NPO法人 三千里鐵道 

NPO法人 三千里鐵道のブログです。記事下のコメントをクリックしていただくとコメント記入欄が出ます。

ノムヒョン 対 李明博

2009年05月30日 | 南域内情勢
ある論説委員の論文、いやに納得できる内容です。ご吟味下さい。


ノ・ムヒョン  対  李明博


炎の政治家’ ノ・ムヒョン前大統領が、今日我々のそばを永久に去った. 63年栄辱の生を燃やし灰になって故郷ボンハに帰った. 彼の最後の生涯 1年余を圧迫し続けた李明博大統領との葛藤と軋轢からも脱することができた。‘ノ・ムヒョン-李明博対決’が幕を閉じたのだ.

二人は思想と哲学が全然ちがうが、成長背景や性格は非常に似ている. 二人とも貧しい家で生まれて、立身出世をした. 一人は弁護士で, また一人は企業家として成功した. 二人は困難をくぐって頂上に上がった人らしく、自分が正しいと一応判断すれば退かない性格も似ていた. そのため ‘ノミョンバク’という新造語が生じたりした.

似ている性格同士の二人は、相性があわなかった. 李大統領は 2007年 12月28日、大統領当選人として、ノ・ムヒョン当時大統領を初めて会った席で “後任が前任者を礼遇し、仕える伝統を作る”と約束した. しかしその後の展開は正反対だった. 李大統領はノ前大統領が行った政策の大部分を左派と規定し ‘ノ・ムヒョン潰し’にオールインした. 南北和解は圧迫し, 総合不動山税新設は廃止, 記者室閉鎖は復活…. 去年キャンドルデモ以後、国家記録物流出事件をきっかけに、とうとう二人の間の感情対立が水面に浮び上がった. 李大統領の圧迫に頭に来たノ前大統領が公開書簡を通じて “‘前職大統領を冷遇する’と言った李明博大統領を誤解、それも大きく誤解したようだ”と背信感を吐露したのだ.

以後李大統領のノ前大統領に対する圧迫は、軍事作戦のように一瀉千里に進行された. 側近, 家族, ついには彼の首にまで刃が突きつけられた. 検察と国税庁など権力機関に保守言論まで加勢した全方位的攻勢だった. 結局彼は崖っぷちに立たされたし、落ちること以外に他の道がなかった.

このように この勝負は簡単に終末を迎えた。 多くの人々はこれを李明博政府による ‘政治的他殺’と言った. ある人は旧朝鮮時代の血なまぐさい政的除去方式である士禍に当て付けた.
李大統領はノ前大統領が自ら命を絶った去る 23日, 青瓦台参謀たちに “ノ前大統領を礼遇し、失礼のないよう丁寧に”と指示した. 当選人時代の約束を履行することができなかった反省と同時に、相手に対する勝者の最後の礼の表示と受け入れたい.

一人は逝き、 一人は残った. しかしふたつの対決が完全に終わったわけではない. 対決の構図が ‘死亡者’と ‘生者’に変わっただけだ. その上に李大統領は、武装解除された前職大統領ではなく, 国民的追慕熱気の中で復活した ‘ノ・ムヒョン精神’と言う強敵と相対峙しなければならない. ノ・ムヒョン精神とは、地域主義打破, 権威主義清算, 南北和解, 社会的弱者及び少数者保護, 検察改革などで要約される.

死亡者との対決では権力機関も言論も動員することができない. ひたすら ‘精神対精神’で争わなければならない. 観戦者たちは生きている者より死亡者の肩を持つ可能性が大きい. 李大統領にとっては、非常に不利な喧嘩だ. ここで負けないための二つの選択がある. 一つはノ・ムヒョン精神を受け入れること。 もう一つはノ・ムヒョン精神を圧倒する ‘李明博精神’を出すことだ.
これ以外に、もうどうにもならないのだ。






黄色の海

2009年05月30日 | 南北鐵道関連消息
航空写真。ワールドカップ応援でそこにいたこともあった。
この黄色の迫力は何だろう。アップされる参加者は若者とアジュモニが多かったが、全世界の同胞、そして支持者、国内でポンハに注がれる民心をどうするつもりなのだろう。

永訣式、一瞬の出来事

2009年05月30日 | 南域内情勢
(献花直前に見せた表情、見てて瞬間ぞーっとした)

