元特別補佐官、選挙対策担当だった腹心をトップに据えた言論界はほぼ完全にMBに制覇されたようだ。80年代全斗煥の時代は力で統廃合し、国家が情報を提供しコントロールしていた。当時ハンギョレは、その記事を独自にアレンジし記者魂を見せようとしたが、それもそこまで。当時日の出の勢いの朝鮮日報は、一挙に業界トップに! 今も続いているが…。
さて、下の文は「失職者の冬」を製作中、左遷された記者が同僚に残したもの。当座単身赴任、冬の間は高速バス通勤する、と。
まともに新年の挨拶もせず発ちます
家族らと新年に日の出列車旅行してきました。 去る2000年からほとんど毎年行く家族旅行です。
2009年,個人的に非常に大変な、そしてあまりにも感謝することの多かった忘れることのできない年であったようです。
KBSを通じて発令事実を知って本部長に挨拶しに行きました。 残念だという表情で
"できもしないアイテム出して、混乱させるからだ"と、最近取材を始めた'失職者の冬'に言及しました。
腹が立ちました。 本部長に初めて声を高めました。 "本当に失望しました。 迷っていたが,訴訟をしなければなりません。"と強く言った。
大韓民国最高報道機関のKBSで、こういう問題一つ内部議論を通じて解決できず、法に訴えるほかはない現実に、胸が痛む。 だが誰かがまた同じ理由でこうしたことにあうかも知れないから、訴訟をしなければならないと思います。
それでも新年に日はまた昇りました。日の出は、本当に美しい、と妻が言いました。そして悪いことが年を越さずに31日で幸いだと, 新年には良いことだけあることでしょう、と。
今日机を整理しに出社。 明日から春川(チュンチョン)に出勤します。 まともに挨拶もせず離れることを申し訳なく思っています。
もう一度同僚後輩らに申し訳ありません。後日、元気に帰ってきます。
2010年1月3日キム・ヒョンソク KBS記者