NPO法人 三千里鐵道 

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歴史教育を掌握した勢力が未来を支配する

2015年09月24日 | 三千里コラム

歴史歪曲発言の教授を糾弾する学生たち(9.22,高麗大学)



9月19日、参議院本会議で安全保障関連法が成立した。国会周辺では連日、数万人規模の抗議集会が続いていた。多数の国民が反対する中での強行採決は、日本の国会がもはや民意を反映していないことを如実に示している。

悪法の成立を阻止はできなかったが、各地で多くの市民が見せた抵抗の姿勢は、日本の民主主義が蘇る契機になるかもしれないとの希望をもたらした。特に、たくさんの若者と女性(母親)たちが参加したことに、韓国でのローソク集会に共通する熱気とひたむきさを感じた。

抗議集会に参加した人たちが等しく強調していたことは、安保関連法の成立により「日本が戦争に巻き込まれる」という不安だった。憲法9条はすでに形骸化して久しい。「いつ戦地に行くことを強制され、戦死するかもしれない」との不安は、これから更に現実味を帯びていくだろう。

だが、こうした未来への不安が抵抗の主な動機であるならば、運動は一過性のものに終わるかもしれない。自衛隊が集団的自衛権を行使してアメリカ主導の戦争に加担する事態が、すぐ目前に迫っているわけではないからだ。「危惧する程ではなかった」との安堵が、いつの間にか拡がるかもしれない。

日ごろから日本国民、特に自民党支持の保守層には、歴史的な視点とアジア的な視野が希薄だと感じてきた。彼らの語る“二度とあのような戦争をしてはならない”という戦後の誓いは、一体どの「戦争」を指しているのだろうか。圧倒的多数の国民にとって、それは4年足らずの「アジア太平洋戦争」であろう。連日の空爆で家が焼かれ家族が死んでいった戦争、敗けた戦争、被害者としての戦争に対する「痛切な反省」なのだ。

その反面、他国を侵略し植民地獲得に狂奔した戦争、アジア民衆におびただしい苦痛と犠牲をもたらした加害者としての戦争には、日本社会は呆れるほど寛大である。日露戦争を“植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけた”と美化してやまない『安倍談話』は、その典型と言えよう。

“日米同盟の強化が日本に平和と安定をもたらす”いう首相の弁は、虚偽を超えた欺瞞であろう。アジア的な視野は皆無であり、唯唯、アメリカ政府の意向だけを最優先する視野狭窄でしかないからだ。日本市民に訴えたい。安保関連法の成立が何を意味するのか、歴史的な視点とアジア的な視野で捉えることを。そして、アジア民衆との連帯を通じて、今後も粘り強い平和運動を続けることを。

さて、タイトルの「教育を掌握した勢力が未来を支配する」は、筆者が常々、日韓両国の現状を見守りながら痛感するところだ。ここでいう「教育」の核心は、歴史教育である。日本の歴史教科書から、「日本軍慰安婦制度」に関する記述を探すのは困難になった。しかし歴史教科書の内容が後退しているのは、決して日本だけではない。朴槿恵政権のもとで、韓国の歴史教育は今、大きな試練を迎えている。

“70年も経過した過去の問題が、今日の東アジア関係に障害物となってはいけない。現在を生き未来を生きるべきなのに、過ぎ去った出来事が絶えず私たちの前途を遮っている”。

誤解しないでほしい。これは安倍首相や日本政府官僚の発言ではない。韓国高麗大学のチョン・アンギ教授が、講義の中で語った言葉なのだ。彼は9月15日、東アジア経済史の授業で次のように語っている。

“日本帝国主義の統治期、私たちはみんな親日派だった。『親日人名辞典』には、韓国の高位層がたくさん告発されている。だが2400名もの人物を否定して、わが国の近現代史を説明できるだろうか。...日本軍の「慰安婦」たちも決して奴隷ではなかった。嫌なら廃業して、故郷に帰ることもできたのだから...。”

高麗大学の総学生会は9月22日、学内の民主広場で記者会見を開いた。チョン教授の妄言を糾弾し、大学当局に当人の即時解任を要求する内容だった。声明文の一部を引用する。