遺族の献花、その後李大統領夫妻が立った。
すると前列のどこかで大きな声、KBSでは一瞬たじろぐ大統領夫妻の顔が…。
後で分かったこと。(インターネット、日本のテレビでは放映)
ある民主党議員が
「謝罪しろ」とわめき、SPに会場から引きずられる議員に向け「そのまま言わせろ」「殺○〇」などと会場から野次が飛んだ。

終了後、ムンジェイン、ハンミョンスクが大統領に謝罪していた。

路祭司会・金チェドンー私たちの胸の中に碑石を立てます

2009年05月30日 | 南域内情勢
ご免なさい。訳したものがクリック一発で消えてしまいました。(疲労と挫折感)
あらましだけ添えます。
永訣式終了後、ソウル支庁前広場に、その周辺に50万の弔問の群衆が…。その司会をコメディアン・チェドンが大役をこなしたのだ。上から渡された原稿を見ず、自分の言葉で進行、その感動を記したカキコが下の文。
超売れっ子のチェドンもKBS入社時は収入ゼロの日々…。ユンドヒョンが内緒で給料だと偽って数年振り込んでいた。今回チョップルでKBSラブレターから外された彼を、チェドンは今度は自分が助ける番だと最近彼をバラエティーに連れ出している。(でもドヒョン、バラエティーはいまいち)
この路祭ではヤンヒウンに続きユンドヒョンバンドも出演。
実況中継、インターネットなど昨日はぼくも韓国に行っていました。中でも、詩人の朗読には胸を打たれた。言葉の力を実感した次第。
そして映像の迫力。うちの家内は韓国の歴史上最大の動員ではなかったかと…。
ソウルを埋め尽くした黄色の海を、その底辺を流れる民の意志を為政者はどう見たのでしょう。
補足ー永訣式の祭壇、終了直後に警察によって一瞬にして解体された。ソウル支庁前、夜までともっていた蝋燭も強制退去。今日予定していた集会、シャットアウト!



노무현 전 대통령을 보내는 시청 앞 노제를 다녀왔습니다.

눈물 속에서 그를 보내는 많은 사람들 속에 제 마음에 가장 남는 이는 방송인 김제동씨입니다.
방송인 김제동씨는 시청 앞 노제 직전 추모공연의 사회를 맡았습니다. 그는 주최쪽에서 준 방송원고를 받고도 “도저히 이 원고대로는 못하겠습니다. 그냥 제 가슴에서 느끼는 대로, 여러분들과 함께 하겠습니다”라고 말을 시작했다. 그는 모두의 머리를 절로 숙여지게 하는 말들을 이어냈습니다.
지금 마감이 너무도 급한 시간이지만, 김제동씨의 글을 고이고이 남겨야 겠다는 생각에 글을 씁니다.

(노무현 전 대통령을 추모하는 노란풍선의 물결을 보며) 이 땅에 언어가 생기고, 이 땅에 말이 생기고, 이 땅에 글이 생긴 이후, 그 어떤 글과 말로도 표현할 수 없는 숭고한 아름다운 순간을 저는, 저희들은 지금 보고 있습니다.
그 분의 마음, 뜻 그리고 열정이 단지 그 분만의 것이 아니었음을 여러분들이 직접 보여주기 바랍니다. 사회자로서 그립고 사랑한다는 말 이외의 단어를 사전에서 찾지 못하는 것이 죄송합니다.
(가수 양희은씨의 ‘상록수’가 끝난 뒤) 누구도 돌보지 않아도 이 땅에 상록수는 자라납니다. 먼훗날 우리의 자손들이 ‘그 분은 왜 돌아가셨냐’고 물으면, 우리 가슴에 아직 상록수로 살아 있다고 답합시다.
(YB의 ‘너를 보내고’가 끝난 뒤) 이제 저희들은 먼산 언저리마다 그 분을 놓아드렸습니다. 흐린 날로, 맑은 날도, 비오는 날도, 눈오는 날도 그 분이 계시는 곳을 향해 창문조차 닫지 못하는 시간이 계속될 것 같습니다. 다만, 저는 그 시간이 짧지 않기를 기원합니다. 오래 계속되기를 바랍니다.
역사의 문턱을 넘고자 했던 그 분의 마음, 그 마음이 우리들 속에서 지켜지기를 바랍니다.
김제동씨는 가수 안치환씨와 민중노래패 ‘우리나라’의 마지막 공연을 앞두고 노무현 대통령의 유서에 대해 이렇게 답했습니다.
“너무 많은 사람들에게 신세를 졌다고 하셨습니다. 저희들이 당신에게 진 신세가 너무도 큽니다. 나로 말미암아 여러 사람이 받은 고통이 너무 크다고 하셨습니다. 저희가 그 분에게 받은 사랑이 너무나 큽니다. 앞으로 받을 고통도 헤아릴 수가 없다고 하셨습니다. 저희가 그 분으로 인해 받은 행복을 헤아릴 수가 없습니다. 여생도 남에게 짐이 될 일밖에 없다고 하셨습니다. 그 짐 우리가 오늘부터 나눠지겠다고 다짐합니다. 너무 슬퍼하지 마라고 하셨습니다. 죄송하지만 오늘은 저희가 슬퍼해야겠습니다. 그래서 우리 가슴 속, 심장 속에 한조각 퍼즐처럼 영원히 간직하겠습니다. 미안해 하지 마라고 하셨습니다. 저희들이야 말로 지켜드리지 못해 죄송합니다. 누구도 원망하지 마라고 하셨습니다. 운명이라고 하셨습니다. 운명이라고 생각하지 않겠습니다. 님의 뜻을 저희들이 운명처럼 받아들고 가겠습니다. 화장해라고 하셨습니다. 님을 뜨거운 불구덩이에서 태우는 것이 아니라, 저희들의 마음 속의 뜨거운 열정으로 우리 가슴 속의 열정으로 남기겠습니다. 그리고 집 가까운 곳에 아주 작은 비석 하나만 남기라고 하셨습니다. 저희들 가슴 속에도 조그만 비석 하나씩 세우겠습니다.”






