![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7b/de/bb30288935368ba1d26cf2c8438fec38.jpg)
なんだか、さらっとした人生を見せて、物足りないと感じた人に、きちんと人生を追ったのを見せようとした映画館の陰謀かは知らないが、なぜか同じときに公開。
よくわからず、どっか消化不良だったところを、きちんと見せてもらって、スッキリした。
幼い頃、母と死に別れ、孤児院に入れられた姉妹。父との不本意な別れが、彼女がこれから愛する人に、父の面影を求めるもとになったのではないかと言うことが見える。
成長してお針子として、ブティックで働くが、ひたすら奴隷のように働かされる毎日の中で、徐々に自分の才能を発揮していく。酒場とブティックで、二つの顔を見せたガブリエルは、バルサンに見込まれ、屋敷に住むようになる。
このバルサンの年齢が、アヴァンとはずいぶん違ってた。どっちが正しいのか、どっちでもいいが、バルサン(バルザン??どっち?)も彼なりにガブリエルを愛していたはずだ。
ただバルサンは、ガブリエルを同等な女性として愛していたのではなく、自分の言いなりになるペットのように愛していたのだ。そこから脱せなかったのが、彼の限界であり、時代の限界だった。
囲われ者のような立場に甘んじていたガブリエルだったが、何かを作りだしたい、何かを生み出したいと言う欲求が自分の中から湧き上がってくる。まず、帽子を作って、自分らしさを表現する。
それは貴族社会のスノッブな人たちには、到底受け入れられるものではなかったが、それでも自立したいと思うココは、作り続け、自分の店を出す。
パリのアパルトメントの一角。コネも何もないココの店に人が入るわけもなく、借金にまみれ、薪を買う金もない。すべて差し押さえられそうになったとき、バルサンの友人で、イギリスの富豪の“ボーイ”が現れる。そして、彼女の支えになっていく。
ちょうど時代は第一次世界大戦が始まる頃。大戦は不幸をもたらすことには変わりはないが、女性たちには大きな飛躍の事件となる。看護婦や電信係りとして女性も大いに活躍し、夫や息子を失った女性たちは、自ら戦場に赴いた。
男たちのいない町を守るのは女たちで、コルセットを締め、ヒールを履いて、羽飾りのついた帽子をかぶっているわけにはいかない。ジャージーの動きやすい服装を生み出し、大またに歩いて、闊歩する女性たちが登場するのだ。
何も男性らしくすることが大事なことではなく、女性を女性としてがんじがらめにしていたものからの脱却。男のペットだった女性は、その服装でそうさせられていたが、そうではないことを、服装でも示せたのだ。それを体現したのが、ココ・シャネルだった。
しかし、戦争から帰ってきた“ボーイ”との別れ。彼はさまざまなしがらみから、別の女性と結婚をしてしまう。そのことを理解できるココだったが、二人が再会しようとするときに、“ボーイ”は事故で死んでしまう。
そして生み出されたリトル・ブラック・ドレス。この辺を語るシャーリー・マクレーンは圧巻だ。
54年の彼女の再起のショーをめぐりながら、過去を回帰し、ココの人生をなぞっていくのだが、いちいちきちんとしてて、納得がいく。彼女の強さが何から生まれ、どう育ち、そうやって昇華していったか。
54年当時、いかにもものがわかったような教条的サポーターを演じているのが、あのマルコム・マクダウェルと言うのがまた絶妙だ。
「成功は人を強くしない。失敗こそが強くするんだ・・」なんて言葉は、普通の人が言っても、まあねえ、と思うくらいだが、ココが言うとその言葉は俄然重みをまし、強烈な言葉として突き刺さってくる。
姪の飾り立てたドレスを剥ぎ取って、らしさを生み出していくとこなぞ、わくわくして見入ってしまった。
シャネルのものなんか、一個も持ってないが、ひとつの確固たる女性の生き方が生み出したシャネルへの見方が、まるで変わった。
ココの若い頃を演じた新星、バルボラ・ボブローヴァは、色がなくてとっても素直に見れた。時々、若い頃のジュリエット・ビノシュと似てるなあと思ったが、これからが楽しみそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/e6/0928a6d8fde84726e69d9d4a6da41f4e.jpg)
そしてシャーリー・マクレーンの貫禄に脱帽だった。
◎◎◎○
『ココ・シャネル』
監督 クリスチャン・デュゲイ
出演 シャーリー・マクレーン バルボラ・ボブローヴァ マルコム・マクダウェル
よくわからず、どっか消化不良だったところを、きちんと見せてもらって、スッキリした。
幼い頃、母と死に別れ、孤児院に入れられた姉妹。父との不本意な別れが、彼女がこれから愛する人に、父の面影を求めるもとになったのではないかと言うことが見える。
成長してお針子として、ブティックで働くが、ひたすら奴隷のように働かされる毎日の中で、徐々に自分の才能を発揮していく。酒場とブティックで、二つの顔を見せたガブリエルは、バルサンに見込まれ、屋敷に住むようになる。
このバルサンの年齢が、アヴァンとはずいぶん違ってた。どっちが正しいのか、どっちでもいいが、バルサン(バルザン??どっち?)も彼なりにガブリエルを愛していたはずだ。
ただバルサンは、ガブリエルを同等な女性として愛していたのではなく、自分の言いなりになるペットのように愛していたのだ。そこから脱せなかったのが、彼の限界であり、時代の限界だった。
囲われ者のような立場に甘んじていたガブリエルだったが、何かを作りだしたい、何かを生み出したいと言う欲求が自分の中から湧き上がってくる。まず、帽子を作って、自分らしさを表現する。