“民族の歴史とともに歩んできた高麗大学の講義室で、このような発言が堂々と行われたとは信じられないし、信じたくもない。...われわれの前途を遮るのは、70年前の過去ではない。その過去すらきちんと向きあおうとしない、チョン教授のような人たちなのだ。”

大学の掲示版には今、学生たちが作成した“チョン教授よ、恥を知れ!”、“慰安婦の被害女性たちと独立運動家の子孫たちに謝罪せよ!”という大字報が貼られている。

参考までに、サンフランシスコ市議会で9月22日(現地時間)、ある決議案が満場一致で採択されている。「日本軍慰安婦」の碑設立を、市当局に促す決議案だ。この件に関しては8月末、同市と姉妹関係にある大阪市の橋本徹市長が、“戦場における女性の性被害に関し、日本軍慰安婦問題だけを指摘するのは好ましくない”との反対意見を提出していた。市議会は橋本市長の意見を公式の参考資料として討議し、当日の採決に至ったという。


李明博・朴槿恵と保守政権が続くなか、韓国の歴史教育では「ニューライト」と呼ばれる極右・保守勢力の台頭が目立っている。チョン教授の発言も、親日派を擁護する朴槿恵政権の歴史教育政策に後押しされたものだ。

9月22日に教育部が公表した「2015年度改正教育課程」最終案では、中学の歴史教育過程に二点の深刻な変更が加えられている。まず「現代世界の展開」という単元で、1930年代以降の抗日独立運動に関する記述が、大幅に縮小されている。

もう一点は、南北分断の現状下で、北に関する記述を意図的に削除していることだ。『2009年度教育課程』では、「北韓社会の変化と実状を理解する」と明示されていたのだが、その部分が抹消されている。“親日派擁護と北朝鮮排除”はニューライトの一貫したスローガンであり、朴槿恵大統領の信条でもある。

韓国の歴史教育を、現政権に掌握させてはなるまい。未来を彼れが支配することなど、断固としてあってはならないからだ。(JHK)

康宗憲・三千里鐵道顧問の再審無罪

2015年09月10日 | NPO三千里鐵道ニュース

再審で無罪が確定した康宗憲氏(2015.8.13,韓国大法院)



日本の各紙でも報道されましたが、「三千里鐵道」顧問の康宗憲氏が韓国の大法院(最高裁)で、再審裁判の無罪確定判決を勝ちとりました。本人の同意により、氏が「在日韓国良心囚同友会」の会報に寄稿した文章(一部加筆あり)を掲載します(三千里鐵道事務局)。


再審の無罪が確定して思うこと


2015年8月13日午前10時20分、韓国大法院(最高裁)第二部における宣告をもって、私の再審裁判はすべて終わりました。判決は呆気ないものでした。担当大法官(判事)が事件番号と被告(私)の姓名を確認し、一言、「検事の上告を棄却する」...。それだけです。1分もかかりませんでした。

 でも、私にはその一言だけで充分でした。この一言を聞くために、2年7ヶ月も待ったのですから。在日韓国人“スパイ”事件の再審上告審で、これまでの最長記録は1年8ヶ月でした。何の取り柄もない人間ですが、自慢にならない記録更新をしたことになります。

 なぜ、こんなに判決を引き延ばしたのか、私にはわかりません。死刑確定囚としては、初めての上告審だったからかもしれません。その間に主任判事が3人も交代しましたが、13人の大法官の中でも特に保守傾向の強い判事ばかりでした。また、現政権下で反動的な差し戻し判決が続いていることもあってか、前日に会ったシム・ジェファン弁護士は「最悪の事態も覚悟して下さい」と、いつもの深刻な表情で私の緊張を目一杯に高めてくれました。

 しかし、私は無罪(検察の上告棄却)を予測していました。高裁判決を覆すだけの新たな証拠も提出されていないし、紆余曲折はあっても、韓国民主化の成果である「過去事件の真相究明」という歩みを、決して後退させる事はできないと確信しているからです。大法院の判決文を読んで、その思いはさらに強まりました。判決文の一部を引用します。