追悼詩-初めも終わりも馬鹿、その馬鹿と愛した

2009年05月30日 | 南域内情勢


追悼の時

初めも終わりも馬鹿,  その馬鹿と愛した


                朴ノヘ

今日は両手で顔を覆い泣きます
寄る辺もなしに、眺める所もなく
悲しみで張り裂ける胸を抱き泣きます

あなたは初めから馬鹿でした
落ちて落ちてまた落ちながらも
正直で熱心な働く人が幸せになれると
うずくまる子供達の胸に星を植えてくれた人

あなたは大統領の時も馬鹿でした
蔑視され攻撃され、またされても
大韓民国は国民が大統領だと
君臨した権力をもとの居場所に返した人

あなたは最後も馬鹿でした
百倍千倍も罪深い者たちはあざ笑っているのに
「多くの人々に迷惑をかけたと, 私を捨ててくれと言って,
潔く身を投げてしまった馬鹿な人

あ, あなたの身には鋭い銃剣がめりこんでいた
奴らの刃が数えきれないほど切り刻んでいた
どれほど一人でその痛みに耐えたのだろう
どれほど孤独で大変であったろうか
標的になり
庶民を胸に抱き守ろうとおして標的になり
血を流し、倒れ、よろけながらも叫んだ愛

今誰が防壁の後で笑っているのか
恐ろしい正義と良心と進歩を
二度、三度殺すことに成功したと
今誰が笑い、驚き、震えているのか

今誰が泣き崩れているのか
“あなたがどれほど私たちのために熱心に生きたのか”
“あなたが守ろうとした私たちは、あなたを守ることができなかったのに”
今誰が、悲しみと怒りを一つにしているのか

馬鹿ノ・ムヒョン!
あなたは私たちの馬鹿たちの ‘偉大な馬鹿’でした
命を捧げて恥辱を乗り越え、輝かした馬鹿でした

みんな暮らすのが大変で忙しいと
自分一人振り返ることができずに、妥協しながら暮すのに
みんな社会に対しては正論を言いながらも
いざ自分の恥ずかしは忘れているのに

人が守らなければならない最後の尊厳を
命さえあの高い所で投げて散った人よ
あなたがふと笑顔で振り向き
なつかしいその音声で
これから私によって得た傷を癒し
誰も人前で恥じず、堂堂と言おうと


‘人の暮らせる世の中’の夢に向けて
お互いに手を取り合って、お互いに寄り添い
絶望を乗り越え、また立ち上がろうと

我々馬鹿たちの ‘偉大な馬鹿’が
悲しみに打ちひしがれた胸と胸に
血の染まった種一粒づつ落しました

ついに私たちは‘馬鹿’と一つになりまし
深い悲しみと怒りの中から
私たちは ‘馬鹿’と愛をしたのです
詩人





ノムヒョン追悼ー5

2009年05月30日 | NPO三千里鐵道ニュース

死をもって示したあなたの志を決して忘れません

           具 末謨(東京)

