために中央情報部による共和党創党と保安司による民主正義党創党まで見れば、チョン・ドゥファンは徹底して師匠パク・チョンヒの教範のとおり政権を掌握しました。
パク・チョンヒとチョン・ドゥファンのこういう関係でチョン・ドゥファンはパク・チョンヒの最側近であったし、その過程でパク・チョンヒの家族にチョン・ドゥファンは大統領府に出入りした一般的な人とは次元が違いました。
▲ 1989年発表された第5共和国不正検察捜査結果発表要旨出処:東亜日報
'パク・クネに大統領府金庫のお金を与えたチョン・ドゥファン'
第5共和国が終った後第5共和国不正に対する検察の捜査が始まったし、これに伴い、私たちは驚くべき事実を知ることになります。 10.26当時大統領府金庫で発見された現金など9億 6千万ウォン中6億1千万ウォンがチョン・ドゥファンによってパク・クネに渡されたという事実です。
ある人はお父さんがくやしく死んだのでこの程度のお金は用意するべきではないのかとするが、大韓民国が何のアフリカ酋長がたてた部族国家ですか? どうしたら国民が出した税金をチョン・ドゥファンが思いのままに独裁者の娘に与えることができますか?
[政治] -パク・クネの無言遂行と300億遺産
当時パク・クネが受けた6億1千万ウォンを今のお金に換算すれば何と300億ウォンに近いです。 これに加えてチョン・ドゥファンはパク・チョンヒが'プイル奨学会'を強制的に奪い取って作った'5.16奨学会'を'正修奨学会'と変えてパク・クネに譲ります。
[現代史] -正修奨学会を分かればパク・クネが見える。
このように途方もないお金と一生暮らすことができる私有財産をパク・クネにさっさと与えたチョン・ドゥファン、この二人の関係を見せるエピソードがあります。
▲ 1992年東亜日報に掲載された新軍部関連記事とキム・ジョンピル家族写真
'チョン・ドゥファンと兄妹の間であったパク・クネ'
チョン・ドゥファンの新軍部はキム・ジョンピルを不正蓄財疑惑で連行します。 キム・ジョンピルが連行された次の日夫人パク・ヨンオクはパク・クネを訪ねて行ってキム・ジョンピルの救命をお願いします。 理由はパク・クネがチョン・ドゥファンを兄さんと呼ぶほど親しかったといううわさがあったためです。
事は、パク・ヨンオクとパク・クネはそんなに仲が良くない関係でした。 パク・ヨンオクはパク・チョンヒのめいだったが5.16クーデター直後に起きた'4代疑惑'事件以後にもキム・ジョンピルを牽制するための政治的暗闘のためにパク・チョンヒはキム・ジョンピルを外遊するようにしたし、こういう理由でいとこだったパク・ヨンオクとパク・クネの関係も良くなかったのです。
■ 4代疑惑共和党を創党するための資金を用意するために証券波動、ウォーカーヒル、新しい国自動車、パジンコに革命主体勢力がかかわった事件、本来キム・ジョンピルも連行されなければならなかったが、パク・チョンヒのめいであったパク・ヨンオクが洋酒を飲んでパク・チョンヒ大統領を訪ねて行って"叔父さん、私から捉えて閉じ込めて下さい"とあがいてキム・ジョンピルが解放された事件。
顔も見たくなかった間だったが、パク・ヨンオクは当時新軍部の権力者チョン・ドゥファンに救命運動を広げるためにチョン・ドゥファンを'兄さん'と呼んだパク・クネを訪ねて行きました。
'パク・クネ政治的支持勢力の基盤'
ある人々はパク・クネ委員長の政治的力量と性分を強調するけれども実際に彼女の政治的支持基盤勢力がどこから始まったのか分かるならば、簡単にパク・クネという人物では一つで終えることはできないです。
▲ 1976年パク・チョンヒ大統領と共に対韓救国布教団チェ・テミン総裁と会っているパク・クネ
パク・クネの政治的支持勢力の援助は'救国女性奉仕団'です。 70年代末救国奉仕団は会員数字だけ3百万人に肉迫するほど巨大だった全国的な組織でした。 この時、救国奉仕団を導いた人がチェ・テミンとパク・クネでした。 そのような理由で引き続きチェ・テミンとパク・クネ不正疑惑が明るみにでているのです。
この時、救国奉仕団がどれくらいすごかったかというと、キム・ウジュン、テウ会長、イ・ミョンバク現代建設社長など全経連理事大部分が救国奉仕団運営委員であったという点です。 全国的な組織網に全経連理事が運営委員だったらその組織がどれくらい資金と労働者動員で政治的影響力を発揮できたのかは小学生も皆知ることができるでしょう。
このように強大な組織力を新軍部でそのまま置いておくはずがありません。 それで1980年代初め保安司では救国奉仕団を解体してしまいます。
