![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/66/d8/b6b871c38653bbbe627dcc60d495949a.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/2a/10/de9870c04f6076c8b4ce8b868f1e8e07.jpg)
浅草寺境内の奥山庭園中央にあり、大正8年に東京府の旧跡に指定されています。父は徳川
忠長の付人渡辺忠で、寛永6年(1929)駿府場内で生まれました。下野国で過ごし、その
後江戸に出て伯父戸田氏の養子となり、岡崎藩本田家に仕えます。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face2_happy_m.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_yaho.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/face_en.gif)
その後浅草や本郷に隠棲し、余生は風雅を友としました。古典の研究を行い、公家の間に伝
えられた伝統的な歌学が、師の歌説に門弟が盲従することに反対して、歌学の革新を主張し、
国学の先駆となりました。著書に「百人一首雑談」などがあります。「塵の世をいとふ心の積
もりては 身の隠れかの山となるらん」と詠み、隠れ家の茂睡と時の人々に呼ばれました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/img_emoji/hiyo_en2.gif)