説明によると、小名木川と竪川を結ぶ六間堀から分かれる入堀です。五間堀の名称は川幅が
五間(約9m)であるところから付けられたもので、六間堀とともに江戸時代から重要な水路
でした。寛文11年(1671)の地図にはすでに記載されています。
明治8年(1875)になって、付近の地主であった元尾張藩主徳川義宜により堀り進めら
れ、明治10年頃には小名木川まで貫通したようです。しかしね昭和11年、昭和30年の2
度わたって全て埋め立てられました。五間堀の跡地は小公園になって住民の憩いの場となって
います。江東区登録史跡です。