(パク・チョンヒに政敵を除去する方法を習ったチョン・ドゥファンにいくら主君の娘でも自身に威嚇される存在は去勢の対象であったし、このためにパク・クネは第5共和国時期多くの圧迫を受けたという内心を映ったりもしました。 しかしパク・クネは後ほどチョン・ドゥファン勢力を自分の中で抱く広い(?) 寛大な心を施したりもしました。)
▲新しい心奉仕団とパク・チョンヒ、ユク・ヨンス記念事業会会長、1989年槿花奉仕団まで運営したパク・クネ
パク・クネはこういう新軍部の圧力にも1982年'育英財団'理事長に就任して1989年はユク・ヨンス女史を追慕する団体を標ぼうする'槿花奉仕団'を組織します。
槿花奉仕団は会員だけ20万人であり、全国試みはもちろん郡単位まで支部があって、当時年末会員数目標が50万人に肉迫した巨大組織でした。
分かるようにこういう組織力はどんな選挙でも有利な得票を持ってくる力があります。 特に'新しい心奉仕団','槿花奉仕団'と同じ組織は一般庶民層が指導層で活動しません。 ある程度財力がある家庭の夫人が組織の親分役割をするので(に)、保守勢力だと呼ぶことができる階層が政治的影響力を下部組織まで発揮されました。
▲パク・チョンヒ大統領10周期に参加したパク・クネを報道した当時ハンギョレ記事
パク・クネはこういう単純な組織力を整えた奉仕団活動だけでなくパク・チョンヒの名前を掲げて維新勢力らを集めました。 新軍部によってちりぢりに散った'パク・チョンヒ時代'追従者は'パク・チョンヒの赤子'を前に出してパク・クネの下に集まりました。
私たちは選挙の時ごとに保守勢力候補者がパク・クネとともにとった写真を、君も私も掲げた姿を今でも記憶しています。 これだけでなくパク・クネに対する経歴を候補者経歴に入れた新しいヌリ当たり公認申請者らの見せ掛けの形も知っています。
[政治] - 'MB屈辱'と強姦未遂犯も申請する'セヌリ党公認'
単純に公認と選挙に有利なパク・クネ関連を前に出す政治家だけでなくまだ慶南とTK地域はパク・クネに対する支持勢力が途方もなくあります。 これが単純に今のパク・クネに対する支持ではないという点を私たちは悟らなければなりません。
パク・クネの支持勢力はパク・チョンヒの維新体制から作られて今までずっと続いた徹底した維新の残滓であり、高度な政治的遺産であることを私たちは必ず記憶しなければなりません。
パク・クネ セヌリ党非常対策委員長を単純にパク・チョンヒ大統領の娘で、今はセヌリ党の大統領候補と認識している人が多いです。 しかし事実パク・クネ委員長は大韓民国現代史と政治史に抜けられない主要人物中の一つです。 彼女の人生を顧みて正しく知る時歴史が正しく立って、私たちの政治がどのように正しい道に進むことができるのか悟ることになるのです。
2012年大統領選挙でパク・クネがパク・チョンヒの娘という事実だけで彼女を攻撃してはいけないという論理があります。 そうです。 彼女を単純に'独裁者の娘'とだけ見てはいけません。 彼女が持った政治的背景と支持勢力の巨大さを認知しなければなりません。
▲ 4.11総選挙富川(プチョン)セヌリ党遊説場にパク・クネが登場するとすぐに駆せ参じた人波出処:景気(競技)ニュータウンニュース
'独裁者の娘'であったという攻撃は小学生らの戦いで君優秀だったと戦う水準です。 彼女がなぜチョン・ドゥファンから今お金300億ウォンに達する金を受け取り、当代最高の権力者であったキム・ジョンピルの妻までパク・クネを訪ねて行って'兄さん'と呼んだチョン・ドゥファンに救命運動をお願いしたのか記憶しなければなりません。
現代建設社長だったイ・ミョンバクが運営委員であった巨大組織'救国奉仕団'と全国的な組織力を整えた'槿花奉仕団',そして莫大な財産を保有した'育英財団'を率いたパク・クネの実体を分からなければなりません。
パク・クネという人物を分かれば私たちの曲げられた現代史を悟って前に私たちが何を心配して恐れるのか知ることが出来ます。 歴史は単純な過去ではありません。 隠された真実と未来を計ることができる端緒になります。
パク・クネは単純に'独裁者の娘'でなく歴史の変化の時ごとに政治勢力を組織して導いた人物であったし、国民を既望する工作政治を習得した人物です。 全校1等する江南(カンナム)金持ち子供を無条件ののしる単純さから抜け出してどのように試験に徹底して備えて勉強するのか悟らなければなりません。
野党圏が度々まぬけな戦略に出てくれば、2012年大統領選挙も壊れることができます。 どのようにすれば勝つことができるのか相手方の過去と力をいつも勉強しなければならないでしょう。 徹底しなければ当てられることが政界という事実を絶対に忘れてはいけません。