 「原審(ソウル高裁)はキム・ヒョンジャンの法廷証言を、信憑性のある状態でなされたものと見なすことができないので証拠能力を認定しないと判断した。他の証拠も、捜査権限のない陸軍保安司令部捜査官により、長期間の不法拘禁と拷問、暴行、脅迫などで取得したものであるか、あるいは、その影響による心理的圧迫感や精神的強圧状態が持続された検察の取り調べや第一審法廷で取得したものであるから、その証拠能力がないか、有罪と認めるだけの証明力を認定できないと判断した。
 原審のこうした判断は正当であり、検察が上告理由で主張するような論理と経験の法則に関する違反は見られず、自由心証主義の範囲を逸脱したり、伝聞証言の証拠能力に関する法理を誤解したと見なすだけの違法も存在しない。
 よって、本件に関与した大法官の一致した意見で、検察の上告を棄却する」。 

 ソウル高裁の裁判は、1年近くに及ぶ困難な法廷闘争でした。私を何としてでも“入北して朝鮮労働党の工作員になった者”に仕立てようとした極右勢力と検察が、獄中で隣室にいた国内政治犯に“証言”までさせたからです。彼は法廷での証言後に訪日し、東京・名古屋・大阪の民団本部で“従北分子、康宗憲の正体を暴く”といった趣旨の時局講演を行いました。『民団新聞』や『統一日報』が、一斉に私を誹謗中傷するキャンペーンを展開したのは言うまでもありません。

 状況は困難を極め、連中のあまりの執拗さに挫けそうにもなりましたが、皆様のご支援を受け何とか克服することができました。そして、保守と革新がしのぎをけずる韓国社会の現状で、私に無罪を宣告したソウル高裁の判決文こそ、司法部の良心を示す証だと思います。今回、大法院もその判断を受け入れるしかなかったのです。

 先日、『朝日新聞』のファン・チョル論説委員から「8月30日に国会議事堂を囲んだ若者たちの姿を、どう評価するのか」と取材されました。彼らの行動はまさに、40年前の私たちの姿です。ファン論説委員は私の言葉を次のようにコラムで表現しました。今の私の心境が、よく反映されていると思うのでこれを結びにします。

「努力しても、今は成果が出ないかもしれない。でも歎く必要はない。訴えは蓄積され、きっと実を結ぶ。わたしの無罪も、人々が世代を継いで積み重ねた民主化の結晶だったのではないでしょうか。」(9月7日付『朝日新聞』名古屋版夕刊)。

抗日戦争勝利70周年記念式典と安倍談話

2015年09月04日 | 三千里コラム

安部談話を糾弾する集会(8.15、駐韓日本大使館前)


9月3日、中国では「抗日戦争勝利70周年記念式典」が開催された。ロシアのプーチン大統領や韓国の朴槿恵大統領ら、30カ国の首脳級を含む49カ国の政府代表団が出席している。安倍晋三首相や欧米主要国の首脳は参加しなかった。8月14日に公表された敗戦70年の「安倍談話」で、首相はかつての侵略戦争に対する反省と謝罪、今後の東アジア平和確立への強い意志を表明した。日本政府の反省と謝罪を具体化させるには、首相が「抗日戦争勝利70周年記念式典」に参席すべきであっただろう。だが、実際には米政府の意向を汲んで中国の式典には参加を拒否した。

70年前の9月2日、東京湾の戦艦ミズーリ号上で日本の降伏文書調印式が行われた。日本では天皇の玉音放送があった8月15日を「終戦記念日」とするが、連合国と国際社会では、9月2日が「対日戦争の戦勝記念日」に当たる。日本はポツダム宣言を受諾し無条件降伏に同意した。その結果、6年後のサンフランシスコ講和条約締結に至るまで、連合国(主に米国)の占領下に置かれることになる。

9月2日、「安倍談話」を再読してみた。読み直しても、真意がよく伝わらない空虚な一文だ。歴史教科書に載せるには不正確な内容であり、国語教科書に掲載するには文章が乱雑で、日本語としても稚拙極まりない。朝鮮民族の一員としては、あまりの慇懃無礼な表現に不快感だけが募る。何よりも、日露戦争を「植民地支配のもとにあった、多くのアジアやアフリカの人々を勇気づけました」と美化している点は黙過できない。日露戦争こそ、大日本帝国による朝鮮植民地化の最終作業だったからだ。