それは貴族社会のスノッブな人たちには、到底受け入れられるものではなかったが、それでも自立したいと思うココは、作り続け、自分の店を出す。
パリのアパルトメントの一角。コネも何もないココの店に人が入るわけもなく、借金にまみれ、薪を買う金もない。すべて差し押さえられそうになったとき、バルサンの友人で、イギリスの富豪の“ボーイ”が現れる。そして、彼女の支えになっていく。
ちょうど時代は第一次世界大戦が始まる頃。大戦は不幸をもたらすことには変わりはないが、女性たちには大きな飛躍の事件となる。看護婦や電信係りとして女性も大いに活躍し、夫や息子を失った女性たちは、自ら戦場に赴いた。
男たちのいない町を守るのは女たちで、コルセットを締め、ヒールを履いて、羽飾りのついた帽子をかぶっているわけにはいかない。ジャージーの動きやすい服装を生み出し、大またに歩いて、闊歩する女性たちが登場するのだ。
何も男性らしくすることが大事なことではなく、女性を女性としてがんじがらめにしていたものからの脱却。男のペットだった女性は、その服装でそうさせられていたが、そうではないことを、服装でも示せたのだ。それを体現したのが、ココ・シャネルだった。
しかし、戦争から帰ってきた“ボーイ”との別れ。彼はさまざまなしがらみから、別の女性と結婚をしてしまう。そのことを理解できるココだったが、二人が再会しようとするときに、“ボーイ”は事故で死んでしまう。
そして生み出されたリトル・ブラック・ドレス。この辺を語るシャーリー・マクレーンは圧巻だ。
54年の彼女の再起のショーをめぐりながら、過去を回帰し、ココの人生をなぞっていくのだが、いちいちきちんとしてて、納得がいく。彼女の強さが何から生まれ、どう育ち、そうやって昇華していったか。
54年当時、いかにもものがわかったような教条的サポーターを演じているのが、あのマルコム・マクダウェルと言うのがまた絶妙だ。
「成功は人を強くしない。失敗こそが強くするんだ・・」なんて言葉は、普通の人が言っても、まあねえ、と思うくらいだが、ココが言うとその言葉は俄然重みをまし、強烈な言葉として突き刺さってくる。
姪の飾り立てたドレスを剥ぎ取って、らしさを生み出していくとこなぞ、わくわくして見入ってしまった。
シャネルのものなんか、一個も持ってないが、ひとつの確固たる女性の生き方が生み出したシャネルへの見方が、まるで変わった。
ココの若い頃を演じた新星、バルボラ・ボブローヴァは、色がなくてとっても素直に見れた。時々、若い頃のジュリエット・ビノシュと似てるなあと思ったが、これからが楽しみそう。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/46/e6/0928a6d8fde84726e69d9d4a6da41f4e.jpg)
そしてシャーリー・マクレーンの貫禄に脱帽だった。
◎◎◎○
『ココ・シャネル』
監督 クリスチャン・デュゲイ
出演 シャーリー・マクレーン バルボラ・ボブローヴァ マルコム・マクダウェル
やっぱりこちらの方がまだ良かったかなぁ~って感じでした。
ただ、個人的にはオドレイにまた描いてない部分を
これからも映画化してもらいたいなぁ~と思いましたです。
演技的には文句無いんですが、個人的にはこれでもまだシャネルのデザイナーとしての成功に関する描き方が甘いと思ってます。
彼女の人生だけで、大河ドラマが描けそうですもんね。
なんかこれ見て、すっきりしました。見たかったものを見せてもらった!みたいな。
ぜひ、シリーズでやってもらいましょうね。
ストーリーを詳細に描いていると思います。
そういう意味では良かったですね。
オドレイ・トトゥのシャネルが好みの方も
あると思いますが・・・。
彼女の人生で、大河ドラマができそうですもんね。
やっぱ、こっちに軍配を上げたいと思います。
どちらが史実に近いか解りませんが、映画なんですから(苦笑)
こちらのココのように、二人の主役を立てて、回想しながらの見せ場や構成って大事ですよね。
私もバルボア・ボブローヴァが段々ビノシュに見えてきました(笑)
彼女は華があって、社会進出していく強さと女性らしい可愛さがありましたね。
シャーリーはもう存在感たっぷりで圧巻です!
これを観た時、
良かったけど、もう少しブランドウンチク知りたかったと贅沢こいちゃいましたが(笑)
sakuraiさん、リンクさせて頂いても宜しいでしょうか?
宜しくお願いします。
彼女の頑固さとか、プライドの高さとか、見事に出ていたと思います。
そこからの苦悩も見えたのが、なんか共感できたな。
彼女の人生だけで、ものすごいドラマが作れそうですもんね。
やっぱりビノシュに見えました?
似てましたよね。あの二人の取り混ぜ方というか、按配もよかったと思います。
ブランドにまったく興味のない私ですが、ブランドってやっぱりいいのね、と思いましたモン。
リンク、どうもありがとうございます。どうぞよろしく。
ブランド物に詳しくないのですが、ココ・シャネルのことはどこか
心の隅に留めておきたいと思いました。
戦争という大きな時代の揺れもあったのですね。
「プリティ・リーグ」なんて映画もありました。これも実話だったような。
地方都市も、たまに粋なことになりますね。
続けざまにみたので、つい比較してしまいました。
「プリティ・リーグ」は、第二次世界大戦が舞台で、男性が戦争に行ってしまったため、という背景がありましたね。
こっちは第一次でしたが、戦争に女性の存在が必要とされてしまったということが皮肉にも、女性の力を前進させたことを表してたと思います。