散歩の時に見つけた

東京都内を散策しますが、こんな所にこんな物がと再発見します。写真等を添えて記録します。

六阿弥陀第五番(池之端1丁目)

2008-05-21 07:31:20 | Weblog
 

 その昔、足立村の長者の娘が、豊島村の由緒ある家へ嫁ぎましたが、姑の嫁いび

りに耐え切れず、五人の侍女と荒川に身を投げてしまいました。それを僧・行者が

哀れみ、六体の阿弥陀仏を彫って一帯の寺に祀り供養したのが六阿弥陀仏の由来と

いわれます。  

 後に江戸庶民が春と秋のお彼岸に、阿弥陀さまを祀った六つのお寺を巡り供養し

ましたが、五番目がこの阿弥陀さまです。五番目の常楽院は、上野広小路の現在の

ABABのところにありましたが、震災で被災して池之端に越しました。戦災でま

た被災して調布市に移転しました。それでこの場所に祠を建てて阿弥陀さまを祀っ

てあります。今もお参りの人が絶えませんが、正岡子規も「野の道や梅から梅へ六

阿弥陀」と詠んでいます。
 

土蔵造の講安寺(文京区湯島4丁目)

2008-05-20 07:53:44 | Weblog
  本堂です

  寺門です

 本堂は社寺建築でありながら土蔵造です。江戸の町で普及した土蔵造という防火

建築が、多くの災害にあい、また、立て替えられるという歴史的推移のなかで、残

ることのできたことは貴重なことです。寺伝によりますと宝永五年(1708)頃

の建築といわれています。(無縁坂登り右側)   

 特に、寺院の住宅部分は、改築や新築が煩雑で残るのは極めて珍しいことです。

 ここは幕末のものとはいえ、客殿、庫裏が残り、江戸期の形式がよく保存されて

います。寺門、本堂や庫裏など、すべてがよく保存され、第一級の文化財といえま

す。文京区指定有形文化財となっています。(文京区教育委員会)

無 縁 坂 (台東区池之端)

2008-05-19 07:46:19 | Weblog
 

 

 池之端から本郷への坂道で、左側は旧岩崎弥太郎邸の塀です。どんどん上れば東

京大学構内となります。元和元年(1616)に、今の護安寺が湯島天神下から移

転して、開山上人も同じ境内に無縁寺と名付けた庵を建てました。

 文京区と台東区の境になりますが、この無縁坂が有名になったのは、さだまさし

作の唄「無縁坂」がありますね。  母がまだ若い頃僕の手を引いて こ

の坂を登る度 いつもため息をついた・・後ろだけは見ちゃダメと笑ってた と。

 この界隈はその昔、松平備後、榊原、前田の武家屋敷にかこまれた坂なので、武

縁坂とも記されていたといいます。

誓閑寺の梵鐘(新宿区喜久井町)

2008-05-18 07:38:02 | Weblog
 

  誓閑寺への道

 この梵鐘は天和二年(1682)に、近在の住民の寄進により鋳造された区内最古

の梵鐘です。総高138センチ、口径79センチ、周囲236センチで、形状は比

較的古い様式を遺しています。  

 池の間(銘文等を刻む空間)は四つに区分され、前面に銘文が刻まれむており、特

に銘文中の「武州荏原郡」の記載は、当時すでに豊島郡になっていたこの辺りが、

古い郡名で呼ばれていた例を示す史料となっています。 

 

なお、鐘楼は昭和49年4月に、千葉県木更津市の選澤寺より移築されたもので

す。(新宿区教育委員会) 

太田道灌の駒繋松と大黒様

2008-05-17 07:31:19 | Weblog
 

 

 新宿区西早稲田3丁目に甘泉園、水稲荷神社がありますが、この辺りは山吹の里

といわれ、太田道灌にまつわる山吹の物語はよく知られています。鷹狩にでた道灌

がよく通った路で、水稲荷の境内には「駒繋松」があります。 

 

 隣には大黒様が鎮座していますから、駒を繋いだ道灌さんが、大黒様に手を合わ

せている図を想像しました。

 