「安倍談話」には一応、侵略・植民地支配・計り知れない苦痛と損害、といったキーワードが登場し、歴代内閣の立場を継承するとしている。しかし、戦争犯罪の記述において、主語(行為主体としての日本軍、日本政府)を明示せずに一般化していることから、責任を巧妙に回避する手法を用いている。だからアジア民衆だけでなく、真の平和と和解を求める日本市民の心にも響かないのだろう。

「安倍談話」に対し、アメリカの平和運動家であるK. J.Noh氏が批判のコメントを投稿している。8月19日付『ラプログレシブ(laprogressive)』に掲載された「The Art of the Non-Apology by Shinzo Abe:How To Express Remorse Without Apologizing」を要訳して紹介する。(JHK)


「安倍晋三による非謝罪の技術-謝罪なき反省の表現方法」

ー古くて陳腐な冗談だが、吟味してみたい逸話を紹介する。

あるアメリカ人がオペラを習いにイタリアに行った。熱心に努力したうえに周囲の助けもあり、そして途方もない幸運まで重なってかの有名な「ラスカルラ・オペラハウス」で公演することになった。アリア一曲を歌ったところ、万雷の拍手とともにアンコールを叫ぶ声が鳴り響いた。調子に乗った彼は、渾身の力でもう一曲を歌った。すると、再び盛んな拍手とともにアンコールの要望だ。また歌った。今回もアンコール、その次もアンコール。9回目のアンコール曲を歌った後、完全に疲れ切った彼は混乱と興奮の表情で、聴衆を前に次のように話した。

“あまりにも光栄です。でも、私がこれ以上歌えるのか分かりません。私がどれだけ歌えばいいのでしょうか?”
一人の聴衆が厳しく答えた。“きちんと歌えるまでだ!”

この話はあたかも、安倍首相の“謝罪ならぬ謝罪”のジレンマを象徴するかのようだ。安倍は日本が第2次世界大戦に至るまでの期間、そして第2次世界大戦期間に犯した蛮行に対して何度も“謝罪”した。彼は色々な機会に、色々な方法で、様々な聴衆を相手に深い遺憾を表明してきた。しかし、どんな謝罪も批判者を満足させることができなかった。

彼の最近の声明、第2次世界大戦敗戦70周年をむかえて発表した謝罪声明は、かなり以前から国際社会の注目をあびてきたし、政権をあげて精密に検討された。しかし、お決まりの言葉と儀礼的な謝罪でぎっしり埋まった彼の声明は、歴史修正主義、欺瞞、不正、そして相変らずの軍事主義など日本の実際の行動に照らしてみた時、内外の期待には遥かに届かないものだった。

韓国と中国、そしてその他アジア諸国はアンコールを望んでいる。安倍がきちんと謝る時まで...。なぜだろうか。謝罪というのは非常に簡単なことだ。子供たちでも、どのように謝罪すべきなのかを知っている。謝罪には最低限、次の要素が含まれねばならないからだ。

1.認定:どんなことが起き、その影響がどうだったのか、明白な認定が必要。何を謝罪すべきなのか、明示しなければならない。
2.責任:自身が犯した行動、これに伴う被害に対する責任を負わねばならない。
3.遺憾:改心と懺悔の意を表わさねばならない。
4.賠償:被害に対する賠償と補償をしなければならない。
5.再発防止:同じ行動を犯さないという約束をすべき。
6.批准:河野談話をはじめ、日本のすべての謝罪は日本政府の公式立場と認められていない。真の公式謝罪になるには、国会または内閣の批准を経なければならない。

特に日本に関しては、最後の批准要素が重要だ。
安倍の今回の謝罪は、ほとんど全ての面で上の基準を満たしていない。一つ一つ調べればこの点が明確になるだろう。

ー起きた事実に対して認めなかった

安倍は次のような事実を認めなかった。植民地支配、それによる搾取、侵略戦争、平和に反する罪、戦争犯罪、人道に反する罪、大規模な奴隷化、大規模な強姦、虐殺、拷問、生体実験、生物戦および化学戦、そして現代史でその類例を見ない日本軍の組織的な性奴隷化、等等。