民族と国家のために一身を捧げたノムヒョン前大統領のご逝去は、歴史に多くの教訓を残し、永遠に記憶されるでしょう。
自分自身よりも他人への思いやり、優しさを持ち、素朴であたたかい愛、そして統一の夢に向かって実践された実像が、私の眼に焼き付いて離れません。
あなたが死をもって国民に示された(残された)「志」(生き様)を、私たちは決して忘れません。






ノムヒョン追悼ー4

2009年05月29日 | NPO三千里鐵道ニュース


あなたが歴史に刻んだ道は消えません
 
          三千里鐡道とともに 磯貝治良(作家)

     
あなたが若者たちの熱烈な支持を得て大統領に当選した日のシーンが鮮明に甦ります。朝鮮半島の明日をになう若者たちの支持は、清新な政治家であるあなたにまことにふさわしいものでした。
 さらに、あなたが大統領在任中に成し遂げた、和解と協力そして統一へのプロセスは、見事の一言に尽きます。あなたは私たちの胸に痛切の思いを残して逝きましたが、あなたが歴史に刻んだ道は消えません。必ずや、多くの人びとによって踏み固められ、目的の地に至るでしょう。
 真実の歴史を知り、創る人々はあなたの名を永遠に心に刻むでしょう。真実の暦史を知る人間のなかには日本人もいることを知ってください。歴史認識と日韓関係をめぐって、あなたが日本政府と国民に下した指弾と要求は、正しかったのです。
 あなたの人柄と業績を思うとき、民衆葬こそふさわしいものでした。でも、最後のお別れの言葉は、日本人としてなすべきことをするまで、保留させてください。

            

            





追悼ーノムヒョン前大統領、今日の葬儀スケジュール

2009年05月29日 | 南域内情勢

今日国民葬最後の日、午前5時、ご遺体はポンハを出発、景福宮で永訣式、午後1時、開放される市庁前広場で路葬(市民葬)、そして火葬後ポンハヘ…。その一部始終をハンギョレのインターネットテレビが中継する。


画像は、今日のハンギョレ新聞に掲載される追悼広告

下の文

あなたが再び生まれ
パボ大統領になり再度大統領になれば
私も再び生まれその国の
幸せな国民となります





ノムヒョン追悼ー3

2009年05月28日 | NPO三千里鐵道ニュース
 

            ノ サ モ

                都 相太
                 愛知県ー三千里鉄道・理事長

2002年12月19日、偶然に訪れた若者数人と、開放速報にくぎづけになっていた。たしか午後9時過ぎ、あなたの得票数が相手側をうわまわった。

私たちは、ここ日本の地で静かな感動を味わい、国家・権力が、より軽やかになっていくことを実感し、幾多の命のひきかえに勝ち取った民主主義の果実を味わった。

5年間続いた金大中政権を引き継いで、南北の交流の活発化と朝鮮半島の平和の維持について、なんの疑いを抱かずに過ごすことができた。

同族が再び戦いあう、ばかげたことを遠くに遠くに押しやった。

いま、あなたはいない。

そのわけを、あれやこれやと自問する日々。

悲しみの葬列は果てしなく続いている。

今になり、ノサモのサモ(思慕)の響きが、あなたより5歳年上の私の胸を打つ。

現実を、とくと見ろ、とあなたは叫んでいるようだ。

野良着と麦藁帽が、ことのほか似合うあなたであった。

戦争のにおいが近づいている。

その警告であったのだと、私は納得している。

 



             
                  

悲しみと怒り  盧大統領演説

2009年05月27日 | 南域内情勢
??? ???- ??? ??? ??





悲しみと怒り  盧大統領演説

人間の世界は、不正がはびこっている。
それが人間世界だと、私だって知っている。
アダムとイブが神様の言いつけを守らなかったその時から、人間は過ちを犯すものとなってしまったのだから。

人間社会の不正のために、抑圧を受けているもの、差別を受けているものがいかに多いことだろうか。
その日食べるものもなく飢えているもの、貧しいが故にさげすまれているものがいかに多いことだろうか。

政治というものはなぜあるのだろうか。
政治をしようと志すものに一番大切なものはなんだろうか。

それは、この人間社会の不正に対する、悲しみと怒りをともにすることではないだろうか。

政治は、抑圧されているもの、差別を受けているもの、飢えているもの、さげすまれているもののためにこそあらねばならないのではないのか。

そのような人間社会を、少しでも良い世界にしたいと思うものでなければ政治の世界に足を踏み入れてはならない。