浅草神社のお祭り

2008-05-16 07:38:54 | Weblog
 

 

 久し振りのお天気になりましたので、浅草に出かけました。16日から三社祭が

始まりますが、今年は浅草神社の本社神輿の「宮出し」中止で、もう一つ盛り上が

らないらしいデス。でも四十四カ町の町内神輿が出るのですから、沈滞ムードを吹

き飛ばしてもらいたいですね。  

 

 昨日は、修学旅行や観光客でいっぱいの人出でした。仲見世のどの店も満員御礼

の状態です。宝蔵門や五重塔をバックにした記念撮影が人気らしく、引率の先生も

多忙のようでしたよ。

堀部安兵衛之碑 (西早稲田)

2008-05-15 07:48:25 | Weblog
 

 早稲田通りの北、水稲荷神社への階段の上にあります。そばには、明治43年に

行田久蔵が建てた「堀部武庸加功遺跡之碑」があり、これを補完するために書かれ

た説明板「高田馬場堀部安兵衛助太刀の由来」もあります。それだけ安兵衛さんは

有名人であったわけで、芝居や講談などにも登場します。  

  小倉屋酒店です
 
 地下鉄早稲田駅の前には、1678年創業といわれる酒屋・小倉屋さんがありま

す。落語で言われていますね。安兵衛が助太刀に駆けつける途中、馬場下の酒屋で

息継ぎに一升の酒をぐーっと飲み干し、馬場に飛び込んでバラリズンとやっつけた

という噺です。その一升枡が今も小倉屋さんに残っているといいますから、全くの

作り話ではないようです。

夏目漱石誕生之地碑

2008-05-14 06:44:30 | Weblog
 

 新宿区喜久井町一番地に「夏目漱石誕生之地碑」があります。隣は牛丼の吉野家

さんです。漱石さんは、ちょっと首をかしげて「我輩はうな重がいい」とおっしゃ

るかもしれませんね。  

 新宿区の説明版によると、文豪夏目漱石は、夏目小兵衛直克と千枝夫妻の五男三

女の末子としてこの地に生まれた・・とあります。夏目家はこの辺りの名主で、漱

石は里子に出されたり、養子に出されたりしたがいずれも復籍しています。

 この記念碑は昭和41年に漱石生誕百年を記念して建立されたもので、文字は、

弟子の安倍能成氏の筆になったものです。

旧安田庭園(墨田区横網1-12)

2008-05-13 07:40:22 | Weblog
 

 この庭園は元禄年間に、常陸笠間藩の下屋敷であった時に造られたと伝えられま

す。隅田川の水を引き入れた池を配し、潮の干満によって変化する景観を楽しんだ

和風庭園で、今も参観者が絶えません。  

 明治24年に安田財閥の創始者安田善次郎の所有となりましたが、安田翁の逝去

後に東京市に寄付されました。大震災後復旧して「旧安田庭園」と命名して一般公

開されました。昭和42年(1967)東京都から墨田区に移管され今日に至ってい

ます。池の向うにはドーム屋根の公会堂が見えます。  

 

 駒止稲荷神社

 徳川家光公の時代、隅田川が氾濫した時、視察を命じられた旗本阿部豊後守は、

馬を駆って隅田川の濁流を渡り、馬を止めたのがこの場所であったことから、駒止

稲荷、駒止井戸、駒止銀杏などが今も庭内に保存されています。この日は、近くの

小学校の子どもたちが写生に来て「にわか画伯」になっていました。

 

隅田川テラスギャラリー

2008-05-12 07:48:49 | Weblog
 

 

 両国の隅田川テラスには、地元の小・中学校の卒業生が描いた絵をはじめ、富嶽

三十六景、浮世絵などが展示されています。  

 この絵は、明治8年に新しく架橋された両国橋の絵で、長さ92間、幅6間と書

かれています。右に富士山が描かれていますから、遠くに見える橋は永代橋のよう

ですね。帆かけ舟などで賑やかです。  

 川面を走る水上バスも、もうすこし岸辺に寄って進めば、この見事な絵が見える

のですが、航行のルールで止む無しでしょうか。