安倍はこのような事実を指摘したり認めることを拒否しただけでなく、積極的にこれを否定して歴史から消そうとした。安倍と彼の政権は歴史教科書修正のための扇動を行った。彼は日本の軍事侵略を否定するうえで先頭に立った。従軍慰安婦制度による性奴隷化を否認し、被害女性たちを人身売買の対象だと罵倒した。アメリカの教科書出版社を対象に、従軍慰安婦に関連する叙述を削除するようロビー活動を行った。そして南京虐殺を否定した。安倍とその同調勢力は、すべての部門で過去の不都合な歴史を修正もしくは消そうとした。

ー起きた事実に対する責任を負ったのか?

安倍の“謝罪ならぬ謝罪”はいつも、受動態の文章を用意周到に使う。「人命を失った」、「人々が犠牲になった」、「多くの女性たちの尊厳と名誉が深く損傷した」、「数多くの罪のない民間人が戦争で苦痛を受け、犠牲になった」。これらすべての文章には主語がない。これらの悪行を犯した主体、または行為者として、日本軍や日本政府、そして大日本帝国を直接に言及したケースが殆どないのだ。

このような間接話法の最も代表的な事例が、慰安婦に関する彼の発言であろう。
「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。」

この発言は、これまでの安倍の発言および行動と一致する。彼は一貫して、日本軍が女性たちを慰安婦として強制動員したり直接管理したことを否認してきた。自発的な“売春婦”(人身売買の被害者:訳注)だと主張しているのだ。そのように図々しい嘘をついてはならないという国際的な批判に直面した彼は、受動態文章を武器にして嘘を継続している。

時々、日本が行為主体として言及されることはある。しかしその場合も、「謝罪」「反省」「責任」などの単語が入った文章はあちこちに散らばるので、聞き手は混乱を起こすことになる。

「日本は、次第に…進むべき針路を誤り、戦争への道を進んで行きました。そして七十年前。日本は、敗戦しました。戦後七十年にあたり、国内外に斃れたすべての人々の命の前に、深く頭を垂れ、痛惜の念を表すとともに、永劫の、哀悼の誠を捧げます。」
これは、息する間もなく場面が変わってストーリーが飛躍し、観衆の想像力-あるいは怒り-を試そうとするヌーベルバーグの政治学だ。

ある時は、日本の侵略が当時の歴史的状況に対する正当な対応だとして、日本の責任を回避もしくは希釈させようとする。すなわち、日本は他の強大国によって袋小路に追い込まれ、「孤立感を深め、外交的、経済的な行き詰まりを、力の行使によって解決しようと試みました。」というのだ。この表現は、「日本は侵略戦争の挑発者ではなく、日本の行為は生存と自衛のために抑圧的な現状維持を“打破”せんとする、不可避な力の行使だった」という自民党政権の修正主義的立場を連想させる。

ー懺悔もしくは遺憾の表現

この部分で安倍は、抜群の実力を発揮する。彼は計算された用意周到さで、“深い悲しみと哀悼”を表わして次のように話す。
「一人ひとりに、それぞれの人生があり、夢があり、愛する家族があった。この当然の事実をかみしめる時、今なお、言葉を失い、ただただ、断腸の念を禁じ得ません。」

憂いに満ちたヴァイオリンの旋律が流れるなか、ハンカチをぎゅっと握りしめ、唇は細く震えて喉がつまるような感すら覚える。しかし悲しいかな、加害事実の認定と責任を拒否したことで、果たして彼が何を哀悼して悲しむのかが鮮明ではない。

彼が「深い悲しみ」、「永劫の、哀悼の誠」を語るとき、その対象が日本帝国軍隊によって大規模に虐殺され強姦され奴隷に転落した民間人被害者なのか、あるいは、(西欧列強によって止むなく戦争に巻き込まれた)侵略日本軍が体験した不運なのかが、不明なのだ。彼の悲しみは具体的な現実と結びついていない。彼の悲しみはただ、‘すべての人間は孤独で苦痛を受けており、等しく悲しい存在だ’という類の曖昧な感情に過ぎない。

