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故ノムヒョンへの手紙ー韓明淑

2010年01月16日 | 管理人のつぶやき
夢見る少女から一国の総理に成長した方の精神遍歴を垣間見る思いだ。ミミズク蒐集家でもある彼女が、ノムヒョン49祀を終えて書いた「ミミズクは飛ぶ」(当ブログ2009年7月15日掲載)と一緒にご一読下さい。namsang


故ノ・ムヒョン閣下に捧げる手紙

韓明淑


大統領閣下、こんにちは。 そこは平安ですか?

‘閣下’という呼称をノ・ムヒョン大統領は好まないでしょうが、それでも今日一度だけは呼んでみたいです。敢えてこういう方法でも表現したい私の心を推し量って下さい。 あなたは私の胸中にいる永遠の大統領なのですから。

私があなたを初めて知ったのは、2002年第16代大統領選挙日でした。 当日夜11時のニュース速報で、第16代大統領当選者にノ・ムヒョン確定! という記事と、盧武鉉次期大統領候補が歓呼に応える姿を見ました。 この時には、ただ‘あ、あの人が次の大統領らしいね’という考えだけでした。

その後、互いに競争するように放映するノ・ムヒョンに対するドキュメンタリーを見ながら、ノ・ムヒョンに対する「関心」に変わりました。 正確には彼の成長過程に深い感銘を受けたのです。
大統領は、貧しい貧農家庭の息子に生まれ大学を進学する学費がなく、釜山商業高等学校を卒業、高卒4回の挑戦で司法試験に合格しました。 ここまではよくある平凡な成功話ですが, その後の行跡を見て私は自分の目を疑いました。 弁護士になった後に約束された出世街道を捨て、人権弁護士として活動し、弱者の側に立ち弱者を代弁する姿を見ました。私は再び自分の目を疑いました。 少なくともその時まで私の知っている政治家たちとは全く違っていたからです。 こういうドキュメンタリーを見て私は、わが国も何か変わるのではという希望を抱きました。

だが、2004年のどかな3月春の日に伝えられた青天の霹靂のようなニュースは、私の希望をこなごなにしました。 史上初めて大統領弾劾というニュースが、当時高等学校1学年だった私を、社会に導きました。 私は兄と妹と一緒に全南道庁前のろうそく集会に行き一番前の席に座って、初めてロウソクのあかりを灯しました。夜の凍てつくアスファルトに座り、ロウソクのあかりでかちかちに凍りついた手を温めていたような極寒の中でも、心だけは暖かであったことを記憶しています。 2002韓日ワールドカップ以後、人々が自発的にこんなにもたくさん集まったことがあったでしょうか。 私は国民の力で、弾劾された大統領を元の位置に戻すことができたので、その後も全てのことがうまくいくと信じました。 ところが、万事が心に決めた通りにはならないもの、現実の壁にあたり苦悩する大統領閣下を見て心が痛みました。

その後も退任後、静かに生きたいという個人のささやかな希望まで政治報復の犠牲になる姿に、こらえていた涙が流れました。 悲しくて出てくる一粒, 無念の思いで出てくる一粒,怒りから出る一粒…、そして最後にあなたを忘れないという意味の一粒が、私の目から小さな滝になって流れます。 '大切なものは常に、失くした後にその大切さを知ることになる'。人は皆こうした話をします。 やっと今、その話の真の意味を少しは知ることが出来そうです。今やっと悟りました。

たとえその想いと希望を思う存分広げることもなく逝かれたが、その果たせぬ夢は私たちに残して下さいました。 今まであまりにも多くの荷物を一人で担っていただけに、今からは私たちがその荷物を分けて担います。
大統領閣下、去る16代大統領選挙に出馬される時のお言葉を記憶しておられますか。
"全斗煥第5共和国の時に我々が出した「正しい社会」が一番心に届く"というお言葉と、"私達の子供たちに不正と妥協しなくても成功することができるという一つの証拠を必ず残したかったのです。"というお言葉を、これからも私は胸に刻んで生きていきます。
                            (現ノムヒョン財団理事長)