彼が「慰安婦女性たちを考えると深い苦痛を感じる」と語るとき、慰安婦女性たちの苦難が苦痛だということなのか、自身がそう考えなければならないことが苦痛だということなのか、分からない。

また、彼が「戦場の陰には、深く名誉と尊厳を傷つけられた女性たちがいたことも、忘れてはなりません。」、「私たちは、二十世紀において、戦時下、多くの女性たちの尊厳や名誉が深く傷つけられた過去を、この胸に刻み続けます。」と語るとき、その対象が慰安婦女性たちの苦痛なのか、でなければ日本軍未亡人の苦痛なのか、それとも普遍的に女性たちが体験する苦痛なのか、不明なのだ。

だが、安倍の行動は彼の意図が何なのかを、水晶の玉のようにはっきりと見せてくれる。彼は慰安婦に関する報告書を撤回させるために国連を脅迫したし、慰安婦関連記念物をなくすために世界各地に代表団を送った。 閣僚には日本政府の以前の謝罪を再検討して修正するように指示したし、A級戦犯を復権させ、自身の内閣を極右修正主義者たちで構成した。そして最も重要なことは、“1993年の河野談話が内閣の決定によるものではなかった”ということを、閣議決定によって採択しろとの特別指示を与えた。すなわち、河野談話の公的性格を無力化させてその影響力を除去しようとしたのだ。

ー賠償

誰かに被害を与えた人が謝る時は、必ず原状回復に対する要求があるはずだ。原状回復が不可能ならば、賠償または補償をしなければならない。ところが、安倍政権は植民支配に対する韓国人の補償要求を全面拒否する。1965年の韓日国交正常化条約で、両国政府間の補償要求は完全に解決されたというのがその理由だ。これは技術的には間違った話ではない。だが、次のような不当な側面がある。

-国交正常化会談の当時、全く議論されなかった数多くの加害事例がある。最も代表的な事例が慰安婦問題だ。
-この条約は正統性がない独裁政権によって署名された。この政権は、過去の親日反逆者で構成された親日政権だ。
-この政権は腐敗し正統性がなかったので、実際の植民支配被害者には、日本の補償金のうち極めて一部、もしくは全く伝達されなかった。
-この条約は、ほとんどすべての韓国民の抵抗にもかかわらず、大規模な国家テロと拷問によって強制的に締結された。

慰安婦女性たちに対する補償の場合、今まで公式に実行された唯一の補償は、民間の慈善基金によるものだった。「アジア女性基金」がそれで、日本政府の公式補償という枠組みを回避するための手段だった。日本政府は過去に自身が犯した蛮行を認めて補償しなければならない。韓日国交正常化での不足点を認めることが、その出発点になるだろう。さらに一歩進んで、慰安婦女性たちに対する日本政府の公式的な補償をしなければならない。

ー再発防止の約束

一般的に謝罪をする時は、“再びこのようなことがおきないようにします。約束します”という言葉で終わりにするはずだ。しかし安倍の論理は、これとは全く違う。安倍は再発防止の代わりに、二度と謝罪しないと念を押したのだ。「日本では、戦後生まれの世代が、今や、人口の八割を超えています。あの戦争には何ら関わりのない、私たちの子や孫、そしてその先の世代の子どもたちに、謝罪を続ける宿命を背負わせてはなりません。」と話したのだ。これは、日本の継続的な謝罪は自虐的で敗北的であり、謝ることなどないという右翼の見解と完全に一致する。

ー批准

最後の批准が最も重要だ。国会の批准または閣議決定による日本の公式謝罪が成り立たないならば、アジアの平和と和解は不可能であろう。中国、韓国、そしてアジア諸国に日本の謝罪が重要なのは、まさにこのためである。安倍は戦争の残酷さがどんなものかを正しく知らなければならない。葛藤をそそのかす新帝国主義的な、表裏不動の発言を中断しなければならない。歴史修正主義を放棄し、河野談話を批准して近隣諸国との和解を推進しなければならない。何よりも安倍は、心よりの、そして最終的な謝罪をしなければならない。東アジアの戦争と平和が、まさにこの点にかかっているからだ。